カテゴリー「地域歴史」の175件の記事

2019年12月15日 (日)

京都府園部の町へ(2)

 前回の続きです。
 園部藩では、当初は「陣屋」でした。
 幕府に城の造営を願っていた様ですが、中々許されず
大政奉還後、明治新政府になって漸く築城の許可が下り、
完成したのは、明治2年(1869)のことでした。
 まさに日本最後の「近世」城郭となりました。
 しかし、明治4年には廃藩置県により「園部藩」は無くなり、
翌5年には、建物は払下げになって仕舞いました。
 現在残っている城郭は、城門と巽櫓と番所(城門横)だけです。

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城門前の様子です。

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「城門」です。現在は、「京都府立園部高校」の校門になっています。奥に見える
建物は、校舎です。

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「城門」を内側から見ています。右手に少し見えているのは、「番所」です。

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もう1つ残っているのが、この「巽櫓」です。
「城門」に向かって、左手にあります。

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立つ位置を変えて、見ています。

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「城門」の近くには、こんな紅葉が見られました。

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さらに、その右側には一寸した庭園がありました。

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同じ区域です。

 「園部藩」は、地方の小藩でしたが、明治維新まで10代に亘って維持されて来た
ことは、藩主以下藩全体で上手く運営されて来た結果ではないかと思っています。

 

2019年12月13日 (金)

京都府園部の町へ(1)

 京都府南丹市園部町へ行って来ました。
 令和元年11月26日(火)のことです。
 行った動機は、南丹市文化博物館で催されている展覧会と、
その近くにある「園部城跡」を見る為でした。
 ①展覧会は、「園部藩の歴史と文化」と言うものです。
 ②日本最後の「近世」城郭と言われる「園部城跡」を見ること。
でした。
 ①展覧会は、勿論写真は撮れませんので、文章で表現したいと
思います。
 ◆園部藩は、元和5年(1619)、但馬国出石藩主だった「小出
吉親」が、丹波国船井郡を中心とする所領へ転封となったことに
より成立した藩です。明治期の廃藩置県まで、約250年間存続
しました。10代続きました。
 ◆展示は、
  (1)園部藩の成立 (2)園部藩主小出氏 (3)園部藩政の展開
  (4)園部藩の町と村 (5)幕末維新と園部藩 (6)園部藩の終焉とその後
と言うもので、博物館所蔵の品を中心に、個人蔵も多数あり展示されていました。
 見応えがありました。

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左は、今回の展覧会のパンフレットです。
人物像は、左が園部藩初代藩主・小出吉親像、その右はその夫人像です。
右は、当日購入した図録(平成20年度・秋季特別展)です。展覧会の内容はほぼ
同じものでした。

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南丹市立文化博物館の外観です。1階が図書館に、2階が博物館になっています。

 ◆小出氏は、当初は豊臣秀吉に近かった様です。関ケ原の合戦では、身内で
東西に分かれて戦った様ですが、東軍に付いた身内が上手く執成して徳川に認められ、
約3万石の小藩の外様大名として江戸時代を生きたとのこと。

 展覧会を見た後は、近くにある「園部城跡」へ行きました。

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博物館の傍に建っている「南丹市立国際交流会館」です。始めはこれが城跡かなと
思って仕舞いました。

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近くには、こんな幟が立っていました。

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会館と城跡の間は広場になっていて、美しい紅葉が見られました。

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こんなに大きな石造物もありました。「きつつき」でしょうか?

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昔の「園部大橋」の親柱が移築されていました。

 次回に続きます。

 


2019年10月25日 (金)

琵琶湖疏水の一部を歩く(2)

 前回の続きです。
 「琵琶湖疏水」の京都側の始点、「蹴上」にいます。
 集合場所の「疏水公園」内をうろついています。

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前回と同じ場所から、疏水の出口辺りを見ています。
向こうの真ん中辺りに見える?のは、最近有名になった「疏水観光船」です。
あの辺りが、乗・下船場です。

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いよいよ歩き始めました。「第1疏水」沿いに歩きます。「第2疏水」もありますが、
全てトンネル内です。トンネルの出口の上に掲げられている「扁額」は、良く見えませんが、
「美哉山河」(うるわしきかな さんが) 三条 実美(筆)によるものです。

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所々に、こんな説明板が立てられています。

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「第3トンネル」(先程のトンネルの東口)と思います。

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確か「本邦最初のコンクリート橋」と思ったのですが、標識が見当たりませんでした。
違ったかな?

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やっと「疏水の流れ」に出会うことが出来ました。結構流れは早い様に思いました。
静かな佇まいの中を、音も無く静かに流れていました。

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水面には、岸辺の木々が映っています。

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「本圀寺」への参道の赤い橋が、唯一の色彩を放っています。

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疏水は山の裾に沿って造られていますので、結構カーブが多いです。

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古刹「安祥寺」が、対岸に見えます。

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「諸羽トンネル」です。520mあり、向こうが見えます。昭和45年完成の新しい
トンネルです。

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疏水から離れて、地上に下りて来ました。
ゴールに近い「諸羽神社」です。
約5.5Kmの歩きでした。雨は降ったり止んだりしていました。
快い疲れで、ゴールの「JR山科駅地下道入口」に到着です。
所要時間は、約1時間30分でした。

 

2019年10月24日 (木)

琵琶湖疏水の一部を歩く(1)

 「久し振り」の言葉を頻発しますが、最近多いです。
 如何に、今までサボっていたかですね。

 本当に、久し振りに「琵琶湖疏水」の極く一部を歩きました。
 極く一部と言うのは、蹴上から山科までです。
 全部と言えば、大津から蹴上まで、更にその先は伏見や松ケ崎まで
達します。
 老人クラブの歩きの会です。以前は「或る会」とか言ってましたが・・・。

 スタートから雨降りでした。

 集合場所は、疏水の西の端(一応)にある「疏水公園」でした。
 ここには、疏水開通時やその後の歴史的な事物が残されて
います。出発までの少しの時間、近くを歩きまわって見ました。

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こんなのがあるのは、初めて知りました。

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ここが、その貯水池の様です。
資料によると、本願寺への水道(疏水利用)が出来たのは、明治28年から30年位とのこと。
本願寺以外にも、御所にも水道は通っていました。

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その近くには、こんなお地蔵さんがいました。

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その説明駒札です。

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地元新聞の記事にもなっている様です。

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改めて、お地蔵さんのお顔をアップで見ました。

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こんな碑もありました。
疏水の工事で殉職した17名の方の死を悼む碑です。 
工事の責任者だった「田邊 朔郎」が自ら建てたものだそうです。

  「一身殉事 万戸霑恩」  いっしんことにじゅんじ ばんこおんにうるおう

 明治35年5月18日に建立されました。

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「インクライン」の台車です。船が載っています。

 雨が降り続いています。
 次回に続きます。

 

2019年10月 6日 (日)

平安宮史跡の番外編

 「平安宮」史跡の番外編として、「平安神宮」の社殿が
復元建物として、今に見ることが出来ます。
 それは、平安神宮の「楼門」の「応天門」と、「外拝殿」の
「大極殿」です。
 先日の「神苑の一般公開」の時に、撮影して来ました。

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「応天門」を模した「楼門」です。応天門は、平安宮(大内裏)の朝堂院の正門でした。
実物の約八分の五に縮小して造られています。

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裏側から見ています。

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こちらは、「大極殿」を、実物の約八分の五に縮小して造られた「外拝殿」です。
八分の八(実物の100%)を想像すると、その大きさに驚きです。
「大極殿」は、「朝堂院」の正殿でした。

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少し斜めから見ています。

 どちらの建物も、平安奠都1100年記念に、明治28年(1895年)に建てられました。

2019年9月24日 (火)

平安宮内の史跡を辿る(5)

 前回の続きです。最終回です。
 「平安宮」内のうち、「内裏」内の史跡を辿って、
「下立売通」を西から東に向かって歩いています。

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進行方向右手(南側)にある史跡です。

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「承明門」跡です。内裏の正門です。門をくぐったその先には、「紫宸殿」が
あります。今の京都御所と同じ配置です。

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その反対側(北側)には、「紫宸殿」跡の説明板が民家の軒先に掲げられていました。

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さらに、その先にも「内裏」跡の説明板がありました。

「内裏」は、何度も焼失したそうですが、安貞元年(1227)の焼失以降は再建される
ことなく、「里内裏」(主に摂関家の邸宅内に設けられた仮りの内裏)が皇居となったとのことです。

 さらにその先に進むと、北側にある「山中油店」の東寄りには、

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内裏外の「一本御書所」跡があります。

下立売通での史跡巡りを終えて、「京都アスニー」に向かいました。

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「京都アスニー」には、「平安宮造酒司倉庫」跡があります。

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その石碑です。ここでは、内裏に納める酒や甘酒や酢などを醸造していたそうです。

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「京都アスニー」の正面玄関前には、この様なものが見られます。
これは、「造酒司倉庫」跡の柱穴を示したものだそうです。

 折角ここまで来たのですから、「京都アスニー」の中に入りました。
 以前は良く出入りしていましたが、最近はご無沙汰しています。

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入って左手には、「京都市平安京創生館」が展開しています。
見える壁画は、源氏物語の中の「車争い」の場面です。

展示スペースの中に入って見ました。

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平安京の全景復元模型です。東南角から眺めています。
縮尺1000分の1の復元模型で、我が国最大級の歴史都市の復元模型だそうです。
平安京の研究者の総力を結集して造られたそうです。
「朱雀大路」は、左手に左右に平坦地(東寺と西寺)の真ん中を通って右斜めに通じて
いますが、小さくて良く見えませんね。
ここから真っ直ぐ先に見える山は、多分「愛宕山」だと思います。

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「豊楽殿」の復元模型も、ここで見られます。20分の1の模型だそうです。

 まだまだ訪ねられていないところがありますが、主なところは辿れたと思っています。

 次は、「平安京」の外周を歩いて見たいと考えていますが、体力が心配です。

2019年9月22日 (日)

平安宮内の史跡を辿る(4)

 前回の続きです。
 発掘調査によってその存在が確認された「平安宮」内の史跡を
辿って歩いています。
 「朝堂院・大極殿」と「豊楽院・豊楽殿」とを見て来ましたが、
今回は、「内裏」の史跡を見て回りました。
 主に、千本通より東、丸太町通より北の地域に点在しています。
 最近も発掘調査の結果が、地元新聞に掲載されました。
 内裏の内郭回廊跡の地下を通る「排水溝」が発見されたとのことです。
切石や河原石を使って、丁寧に造られているたそうです。
 場所は、土屋町通下立売下ル付近です。

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「内裏内郭回廊跡」です。説明板によれば、昭和49年4月 平安博物館とありますので
少し古い時代の発掘調査によるものと思われます。
お地蔵さん?が祀られているのは、如何にも京都らしい感じがします。

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その場所の説明板です。「平安博物館」は、今も「京都文化博物館」内にあったと
思います。

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(またまた写真がダブッて仕舞ました)

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こちらは最近の説明板です。

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その場所のほぼ全景です。東北角から見渡しています。
冒頭の記事の場所も、ここではないかと思います。

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ほぼ真ん中に置かれた石碑です。

「下立売通」を東に向かって歩いています。

やがて北側にあったのが、この史跡です。

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「蔵人」とは、元は天皇や皇室の蔵の管理人だったのが、後に天皇の側近になった様です。
そんな人達が住んでいた場所です。

 次回も続きます。

 

 

 

 

 

2019年9月20日 (金)

平安宮内の史跡を辿る(3)

 前回の続きです。
 今回は、千丸交差点の西南にある「豊楽院」跡を訪ねます。
 丸太町通の1つ南の通りにあります。千本通を西に行くか
七本松通を東に行くかです。

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千本通を西に向かって歩くと、こんな光景のところに来ます。史跡は道の両側にあります。

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先ず左側から見ます。豊楽院の正殿が「豊楽殿」です。豊楽殿は、国家的饗宴の場です。

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変色していて殆ど読めませんが、説明板です。

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史跡を東北角か見ています。

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史跡の真ん中辺りを見ています。

 次に、北側の史跡を見ますと、

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こちらは南側より後に発掘調査されました。「平安宮跡豊楽院跡」と刻まれています。

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説明板ですが、図の下側が、史跡の南の部分、上側が今見ているところです。

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史跡の全景を、東南角辺りから見ています。
低い石碑が奥(左手)の方と、手前に見えます。

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奥にあった方がこれです。「清暑堂」とは、天皇の控えの間です。

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手前側の石碑です。表示の通りです。豊楽殿の大きかったことが、良く判りました。

 次回も続きます。次回は、「内裏跡」の史跡を訪ねます。

2019年9月18日 (水)

平安宮内の史跡を辿る(2)

 前回の続きです。
 千本丸太町付近の「平安宮」内の「朝堂院・大極殿」跡を
辿りつつ歩いています。
 千丸交差点から、少し北西に来ました。千本丸太町の北行きのBS前です。

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西側にある食堂の北隣には、こんな大きな石碑が立っています。

その右手の細い道に入ります。そこは、「内野公園」と言います。

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そこの配置図が示されています。左手に「千本通」と書いていあるところから入って来た
わけです。そして、赤字で「現在地」と書いてあるところに立っています。
右手(西方向)に進みますと、

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直ぐに、この大きな石碑が見えます。

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石碑の真正面に立っています。
平安遷都1100年(明治28年)に建てられたとか。

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少し西寄りから見ています。

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ここには、2つの説明板が立っています。

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もう1つの説明板です。

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内野公園の西から東の千本通を見ています。丁度市バスが停車しています。
千本丸太町の北行きのBSです。
内野公園は、最近整備されて、すっきりとしました。

 次回も続きます。次回は、「豊楽院」跡に行きます。

 

 

2019年9月16日 (月)

平安宮内の史跡を辿る(1)

 先日来は、「平安京」の中心部の「平安宮」の外周を歩きましたが、
今回は、「平安宮」の内部の「史跡」を辿って歩きます。
 発掘調査で多くの史跡が見られますが、その主なものについて
ご紹介したいと思います。
 宮内の施設の中で重要なものとしては、
  「内裏」 天皇の居所  「朝堂院・大極殿」 政の場  「豊楽院」 饗宴の場
 などが挙げられるかと思います。

 今回は、それらの史跡を巡ります。

 先ず、政(まつりごと)の場 「朝堂院・大極殿」関係の史跡から、
ご紹介します。これらの史跡は、千本通丸太町(所謂 千丸)付近に集まっています。

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その「千丸」交差点の様子です。東南角から見ています。
斜め上下が「千本通」=平安京の主通り「朱雀大路」です。左右が「丸太町通」です。
各角の歩行路には、平安京や平安宮に関する説明板が設置されています(但し北東角
にはありません)。

東南角には、この様なものが見られます。

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この付近の観光案内図です。見難いかも分かりませんが、真ん中の赤い四角が
現在地点の「千丸」です。赤い線で囲まれたところが「平安宮」です。
右下の四角は「二条城」です。ほぼ真ん中を上下に通っているのが「千本通」=「朱雀大路」
です。鉄
道線路は、「JRさがの線」です。左方向が「嵯峨嵐山駅」、下の方向は「二条駅~京都駅」
になります。

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上と同じ場所には、こんな図も見られます。「平安宮」の復元図です。
中央が「朝堂院」と、その奥に「大極殿」があり、その右上には「内裏」が、
朝堂院の左手には「豊楽院」があります。
平安宮の北(上)には「一条大路」が通っています。

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さらに、同じ場所には「朝堂院」跡についての、こんな説明板も見られます。

「千本通」を西に渡って、千丸交差点の南西部に来ますと、

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「平安宮」跡の、こんな説明板があります。

ここから、「丸太町通」を北に渡ると、西寄りには

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(何故か同じ写真が出て仕舞いましたが)工事中の「りそな銀行千本支店」の東南角にこんな石碑が建っています。
「朝堂院跡」とあり、「平安博物館」が建てられたやや古い史跡表示の石碑です。

千丸交差点の北西角にも、多くの史跡表示が見られます。

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先ず「大極殿」跡の説明板です。丁寧な説明がされています。

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こんな色彩付きの「大極殿」での「朝賀」の図です。

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地面には、ここに「大極殿」があったであろう表示も見られます。
向こうに見える道路は、「丸太町通」です。
ここに、大極殿を模して、8分の5の大きさで建てられた平安神宮の外拝殿より
大きな建物が建っていたとは、想像しきれません。

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近くで撮りました。人影は、私です。

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その近くの「千本通」の道端にも、こんな石碑が見られます。

 次回に続きます。

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