カテゴリー「大路小路路地」の20件の記事

2018年9月23日 (日)

京都市内・洛中を歩く(6)富小路通ー4

 前回の続きです。
 「富小路通」の最終段階に入ります。

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「三条通」に来ました(手前の道路)。北西角に建つ明治時代に建てられた一連のビル群の1つです。

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西側に並ぶ、さそれぞれに個性的な京町家 3軒です。

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同じところを、北の方から見ています。町中で時々見掛ける外燈です。

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西側の比較的大きな京町家です。左手には蔵も見えます。

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こちらも西側で、こちらもそれぞれに個性的な町家が並んでいます。

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「御池通」の手前、西側にある旅館と「てんぷら」の店・吉川さんです。

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「御池通」を、北から南の方を見ています。
左手の車が出ようとしているところが「富小路通」の南側で、手前の道路が北への道です。
これからはその道を北上します。

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こちらも西側です。かつてここに「京都市立商業実修学校」がありました。

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同窓会の皆さんが造られた説明板です。

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間口の広い大きなお屋敷の様です。傍に建つ石碑によれば、「大炊御門萬里小路跡」とありました。お公家さんの邸宅があったところの様です。

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同じく西側には、「京都弁護士会館」です。
その訳は、

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「京都地方裁判所」が、「丸太町通」に面してあるからです。通りからはその横を見ています。右手の緑は、京都御苑です。

 以上で、「富小路通」は終わりですが、この「富小路通」について、資料から。

◆この通りは、豊臣秀吉の「京都大改造」によって生まれた通りです。

◆この「富小路」と言う名前は、平安時代の小路名でした。
◆その旧富小路の道筋は、実は東隣の麩屋町通です。
◆何故それが逆転した訳は不明だそうです。
◆この富小路通は、全く新しく通貫された通りです。
◆秀吉は、京都大改造で、この様に「通り」を増加させることで、人・もの・車の移動を便利にし、経済的効果を上げています。
◆正方形の街区の真ん中に通りを通して矩形の街区にしています。

 猛暑が続く京都市内、暫く「洛中を歩く」はお休みさせて戴きます。


2018年9月21日 (金)

京都市内・洛中を歩く(6)富小路通ー3

 前回の続きです。
 「富小路通」を北に向かって歩いています。この通りには、比較的京町家が多く見られます。歩いていても楽しい通りです。

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四条通を渡って、今来た道を振り返っています。
左手角にあるコーヒー店「ドトール」は、よく行くお店です。

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四条通から、これから歩く先・北の方を見ています。
右手角にある書店「ジュンク堂」も、時々覗く本屋さんです。

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この辺りはビジネス街でもありますので、右手にある様なお店(四富会館)は夕方以降、サラリーマンで賑わっているいることでしょう。

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京町家の活用例の一つでしょうか。「バッタン床几」は京町家の象徴の一つです。

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かつては大きな糸へん商社のお店だったところだろうと思います。

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出入り口を見ています。築100年だそうです。「地ビール」のお店です。
一度味わって見たいと思いました。

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蛸薬師通との角にある旅館です。

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こちらも旅館の様です。

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「旧高倉東小学校」です。「生涯学習部」の看板が掛っていました。市教委が使っている様です。

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こちらも旅館の様です。この辺りを歩いた日が、丁度「祇園祭」の期間中だったので、提燈などがその雰囲気を示していました。

 次回も続きます。




















2018年9月19日 (水)

京都市内・洛中を歩く(6)富小路通ー2

 前回の続きです。
 「富小路通」を歩いています。五条通を越えました。

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五条通から入って直ぐの景色です。

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西側に、こんなお宅がありました。映画の初期のスター「目玉の松ちゃん」です。
彼の銅像は、下鴨神社に行く道の途中にあります。どんなご縁があるのでしょうか?。

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この通りでは、いわゆる「京町家」が、色んな形で存在している様に思いました。
こちらは東側の町家です。「銅器商」とは珍しい、ご商売です。

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こちらは西側です。随分と凄い防御をされたお宅です。
何か大切なものを扱っておられる(またはおられた)お宅かなと想像しました。

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その右手端には、こんな物を見付けました。もう使われていないのかな?
最近災害時の対応に、見直されているとか聞きましたが。

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凄く立派な格子戸のお宅が2軒、並んでいました。

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「仏光寺通」では、この様に少し道がずれていました。
碁盤の目状と言われていますが、何かの理由でこんなことが起きているのでしょうか。

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東側には、この様な白亜の教会がありました。

 まだまだ続きます。次回に。

2018年9月17日 (月)

京都市内・洛中を歩く(6)富小路通ー1

 洛中の南北の通りを歩いています。(カテゴリー「大路小路路地」をご覧ください)
 寺町通から始まって、御幸町通・麩屋町通と来ました。次は、「富小路通」(とみのこうじどおり)を南から北に向かって歩きます。
 麩屋町通の南端は五条通、富小路通の南端は「上珠数屋町通」なので、五条通からそこまで少しだけ歩いて、富小路通の南端に立ちました。なお、富小路通の北端は、丸太町通です。
 ここでちょっと疑問が。「じゅず」の漢字は?数珠か?珠数か?パソコンの漢字変換では前者が、私の参考書では後者が使われています。

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富小路通の南端は、突き当りになっていて「渉成園」(枳殻邸)があります。
東本願寺の飛地境内地です。枳殻(からたち)が植えられていたので、「枳殻邸」とも呼ばれています。東の方向を見ています。

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西の方向を見ています。入口は、西に向かってあります。
通りは、上珠数屋町通です。

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富小路通は、ここから始まります。北に向かって進みます。
左手は、「六条院小学校」のグランドです。
ここから先には、お寺が続きます。主に右手の方です。

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石碑にある通り「長講堂」です。後白河法皇ゆかりのお寺です。
正式には、「法華長講弥陀三昧堂」と言います。
元は六条西洞院にありましたが、度重なる火災のため転々とし、天正6年(1587)に豊臣秀吉によって現在地に移されました。

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山門から少し中を拝見させて戴きました。左手の方です。お茶室の様です。

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「蓮光寺」と言います。手前に石碑が建っていて「長曾我部盛親公廃首之地」とありました。中にお墓がある様です。

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こちらは西側にある「上徳寺」です。浄土宗のお寺です。
慶長8年(1603)に、徳川家康によって、上徳院殿(阿茶の局・家康の側室)が開基となって建立したと言われています。境内には、「世継地蔵」と呼ばれるお地蔵さんが祀られていて、昔から良い世継ぎが授かるご利益があるとして、遠近の人々の信仰を集めているそうです。

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五条通に出る直ぐそば(東側)にあるお寺です。浄土宗のお寺です。
寺伝によれば、源 実朝の後室・坊門信子が貞応元年(1222)に、西八条の遍照心院内に創建し、自らの法名「本覚」から寺の名を付けたのが起こりとか。
天正19年(1591)に豊臣秀吉の命によりこの地に移されたそうです。
この地は、源 融(嵯峨天皇の皇子で、光源氏のモデル)の河原院塩釜の第のあった所です。

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五条通の出入口です。左に見えるお寺が「本覚寺」です。

 五条通を渡って、富小路通を上がります。
 次回に続きます。











 

2018年8月17日 (金)

京都市内・洛中を歩く(5)麩屋町通ー4

 前回の続きです。
 「麩屋町通」を、南に向かって歩いています。

 東西の通り「仏光寺通」から「松原通」辺りを歩いています。

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間口は比較的狭い「京町家」のお宅?ですが、暖簾や木札が見られますので、何か商売でも?とも。「あんず庵」と書かれています。コンパクトな前面の外観です。

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「松原通」と麩屋町通との交点には、「明王院不動寺」があります。
こちらは、松原通に面した部分です。

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京都市が掲示している「駒札」を利用させて戴きました。

もう1つの掲示板には、この「松原通」に関することが説明されていましたので、今回の最後に、少しご紹介します。

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左手に「明王院不動寺」の西面を見て、麩屋町通の南方向を見通しています。

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暫く歩くと、同じく左手には「朝日神明宮」と言う、こじんまりとしたお宮がありました。社伝によれば、貞観年間に丹波国桑田郡穴生村(現在の亀岡市)に造営され、元亀3年(1572)に現在地に遷座されたとか。
天照大神を祭神とし、かつては南北は五条通から松原通、東西は河原町通から富小路通までの広大な社域だったそうで、「幸神の森」(さいのかみのもり)とよばれたとか。かつては8社もあったが、天明の大火や元治の大火で大半が焼失、今は「猿田彦社」のみ。

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そろそろ南端の「五条通」に出ます。

 「麩屋町通」は終了して、1つ西の「富小路通」を、北に向かって歩きます。

 「松原通」についてのお話です。「明王院不動寺」に掲示してあった説明文から抜粋しました。

◆松原通は、平安京造営時には、「五条大路」でした。道幅は8丈(24m)の大通りでした。

◆松原通は、八坂神社と稲荷大社の境界で、北側が八坂神社、南側は稲荷大社のそれぞれ氏子となっています。

◆松原通は、かつて五条大路時代 清水寺への参道でした。

◆平安時代末期、五条橋を渡った「六波羅」一帯は、平家一門の屋敷町でした。
牛若丸と弁慶の出会いも、実は現在の「松原橋」なのです。

◆松原通の地名の由来は、室町時代末期に、荒廃した五条室町に「玉津嶋神社」が建てられていて、その松林が美しく「五条松原通」と呼ばれていましたが、やがて五条が取れて「松原通」となりました。











2018年8月15日 (水)

京都市内・洛中を歩く(5)麩屋町通ー3

 前回の続きです。
 「麩屋町通」を下がっています。三条通を越え、四条通に近付いて来ました。

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町中に牛が!? 良く見ると、レストランの前に置かれたベンチでした。

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そのレストランの玄関前です。傘の下に牛はいました。

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ずっーと通りの西側の様子です。暖簾には、「扇」白竹堂とあります。

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こちらは、東側です。蔦に覆われた立派な建物です。

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玄関前です。確かお医者さんだつたと思います。

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西側にあるお蕎麦の店「権太呂」さんです。未だ一度も入ったことはありません。
最近蕎麦に親しんでいるので、是非一度・・・。

四条通を越えました。

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四条通からの「麩屋町通」の様子です。この近辺の通りの道幅は、大体こんな程度です。車の離合は出来ないから、通り毎の交互に、一方通行になっています。

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西側にある「藤澤萬華堂」と言う、印刷・紙・包装資材の商店です。京町家の姿を残したお店です。「バッタン床几」(バツタリとも言います)もそのままに。

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こちらも西側。染物・呉服のお店ですが、「銭京」と言う名前が面白くて。京都らしくないストートで。

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京都の古い商家らしく、道路に面して店舗、その後ろに住居がある形が良く判ります。

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「井上清七薬房」さんです。京都市内で時々見掛ける薬屋さんの看板が掛けられています。

 次回も続きます。





2018年8月13日 (月)

京都市内・洛中を歩く(5)麩屋町通ー2

前回の続きです。
 「麩屋町通」を歩いています。

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「押小路通」(東西の通り)を越えたところにある「白山神社」です。
この通りの別名「白山通」の名の由来になったとか。
ここを歩いたのが、6月28日でしたので、「茅の輪」が見られました。

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その向いには、「湯波半」と言う名の京ゆばの老舗があります。
生憎この日はお休みの様でした。
昔は、この通りには多くの豆腐や麩麺類を商う人達が多く住んでいたとか。
それが通り名の「麩屋町通」になったと言う説もあります。
通り名の由来が、向かい合わせにあると言うのも面白いです。

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「御池通」に来ました。

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御池通を渡って直ぐ右に広がるのは、有名高級旅館の「柊屋」さんです。

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そして、その向い(東側)には、「俵屋」さんがあります。

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「柊屋」さんの玄関です。

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お向かいの「俵屋」さんの玄関です。絵文字の看板がありました。

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西側には、こんな雰囲気のあるお店が並んでいます。

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こちらも西側です。

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もう1軒、「炭屋」さんと言う旅館です。

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「炭屋」さんの玄関です。

 次回に続きます。






 

2018年8月11日 (土)

京都市内・洛中を歩く(5)麩屋町通ー1

 前回の続きです。
 今回は、「御幸町通」の1つ西の「麩屋町通」を、北端の「丸太町通」から、南端の「五条通」までの、約2.3Kmを歩きます。「白山通」とも言うそうです。その訳は、やがて判ります。

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「麩屋町通」の北の入口を、見通しています。

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この通りの西に、「京都地方裁判所」があるので、この様に多くの「法律事務所」があります。

この通りにも、色んな形の建物(主に住宅)が見られました。

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対称的な町家が並んでいます。

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「石川九揚」さんは、有名な書家であり、書道史家の先生です。

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典型的な京町家と、モダンな洋館のお宅です。

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ここでも色んな住宅が見られました。

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こちらも市内では良く見掛ける町家 2軒です。大きさが少し違います。

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町中にも、こんなお堂的なお寺が見られます。「大福寺」と言います。
天台宗のお寺で、平安時代に勅命で奈良から移ったとか。かつては七堂伽藍を有していたそうですが、天明の大火で焼失し、今は小さくなって仕舞ったとか。
幕末には、勤皇の志士の「梅田雲浜」が妻と住んでいたそうです。
安産のお地蔵と都七福神の布袋尊が信仰の対象です。「大福帳」は、ここから付いた名前とか。

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今まではずっと西側でしたが、こちらは東側です。
2軒とも蔵が前面に出ていて、住居が後にあると言う、少し変わった配置になっています。どんな経緯でこんな形になったのか?少し興味があります。

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英国の音楽家「サー・エドワード・エルガー」ゆかりの地とか。
彼の旧居をモデルに建てられたそうです。
左右を京町家に挟まれた狭いところに建っています。

 そろそろ「御池通」です。
 次回に続きます。


























2018年8月 9日 (木)

京都市内・洛中を歩く(4)御幸町通ー3

前回の続きです。
 「御幸町通」を、北に向かって歩いています。「上がっています」。錦通まで来ました。ここでお昼を食べることにしました。

 京都の台所と言われるところなので、きっと新鮮な食材を使っていることを期待して、そんなお店に入りました。

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御幸町通から西に入って直ぐの南側にあるお店「錦平野」さんです。
お店の中は、奥が広いです。

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天ぷらが自慢のお店の様なので、「天ぷら御膳」を頼みました。

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そして、「海鮮御膳」です。どちらも美味しかったです。

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お昼を済ませて、再び「御幸町通」を北に向かって歩きました。
京町家を再利用した、こんなお店が増えて来ました。
「ご飯屋」さんです。一度入って見たいなあと話していました。

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こちらも、そんな感じのお店です。

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「御池通」に来ました。東を見ています。遠くの山並みは、東山連峰です。

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西側のお宅です。随分立派なこと。お医者さまの様です。

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東側にある教会です。「日本キリスト教団 京都御幸町教会 会堂」です。
大正2年(1913)に建てられたとか。

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反対の西側にあるお寺、「浄慶寺」です。真宗大谷派のお寺で、寺号は「小野山」です。ご本尊は、阿弥陀如来さまだそうです。
山門に脚立が?何かされているのかな?

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御幸町通の北端の「丸太町通」に近付いて来ました。突き当りの森は、「京都御苑」です。御苑の南東部分になります。

 次回に続きます。一つ西の「麩屋町通」を、南に向かって歩きます。「下がり」ます。





 

2018年8月 7日 (火)

京都市内・洛中を歩く(4)御幸町通ー2

 前回の続きです。
 「ごこうまちどおり」を、北に向かって歩いています。
 前回の「きせる屋」さんの真向いが「京都市学校歴史博物館」です。

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「京都市学校歴史博物館」の入口です。旧開智小学校を活用した博物館です。

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開催中の開館20周年記念の企画展です。勿論拝見しました。

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学校の外観は、この様ですが、中は懐かしい旧校舎の姿がそのままです。
常設展も、結構見応えがあります。自分の小学生時代を思い出します。

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博物館の展示をしっかりと拝見した後、「御幸町通」に戻り、北に向かって歩きはじめました。博物館の向いにある「ステーキ屋」さんです。町家を上手く活用した姿です。

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その北隣の建物ですが、「OPEN」の札が掛っているので何かのお店かと思うのですが、沢山積まれた割木が気になります。これもお店の宣伝方法かな?

四条通に来ました。

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四条通に面したビルを「御所車」に見立てた造りになっています。
北側から見ています。

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前方に「錦通」が見えて来ました。

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その手前には、「近又」と言う有名な料理旅館があります。

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錦通は、最近注目の江戸時代の画家「伊藤若冲」が生まれ育った場所です。

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若冲の絵を上手く使って、「錦通」の宣伝が行われています。
今の「錦通」は、そんな宣伝など不必要な位の人出です。外国からのお客様で大賑わいです。

 次回も続きます。





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