カテゴリー「地域歴史」の181件の記事

2020年1月12日 (日)

新春の行事(1)

 私の恒例の新春行事を2つ、ご報告させて戴きます。

 先ずその1つは、「京都国博」での「干支づくし」を見る
ことです。今年も、1月4日に行きました。

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そのポスターです。「京博のお正月」と言うタイトルで、3つの特集展示を
拝見しました。
①新春特集展示 子づくしー干支を愛でるー 「子」が表現されている絵画・
彫刻など16点が展示されていました。
同時に、
②京都御所紫宸殿の障壁画  計 9面 滅多に近くでは見られない
③神像と獅子・狛犬 15点
などでした。

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七条通に面した玄関です。

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展示が行なわれている「平成知新館」です。右手が入口です。

そして、

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「明治古都館」です。現在は、中には入れません。

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玄関を真正面から見ています。風格を感じます。

 構内を少しだけ歩きました。

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かつての入口です。大和大路通に面していて、西に向いています。

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こんなものも展示してありました。

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また、

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こんなものも。

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七条通に面した外壁です。入口は右手にあります。
「京博」の東西区域は、西は「大和大路通」から、
東は「東大路通」までの広大なものです。敷地は、「方広寺」の旧地を含んでいます。
「方広寺」は、豊臣家が大仏を建立したことで有名なところです。

 次回に続きます。

 

2020年1月10日 (金)

京都の初詣・付録・二条城

 ほぼ毎年、初詣の後には「二条城」に行っていました。
 今年は相棒が居なくなり、一人で寂しく行きました。

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堀川通に面した「東大手門」前です。

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門に据えられた「門松」です。年末にNHK京都のニュースでも報じられました。
立派な「門松」です。

今日1月2日は、建物の中には入れません。庭園が中心の拝観となります。

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美しい「唐門」前です。多くの人が写真を撮っていました。

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「唐門」をくぐると、そこには「二の丸御殿」が迎えてくれます。中には入れませんが。

「二の丸庭園」に向かいました。

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庭園をじっくりと拝見しました。「特別名勝」に指定されています。
「書院造庭園」と言われています。

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池の中央には、「蓬莱島」が造られています。橋が見えます。

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色んな形の石が用いられています。真ん中には小さな滝が見えます。

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滝に最接近して、見ました。水はどこから来るのでしょうか?

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「本丸楼門」前に来ました。皆さん「東橋」から下を覗き込んでいるのは、堀には
沢山の鯉が泳いでいるからです。近くには、「鯉のえさ」も売られています。

「本丸御殿」は、修理中でした。

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「内堀」の「西橋」や「天守閣跡」(遠くの高台)などが見えます。

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純白の「サザンカ」の花が、目を惹きました。

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「内堀」の北東から堀を見ています。

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北側にある「清流園」にある「香雲亭」と言う茶室です。

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そこの床の間に飾られた「掛け軸」は、正月らしいものが見られました。

城内を時計回りに回って、外に出ました。

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「外堀」の北東の部分です。「東大手門」前から北に向かって撮りました。
右手に見える建物は、入城券などを販売しているところです。改札口でもあります。

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「外堀」の東から西を見ています。右に見えるのは、「東南隅櫓」の一部です。
ここは二条城の内と外の堀の中で、一番長いのではないかと、私は思います。
(良く考えれば、城の外形は長方形ですから、北側にも同じ長さが存在します。
あえて言えば、橋が無いことでしょうか)

2019年12月23日 (月)

鴨川の橋を辿って歩く(4)

 前回の続きです。
 「七条大橋」からは、再び鴨川の右岸の河川敷を
歩きます。

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「塩小路橋」です。1953年の架橋で、長さは 53m 幅は 11m です。
比較的小さな橋です。

 次の橋は、やや複雑です。JR関係の橋が重なります。

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上流から見ています。
手前の橋が、JRびわこ線が通る橋で、「JR加茂川橋」とか「鴨川橋梁」とか言います。
その先には、「新幹線」の橋があります。

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下流側から見ています。手前が「新幹線」の橋、その向こうが「びわこ線」の橋です。

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もう1つ、鉄道用の橋(橋梁と言った方が)がこれです。
「JR奈良線」の橋です。「鉄橋」ですね。鴨川を斜めに横切っています。

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この辺りも、堤防の低さが目立ちます。手前の石積みは、そのままで平地に繋がって
います。川の流れは少し離れた所にあります。

 また少しややこしい形になっている橋に出合います。

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「九条こせん橋」と言います。上流から見ています。
「こせん」=「跨線」 何の線路を跨ぐかと言えば、JR奈良線と京阪電車京阪本線
の2つの線路を跨ぎます。左手先に「東福寺駅」(JRと京阪とも)があります。
実は左側のずっと先から、九条通がカーブして橋となっています。
1933年に架けられています。長さは 418.33m(長いです) 幅は 18m です。

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並んで歩道橋が架けられています。「東山橋」です。下流から見ています。
手前の橋です。長さ 68m 幅 18m です。

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「陶化橋」です。十条通に架かる橋です。1997年架橋、長さ 90.9m 幅22m。

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高速道路に繋がる橋です。

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「勧進橋」です。こちらも鴨川を斜めに横切っています。
1947年の架橋で、長さ 88.7m 幅 19m です。

 いよいよゴールの橋に来ました。

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「くいな橋」(水鶏橋)です。1954年架橋、長さ 94m 幅 8m です。

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「くいな橋」の上から、上流をみています。
左手の高架橋は高速道路、遠くに見えるのは「比叡山」や、東山連峰です。

 帰りは、近くにある市営地下鉄・烏丸線の「くいな橋駅」から乗車しました。

 京都市内の主な河川は、 
 (1)賀茂川と高野川が合流して、鴨川になるところ

 (2)保津川・大堰川~桂川になるところ

 の2大河川で、どちらにも多くの橋が架けられています。

2019年12月21日 (土)

鴨川の橋を辿って歩く(3)

 前回の続きです。
 「五条大橋」から左岸を歩きました。

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「正面橋」です。「正面通」に架かる橋からの命名です。
何処の「正面」?それは東にある「方広寺」(かつては大仏さんで有名)の正面から
付けられたとのことです。西にある「西本願寺」の「正面」とのことも聞いたことが
ありますが・・・。
1952年に架橋、長さは 71.15m 幅は 5.82m。

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橋の畔には、この様な「擬宝珠」が見られました。

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この辺りは、堤防の高さが低いです。

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「七条大橋」です。1913年に架けられた最古の橋です。でもモダンな感じがします。
橋の長さは、 81.9m 幅は 17.8m です。

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橋のほぼ全景です。

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橋の親柱に示す表示です。近寄って見ました。橋のアーチや橋の欄干など
目を惹きます。その後の欄干の模様も気になります。
ここから再び右岸を歩きました。

 橋の南西部分には、

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「松明殿稲荷神社」と言います。

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正面を拝観しています。

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その説明板です。

 次回に続きます。

 

 

2019年12月19日 (木)

鴨川の橋を辿って歩く(2)

 前回の続きです。
 「四条大橋」を越えて、次に向かいます。

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次は、「団栗橋」です。「団栗通」(東は花見小路通~西は木屋町通)の極短い通り
に架かる橋です。
1963年に架けられた橋で、長さ 61.5m 幅 9.5m の小さな橋です。

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「松原橋」です。1959年に架けられた橋で、長さ 83.55m 幅 6m 。
こちらも比較的小さな橋です。

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「五条大橋」に来ました。上流側から見ています。ここから左岸に移ります。

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昔の橋脚の石柱です。橋の近くに置かれていました。

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対岸に渡ります。立派な「擬宝珠」です。

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そんな「擬宝珠」の1つに、何か文字が刻まれています。
「明治十年・・・」と刻まれていますが、良く読めませんでした。

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橋の上から上流(北)を見ています。
こんな話を聴いています。この川幅は、平安京の中心大路・朱雀大路の道幅とほぼ
同じだと言うことです。如何に「朱雀大路」が広かったか、驚きです。

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この「擬宝珠」にも、多くの文字が見られます。

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左岸の橋畔には、こんな説明板も立っていました。

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こんな説明板もありました。左が上流です。字が小さくて読み難いと思いますが、
右から4つ目が、「五条大橋」(赤字で表示)です。

 「五条大橋」は、1959年に架けられました。長さは 67.2m 幅は 35m(最大)です。027a_20191211202701

左岸・下流側から見ています。

 次回に続きます。

 

 

 

2019年12月17日 (火)

鴨川の橋を辿って歩く(1)

 秋の日の半日、老人クラブの歩きの会で、
「鴨川に架かる橋」を辿って河川敷を歩きました。
 11月18日(月)のことです。
 スタートは、「丸太町橋」からです。
 河川敷が整備されているので、比較的安全に
歩くことが出来ます。

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鴨川の右岸・下流から、「丸太町橋」を見ています。堤防や橋の一部が工事中の様です。
1991年に架けられました。橋の長さは 92m、幅は 22m です。

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集合場所の様子です。参加者は毎回約800~900名位と聞いています。
京都市内の11区から集まって来ます。
午前9時45分スタート(何時も)です。担当区が先頭です。

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川の向こうに見える橋は、「琵琶湖疏水」の伏見地区に流れる分岐点です。
「疏水分線」となります。鴨川にも、一部流れ込んでいます。
その上に掛かる木造の橋です。

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「二条大橋」です。1943年に架けられました。
橋の長さは 85m 幅は 12m です。

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「御池大橋」です。1964年に架けられました。
橋の長さは、82m 幅は 29m です。市内でも道幅が広い「御池通」に架かる
橋ですから、橋幅も広いです。右に進むと「川端通」に突き当り、左右に分岐します。

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「三条大橋」です。橋の中でも最も趣きがある橋です。謂わずと知れた「東海道」
の始・終点です。橋の欄干などは、唯一木造です。
橋は、1950年に架けられました。橋の長さは、73.3m 幅は 15.5m です。

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橋の一部をアップで見ています。橋の擬宝珠には、「刀疵」があるとか。

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その下流では、鳥達の姿がありました。「ユリカモメ」?最近は数が減っているとか。

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「四条大橋」ですが、見たいものがあって、上流側から見ています。
見たいものとは、真ん中から左寄りの建物です。芝居小屋「南座」です。
最近耐震工事が終わってリニューアルされました。
この日は、「年末恒例・顔見世興行」が催されていました。

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下流側から、アップで見ています。

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「四条大橋」は、1942年に架けられました。
橋の長さは、 64.8m 幅は 24m あります。

 次回に続きます。

2019年12月15日 (日)

京都府園部の町へ(2)

 前回の続きです。
 園部藩では、当初は「陣屋」でした。
 幕府に城の造営を願っていた様ですが、中々許されず
大政奉還後、明治新政府になって漸く築城の許可が下り、
完成したのは、明治2年(1869)のことでした。
 まさに日本最後の「近世」城郭となりました。
 しかし、明治4年には廃藩置県により「園部藩」は無くなり、
翌5年には、建物は払下げになって仕舞いました。
 現在残っている城郭は、城門と巽櫓と番所(城門横)だけです。

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城門前の様子です。

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「城門」です。現在は、「京都府立園部高校」の校門になっています。奥に見える
建物は、校舎です。

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「城門」を内側から見ています。右手に少し見えているのは、「番所」です。

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もう1つ残っているのが、この「巽櫓」です。
「城門」に向かって、左手にあります。

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立つ位置を変えて、見ています。

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「城門」の近くには、こんな紅葉が見られました。

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さらに、その右側には一寸した庭園がありました。

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同じ区域です。

 「園部藩」は、地方の小藩でしたが、明治維新まで10代に亘って維持されて来た
ことは、藩主以下藩全体で上手く運営されて来た結果ではないかと思っています。

 

2019年12月13日 (金)

京都府園部の町へ(1)

 京都府南丹市園部町へ行って来ました。
 令和元年11月26日(火)のことです。
 行った動機は、南丹市文化博物館で催されている展覧会と、
その近くにある「園部城跡」を見る為でした。
 ①展覧会は、「園部藩の歴史と文化」と言うものです。
 ②日本最後の「近世」城郭と言われる「園部城跡」を見ること。
でした。
 ①展覧会は、勿論写真は撮れませんので、文章で表現したいと
思います。
 ◆園部藩は、元和5年(1619)、但馬国出石藩主だった「小出
吉親」が、丹波国船井郡を中心とする所領へ転封となったことに
より成立した藩です。明治期の廃藩置県まで、約250年間存続
しました。10代続きました。
 ◆展示は、
  (1)園部藩の成立 (2)園部藩主小出氏 (3)園部藩政の展開
  (4)園部藩の町と村 (5)幕末維新と園部藩 (6)園部藩の終焉とその後
と言うもので、博物館所蔵の品を中心に、個人蔵も多数あり展示されていました。
 見応えがありました。

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左は、今回の展覧会のパンフレットです。
人物像は、左が園部藩初代藩主・小出吉親像、その右はその夫人像です。
右は、当日購入した図録(平成20年度・秋季特別展)です。展覧会の内容はほぼ
同じものでした。

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南丹市立文化博物館の外観です。1階が図書館に、2階が博物館になっています。

 ◆小出氏は、当初は豊臣秀吉に近かった様です。関ケ原の合戦では、身内で
東西に分かれて戦った様ですが、東軍に付いた身内が上手く執成して徳川に認められ、
約3万石の小藩の外様大名として江戸時代を生きたとのこと。

 展覧会を見た後は、近くにある「園部城跡」へ行きました。

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博物館の傍に建っている「南丹市立国際交流会館」です。始めはこれが城跡かなと
思って仕舞いました。

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近くには、こんな幟が立っていました。

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会館と城跡の間は広場になっていて、美しい紅葉が見られました。

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こんなに大きな石造物もありました。「きつつき」でしょうか?

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昔の「園部大橋」の親柱が移築されていました。

 次回に続きます。

 


2019年10月25日 (金)

琵琶湖疏水の一部を歩く(2)

 前回の続きです。
 「琵琶湖疏水」の京都側の始点、「蹴上」にいます。
 集合場所の「疏水公園」内をうろついています。

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前回と同じ場所から、疏水の出口辺りを見ています。
向こうの真ん中辺りに見える?のは、最近有名になった「疏水観光船」です。
あの辺りが、乗・下船場です。

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いよいよ歩き始めました。「第1疏水」沿いに歩きます。「第2疏水」もありますが、
全てトンネル内です。トンネルの出口の上に掲げられている「扁額」は、良く見えませんが、
「美哉山河」(うるわしきかな さんが) 三条 実美(筆)によるものです。

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所々に、こんな説明板が立てられています。

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「第3トンネル」(先程のトンネルの東口)と思います。

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確か「本邦最初のコンクリート橋」と思ったのですが、標識が見当たりませんでした。
違ったかな?

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やっと「疏水の流れ」に出会うことが出来ました。結構流れは早い様に思いました。
静かな佇まいの中を、音も無く静かに流れていました。

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水面には、岸辺の木々が映っています。

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「本圀寺」への参道の赤い橋が、唯一の色彩を放っています。

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疏水は山の裾に沿って造られていますので、結構カーブが多いです。

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古刹「安祥寺」が、対岸に見えます。

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「諸羽トンネル」です。520mあり、向こうが見えます。昭和45年完成の新しい
トンネルです。

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疏水から離れて、地上に下りて来ました。
ゴールに近い「諸羽神社」です。
約5.5Kmの歩きでした。雨は降ったり止んだりしていました。
快い疲れで、ゴールの「JR山科駅地下道入口」に到着です。
所要時間は、約1時間30分でした。

 

2019年10月24日 (木)

琵琶湖疏水の一部を歩く(1)

 「久し振り」の言葉を頻発しますが、最近多いです。
 如何に、今までサボっていたかですね。

 本当に、久し振りに「琵琶湖疏水」の極く一部を歩きました。
 極く一部と言うのは、蹴上から山科までです。
 全部と言えば、大津から蹴上まで、更にその先は伏見や松ケ崎まで
達します。
 老人クラブの歩きの会です。以前は「或る会」とか言ってましたが・・・。

 スタートから雨降りでした。

 集合場所は、疏水の西の端(一応)にある「疏水公園」でした。
 ここには、疏水開通時やその後の歴史的な事物が残されて
います。出発までの少しの時間、近くを歩きまわって見ました。

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こんなのがあるのは、初めて知りました。

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ここが、その貯水池の様です。
資料によると、本願寺への水道(疏水利用)が出来たのは、明治28年から30年位とのこと。
本願寺以外にも、御所にも水道は通っていました。

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その近くには、こんなお地蔵さんがいました。

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その説明駒札です。

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地元新聞の記事にもなっている様です。

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改めて、お地蔵さんのお顔をアップで見ました。

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こんな碑もありました。
疏水の工事で殉職した17名の方の死を悼む碑です。 
工事の責任者だった「田邊 朔郎」が自ら建てたものだそうです。

  「一身殉事 万戸霑恩」  いっしんことにじゅんじ ばんこおんにうるおう

 明治35年5月18日に建立されました。

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「インクライン」の台車です。船が載っています。

 雨が降り続いています。
 次回に続きます。

 

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