カテゴリー「大路小路路地」の6件の記事

2018年2月23日 (金)

京都市内・洛中を歩く(3)寺町通-5

 前回の続きです。
 「寺町通」を北上していますが、漸く終点が近付いて来ました。

028a

最終地点の手前から2つ目のお寺「西園寺」です。

そして、最後のお寺「天寧寺」です。

029a

031a

山門を通して「比叡山」が真正面に見えます。「額縁門」と呼ばれています。

039a

京都市の「駒札」を利用させて戴きました。

034a

山門をくぐって境内に入らせて戴きました。

036a

門を通して、本堂が見られました。

040a

駒札の説明にあったお堂です。

041a

寺町通の北端で、「鞍馬口通」との交点です。

042a

交点の北東に「上善寺」と言うお寺があります。
京都の六地蔵めぐりの1つです。

次は、残りの四条通から下を歩きたいと思っています。






 

2018年2月22日 (木)

京都市内・洛中を歩く(3)寺町通-4

 前回からの続きです。
 「寺町通」を、四条通から発して北上しています。「今出川通」まで来ました。
 漸くこの辺りから「寺町」らしい雰囲気になって来ました。

010a

寺町今出川の東北角に建つ「史跡 大原口道標」です。
この2面は、北の方向と西の方向に何があるかとそこまでの距離を示しています。例えば西には「内裏」(御所)が三丁先にあることを示しています。

009a

こちらは東と南とを、同様に示しています。

011a

今出川通から少し北へ入ったところから、北の方を見ています。

012a

少し進んだら、右手に「出町商店街」があります。
庶民の町と言った雰囲気です。

014a

漸くお寺の前に来ました。「本満寺」です。山中鹿之助の墓があるとの石碑が見えます。

017a

「十念寺」の本堂?です。モダンなお寺です。

020a

通りを南から北に向かって、見通しています。この辺り殆どのお寺が東側にあります。

021a

「阿弥陀寺」です。「織田信長公本廟」の石碑が、左手に見えます。

022a

今度は、通りを北から南を見通しています。

023a

通りの右手の路地からは、「比叡山」が見えました。

次回も続きます。最終回になります。

























2018年2月21日 (水)

京都市内・洛中を歩く(3)寺町通-3

 前回の続きです。
 寺町通を、四条通から北上し、御池通まで来ました。さらに北上します。

051a

御池通を渡って、さらに北へ。右手は市役所の西側になります。

052a

その市役所の囲い塀には、こんな絵画が見られました。

055a

何故か、この辺りには立派な看板が多く見られます。
「蚊帳眞綿蒲団商」と、書き手の銘入りで造られています。
日本古来の右からの文字の書き方です。

057a

こちらも看板を支える象?2頭です。象では無く、夢を喰うと言う「獏」(ばく)?。今は閉店していますが、確か古美術商だったと気憶しています。

058a

こんな京町家もありました。この辺りでは、このお宅しかありませんでした。

059a

看板に示された「蛸螺堂」は、古美術店です。読み方は?(調べたけど判りませんでした。お店に行って聞くしかない様です。)

立派な看板が続きます。

060a

「看板屋さんの看板」です。この辺りの看板は、このお店が手掛けられたのかな?と想像したりして。

062a

「象彦」と言う漆器屋さんがありますが、ここは「熊彦」さんです。
何らかの由来があるのでしょうが、どちらも扱い商品に似つかわしく無い感じがしますが・・・。

063a

三条大橋の西北の畔にもお店がありますが、ここが本店なんですね。

064a

ショーウインドウを覗いて見ました。色んなものが並べられています。

「寺町通」を、さらに北に向かって歩いています。
次回も続きます。




















2018年2月20日 (火)

京都市内・洛中を歩く(3)寺町通-2

前回の続きです。
 寺町通を、四条通から北に向かって歩いています。寺町三条まで来ました。

041a

三条通から少し北に入った右側に、「矢田寺」です。お地蔵さんがお祀りされています。

043a

この界隈には、画廊や画材店が多いです。

044a

消防に携わる方の用品店でしょうか?

045a

有名なお店です。紙類・筆類の他、線香もありました。中に入ると良い香りがします。

046a

古書店の「書林竹苞堂」です。創業は宝暦元年(1751)とのこと。

047a

元あった場所で「本能寺の変」が発生・焼失後、ここに移転しました。

048a

「御池通」に来ました。左が「京都市役所」、右手の高いビルが「京都ホテルオークラ」です。

050a

御池通から、今まで歩いて来た「寺町通」を見返しています。
御池通は、戦中の疎開計画によって、片側の家屋が取り壊されて、道幅が大変広くなっています。下の五条通もそうです。

 市役所の西側を通り、更に北に進みます。
 次回に続きます。









2018年2月18日 (日)

京都市内・洛中を歩く(3)寺町通-1

 前回の続きです。
「京都市内・洛中を歩く」、漸く本来の「洛中」を歩くことが出来ました。とは言うものの「洛中」の一番東の端、「東京極」です。それもスタートは、「四条通」から北に向かいました。気まぐれです。

029a

京都市式の地名で言うと、「寺町通四条上る」となります。
四条通から、寺町通に入った直ぐの様子です。
四条通の南側に面してある「八坂神社・御旅所」のほぼ前と言うことも出来ます。ここから北に向かって歩き始めました。
以前は、東隣にある「新京極通」の賑わいには負けていましたが、近年急激に変化し、「新京極通」と肩を並べる位の賑わいを呈しています。

030a

通りの左側にある「お茶屋」さんです。昔風のお店の感じです。

031a

右側にあった衣類・雑貨店です。始めは新京極通に誕生し、こちらでも広がって来ました。若者向きの店ですね。

032a

利用させて戴きました。最近良く遣る手です。

033a

今、外国観光客にも人気の「錦通」です。寺町通錦の角です。

034a

錦通は、寺町通を越え、突き当りの新京極通まで達しています。そこには「錦天満宮」があります。

035a

左側の角にある古書店です。版画も見られます。

036a

昔から、ここには珠数屋があった様ですが、こちらのお店もそれを継承したお店でしょうか。

037a

寺町通蛸薬師角から、新京極通とそこにある「蛸薬師」(寺院)を見ています。
蛸薬師通の語源になったところです。

039a

寺町三条の角にあるすき焼店の「三嶋亭」です。牛肉の販売もしています。
残念ながら、未だ一度も入ったことはありません。

040a

三嶋亭の車ですから、文句も言えませんが・・・。
左隣は、版画店ですが、閉まっていました。
寺町通は、ここで少し折れ曲がっています。

 次回に続きます。


















2017年12月27日 (水)

京都市内・洛中を歩く(1)先斗町

久し振りに、そして気まぐれに、京都市内の「洛中」と言われる範囲を歩き始めました。「先斗町」(ぽんとちょう)からスタートしたのですが、考えて見ればここは「洛外」かも知れません。現在の「寺町通」が「平安京」の東の端(東京極・ひがしきょうごく)ですから、先斗町は少し東に外れています。

001a

先斗町を四条通から(南から)入って直ぐの場所から、北方向を見通しています。
道幅はこんなに狭い通りです。手前付近はまだ広い方です。

003a

ここから先は道幅は狭くなっています。

004a

道幅が狭いわりに、間口の広いお店もあります。昔からの姿を残しています。

006a

所々に、この様な狭い路地もあります。突抜けた先は、「木屋町」です。

007a

古民家風の店もありました。

009a

こちらもそんなお店です。

010a

そこには、こんな説明板がありました。

011a

北の端近くには、「先斗町歌舞練場」があります。

012a

その先を見ますと、この通りです。趣のある建物です。

013a

この様な看板が掛っていました。

014a

建物の壁の一部を見ますと、こんなデザインが見られました。

015a

北の端から、南を見通すと、こんな様子でした。
左手先が、「先斗町歌舞練場」です。

ここで珍しいものを、ご紹介します。

002a

お気付きかと思いますが、電柱が曲がっています。
道幅が狭い故の結果の様です。

007a_2

探していたら、もう1本ありました。
実は、このことは地元新聞に教えて貰ったものです。
現在、この通りで「無電柱化」の工事が行われており、2019年度には完成するとか。この不思議な電柱は、それまでの命です。

最後に、この通りについての説明を。
○この通りは、北は三条通の一筋南から、南は四条通までの全長約500m。
○この通りが出来たのは、寛文8年(1686)に、大規模な鴨川改修が行われてからのことだそうです。鴨川右岸に造成されました。
○「先斗」を「ぽんと」と呼ぶのは難読ですが、この読みはポルトガル語のポント(先の意)に起因するとのことです。もともとこの辺りは「御崎」と呼ばれいたそうで、それをハイカラ風に呼んだものと言われています。
○この通りに最初に家が建ったのは、延宝2年(1674)で、それから続々と建てられたそうです。
○正徳2年(17129には、料理茶屋や旅籠屋などが軒を連ねた。
○文化10年(1813)には、芸者も生まれています。

この後も、気まぐれに、町中を歩きます。

































2018年5月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

最近のコメント

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

京 歩き