カテゴリー「京都の水」の23件の記事

2017年2月27日 (月)

テーマ「京都の水」(20)琵琶湖疏水と庭園

 琵琶湖疏水の水の利用に、「庭園」への引き込みが挙げられます。
 その代表的な例として、次の3か所を、ご紹介します。
  (1)円山公園  (2)無鄰菴  (3)天授庵

(1)円山公園

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公園の最も手前の「瓢箪池」の景色です。水源は、この奥の方にあります。
この公園は、明治19(1886)年に、7代目小川治兵衛(植治)がデザインし、造られたものです。東山を背景に取り込み、野山に小川が流れると言う、身近な里山の風景が彼のモチーフです。

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石橋の上から見た、池の様子です。

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この日は何故か水が流れていませんでしたが、何時もは水が流れていて、小川の景色を見せています

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途中には、面白いデザインの石橋があります。長い石を多数並べた形です。

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漸く水の出口に辿り着きました。水が流れ出て無くて本当に残念でした。

(2)無鄰菴

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無鄰菴の全景です。ここは、明治28年に明治の元勲の1人・山県有朋が別荘として造ったものです。ここも7代目小川治兵衛が、そのモチーフにより作庭したものです。水源は、森の奥にあります。
丁度、庭師の方が2人、手入れをされていました。

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庭の中程には、この様な浅い池状が見られます。

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水源は、何段かの滝になっています。

(3)天授庵

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池がある南庭に行くのには、ここのお庭を通って行きます。
ここは本堂前の東のお庭です。

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こちらは、2つの池が繋がっています。この池は手前側の方です。
水源は、こちらの方に造られています。中央やや左寄り奥です。

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細い滝状になって、流れ込んでいます。何時も滝が落ちる音が聞こえて来ます。

以上、疏水の水を利用した3つの庭園をご紹介しましたが、疏水の水はこの他に、京都国立博物館・市立動物園などや東山山麓の広大な別荘の庭園にも引水されています。

 最後の最近の耳よりなお話を。
 10月12日付けの京都新聞朝刊に掲載されていたことです。
 半世紀前、京都市伏見区深草小学校で歌われていた「琵琶湖疏水のうた(仮題)があったそうです。その歌詞を市民団体の方が探しておられるとか。
 今の所、正しい曲名が判らないそうです。メロディーは復活されたようです。
 では、今判った部分の歌詞を、ご紹介します。

 大津三井寺トンネル抜けて 花の四宮緑もゆれる
 ヨイトマケ ヨイトマケ ヨイノヨイノヨイ
 そうどすえ ほら琵琶湖疏水は エンヤーエンヤー京の□ □(不明)

 稲荷山々真っ赤な鳥居 今日も夕日に映えて鮮やか (繰り返し)
 
 伏見深草うずらの里は 青き水田に紫のおび (繰り返し)

 市民団体事務局では、さらなる情報提供を待っておられるそうです。

 「琵琶湖疏水」関連は、一旦ここまでとさせて戴きます。






2017年2月12日 (日)

テーマ「京都の水」(19)琵琶湖疏水分線-8

 前回の続きです
長々と続けて来ました「琵琶湖疏水」に関するシリーズも、今回で終わりにしたいと思っています。今回少し長めになりますが、宜しくお願い致します。
 松ケ崎浄水場前から始まった「第2分線」は、「下鴨本通」を越えて西南方向に流れています。

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「下鴨本通」の下を通って、「洛北橋」の下に出た「第2疏水分線」は西南方向に流れて行きます。

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「梅ノ木橋」から前方を見ています。その先は、再び道路の下を通っている様です。

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「北大路通」に出ました。この地点は、「下鴨中通」(右方向に延びている)との交点になります。疏水分線は、走っている車の向こうの並木に、地下を通って流れている感じです。流れがあるかどうかは判りません。

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↑の並木の通りです。右側は、「北大路通」です。

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その道の突き当りです。向こうに見えるのは、「賀茂川」の堤防です。
「第2分線」の終点となりますが、流れを見ることは出来ません。

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「賀茂川」です。実は疏水分線は、昔はこの川を越えて対岸にまで通っていたのです。どんな方法だったかはわかりませんが・・・。

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それが、現在の「紫明通」になります。ここは、「加茂街道紫明」と言う場所です。手前が、加茂街道(葵祭の行列が通る道です)。向こう(車が2台並んでいるところ)が、「紫明通」です。
昔は、この辺り田んぼがあって、その潅漑用水として、疏水が利用されていました。疏水工事の1つの目的でもあったのです。第二次世界大戦後に、道路に改修されました。

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「紫明通」の中央分離帯に公園が造られていて、この様に水が流されています。この一帯は、「紫明せせらぎ第一公園」です。

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昔の疏水の流れを感じさせる造りになっています。

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「烏丸通」を越えて、ここは「紫明せせらぎ第二公園」です。

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こんな看板がありました。

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疏水分線は、最後は「堀川」に流れ込んでいたそうです。今は、この辺りでは川の流れは見られません。この場所は、「堀川紫明」と言う地点です。手前が堀川通、向こうが紫明通の入口になります。遠くの山は「比叡山」です。

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見る位置を変えて、「紫明通」の入口を見ています。右手に行くと、堀川通になります。向こうに見える山並みは、東山連峰です。

 次回は、琵琶湖疏水の水を、庭園に引き込んで使用されている例を、幾つかご紹介したいと思います。

 






















2017年2月 9日 (木)

テーマ「京都の水」(18)琵琶湖疏水分線-7

 前回に続いて、「琵琶湖疏水分線」に沿った道を歩いて、「松ケ崎浄水場」まで来ました。ここからは、「第2疏水分線」が始まります。

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松ケ崎浄水場の入口には、この様な塔?がありました。
どんな目的の建造物なのか?想像がつきません。配水のためのものか?
ここからの給水区域は、京都市の北部地域の様です。
想像が出来ませんが、給水能力は 211,000立方m/日とのことです。
蹴上は 198,000立方m/日、新山科は 362,000立方m/日とのこと。(平成25年3月末・京都市上下水道局資料による)

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浄水場の南側の外壁を、西方向に見ています。

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浄水場の入口前の様子です。向こうが東で、高野川が流れているところです。
左手が浄水場、手前がこれから始まる「第2分線」のスタート地点です。
この何処かに、ここまで来る「松ケ崎浄水場導水管」が地中に埋められているのかなと想像しています。

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第2分線のスタート地点では、この様な出口がありましたが、水は殆ど流れていませんでした。ゴミの付き具合で、流れていた形跡はあります。

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分線に架かる初めての橋から、↑の出口の方を見ています。
左手は、浄水場の外壁です。どこからか流れ出た水が、少し流れをつくっています。

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この分線沿いの堤には、ずっと桜が植えられています。
桜の季節には、桜の隠れ名所的存在です。良く見に来ます。

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途中には、南北に流れる「泉川」と交差しているところがあります。
手前の橋桁は分線用、向こうに見える橋桁は泉川用のものです。

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交差地点の下を覗くと、こんな具合です。
縦が分線の流れ、横が泉川の流れです。流れは自然体にしている感じの様です。銀閣寺道での様に、厳格的にはされていない様です。

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この辺りも、桜の木が多く見られます。春が楽しみです。

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「下鴨本通」に出ました。分線は、道路の下を通って、向こう側に出ています。
左手には、「京都府立洛北高校」があります。

 次回で、「琵琶湖疏水」に関するシリーズは終わる予定です。

2017年1月29日 (日)

テーマ「京都の水」 (17) 琵琶湖疏水分線ー6

 前回に引き続いて、「琵琶湖疏水分線」に沿って歩いています。
 「松ケ崎浄水場」を目指しています。

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前回で、分線に横からかなりの水量の水が流入していることを、ご覧戴きましたが、その場面を振り返って見ています。
分線では、もう飲料水になることは無いのかも知れませんが、どんな水質の水が入り込んでいるのか、私は大変気になりました。

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そんな水も合流しながら、流れは西に向かって流れています。
この辺りでは、分線の両側は車道になっていました。
この辺りの地名は、左京区一乗寺地蔵本町と言います。

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この辺りの地名は、一乗寺赤ノ宮町と言います。
「松ケ崎浄水場」も、近付いて来ました。

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「赤ノ宮」と言う地名は、この神社の別名から来ています。
正式には、「賀茂波爾神社」と言い、下鴨神社の摂社の1つです。

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分線は、「川端通」の下をくぐります。

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手前は「高野川」、その先の地上が「川端通」、そしてその先には、分線の末端があります。がしかし、分線はどうなったのかな?高野川の下を通っているのか?

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高野川右岸から、その辺りを眺めています。川の流れの段差の辺りが、分線が通じているであろうと思われる位置です。
気になるのは、その場所の両側に開口部が見えますが何でしょうか?
分線は、高野川に放水されているのか?

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漸く「松ケ崎浄水場」に到着しました。
ここまでが、「第1疏水分線」と言う様です。この先は、「第2疏水分線」となります。賀茂川を越えて、堀川まで行っていたそうです。
次回以降に、ご紹介します。







2017年1月26日 (木)

テーマ「京都の水」 (16) 琵琶湖疏水分線ー5

 前回に続いて、琵琶湖疏水分線を、「松ケ崎浄水場」に向かって、歩き続けています。分線沿いの道は、ちゃんとした遊歩道になっていて、大変に歩き易いです。地図にも「北白川疏水道」と名付けられていて、時々人とも行き交います。
 今回のスタートは、「東鞍馬口通」の「西伊織町」からです。この辺りから分線は、北西に向きを変えて流れます。

 伊織町から少し戻って、

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遊歩道を振り返って見ています。
右手の柵の下に、疏水分線があります。そして、その右は車道です。

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元に戻って少し進むと、右手に「駒井家住宅」があります。
京都帝国大学理学部教授の駒井 卓博士が、昭和2年に建てられたものです。京都市指定有形文化財になっています。一般公開されている時もあります。

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伊織町から少し進んだ辺りの分線沿いの道です。車道も並行しています。

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この辺りの分線は、随分高いところに造られているのが判ります。
左手が分線沿いの遊歩道です。所謂「天井川」的な感じです。

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緩やかに左にカーブしています。北西に向きを変えつつあります。

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「北大路通」に出ました。分線は、通りの下を斜めに流れています。
右手に見える橋の欄干の下が、分線の流れになります。
真ん中向こう側は、西になります。「えい電」の踏切が見えます。

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分線に架かる鉄橋を、今しも「えい電」が通過しています。

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その少し下流では、かなりの水量の水が、分線に流れ込んでいました。
これは許されることなんでしょうか? 疏水分線は、通常の河川とは違う筈ですが・・・。

 そろそろ「松ケ崎」です。次回にご紹介します。












2017年1月25日 (水)

テーマ「京都の水」 (15) 琵琶湖疏水分線-4

 前回に続いて、琵琶湖疏水分線に沿って歩いています。
 「哲学の道」の北端、「銀閣寺橋」で分線は左折し、西に向かって流れを変えます。

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分線の流れが西に変わった地点です。前方が西の方向になります。
左端に見える橋の一部は、「銀閣寺橋」です。
誰が置いているのか、見苦しいものが色々と置かれていますね。

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情緒のある景色です。見えているお二人はお昼の様でした。

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道の向こう側に見えるのは、「白沙村荘・橋本関雪記念館」です。
橋本関雪は、京都在住・故人の日本画家で、ここにはアトリエなどがあります。
また、関雪の妻・米子が、「哲学の道」に桜を植え、「関雪桜」と呼ばれています。数年前に、茶室などが火災に遭い、目下工事中の様です。

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ここは、南北に流れる「白川」と、東西に流れる「疏水分線」とが、立体交差しているところです。見えている流れは、疏水分線です。「白川」は、分線の下を通っている様です。

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やがて「白川通」が見えて来ました。分線は少しの間見えなくなります。

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再び分線が現われるのは、白川通に沿って架かるこの橋の下になります。
左手に見える通りは、「今出川通」です。歩く道は、分線の右側に沿った道を歩きます。

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途中の橋の上から、分線の上流を見ています。前方遠くが「白川通」になります。

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暫く歩いていると、こんなものに出くわしました。
分線は左手に見える手摺の下を流れています。右手の道は、普通の道路に下りる道です。左手下に扉が見えますから、中には入れる様です。上には幾つかの小窓も見えます。何やら不思議な構築物です。疏水分線の水を取り込むための、例えばポンプ小屋?(全くの想像ですが・・・)。

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「小倉橋」から見た様子です。「御蔭通」の「北白川小倉町」付近です。

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分線は左手にあります。哲学の道とは又違った雰囲気の遊歩道です。
地図には、「北白川疏水道」と書かれていました。

 疏水分線を訪ねての歩きは、まだ続きます。
 次の目的地は、「松ケ崎浄水場」です。











2017年1月21日 (土)

テーマ「京都の水」 (14) 琵琶湖疏水分線-3

 前回に続き、琵琶湖疏水分線と並行に造られた道「哲学の道」を、北に向かって歩いています。哲学の道は、南の若王子橋から、北の銀閣寺橋まで、直線で約1.5Km程ありますが、ここまで凡そ半分位まで来ました。

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以前から気になっていたのは、このお宅?です。
円形でガラスの窓?が繋がっている? そんな想像をしていますが、どんな方のお住まいが?大変気になっています。疏水分線の向こう側に建っています。

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「桜橋」と言います。疏水分線の哲学の道の中で、一番立派な橋だと思います。石造りの擬宝珠が付けられています。
何故、擬宝珠か?橋の先には、天皇陵や有名寺院がありますが・・・。

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天皇陵とは、この「冷泉天皇桜本陵」です。第63代の天皇で、ご在位は967~969年の平安時代でした。
実はこの下にも「冷泉天皇陵粟田山陵」があります。何故2カ所も?

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伏見までの「疏水本線」と違って、ここ「疏水分線」は何となく情緒があります。
ここでは、場所によっては、「ホタル」が見られる様です。

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「哲学の道」と名付けられたのは、哲学者の西田幾多郎が思索のために、良くこの道を歩いていたことからだそうですが、その西田幾多郎の言葉が、この石碑に刻まれています。
  「人は人 吾はわれ也 とにかく吾行く道を 吾は行なり  寸心」 
                                   幾多郎晩年の塚です。

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また、この様に多くの石仏が、祀られています。由来が気になります。

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「哲学の道」の終始点が、近付いて来ました。
向こうに見える橋は、「銀閣寺」に通じる「銀閣寺橋」です。

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「哲学の道」の北の石碑です。銀閣寺橋を渡って右手に行くと、「銀閣寺」に着きます。「清水寺」ほどではないですが、観光客は多い方です。
疏水分線は、ここで左折し西に向かって流れます。

「疏水分線」は、まだまだ流れは続きます。

2017年1月20日 (金)

テーマ「京都の水」 (13) 琵琶湖疏水分線-2

 前回の続きです。とは言っても随分時が経ちました。
「琵琶湖疏水」の分線、蹴上から松ケ崎まで、さらにその先の賀茂川までを、訪ねて歩いています。今回はその2回目、「哲学の道」からスタートです。

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「鹿ケ谷通」(ししがたにどおり・白川通の東の通り)から、「哲学の道」に入るところに、疏水関係らしき施設がありましたが、これ以上中には入れませんでした。地図によると、これから先に行く松ケ崎の名前がついた「松ケ崎浄水場」と書かれていました。ここから松ケ崎まで導水管が行っている様なので、その関係かなと推測しました。

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この疏水分線の出口を覗いて見ると、こんな様子でした。向こう側から流れ出ています。

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「哲学の道」の南の入口に建つ石碑です。その先の流れが疏水分線です。

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哲学の道の両側には、所々に皇族のお墓が見られます。
上から見下ろして失礼なんですが、ここは「顕子内親王御墓」です。
正しくは、昭子内親王らしいのですが、後水尾天皇と東福門院(徳川秀忠の娘・和子)との第4皇女です。
この御墓の隣には、東福門院ゆかりの「光雲寺」があります。

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この石碑が、その道標です。階段で下に下りて行きます。

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その向い側(疏水分線を越えて)にも、皇室関係の御墓があります。
「宗諄女王御墓」です。伏見宮貞敬親王の皇女で、江戸末期の方です。霊鑑寺の住持をされていた様です。この辺りには、「久邇宮家」の墓地もあります。

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大豊神社(狛鼠で有名)への道に架かる橋「大豊橋」から下流を見ています。
京都市内を流れる川は、全て北から南に向かっていますが、この疏水分線のみは、南から北に向かって流れている唯一の流れです。

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哲学の道沿いには、多くの有名寺社があります。

さらに、北に向かって歩を進めます。

2016年12月18日 (日)

テーマ「京都の水」 番外編(2) 琵琶湖疏水記念館他

 今回は、琵琶湖疏水のかつての「南禅寺船溜り」の近くに、「琵琶湖疏水記念館」がありますので、そこをご紹介したいと思います。
 そこでは、琵琶湖疏水の歴史や現在が学べる絶好の場所となっています。
 開館は、平成元年(1989)8月で、平成21年(2009)10月には開館20周年リニューアルオープンしています。

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「琵琶湖疏水記念館」の建物の正面です。入館料は無料です。

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建物を真横から見ています。
展示室は、1階・2階・地階にあります。エレベターも設置されています。

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2階から疏水路を、西に向かって見ています。
うっすら赤く見える橋は、「慶雲橋」です。
手前が、「南禅寺船溜り」の一部です。
遠くに見える高層ビルは、「京都ホテルオークラ」です。

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1階の屋外に出ると、傍を物凄く勢い良く疏水の水が流れていました。
水路の幅が狭いので、その勢いには圧倒されます。

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その流れが、船溜りに流れ込んでいるすざましさ!です。
向こうに見える建物は、市動物園です。

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記念館の中からも、疏水の水が流れ込んでいます。

見学の目的に、幾つかの質問したいことがあって、係りの方に丁寧に教えて戴きました。流石に良くご存じでした。お礼を申し上げ、記念館を後にしました。
ついでに、記念館近くの関連施設を見て回りましたので、ご紹介します。

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施設でユニークなのは、この「インクライン」ではないかと私は思います。
記念館でもこの動く模型が展示してありました。
上・下複線になっています。

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台車に乗った三十石船です。船にも色んな貨物が乗っています。

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インクラインの軌道の下には、トンネルが造られていて、「ねじりまんぽ」と言います。煉瓦の積み方が、緩やかに捻じれる様に積まれています。
扁額は、「雄観奇想」(右から・ゆうかんきそう)とあり、琵琶湖疏水を造り上げた、三代目・京都府知事の北垣国道の筆によるものです。

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建物は、インクラインにほど近くにある「蹴上発電所」です。
今も、関西電力が、水力発電を僅かながら行っていると聞きました。






2016年12月17日 (土)

テーマ「京都の水」 番外編(1) 京都市美術館他

 「琵琶湖疏水」が、「南禅寺船溜り」から流出している水路の傍には、「京都市美術館」があります。丁度「市・美コレクション展」の特別展が催されていたので、拝観しました。その建物の外観や一部玄関の部分を、ご紹介したいと思います。

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「市・美」の正面玄関です。丁度「ダリ展」も開かれていて、人の出入りが多かったです。

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斜め横から見ています。

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少し離れて、玄関を見ています。
建物の右端に掛けられた掲示広告が、この日に見た展覧会でした。
「きらめきを伝える 京都・美の系譜」がタイトルです。

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建物の真横にある出入り口(搬入口?)です。扉のデザインが素敵です。

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適度な装飾性が良いですね。

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こちらも同様です。

正面玄関から、中に入りました。許される範囲で、撮影させて戴きました。

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玄関を入って直ぐの上の様子です。左手が出入り口です。

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目を2階への階段に転じますと、こんな光景です。

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右手奥が、私達のお目当ての展覧会場です。
反対側では、「ダリ展」が催されています。
コレクション展の目玉は、竹内栖鳳の「絵になる最初」が、今年 新・国指定重文になったことを記念しての展示もありました。

私達は、ここ「市・美」に来た後は、向かいの「国立近代美術館」内にある「cafe 
de 505」で、お昼としています。この日は、銘々好みのものを注文しました。

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一人は、この「焼カレー」を。

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もう一人は、このスィート風・サンドウィッチを。アイスコーヒーと共に。
実は、ここのお奨めは手作り生パスタです。

最後に、「市・美」について、少々。

建築設計は「日本趣味を基調とすること」の条件のもと、コンペが実施され、一等に入賞した前田健二郎の設計図案を基に、「大礼記念京都美術館」として竣工しました。
戦後、進駐軍に接収され、昭和27年の接収解除後に「京都市美術館」となり、現在に至っています。



















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