カテゴリー「大路小路路地」の16件の記事

2018年8月17日 (金)

京都市内・洛中を歩く(5)麩屋町通ー4

 前回の続きです。
 「麩屋町通」を、南に向かって歩いています。

 東西の通り「仏光寺通」から「松原通」辺りを歩いています。

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間口は比較的狭い「京町家」のお宅?ですが、暖簾や木札が見られますので、何か商売でも?とも。「あんず庵」と書かれています。コンパクトな前面の外観です。

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「松原通」と麩屋町通との交点には、「明王院不動寺」があります。
こちらは、松原通に面した部分です。

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京都市が掲示している「駒札」を利用させて戴きました。

もう1つの掲示板には、この「松原通」に関することが説明されていましたので、今回の最後に、少しご紹介します。

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左手に「明王院不動寺」の西面を見て、麩屋町通の南方向を見通しています。

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暫く歩くと、同じく左手には「朝日神明宮」と言う、こじんまりとしたお宮がありました。社伝によれば、貞観年間に丹波国桑田郡穴生村(現在の亀岡市)に造営され、元亀3年(1572)に現在地に遷座されたとか。
天照大神を祭神とし、かつては南北は五条通から松原通、東西は河原町通から富小路通までの広大な社域だったそうで、「幸神の森」(さいのかみのもり)とよばれたとか。かつては8社もあったが、天明の大火や元治の大火で大半が焼失、今は「猿田彦社」のみ。

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そろそろ南端の「五条通」に出ます。

 「麩屋町通」は終了して、1つ西の「富小路通」を、北に向かって歩きます。

 「松原通」についてのお話です。「明王院不動寺」に掲示してあった説明文から抜粋しました。

◆松原通は、平安京造営時には、「五条大路」でした。道幅は8丈(24m)の大通りでした。

◆松原通は、八坂神社と稲荷大社の境界で、北側が八坂神社、南側は稲荷大社のそれぞれ氏子となっています。

◆松原通は、かつて五条大路時代 清水寺への参道でした。

◆平安時代末期、五条橋を渡った「六波羅」一帯は、平家一門の屋敷町でした。
牛若丸と弁慶の出会いも、実は現在の「松原橋」なのです。

◆松原通の地名の由来は、室町時代末期に、荒廃した五条室町に「玉津嶋神社」が建てられていて、その松林が美しく「五条松原通」と呼ばれていましたが、やがて五条が取れて「松原通」となりました。











2018年8月15日 (水)

京都市内・洛中を歩く(5)麩屋町通ー3

 前回の続きです。
 「麩屋町通」を下がっています。三条通を越え、四条通に近付いて来ました。

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町中に牛が!? 良く見ると、レストランの前に置かれたベンチでした。

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そのレストランの玄関前です。傘の下に牛はいました。

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ずっーと通りの西側の様子です。暖簾には、「扇」白竹堂とあります。

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こちらは、東側です。蔦に覆われた立派な建物です。

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玄関前です。確かお医者さんだつたと思います。

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西側にあるお蕎麦の店「権太呂」さんです。未だ一度も入ったことはありません。
最近蕎麦に親しんでいるので、是非一度・・・。

四条通を越えました。

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四条通からの「麩屋町通」の様子です。この近辺の通りの道幅は、大体こんな程度です。車の離合は出来ないから、通り毎の交互に、一方通行になっています。

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西側にある「藤澤萬華堂」と言う、印刷・紙・包装資材の商店です。京町家の姿を残したお店です。「バッタン床几」(バツタリとも言います)もそのままに。

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こちらも西側。染物・呉服のお店ですが、「銭京」と言う名前が面白くて。京都らしくないストートで。

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京都の古い商家らしく、道路に面して店舗、その後ろに住居がある形が良く判ります。

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「井上清七薬房」さんです。京都市内で時々見掛ける薬屋さんの看板が掛けられています。

 次回も続きます。





2018年8月13日 (月)

京都市内・洛中を歩く(5)麩屋町通ー2

前回の続きです。
 「麩屋町通」を歩いています。

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「押小路通」(東西の通り)を越えたところにある「白山神社」です。
この通りの別名「白山通」の名の由来になったとか。
ここを歩いたのが、6月28日でしたので、「茅の輪」が見られました。

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その向いには、「湯波半」と言う名の京ゆばの老舗があります。
生憎この日はお休みの様でした。
昔は、この通りには多くの豆腐や麩麺類を商う人達が多く住んでいたとか。
それが通り名の「麩屋町通」になったと言う説もあります。
通り名の由来が、向かい合わせにあると言うのも面白いです。

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「御池通」に来ました。

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御池通を渡って直ぐ右に広がるのは、有名高級旅館の「柊屋」さんです。

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そして、その向い(東側)には、「俵屋」さんがあります。

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「柊屋」さんの玄関です。

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お向かいの「俵屋」さんの玄関です。絵文字の看板がありました。

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西側には、こんな雰囲気のあるお店が並んでいます。

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こちらも西側です。

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もう1軒、「炭屋」さんと言う旅館です。

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「炭屋」さんの玄関です。

 次回に続きます。






 

2018年8月11日 (土)

京都市内・洛中を歩く(5)麩屋町通ー1

 前回の続きです。
 今回は、「御幸町通」の1つ西の「麩屋町通」を、北端の「丸太町通」から、南端の「五条通」までの、約2.3Kmを歩きます。「白山通」とも言うそうです。その訳は、やがて判ります。

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「麩屋町通」の北の入口を、見通しています。

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この通りの西に、「京都地方裁判所」があるので、この様に多くの「法律事務所」があります。

この通りにも、色んな形の建物(主に住宅)が見られました。

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対称的な町家が並んでいます。

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「石川九揚」さんは、有名な書家であり、書道史家の先生です。

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典型的な京町家と、モダンな洋館のお宅です。

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ここでも色んな住宅が見られました。

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こちらも市内では良く見掛ける町家 2軒です。大きさが少し違います。

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町中にも、こんなお堂的なお寺が見られます。「大福寺」と言います。
天台宗のお寺で、平安時代に勅命で奈良から移ったとか。かつては七堂伽藍を有していたそうですが、天明の大火で焼失し、今は小さくなって仕舞ったとか。
幕末には、勤皇の志士の「梅田雲浜」が妻と住んでいたそうです。
安産のお地蔵と都七福神の布袋尊が信仰の対象です。「大福帳」は、ここから付いた名前とか。

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今まではずっと西側でしたが、こちらは東側です。
2軒とも蔵が前面に出ていて、住居が後にあると言う、少し変わった配置になっています。どんな経緯でこんな形になったのか?少し興味があります。

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英国の音楽家「サー・エドワード・エルガー」ゆかりの地とか。
彼の旧居をモデルに建てられたそうです。
左右を京町家に挟まれた狭いところに建っています。

 そろそろ「御池通」です。
 次回に続きます。


























2018年8月 9日 (木)

京都市内・洛中を歩く(4)御幸町通ー3

前回の続きです。
 「御幸町通」を、北に向かって歩いています。「上がっています」。錦通まで来ました。ここでお昼を食べることにしました。

 京都の台所と言われるところなので、きっと新鮮な食材を使っていることを期待して、そんなお店に入りました。

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御幸町通から西に入って直ぐの南側にあるお店「錦平野」さんです。
お店の中は、奥が広いです。

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天ぷらが自慢のお店の様なので、「天ぷら御膳」を頼みました。

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そして、「海鮮御膳」です。どちらも美味しかったです。

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お昼を済ませて、再び「御幸町通」を北に向かって歩きました。
京町家を再利用した、こんなお店が増えて来ました。
「ご飯屋」さんです。一度入って見たいなあと話していました。

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こちらも、そんな感じのお店です。

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「御池通」に来ました。東を見ています。遠くの山並みは、東山連峰です。

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西側のお宅です。随分立派なこと。お医者さまの様です。

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東側にある教会です。「日本キリスト教団 京都御幸町教会 会堂」です。
大正2年(1913)に建てられたとか。

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反対の西側にあるお寺、「浄慶寺」です。真宗大谷派のお寺で、寺号は「小野山」です。ご本尊は、阿弥陀如来さまだそうです。
山門に脚立が?何かされているのかな?

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御幸町通の北端の「丸太町通」に近付いて来ました。突き当りの森は、「京都御苑」です。御苑の南東部分になります。

 次回に続きます。一つ西の「麩屋町通」を、南に向かって歩きます。「下がり」ます。





 

2018年8月 7日 (火)

京都市内・洛中を歩く(4)御幸町通ー2

 前回の続きです。
 「ごこうまちどおり」を、北に向かって歩いています。
 前回の「きせる屋」さんの真向いが「京都市学校歴史博物館」です。

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「京都市学校歴史博物館」の入口です。旧開智小学校を活用した博物館です。

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開催中の開館20周年記念の企画展です。勿論拝見しました。

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学校の外観は、この様ですが、中は懐かしい旧校舎の姿がそのままです。
常設展も、結構見応えがあります。自分の小学生時代を思い出します。

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博物館の展示をしっかりと拝見した後、「御幸町通」に戻り、北に向かって歩きはじめました。博物館の向いにある「ステーキ屋」さんです。町家を上手く活用した姿です。

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その北隣の建物ですが、「OPEN」の札が掛っているので何かのお店かと思うのですが、沢山積まれた割木が気になります。これもお店の宣伝方法かな?

四条通に来ました。

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四条通に面したビルを「御所車」に見立てた造りになっています。
北側から見ています。

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前方に「錦通」が見えて来ました。

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その手前には、「近又」と言う有名な料理旅館があります。

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錦通は、最近注目の江戸時代の画家「伊藤若冲」が生まれ育った場所です。

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若冲の絵を上手く使って、「錦通」の宣伝が行われています。
今の「錦通」は、そんな宣伝など不必要な位の人出です。外国からのお客様で大賑わいです。

 次回も続きます。





2018年8月 6日 (月)

京都市内・洛中を歩く(4)御幸町通ー1

 京都市内の南北に走る通りを、東から西へ、順番に歩いています。
 寺町通」(平安京の東京極大路、すなわち平安京の一番東の大路)から、西隣の「御幸町通」を、「五条通」から歩き始めます。
 「御幸町通」は、「ごこまちとおり」と言います。観光客の中には「みゆきまち」と言う方もおられるとか。
 この通りは、豊臣秀吉の京都大改造によって出来た通りです。北へ丸太町通まで至ります。

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五条通から、御幸町通に入って直ぐの地点から、北の方向を望んでいます。

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入って直ぐの東側にあるお宅(町家)です。表の格子戸や虫籠窓などに格式を感じます。入口の上には、極めて古い電話番号札が掲げられていました。表記は漢数字でした。

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左手(西側)の、「御弓師 柴田勘十郎」さんのお宅です。
時々中の様子は、テレビの旅番組などで紹介されています。
見事な格子戸です。

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市内では良く見掛ける3軒続きの民家です。西側です。

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対称的に、古民家です。バッタン床几も見られます。入口はアルミサッシに変わっています。古民家も住むとなると大変な様です。

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こちらも西側です。照明燈には「作島」とありますが、面白いのは表の両側の柱の上です。

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向かって右側の怪物です。蛙?鬼?

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左側です。梵字の円板を抱え込んでいます。

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その向いには、初めて見る植物です。毒々しいまでの色合いに、何故か惹かれました。

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こちらも東側。「きせる屋」さんです。創業は享保年間とあります。

 この後は、この向いにある「京都市学校歴史博物館」での催しを拝見しました。
 次回に続きます。

2018年8月 3日 (金)

京都市内・洛中を歩く(3)寺町通ー7

 前回の続きです。
 寺町通の歩きを、四条通から再開し、終点の五条通に向かって歩いています。
 仏光寺通辺りまで来ました。

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勿論東側にある「空也寺」です。

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西側)「煎抹茶道具」と言う立派な古典的な看板が上がっていますが、右側のお店の様子では?です。左手下には、ここ本来の木札が見られますが・・・。

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(東側)勿論お寺です。

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寺町高辻の角に建つ、ド派手な仏具屋さんです。

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(東側)こんなに古い町家が3軒並んでいます。虫籠窓・バッタン床几・格子戸・古風な看板など、魅力ある古民家です。

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(西側)古本屋さんです。毎年下鴨神社の境内で開かれる「古本市」の常連さんだったと思います。店名がちょっと変わっていますね。

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(西側)「乾大仏堂」と言う仏具屋さんです。

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河原町通に来ました。「寺町河原町」と言う、京都の碁盤の目の町割りから言えば、有り得ない町名表示です。お判り難いかと思いますので、もう少し説明しますと、寺町通も河原町通も南北の並行した通りが、ここで交わっているのです。その訳は簡単です。河原町通が曲がっているのです。
寺町通は、ここで河原町通を越えて、斜めに進み五条通に至ります。

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左側が寺町通、右側が河原町通です。

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五条通から寺町通を見通しています。
以上で、「寺町通」を完歩しました。

 この後、続いて西隣の道路「御幸町通」(ごこまちどおり)を北上しました。













2018年8月 1日 (水)

京都市内・洛中を歩く(3)寺町通ー6

 前回の続きです。と言っても約半年以上も前のことです。
 前回のアップは、2月23日でした。
 前回の締め括りに、「次は、残りの四条通から下(しも)を歩きたいと思います。」で終わっています。今回は、言葉通りに「四条通」から下、南に向かって歩きました。

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寺町通四条下ルの南の入口です。右手の角は「藤井大丸」(デパ-ト)です。

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寺町通ですから、勿論多くのお寺が並んでいます。全て東側(進行方向の左側)です。始めてのお寺は、「春長寺」です。

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こちらも東側です。「火除天満宮」です。
由緒は古く、天正7年(1579)九州から一人の老神官が京へ遣って来ました。
初めは六条通に鎮座しましたが、その後慶長2年(1597)に、この地に移しました。元治元年(1864)の「蛤御門の変」でも、奇跡的にこの辺りは焼けず、火除けのご利益があったそうです。

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かつて寺町通は、京都市内では最大の「電器街」でした。
現在では、大きな店として、この店しかありません。前は「ニノミヤムセン」でした。その後、西の京円町に移り、ここと同名の量販店に変わりました。
ここ以外に、小さな店は数軒ある程度に、大きく変貌しました。

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東側にある「京都大神宮」です。社殿の後にあるのは、「高島屋」です。

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西側にある本屋・信長書店の前面の様子です。
2階のショーウインドーには、「コスプレ」のマネキンが飾られています。
これも時代の波でしょうか?

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和菓子屋の「仙太郎」さんです。私は、ここの「最中」が大好きです。

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勿論東側にあるお寺「聖光寺」です。ここには、赤穂浪士・大石良雄の母や赤穂浪士に協力的だった天野屋利兵衛などのお墓があるそうです。

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東側には、こんなお店がありました。

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西側にある仏具屋さんです。
お寺が多くある通りですから、仏具屋さんがあっても不思議ではないのですが、
17世紀末前後には、この通りには位牌・石塔・数珠・仏師・筆屋など、寺院とのタイアップ型の店がならんでいたそうです。

 次回に続きます。

















2018年7月21日 (土)

「京都・姉小路通」を歩いてみませんか

 京都文化博物館別館で開催されていた、「京都・高津商会・特別展」を見に行く途中で、以前からこの辺りを歩いていて、心惹かれていたゆったりした街並みをゆっくり歩きました。東西の通り・姉小路通(あねやこうじどおり)の烏丸通から高倉通の一部です。勿論!写真に収めたくて。

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地下鉄東西線と烏丸線の交点・烏丸御池駅から地上に出て、東に少し行ったところ、姉小路通に出るまでにある大きなお屋敷です。

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そのお屋敷の姉小路通に面したお店の様子です。
和菓子屋さんの「龜末廣」さんです。京都の伝統ある和菓子屋さんの風情を感じます。多分お茶席などで賞味するお菓子などを扱っておられるのでしょう。

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その東隣は、表装の「春芳堂」さんです。

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夏用に取り替えられた暖簾が涼しげです。

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さらにその東隣は、柚味噌の「八百三」さんです。

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買ったことは無いですが、きっと美味しいのでしょう。
一度味わって見たいものです。

 「姉小路通」では、熱心に町起こし活動に取り組んでおられます。
 京都らしさを残す、落ち着いた町並みが、私は好きです。
皆さんもこの町並みをゆっくり歩いてみませんか?!

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