カテゴリー「街道を歩く」の8件の記事

2018年4月22日 (日)

中山道・木曽路の宿場を訪ねて(3)妻籠宿-4

 前回の続きです。
 妻籠宿の北寄りにある「脇本陣・奥谷」(わきほんじん・おくや)を見学しました。
 代々脇本陣・問屋を務めた家で、現在の建物は明治10年に総檜造りに建て替えられたものだそうです。島崎藤村の初恋の相手「ゆふ」さんの嫁ぎ先だとか。
 国の重要文化財に指定されています。「歴史資料館」もありました。

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街道から見た「脇本陣奥谷」の前面です。

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緩やかな坂道を下って、中に入ります。

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玄関の右手には、「御門」(侍門)があります。貴賓はここから奥にある座敷に上がります。
通り庭を通って、裏側に出ました。

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右寄りのガラス戸が出入り口です。

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「土蔵」は、資料室として活用されています。
この先を左手に進むと、「歴史資料館」がありました。内容は見応えがありましたが、時間が無いのが残念でした。
次に、建物の内部をさっと拝見しました。

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通り庭の内部の様子です。黒光りする建具類には、この家の歴史を感じます。

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屋内では、囲炉裏で焚かれている火の煙で、この様な状況でした。
囲炉裏は、この下にあります。左手上は、神棚です。

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磨き抜かれたこの家の「大黒柱」です。

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明り取りの小窓からの光も、燻ぶっています。
古き良き時代の風情を感じました。

 長々とご紹介して来ました「妻籠宿」は、以上で終わりとさせて戴きます。



























 

2018年4月21日 (土)

中山道・木曽路の宿場を訪ねて(3)妻籠宿-3

 前回の続きです。
 妻籠宿を、北から南に向かって歩いています。宿場の約半分以上は来たでしょうか。雰囲気一杯の「寺下地区」を歩いています。

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「下嵯峨屋」と言います。当初、長屋であったものですが、妻籠宿における庶民の住居を代表する形式をとどめているそうです。「枡形の跡」の南端の右手にあります。

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寺下の町並みを、南から北の方を見ています。

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再び南に向かっています。そろそろ宿場の終わりに近付いています。
住居の形態はいろいろある様です。

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民家を独立した形で、この様に見られるのは希少です。
南に向かって左手にありました。
宿場のほぼ南端には、水力発電所がありました。
その辺りから引き返しました。

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前方に「枡形の跡」が見えて来ました。
右手に少し見える部分が、普通の街道です。
「枡形」とは、敵の侵入を阻むために道を二度直角に折り曲げた道です。

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「上嵯峨屋」です。枡形の部分にあります。昭和44年の解体復元によって、18世紀中期の木賃宿であることが分かったそうです。

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枡形のエリアです。古民家は、左手だけにありました。
「松代屋」は、旅館です。

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枡形の跡の北の部分です。緩やかな石段を上って行きます。

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石段の先は、この様な石畳です。その先では、平坦ら街道と合流します。

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街道の南から北の方向を見ています。

この後、「脇本陣奥谷家」を見学しました。次回にご紹介します。



















2018年4月20日 (金)

中山道・木曽路の宿場を訪ねて(3)妻籠宿-2

 前回の続きです。
 「妻籠宿」を北から南に向かって歩いています。

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進行方向・右手です。「妻籠郵便局」です。「郵便史料館」も併設されています。前に立っているのは、ポストです。
島崎藤村の「夜明け前」にも開局当時の様子が描かれているとか。

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その左隣の「高麗屋」(土産物屋さん)です。家の造りが、少し他と違う感じを受けました。

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「さしものや」と言う看板が掛っていますが、この地の特産品の木工製品(例えば漆器など)を造っておられるのでしょう。
この家の造りも、他と少し違う(建物の高さが低い)感じです。

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普通の古民家と思われますが、昔からの外観を保っているのではないかと思います。
この辺りから、「枡形の跡」が見られますが、折り返し時にご紹介します。

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上のお宅を方向を変えて見ました。貫録を感じました。
「枡形の跡」は通らずに、普通の道とお寺への上り道との角にあった「寒山拾得像」(石碑)です。

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左の石段が、お寺・光徳寺への道です。
国内では唯一とされる石仏だそうですが、像が良く見えません。

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アップにしてみましたが、こんな具合です。「双体像」は他に類例がないとか。
「道祖神」みたいに見えます。土に埋まっていたものを発掘された様です。

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この辺りは、「寺下地区」と言い、日本で最初に宿場保存事業が行われたところです。妻籠宿保存の原点とも言うべき町並みです。
この日は時々小雨が降り、道も濡れていて、余計に趣きを感じさせて呉れました。

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右手の町並みに注目しています。

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続いて、右手を見ています。

 妻籠宿の約半分以上は来たでしょうか。さらに南に向かいます。
 次回も続きます。




 

 

 

2018年4月19日 (木)

中山道・木曽路の宿場を訪ねて(3)妻籠宿-1

 前回からの続きです。
 中山道・木曽路の宿場を訪ねる旅、今度は「妻籠宿」(つまごじゅく)です。
 2日目の朝、ホテルの送迎バスで、バス停「妻籠」まで載せて貰いました。
 そこから少し歩いて、街道に出ました。

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妻籠のバス停にあった「重伝建」の看板です。
選定されたのは、昭和51年9月4日とあります。「文部省」と言うのも時代を感じさせます。

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同じ場所にあった「妻籠宿案内図」です。赤い表示の「現在地」にいます。
これから街道に入り、左手の宿場の北端へ向かいます。

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妻籠宿の北の入口の景色です。緩やかな坂道になっています。
左手奥には、「高札場」が見えます。

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北の入口には、「口留番所」がありました。右手奥です。17世紀半ばまであったそうです。「関所」見たいなものだそうです。
ここから折り返して、宿場内を歩きます。

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先程の緩やかな上り坂を下ります。高札場が右手にあります。

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「田丸屋」と言う、今はお土産屋さんです。進行方向(南に向かって)右手です。

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同じく右手にある、和菓子屋さんの「満寿庵」です。

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左手にある「柏屋」(看板による)ですが、案内図には該当する屋号が見当たりません。

この辺りの右手に「脇本陣奥谷」と言う建物がありますが、後程中を見学させて戴いたので、纏めてご紹介します。

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その先左手には、「妻籠宿本陣」があります。
代々「島崎氏」が任命され、明治まで本陣と庄屋を務めていたそうです。
島崎藤村の母の生家で、藤村の次兄が養子に来ていたとか。
平成7年4月に復原されました。

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その入口には、「人馬会所」があって、旅人の世話をしていたところです。

次回も続きます。










2018年4月18日 (水)

中山道・木曽路の宿場を訪ねて(1)奈良井宿-4

 前回の続きです。
 奈良井宿の中で一般に公開されている1つ、「中村邸」(塩尻市指定有形文化財)を拝見しました。天保8年から14年(1837~1843)の間に建てられたものです。江戸時代には、櫛問屋・中村利兵衛の家でした。間口が狭く、奥行が深い奈良井の町家の典型とのことです。

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「鍵の手」から少し南寄りにあります。その正面です。廂が少し張り出しています。確かに間口は狭いです。「しとみ戸」が全面に付けられています。

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入口から入って、直ぐの様子です。間取りの略図から「カッテ」かと思います。
2階の一部も見えます。

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その2階から見た木組みの様子です。意外と豪壮ではなく華奢な感じです。

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階段は黒光りしています。お尋ねすると「漆塗」だそうです。

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1階の奥にある「ザシキ」です。

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「カッテ」では、煮たきしていたそうで、その煙で木組みの持ちが良かったとのこと。部屋は、カッテ・ナカマ・ザシキと続いています。

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2階には、2つの部屋がありました。

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立派な「トコ」と「タナ」も造られています。

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2階の格子を通して、外を見ました。

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1階に下りて来て、「シトミ戸」の明り取り障子を見ています。

以上で、「奈良井宿」を訪ねての巻は終わりです。
感想としては、想像していたより街道の道幅が広く、昔「奈良井千軒」と言われるだけの人の往来の多さを物語っているのだろうと思いました。

この後は、今夜の宿・「ホテル木曽路」へ行くため、JR中央本線の奈良井駅から南木曽駅(なぎそ・えき)に移動、南木曽駅から送迎バスでホテルに向かいました。
























2018年4月17日 (火)

中山道・木曽路の宿場を訪ねて(1)奈良井宿-3

 「桜」を追っ駆けていて、長らく中断して仕舞いました。再開します。
 前回の続きです。
 「奈良井宿」の西の外れに近付いて来ました。

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復元された「高札場」です。幕府からの「お達し」が掲げられていました。

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その傍にも「水場」がありました。

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そこから振り返って北の方を見ています。緩やかな坂道になっています。

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もう少し外れに行って見ました。そこには、「鎮神社」(しずめじんじゃ)と言う奈良井宿の鎮守です。もとは難所の「鳥居峠」にあったとか。毎年8月12日がお祭り日です。本殿は塩尻市の有形文化財、お祭りは市の無形民俗文化財だそうです。
外れには、「楢川民俗資料館」がありましたが、中には入らず引返しました。

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軒に特徴がある家々が並んでいます。

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「しとみ戸」など、特徴的な部分が魅力的です。

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「鍵の手」を、戻り道でも見ています。

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「しとみ戸」など、全体的に洗練された感じがしました。

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今来た道を振り返っています。宿場町の情緒一杯です。

 次回は、公開されている「中村邸」(市指定有形文化財)を、ご紹介します。




















2018年3月10日 (土)

中山道・木曽路の宿場を訪ねて(1)奈良井宿-2

 前回の続きです。中山道の木曽路の「奈良井宿」を歩いています。宿場のほぼ半分まで来ました。

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進行方向に向かって左側の家並みを、振り返って見ています。
右側は「日野百草本舗」、左隣りは旅館「越後屋」です。
さらに、その左手は「奈良井会館・観光案内所」です。中に入って少しお話をしました。

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軒下の様子に興味があって、撮らせて貰いました。
雪が多いこの土地の独特の造作でしょうか。
建物は幕末の頃のもので、元は牛馬宿だつたそうです。

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「上問屋史料館」とありますが、中には入りませんでした。
国指定の重要文化財です。手塚家住宅です。
天保11年(1840)の建物で、代々問屋を務めた家です。
奈良井宿には、2つの問屋があった様です。

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突然、ここで道が曲がっています。「鍵の手」と言うそうです。

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近付いて見ました。

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そこには、こんなものも。「道祖神」ですね。

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「駒屋」とありますが、ちょっと変わった外観です。

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随分間口の広いお宅ですが、多分何かの商売をされていた様に思います。

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この宿場で、唯一の洋館でした。昭和初期のものだそうです。近年まで診療所だったそうです。

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何の表示はありませんが、2階の手摺から、旅籠かなと思いました。

そろそろ町はずれに近くになりました。
次回も続きます。


















2018年2月28日 (水)

中山道・木曽路の宿場を訪ねて(1)奈良井宿ー1

 中山道の木曽路の2つの宿場を訪ねる旅をしました。その2つとは、奈良井宿と妻籠宿です。どちらも「重要伝統的建造物群保存地区」です。
 平成29年11月21日~22日の1泊の旅でした。
 先ず始めに「奈良井宿」を訪ねました。JR中央本線・奈良井駅で下車、少し歩くともうそこには宿場町が広がっています。昔は「奈良井千軒」と言われ、奈良井川に沿って、約1Kmの及ぶ最長の宿場といわれています。

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奈良井宿の玄関口「奈良井駅」です。明治42年(1909)の開業です。
この地の雰囲気にぴったりの駅舎です。

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駅の近くにあった、「奈良井宿」の案内図です。
見難いかと思いますが、右端の真ん中辺りに「現在地」の赤い表示が見えます。ここから、左方向に歩き始めました。

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その向いに、こんな看板も。

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歩き始めて間も無くの光景です。ほぼ北から、ほぽ南の方向に向かって歩き始めました。

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漆器店が多い様に思いました。宿場の雰囲気が感じられます。

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手前は漆器店、その先は民宿などです。光が逆光的です。

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ある漆器店の中を覗かせて貰いました。

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民宿の入口は、奥まったところにありました。
どの家屋も、間口が狭く奥行が深いです。

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こちらは進行方向の右手にある「水場」です。「水場」は何か所かありました。
裏側にある山からの湧水の様です。「重伝建」の石碑も見られます。

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間口が狭いと言いましたが、こちらの建物はどれも間口も広く、立派な家々です。進行方向の左手になります。

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右端は、「奈良井会館・観光案内所」です。中に入って掛りの方と少し話をさせて戴きました。ここまてで宿場町の約半分位来ました。

次回に続きます。



















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