カテゴリー「街道を歩く」の2件の記事

2015年3月18日 (水)

西国街道を歩く (その2)

前回の続きです。
 「西国街道」を西に向かって(実際には、この辺りでは南に向かってになりますが)、歩いています。確かに「西国街道」と言う名前が付く道を歩いているのですが、昔の街道の雰囲気は全くと言って良い程ありません。所々に古い民家がある位です。「五辻」から、街道の道に入って直ぐにあったお寺です。

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ここでは、毎年5月に本堂で奉納される「鶏冠井題目踊り」は、京都府の無形民俗文化財に指定されています。ところで、この「鶏冠井」の読み方ですが、ご存じでしょうか。難読地名の1つです。「かいで」と読みます。向日市内の地名です。

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阪急電車のガード下を通って直ぐの場所です。
この辺りからは、少し雰囲気のあるところを通ります。

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閑静な住宅が続きます。道端には、この地の名産の竹をあしらったモニュメント見たいなものが建てられています。

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この辺りから、比較的大きな家が続きます。何故か進行方向に向かって右側ばかりにでした。

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さらに、この辺りの家の名字が「中小路」家が固まっていました。

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各家の外観から、家の年代にかなりの差がある様に感じました。

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雰囲気のある部分も、そろそろ終わりです。

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「一文橋」に来ました。小畑川に架かる橋です。
昔、橋の修復費用として、通行税 一文を徴収したとか。
向日市から、長岡京市に入ります。

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ここからは、長岡京市内の「西国街道」を歩きます。
この道も、石畳にはなっていますが、歴史的なものは何も見られませんでした。少しだけ雰囲気を感じると言ったところでしょうか。

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「神足商店街」の表示が見えます。「神足」も難読地名の1つです。「こうたり」と読みます。古くからの地名の様です。

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西国街道とJR長岡京駅前通りとの交点に来ました。
「西国街道」右 一文橋 左 調子八角 と刻まれています。「調子八角」とは、長岡京市内の地名です。

今回の「西国街道」歩きは、ここまでとしました。

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その傍に、こんな碑がありました。「長岡京発見之地」とあります。
長岡京の発掘に一生を捧げられた「中山修一」氏
が、昭和22年に、この辺りの田んぼを発掘して、都の道路の様子を発見し、そこから長岡京の発掘のきっかけとなったそうです。
長岡京発掘2千回を記念して、平成22年11月に、ここに長岡京市がこの碑を建てたものです。

 私達はこの後、阪急・長岡天神駅に向かいました。
 駅の近くでヘルシーな昼食を摂り、長岡天満宮にお参りして、付近を散策した後、帰途に着きました。

 
 この次に、若し「西国街道」を歩くとすれば、「東寺口」から東向日駅までか、
 或
いは、さらに西に向かって街道を歩くか、どちらかなと思っています。

2015年3月15日 (日)

西国街道を歩く(その1)

 

久し振りに、「西国街道」のほんの一部を歩きました。
阪急電車・京都線の「東向日」駅から、同線の「長岡天神」駅まででした。
「西国街道」とは、「京の七口」の1つ「東寺口」から、西宮までの約52Kmの街道です。現在の国道171号線に沿っています。
 西宮からは、下関まで山陽道に繋がります。

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阪急「東向日」駅から、直ぐのところにある「常夜灯」です。
「築榊講常夜灯」(つきさかこう・じょうやとう)と言うそうです。
かつては街道を通る人々の安全を祈り、明かりが灯されていたのでしょう。
ここから「西国街道」を歩き始めます。

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西国街道は、左手の道を進みます。右手の道は、多分新道だろうと思います。
古い石畳の道は、何故か懐かしさを覚えます。

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街道に入って直ぐに出合った長屋門があるお宅でした。
この先にも、古い佇まいを残すお宅に、時々出合います。

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さらに進みますと、この道標に出会いました。道歩きをしている人間にとって、この様な道標に出合うことは、大変嬉しくかつ安心して歩けます。昔の旅人達もきっとそんな思いで歩いていたことでしょう。

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こちらのお宅は、格子戸が見事でした。

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「須田家住宅」です。京都府指定文化財となっています。
こじんまりとしていますが、美しい建物です。煙り出し・虫籠窓・格子戸と、見事に役者が揃っています。
左手に建つ道標には、「右 西国街道 中 あたごみち 左 たんばみち」と刻まれていました。

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向日町で一番の宿屋「富永屋」と、掲示にありました。
何でも約400年も前に始まったとかで、戦後まで旅館や料理屋を営んでいたそうです。この地区(乙訓郡)での会合などには、ここが良く使われていたそうです。

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本殿に向かって真っすぐ延びる参道は、桜のトンネルとなり、遠方からも多くの見物客が訪れる様です。私も、今年の春には一度訪れたいと思いました。
創建は奈良時代だそうで、本殿は国の重文指定されています。

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やがて道は「五辻」になりました。その一角には、こんな常夜灯が建っていました。「柳谷」とか「千眼講」とありますから、「柳谷観音」(眼病に霊験あらたかな観音様)への道標でもある様です。慶応元年に造られたものです。
江戸時代は、「西山道」と西国街道との交点の四辻だったそうですが、昭和7~8年頃に新道が出来て、五辻になったそうです。

 この後も、西国街道を西では無く、南の方向に歩きます。

 

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