カテゴリー「京都御苑 京都御所」の19件の記事

2017年9月15日 (金)

大政奉還150周年(2)京都御苑及び御所-3

 前回の続きです。
 京都御苑内を歩いています。

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御苑の東側の真ん中辺りに、少し盛り上がった場所があります。
向こう側は、南方向です。

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駒札でどうぞ。

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「五摂家」の筆頭、「近衛家」もこの戦乱には何らかの影響はあった筈です。
戦火に焼かれたかと思います。

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春にはこの一帯は、枝垂れ桜が咲き誇り、多くの人で賑わいます。
「蛤御門の変」は、御苑の西側が戦いの場になりましたので、長州兵がここまで来ることは無かったかと想像します。

結局長州勢は、全てが敗退しました。
京都の町は、鷹司邸の火災と河原町の長州屋敷の出火で、京都の町は3日間燃え続けました。
後にこの大火のことを、「鉄砲焼け」とか「どんど焼け」とか呼びました。
また、京都の古老達は、この間の戦争と言えば、この「蛤御門の変」のことを指し、さらにその前の戦争と言えば「応仁・文明の乱」のことを言うとか。

京都御所の中にも、幕末大事な会合が開かれた場所があります。

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御所拝観のコースに含まれている「小御所」です。

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御所内の説明は、駒札では無く、この様な形での掲示です。

「蛤御門の変」後、「小御所会議」が開かれたまでの、時の流れは激動と言っても言い位のものでした。


元治元年(1864年)4月   蛤御門の変勃発
慶応元年(1865年)閏5月  将軍家茂、長州藩再征の為上洛、参内
慶応2年(1866年)1月    薩長同盟成立
             7月   将軍家茂死去
             12月  徳川慶喜に将軍宣下
             同月   孝明天皇崩御
慶応3年(1867年)10月  大政奉還
             12月  王政復古の大号令 「小御所会議」開催される
                  明治天皇 即位

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その「明治天皇」(後の諡号)が誕生され、幼児期を過ごされたのが、この場所です。

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祐宮が即位されたのは、慶応3年(1867年)ですから、御年15歳で天皇になられたことになります。そして、激動の幕末~維新~明治の時代を過ごされました。

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当初、皇女・和宮の婚約者と目されていた「有栖川宮」邸は、御所の正門「建礼門」の斜め前にありました。

 大政奉還150周年に関係する「京都御所・京都御苑」の史跡等は、以上です。
 次回は、幕末京都で活躍した「新選組」を取り上げたいと思います。


2017年9月11日 (月)

大政奉還150周年(2)京都御苑-2

 前回の続きです。京都御所内では、尊攘派(長州藩中心)と公武合体派と(会津藩と薩摩藩)の対立が激しくなって来ました。
 1863年(文久3年)8月、公家の急進派7名(三条実美など)が宮廷から追放されました。
 「8月18日の政変」 「七卿落ち」と言われる事件です。長州に落ち延びました。長州勢は京都から追い出されて仕舞いました。

 しかし、長州藩は翌年(1864年・元治元年)、武装して大挙京都を目指して進軍を始めました。
 長州藩は、伏見藩邸・山崎天王山・嵯峨天龍寺の3か所に布陣した後、一斉に京都御所を目指して進軍を開始しました。
 そして、遂に「禁門の変」(蛤御門の変)が勃発しました(7月19日)。

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「蛤御門」です。現在は、烏丸通に面していますが、当時は90度回転して南面していました。右側が正面になります。

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門の柱のあちこちに弾痕などが見られます。

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木島は薩摩兵に撃たれて、ここで討ち死にしたそうです。

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幕末の頃の古地図では、「清水谷家」はこの辺りにあった様です。

この戦いのもう1つの場が「鷹司家」だと言われています。

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場所は、御苑の南端、「堺町御門」の東側です。
鷹司邸に入った久坂玄随は、鷹司公にお伴して参内したいと申し入れたが断れて、鷹司邸に火を放ちここで自刃した。

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駒札をどうぞ。

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「鷹司邸」の西側にあったのが、「九条邸」でした。
この橋は、「高倉橋」と言って、明治になって架けられた橋です。
高倉通の延長にあるからとのことで、その名前が付けられたそうです。

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「九条邸」にあった庭園と池です。「高倉橋」は、この池の上に架けられています。遠くに見える建物は、「拾翠亭」です。「厳島神社」は右手にあります。

 御苑内の史跡は、次回にも続きます。

 

 


 

2017年9月 9日 (土)

大政奉還150周年(2)京都御苑-1

 前回(二条城)の続きですが、今回の舞台は京都御所及びその周りに有った公家町(今の京都御苑)です。幕末、それまでは静かだった御所やその周辺が、俄然騒がしくなりました。
 少し遡って、時の流れを見てみますと、「黒船来航」が大きな転換点ではないかと思います。大老・井伊直弼の「通商条約」勅許問題から、「安政の大獄」~「尊王攘夷」の気運、「桜田門外の変」で井伊直弼が暗殺され、幕府の屋台骨が揺らぎ始めました。
 そこで持ち上がったのが「公武合体」論でした。
 文久元年(1861)皇女・和宮の江戸下向、翌年第14代徳川将軍・家茂との婚儀が行われました。

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京都御苑内の御所の東側にある、「皇女和宮生誕の地」すなわち「公家・橋本家」があったところです。

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その傍に立てられている駒札を利用させて戴きました。
簡潔に要領よく表示されているので、これからもしばしば使わせて戴く積りです。

 その場所から、少し北に行ったところに「猿ケ辻」があります。

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御所の東北の角付近です。御所の鬼門に当ります。

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東北の角(鬼門)を、この様にして変形させてあります。

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さらに、変形した左手には、御幣を担いだお猿さんがいます。
右を向いて、座って居ます。

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それらの説明は駒札で。

 次回にも続きます。

2017年4月 5日 (水)

京都御苑の可憐な桃の花

 京都御苑の早咲きの桜を見に行った時に、前には未だ咲きはじめだったのが、今回は満開近い桃林の花々を堪能できました。

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こちらにも、多くの方達が見に来られていました。

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まさに、「桃色」です。

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純白です。

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青空に映えて、綺麗でした。

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花達がオシクラマンジュウをしています。

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こちらは、恥ずかしげに、下を向いて。

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結構背の高い木もありました。

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桜でも見掛けますが、幹から花が出て咲いています。

 旧近衛邸後の糸桜や桃の花を心行くまで愛で、満ち足りた気持ちで植物園に向かいます。

















2017年4月 4日 (火)

毎年、早く咲く「京都御苑」の桜たち

 数日前に、京都にも桜の開花宣言が出されました。
 京都の桜の標本木は、二条城の中にあるそうですが、私は未だその木がどれだか特定して見たことはありません。
 が、しかし、京都御苑の早咲きの桜たちは、それは何処にあるか、良く知っています。
 4月2日(日)午前、遅ればせながら、見に行って来ました。

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先ずは、「出水の紅枝垂れ桜」です。多くの人達で、賑わっていました。
近くには、「出水のさとざくら」がありますが、未だ蕾状態でした。

 梅林や桃林の中を通って、お目当ての「旧近衛邸跡」に向かいました。
「桃林」の様子は、次回にご紹介します。

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「旧近衛邸跡」への入口にも、見事な桜があります。
ここにも沢山の人々が・・・。

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一部をアップで。

いよいよ中へ入って、

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「旧近衛邸跡」の、所謂「糸桜」です。ご覧の通りの大賑わいの盛況です。
異国の方も結構多かったです。

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「近衛池」にも大きく枝を広げています。

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池の水面にも、その姿を映していますが、池の水がイマイチなのが残念です。

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桜の木の下で楽しむ人も。それ程大きな糸桜です。

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こちらも「旧近衛邸跡」かと思いますが、大きな「紅枝垂れ桜」があります。
こちらの木もかなりのお年の様です。

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向こうの人だかりは、「糸桜」を見る人達です。

毎年、この辺りの桜達は、思ったより早く咲いて、慌てさせて呉れますが、今年は上手くタイミング良く見ることが出来ました。嬉しかったです。
 この後、桃林へ向かい、可憐な桃の花と出会います。

2017年3月20日 (月)

満開の京都御苑の「黒木の梅」

 3月になってから京都御苑の前を通る度に「黒木の梅」は?と気にかかっていました。
 17日に梅林を散策した時に「遠くからでも様子を見よう」と思いました。
 ところが何と、遠くからでも濃いピンクの梅の花が咲き誇っているのが判りました。数人のカメラマンや外国の観光客も思い思いにカメラを向けておられました。


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 苑内には約5万本の樹木が生育しています。近衛邸跡の糸桜や出水の小川周辺などの里桜・梅・桃などの花木・モミジなどが季節ごとに御苑を彩り、私達の目を楽しませてくれます。

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急いで・・・・・、気持ちは駆け足です。それにしても、見事な枝ぶりです。
遠くに見える御門は、京都御所の正門とも言える「建礼門」です。


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樹齢はどれくらいでしょうか?見事な花を付けています。
「黒木の梅」は、元は旧九条邸内にあったとか・・・。

↑のお二人は多分ヨーロッパ諸国の方の様です。
英語ではなかったので。


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前方に見える山は、勿論!京都北山の峰々。
そして手前の建物は、京都御所内の紫宸殿の大きな屋根です。  

         ★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

 京都市中京区に位置する「京都御苑」は市内の中心部にあり、南北約1,300メートル東西約700メートルの広さを誇ります。国民の公園として終日開放しており、市民の憩いの場としても親しまれています。
 江戸時代には宮家や公家の屋敷が立ち並んでいましたが、明治時代の東京遷都に伴って整備が行われ、砂利敷の広い苑路と築地塀そして芝生と松林で構成された現在の景観となりました。

2017年3月16日 (木)

仙洞御所を参観しましたー4

 前回の続きです。
 「南池」の南部分に遣って来ました。

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「南池」の南部分を、北の方から見ています。右手が「一升石」を敷き詰めた「州浜」です。

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「南池」の小島の「葭島」(よしじま)です。小さな島ですが、それなりの雰囲気を感じます。

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見る位置を変えての「州浜」です。向こうに見えるのは、「八ツ橋」です。

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お庭の南端には、残っている建物の一つ、茶亭の「醒花亭」(せいかてい)です。「南池」が一望できる場所にあります。

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内部には、命名の根拠になった、李白の詩が額にして掲げられています。
右から2行目の上から2文字目の「醒花」の文字です。文字も中国明の時代の人の手によるものだそうです。

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「南池」の散策路の近くには、「柿本社」の祠がありました。有名な歌人の柿本人麻呂です。

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奥の林の場所には、「仙洞御所」があったそうです。
嘉永7年(1854)、の大火で、京都御所とともに焼失し、ちょうどその時に上皇がおられなかったので、再建されないままとなったそうです。

 最後の参観場所の茶室の「又新亭」(ゆうしんてい)です。

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素朴な門が素敵です。

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もともとここにあった茶室は焼失したため、明治17年(1884)に近衛家から献上されたものだそうです。

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大きな丸窓が印象的です。

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茶室を囲っている竹垣では、枝の根元を残して切られています。侵入防止のためだとか。

 戴いたパンフレットを見ますと、秋の紅葉が素晴らしい様なので、秋にもう一度参観させて戴きたいと思いました。


 






2017年3月15日 (水)

仙洞御所を参観しました-3

 前回の続きです。
 「北池」の東側から、「南池」に移りました。「南池」の形は、広口の西洋壷を立てた感じです。池の真ん中には「中島」があり、池を分断している感じです。

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「南池」の北半分の景色です。右手奥には、小さな滝があります。
向こう側の真ん中は、「紅葉山」です。

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左手の「紅葉山」に架かる橋は、「紅葉橋」です。命名が判り易くて良いですね。

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「南池」の真ん中に架かる橋で、「八ツ橋」です。石造りの橋で、上には藤棚が造られています。

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「南池」の北半分を、西から見た景色です。左手には「紅葉山」の一部が、右手奥には滝が見えます。

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その滝をアップして見ています。幅は80Cm、高さは180Cmの雄滝です。
小さな滝ですが、造りは凝っている様に見えました。

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「紅葉山」の全景です。紅葉時は、さぞ見事なことでしょう。

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「南池」の南部分の西側には、見事な「州浜」が広がっていました。
楕円形のやや平たい石が、11万1千個も敷き詰められています。
左手に少しだけ見えるのが「八ツ橋」です。

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「州浜」の石です。「一升石」と言うそうで、石1個につき米一升で運ばせたと言う伝承があるそうです。

 次回にも続きます。








2017年3月11日 (土)

仙洞御所を参観しました-2

 前回の続きです。
 「仙洞御所」は、皇位を退かれた天皇(上皇とか院などと言われる)の御所です。江戸時代の後水尾上皇の御所として造られました。今はもう建物は無く、茶室のみで、広大なお庭が広がっています。それを拝見します。
 また、「大宮御所」は、皇太后の御所のことで、孝明天皇の女御の英照皇太后のために建てられたものです。
 総面積は、約9万1千平方mで、その内大宮御所が約1万6千平方m、仙洞御所が約7万5千平方m(82.4%)あります。

 では、「大宮御所」の「御車寄」前からスタートです。

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再び「大宮御所」の「御車寄」を、違った位置から、ご覧戴きます。

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「御常御殿」です。説明によりますと、外観は和様ですが、中は完全に洋式になっているとのことです。入洛された皇室の方は、ここでお過ごしになるとのことです。

 ここからは、「仙洞御所」のお庭を巡ります。
 先ず始めは「北池」です。

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「北池」は、東西に長い凡そ梯形をしています。この眺めは、梯形の左側の景色です。

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北池の真ん中から右側の景色です。

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真ん中部分をアップして見ています。

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見える石碑は、この辺りにあったと言う「紀貫之」の邸宅跡を示すものです。

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その近くの、御所造営以前からあった古い池「阿古瀬淵」(あこせがふち)です。

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小高い丘には、「鎮守社」がありました。
この辺りで、池の北側に来たことになります。

 次回に続きます。





2017年3月10日 (金)

仙洞御所を参観しました-1

 京都御所・仙洞御所・修学院離宮・桂離宮などの参観の手続きが、随分簡略化されました。京都迎賓館も同様です。
 私は、この中で未だ参観していなかったのが、「仙洞御所」(せんとうごしょ)でした。
 過日、最も手っ取り早い参観手続きで、参観して来ました。最も手っ取り早いとは、当日参観申込みして、当日参観することです。
 当日、午前11時に現地(正門前)に行き、手続きして整理券を戴き、午後1時30分から参観しました。但し、人数の制限があり、この日は35人限定でした。詳しくは、宮内庁京都事務所のホ-ムペ-ジをご覧願います。

 指定の20分前に、「正門」前に集合し、「参観者休所」内で、仙洞御所のビデオを見ました。予備知識を頭に入れてから、宮内庁京都事務所の方の案内・説明で、御所内を回りました。

 その前に、仙洞御所の外の様子を、ご紹介します。

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仙洞御所(以後、御所と言います)の西南角から見た様子です。

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西南角から北の方向を見ています。即ち、御所の西面を見ています。

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御所の「表門」です。ここから入ると、今はもう無き御所の住居跡には最短です。

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こちらは「正門」です。参観者の出入り口です。
天皇陛下など皇室の方が京都にお出での時に、お泊りになる「大宮御所」へは、多分この門から入られると思います。

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「正門」前から、さらに北を見た様子です。

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御所の東側の様子です。

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「正門」前には、こんな古木が見られました。「スダジイ」の様です。

 いよいよ「正門」(大宮御所の正門でもあります)から中へ。

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「大宮御所」の「御車寄」です。

 次回からは、御所内の参観の様子を、ご紹介します。















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