カテゴリー「地域歴史」の121件の記事

2017年10月14日 (土)

京都大 花山天文台へ(2)

 前回の続きです。
 「花山天文台」の本館にいます。ドームの外の回廊に出て見ました。

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右下に見えるのは「別館」です。口径18cmの屈折望遠鏡があるそうで、現在は太陽の観測に用いられているそうです。現役としては、日本最古の望遠鏡で、データは最先端の科学研究に用いられているとか。
左下の小屋風の建物は、「歴史館」です。この後見学しました。

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ドームの外から、山科盆地の一部(南部と思われます)が見えました。
右手の山並みは、東山連峰の南端かと思います。
また、左手の山並みは音羽山から南へ、醍醐・宇治に繋がる山々だと思います。
「本館」から下りて来ました。

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「歴史館」です。旧子午線館だそうです。本館・別館と共に1929年の花山天文台設立当初からある建物です。
当時は「子午儀」を用いて、正確な時刻を知るための観測が行われていました。

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これがその「子午儀」です。こちらの屋根も、観測時には開く様になっています。

最後に、もう一度「本館」を眺めました。

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現在、花山天文台では、太陽物理学、太陽・宇宙プラズマ物理学、恒星物理学の研究が行われているそうです。
また、「アウトリーチ活動」と称して、教育関係者や高校生などの研修・実習にも広く活動されているそうです。

天文台長の柴田先生は、京都と宇宙を結ぶ新たな観光名所を目指しておられるそうです。
この種の建物が、文化財特別公開になったことも、意義がある様に思いました。

 






2017年10月12日 (木)

京都大 花山天文台へ(1)

 「京の夏の旅」2017の中に、「京都大学大学院理学研究科附属天文台・花山(かざん)天文台」が入っていたので、大変懐かしく思い、見学させて戴きました。9月30日までの催しです。
 地下鉄東西線の東山駅からシャトルバスが出ているので、それを利用させて戴きました。公共交通機関がないので、大変有難く嬉しかったです。結構利用されている方がおられました。東山駅から「東山ドライブウェイ」を通って約10分程で着きました。そこから少し歩いて現地に到着しました。

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入口の看板です。当初からのものらしく、かなりの年季ものです。
設立は、1929年ですから今年で88年になります。

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そこからでも、この様な山道をもう少し歩きます。

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暫く歩くと、木の間からドームが見えました。

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漸く「本館」に辿り着きました。
建物の中は、狭い階段の連続です。

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ドーム内の望遠鏡があるところに着きました。
国内で屈折望遠鏡としては3番目の口径を持つ45cmの屈折望遠鏡です。
天体の追尾には、現在でも重力時計が用いられています。右手の錘はそれのものです。

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見る位置を変えて見ています。
当初は口径が30cmの反射望遠鏡だったそうですが、口径が45cmとなると焦点距離が長くなって、このドームに入らないので屈折望遠鏡になったそうです。ドームの直径は、9mあります。

 次回にも続きます。







2017年10月 4日 (水)

天神さん「瑞饋祭(神幸祭)を拝見しました(3)

 前回の続きです。
 「神幸祭」の行列を、境内や一の鳥居近くで拝見した後は、「御旅所」に「瑞饋神輿」を拝見に行きました。ご本社からは、歩いて約20分程のところにあります。「上の下立売通」(東西)と「左井通」(南北)との交点の北西角にあります。
 「上の下立売通」には、沢山の露店が出ていました。日曜日とあって結構賑わっていました。
 境内は建物が一部新しくなり、すっきりとした感じがしました。
 「瑞饋神輿」は、大と小の2が拝殿に安置されていました。

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「瑞饋神輿」についての説明板です。

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大きい方の瑞饋神輿を、正面から見ています。

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屋根の「瑞饋」の切り口が見事です。屋根の下のコマでは、毎年その年のトピックスを表現されています。

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正面に向かって右側です。

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正面の裏側です。

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正面と左手を斜めに見ています。

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小さい方の瑞饋神輿です。正面を見ています。

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左横を見ています。小さくても立派な造りです。

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御旅所の境内の風景です。
秋めいたとは言え、この日の日中は結構暑かったです。

 「瑞饋神輿」は、4日に域内を巡行(還幸祭)されます。
















2017年10月 3日 (火)

天神さんの瑞饋祭(神幸祭)を拝見しました(2)

 前回の続きです。
 神幸祭は、10月1日(日)の午後1時に、北野天満宮本社を出発されました。
 一の鳥居を出て、直ぐに今小路通を西に進まれました。私は、その近くで行列を拝観しました。

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 今出川通に面した「北野天満宮・一の鳥居」前です。
出発を前に、それぞれの方がスタンバイされていました。

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ご本殿前は、殆ど人の姿はありませんでした。
皆さんお祭の方に注目の様でした。

 「神幸祭」の行列が、始まりました。
 先頭は、ご協力お願いのプラカードを持った若い男性 2人でした。それに続いて「お獅子」が2頭が。

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皆さんのお頭を噛みながらの進行です。行列のスピードを抑えている感じでした。私も、青い方に噛んで貰いました。

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「先駆神職」さんです。ちょっと緊張気味です。

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「導山」です。怖い顔の人形が立っています。

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剣鉾が2基続きます。「梅鉾」と「松鉾」です。 

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 神器の鉾と盾、「錦蓋」と「菅蓋」です。
その後は、人気の可愛い「八乙女」さんや「お稚児」さん達の行列です。

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 そんな中に、こんな子もいました。

いよいよ「御鳳輦」の登場です。

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 「第一鳳輦」です。

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 子供神輿の様な小さな「御鳳輦」です。

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 「第三鳳輦」です。どれも車付きで、しずしずと進んで行かれます。
ワッショイ!ワッショイ!との勇ましい掛け声はありません。
大変静かな行列でした。

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 この後は、馬車に乗った宮司さんや講社や総代などの偉い方々が続いてお終いとなります。

 私達は、「御旅所」に行き、「瑞饋神輿」を拝見することにしました。
 次回にご紹介します。





 

 

 

 

 

 

2017年10月 2日 (月)

天神さんの瑞饋祭(神幸祭)を拝見しました(その1)

  瑞饋祭(ずいきまつり)は京都の数ある秋祭りの先陣を切って10月1日から5日間にわたって行われます。
 今年で3回目の見学ですが、お稚児さんの可愛い姿に心が癒されます。
 瑞饋祭は、京都市の無形文化財で「神幸祭」と「還幸祭」が行われますが、今年の神幸祭は日曜日と重なり沿道には多くの地元の方や観光客が拝観されていました。
 やはり一番人気はお稚児さんや八乙女さんです。
 「可愛い」の声が飛び交っています。
 
(その1)では、お稚児さんや八乙女さんの様子をご紹介します。


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神妙な顔でお祓いを受けています。

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午後1時に出立です。これから各町内を練り歩きます。

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地図で見ていると、かなりの距離が有るようですが、大丈夫か?と余計なお世話です。

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この後、偶然にもお稚児さんたちの行列に出会うことが出来ました。
しっかりした顔つきと足取りです。


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少々疲れたなあ・・・

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後もう少し?頑張ってと心の中で声援を送ります。

 次回は、「神幸祭」の様子や、御旅所の瑞饋神輿を紹介します。
 

2017年9月27日 (水)

京都駅ビル探検(2)

 前回の続きです。
 「京都駅ビル」の未踏破?の場所を歩こうとしています。
今回は、「伊勢丹」の11階から「ラーメン横丁」を通って、「空中経路」を歩きました。

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鉄骨の一部をアップで見ました。美しいです。

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「空中経路」に入って直ぐのところで、入口の方を振り返って見ました。

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そこから、「大階段」などを見下ろしています。

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「空中経路」を、見通しています。

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途中にある「室町小路」の上の部分です。南を見ています。

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「空中経路」内の西から東を見ています。先にも言いましたが、骨組みの美しさに惚れ惚れです。

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所々に、遠くを眺望出来る小間が造られています。
手前の「京都タワー」や、遠くに「比叡山」(右手奥)や「北山連峰」(正面奥)が望めます。

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「空中経路」の東の端は、長大なエスカレーターに繋がり、「東広場」(下の方)に降ります。

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アトリウムの東の端の様子です。

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「東広場」から、上や下を見ています。
「駅ビル」の壮大さを感じます。

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少し降りて来ました。
下が1階です。左手が改札口、右手が構内の入口です。
黄色の円盤状のものが見えますが、舞台だとか。どの様に使うのか理解し難いです。
駅ビルを一周して、元に戻って来ました。

まだまだ「駅ビル」の総てをご紹介出来ていませんので、今後そんな部分も見て行きたいと思っております。















2017年9月25日 (月)

京都駅ビル探検(1)

 「京都駅ビル」が開業して、9月11日で満20年になりました。
 JR西日本が、約1500億円を投じ、1997年9月に全面開業しました。
 京都駅の駅舎としては、4代目になります。
 東西470mにわたる巨大な建物は、鉄道の利用だけでなく、「ジェイアール京都伊勢丹」のデパートや、その中にある美術館「えき」など、また「ホテル グランビァ京都」や「京都劇場」など、さらに色んなイベントが行われるステージがあり、地元京都人をはじめ、多くの観光客を惹き付けています。
 さて、この巨大な「駅ビル」の一部は利用したり、歩いたりはしていますが、未だ知らない部分が多くあります。そこで、「駅ビル探検」を敢行しました。
皆さん良くご存じのところもあれば、「へえ!そんなところも」と思われるところやら、ビルの西側から東に掛けて歩きました。

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20周年を記念する表示でした。

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JR京都駅の烏丸口正面です。

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JR烏丸口の改札口を、2階から見ています。
実は狙いは、改札口の上にある「空中通路」を人が通っている様子でした。
この通路は、南北通り抜け通路の西側から、東側にある「ホテル グランビア京都」に通じている通路です。

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中央コンコースの上のアトリウムです。西から東の方を見ています。
右は、改札口の上です。

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西側の2階から見られる「謎の建造物」です。

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西側の2階から、上の方を見ています。
左側には「大階段」(171段)があり、右側は「大エスカレーター」です。
そして、左側には「ジェイアール京都伊勢丹」があります。

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この「大階段」は、手前にあるステージでのショーなどの観覧席にもなります。
また、「伊勢丹」の各階とも通じていて便利です。
正月には、階段の駈け上がり競争が行われたりします。

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アトリウムの西端の様子です。

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大階段の途中から、ステージなどを見ています。
ステージでは、「能」の実演の準備が行われていました。
 
愈々「空中経路を歩きます」が、その様子は次回にご紹介します。










2017年9月17日 (日)

京都駅ビル大文化祭

  「20th Anniversary 京都駅ビル 大文化祭
  京都美風 古典芸能を楽しもう!能・狂言の世界へようこそ」
のタイトルで駅ビル2Fインフォメーション前にパネルを使って展示されいてたもの、又、実際の実物展示等を拝見することが出来ました。


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【パネル展示】
・能・狂言の歴史
・能舞台について/能・狂言を演ずる人たち
・能のしくみ(構成)/番組の見方
・舞台を彩るもの「能面」「装束」「被り物」「扇」


【実物展示】
・能面、能管、小鼓、大鼓、太鼓
・能面ができあがるまでの製作工程

 〇舞台を彩るもの「能面」


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 〇 能管、小鼓、大鼓、太鼓


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〇能面ができあがるまでの製作工程


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そして、実際の「能」公演の映像など、京都に住まいしていても身近で拝見する機会は無くて、貴重な体験をしました。(8月24日撮影)

2017年9月15日 (金)

大政奉還150周年(2)京都御苑及び御所-3

 前回の続きです。
 京都御苑内を歩いています。

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御苑の東側の真ん中辺りに、少し盛り上がった場所があります。
向こう側は、南方向です。

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駒札でどうぞ。

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「五摂家」の筆頭、「近衛家」もこの戦乱には何らかの影響はあった筈です。
戦火に焼かれたかと思います。

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春にはこの一帯は、枝垂れ桜が咲き誇り、多くの人で賑わいます。
「蛤御門の変」は、御苑の西側が戦いの場になりましたので、長州兵がここまで来ることは無かったかと想像します。

結局長州勢は、全てが敗退しました。
京都の町は、鷹司邸の火災と河原町の長州屋敷の出火で、京都の町は3日間燃え続けました。
後にこの大火のことを、「鉄砲焼け」とか「どんど焼け」とか呼びました。
また、京都の古老達は、この間の戦争と言えば、この「蛤御門の変」のことを指し、さらにその前の戦争と言えば「応仁・文明の乱」のことを言うとか。

京都御所の中にも、幕末大事な会合が開かれた場所があります。

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御所拝観のコースに含まれている「小御所」です。

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御所内の説明は、駒札では無く、この様な形での掲示です。

「蛤御門の変」後、「小御所会議」が開かれたまでの、時の流れは激動と言っても言い位のものでした。


元治元年(1864年)4月   蛤御門の変勃発
慶応元年(1865年)閏5月  将軍家茂、長州藩再征の為上洛、参内
慶応2年(1866年)1月    薩長同盟成立
             7月   将軍家茂死去
             12月  徳川慶喜に将軍宣下
             同月   孝明天皇崩御
慶応3年(1867年)10月  大政奉還
             12月  王政復古の大号令 「小御所会議」開催される
                  明治天皇 即位

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その「明治天皇」(後の諡号)が誕生され、幼児期を過ごされたのが、この場所です。

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祐宮が即位されたのは、慶応3年(1867年)ですから、御年15歳で天皇になられたことになります。そして、激動の幕末~維新~明治の時代を過ごされました。

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当初、皇女・和宮の婚約者と目されていた「有栖川宮」邸は、御所の正門「建礼門」の斜め前にありました。

 大政奉還150周年に関係する「京都御所・京都御苑」の史跡等は、以上です。
 次回は、幕末京都で活躍した「新選組」を取り上げたいと思います。


2017年9月11日 (月)

大政奉還150周年(2)京都御苑-2

 前回の続きです。京都御所内では、尊攘派(長州藩中心)と公武合体派と(会津藩と薩摩藩)の対立が激しくなって来ました。
 1863年(文久3年)8月、公家の急進派7名(三条実美など)が宮廷から追放されました。
 「8月18日の政変」 「七卿落ち」と言われる事件です。長州に落ち延びました。長州勢は京都から追い出されて仕舞いました。

 しかし、長州藩は翌年(1864年・元治元年)、武装して大挙京都を目指して進軍を始めました。
 長州藩は、伏見藩邸・山崎天王山・嵯峨天龍寺の3か所に布陣した後、一斉に京都御所を目指して進軍を開始しました。
 そして、遂に「禁門の変」(蛤御門の変)が勃発しました(7月19日)。

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「蛤御門」です。現在は、烏丸通に面していますが、当時は90度回転して南面していました。右側が正面になります。

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門の柱のあちこちに弾痕などが見られます。

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木島は薩摩兵に撃たれて、ここで討ち死にしたそうです。

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幕末の頃の古地図では、「清水谷家」はこの辺りにあった様です。

この戦いのもう1つの場が「鷹司家」だと言われています。

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場所は、御苑の南端、「堺町御門」の東側です。
鷹司邸に入った久坂玄随は、鷹司公にお伴して参内したいと申し入れたが断れて、鷹司邸に火を放ちここで自刃した。

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駒札をどうぞ。

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「鷹司邸」の西側にあったのが、「九条邸」でした。
この橋は、「高倉橋」と言って、明治になって架けられた橋です。
高倉通の延長にあるからとのことで、その名前が付けられたそうです。

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「九条邸」にあった庭園と池です。「高倉橋」は、この池の上に架けられています。遠くに見える建物は、「拾翠亭」です。「厳島神社」は右手にあります。

 御苑内の史跡は、次回にも続きます。

 

 


 

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