カテゴリー「旅行」の121件の記事

2019年3月 9日 (土)

紀州の旅(4)紀伊田辺市内-2

 前回の続きです。
 「紀伊田辺市内」の古きを訪ねて歩いています。
 そんな雰囲気が残っていると言う「南方熊楠旧宅」に向かいました。

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その近くに来ました。趣のある土塀がありました。目的地は、この先です。

ここには、南方熊楠の旧居とその顕彰館とがあります。
こちらは旧宅の本屋とその玄関です。彼は後半生ここに住んだとのことです。

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旧宅の主屋の玄関前です。質素な建物と見ました。

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玄関脇には、こんな表示がありました。

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主屋(右)と小屋(左)との間を覗いて見ました。

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裏の駐車場から見た建物群です。主屋は屋根の天辺が少し見えます。その手前は土蔵ででしょうか。

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旧宅の右側には、「南方熊楠顕彰館」が建てられています。ユニークな建物と見えました。

 旧宅前から海岸方向に向かって歩きました。

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暫く歩くと見えて来たのが、この邸宅でした。
「脇村義太郎」邸です。1900年生まれ、1997年死去された、経済学者です。
田辺市生まれ。日本学士院院長、文化功労者など。

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玄関は左手にあり、右手の奥行きを見ています。

 海岸に出ました。

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「扇ケ浜公園」や「海水浴場」です。海は「田辺湾」です。

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漁港もありました。見える橋は、「田辺大橋」です。

この辺りには、田辺市役所や文化会館などがありました。

その近くにあったのが

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これでした。

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草叢を掻き分けて見付けました。

 この後、「田辺大通り」を通って、JR紀伊田辺駅に向かいました。

 ◆限られた時間内で、紀伊田辺市内の古い町並みを見たいと思ったが、予め駅近くの観光案内所で聞いた範囲でも余り期待出来る所は無い様に感じたし、教えられた場所も以上でご紹介した程度でした。

 ◆城下町と言われているが、城は維新後取り壊され、残っているの「田辺城水門跡」だけとのことで、見学はしなかった。

 ◆田辺市が観光に力を入れているのは、熊野古道を中心にした「紀伊山地の霊場と参詣道」の世界遺産部分の様です。

 ◆江戸時代、紀州藩主徳川頼宣の執政家老安藤直次のもと、3万8千石の城下町として栄えた様だが、現在その面影は全く無かったと思う。

 ◆田辺市ゆかりの有名人物は、武蔵坊弁慶 南方熊楠 植芝盛平(合気道の創始者)
山本玄峰(禅僧) が挙げられています。

 















2019年3月 7日 (木)

紀州の旅(4)紀伊田辺市内-1

 前回の続きです。
 旅の2日目は、時間の許す限り「紀伊田辺市内」を歩きます。
 JR紀伊田辺駅前の観光案内所で、観光のアドバイスを戴きました。
 市内の古い町並みが希望です。

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宿の窓から見た、朝の景色です。やはり朝の景色、すっきりしていました。
午前7時33分の朝景です。

宿から送迎バスで、JR紀伊田辺駅まで送って戴き、駅前からスタートしました。

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JR紀伊田辺駅の駅舎です。お洒落ですね。

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駅前には、この地で生まれた「武蔵坊弁慶」の銅像がありました。

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顔の部分をアップで見ました。イケメンですね。

 先ず市内の名所の1つ、「闘鶏神社」に向かいました。

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石の鳥居を通して、境内を望みます。右手が社殿です。

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その社殿群です。

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拝殿正面です。

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武蔵坊弁慶(左)と、その父・熊野別当湛増(右)の像です。

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境内には、こんな「闘鶏」像が見られました。
「闘鶏神社」の名前の由来は、平安時代に源平いずれに味方するかを決めるため紅白の鶏を社前で戦わせたことに由来するそうです。結果は白が勝ち、源氏に味方しました。
ご存じの様に、弁慶は最後まで主人の「源 義経」に従いました。

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境内には、その弁慶を祀った「弁慶社」もありました。

 次回に続きます。市内巡りが続きます。


















2019年3月 5日 (火)

紀州の旅(3)かんぽの宿 紀伊田辺

 前回の続きです。
 JR紀勢本線の紀伊田辺駅から、タクシーで「かんぽの宿・紀伊田辺」に着きました。
 今夜の宿は、ここです。

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全室オーシャンビューが、この宿の自慢です。部屋の窓から見た「芳養湾」(田辺湾ではなく)の夕景です。手前に見えるのは「元島」と言う小島の一部、右手に見える陸地は「南部」(みなべ)辺りか? 午後5時前の様子です。

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それから約20分後、つるべ落としの秋の夕暮は、景色の変化も早いです。

 ゆっくりとお風呂で体を暖めてから、お楽しみの夕食を戴きました。
 お料理は、「料理長こだわりの特選プラン」です。

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前菜 季節の前菜 です。

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造り お造り五種盛り です。

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吸物替り 松茸土瓶蒸し です。

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小鍋 熊野牛しゃぶしゃぶ です。

お凌ぎ 中トロにぎり 2つも。

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焚合せ 秋の吹寄せ煮 です。

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焼物 熊野牛鉄板焼 です。

 後 ご飯・赤だし・香の物などを戴き、デザートのフルーツです。

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 どれも大変美味しく、お腹も満腹 大満足でした。

 次回に続きます。明日は紀伊田辺市内を観光の予定です。






2019年2月21日 (木)

紀州の旅(2)紀伊田辺へ

 前回の続きです。
 「重伝建・湯浅町」を堪能した後は、今夜の宿の紀伊田辺へ向かいました。
 湯浅駅は特急が停車しない時があるので、停車駅の御坊駅まで行き、そこから特急に乗りました。偶々乗った特急が、「パンダ号」でした。
 車内や車体の外観を、ご紹介しましょう。

 先ず、車内の様子から。

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車内の自動開閉式の扉には、パンダが3頭が見えます。

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座席の頭の部分のカバーでも。

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カバーの裏側にも。

 次に、紀伊田辺駅に着いた時に撮った車体の外観です。

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特急列車の先頭車の前面です。上手く造られていて、面白いですね。

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車体の側面の一部です。

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さらに、その先を見ました。

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パンダばかりではありません。
元は、「白浜アドベンチャーワールド」に依るもだと思われます。

 次回にも続きます。紀伊田辺が対象となります。















2019年2月19日 (火)

紀州の旅(1)湯浅町-4

 前回の続きです。
 「重伝建地区」を歩いています。その中でも、最も雰囲気がある「北町通り」を西から東に向かって歩いています。

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醤油醸造家の「角長」からスタートして、町並みを見通しています。道幅は狭いです。

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この北町通りには、これがやたら多かったです。鋏や文鎮は判りますが、万年筆?ボールペン?後は判りません。

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この辺りは、かつて醤油醸造家だった家が多い様です。

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こちらは、「盃」(さかづき)ばかりです。

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「太田久助吟製」と言うお店です。
建築年代は江戸末期頃とか。元は醤油醸造家だった様ですが、現在は「金山寺味噌」を製造販売されています。私は好きなので、お土産に買いました。

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北町通りから裏に回って見ました。「大仙堀」です。
昔、醤油の原材料や商品の積み下ろしをした内港です。
石積みの堀に建ち並ぶ醤油蔵などが独特の景観を見せています。

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こんなレトロな街燈も見られました。

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「加納家」です。大正10年の建築とか。この町の特徴が殆ど揃っています。
その時代に流行した黒漆喰仕上げの2階の壁が魅力的です。

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江戸末期の民家を改装した「北町茶屋いっぷく」です。

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そろそろ終点のこの町並みを見通しています。

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2つも並べたお宅もありました。色んな小物が飾られています。

この先に、前回ご紹介した「麹屋」や「岡正」があります。

以上で、「湯浅町伝統的建造物群保存地区」のご紹介は終わりですが、簡単にこの町の概要についてご紹介します。

◆旧市街地の北西に位置し、東西約400m 南北約280m、面積にして約6.3ヘクタールあります。
◆16世紀末期頃に開発されたと言われています。北町・鍛冶町・中町・浜町を中心とする醤油醸造業が最も盛んであった一帯。、
◆平成18年(2006)12月19日に、全国初の醤油醸造の町として、「重伝建群保存地区」に選定されました。

 この後は、JR湯浅駅から、今夜の宿がある「紀伊田辺駅」に向かいました。




























2019年2月18日 (月)

紀州の旅(1)湯浅町-3

 前回の続きです。
 「鍛冶町通り」や「北町通り」の一部を見た後、丁度お昼になったので、食べる所が生憎の定休日(この地の)だった為、中々見付かりません。醤油醸造家「角長」さんに教えて貰い、
前々回にご紹介した「しらす丼」のお店で、漸くお昼に有り付けました。
 そして、お昼の後は、「重伝建地区」の1つの通り「浜町通り」を通って、「北町通り」に向かいました。

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その入口に掲げられた表示です。

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入口近くから、北の方向を見ています。

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この通りで、目立ったお宅が少し先の建物です。「旧赤桐家」です。
明治40年の建築で、醤油醸造家の主屋です。町家建築としては最大規模を誇る、長さ5間半以上に及ぶ虫籠窓です。

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この町で多く見掛ける小形ショーウィンドー「切子格子」です。
そのお宅の家宝的な物品が展示されている様です。

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浜町通りの突き当りは、北町通りになります。
そして、突き当りのお宅は、醤油醸造家の「角長」(かどちょう)です。

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近寄って見ました。建物としての特徴は、「厨子」(つし)二階と「本瓦葺」の2つです。

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西の方向を見ています。

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反対の東方向です。手前がこのお宅の入口です。
「角長」は、天保12年(1841)の創業で、慶応2年(1866)建築の職人蔵と醤油資料館になっています。

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浜町通りを振り返って見ています。

 次回も続きます。次回は見所の「北町通り」を歩きました。























2019年2月17日 (日)

紀州の旅(1)湯浅町-2

 前回の続きです。
 湯浅町の「重伝建地区」に、漸く辿り着きました。

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先ず「重伝建地区」の地図を、ご覧戴きましょう。
最も雰囲気があったのは、「北町通り」でした。
湯浅駅から歩いて来て、最初に通ったのは、上の地図で左端の「鍛冶町通り」でした。

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案内書には特に名前は記載されてないのですが、町の雰囲気に合わせて造られている様に感じた町並みでした。

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「栖原家」住宅です。明治7年建築の醤油醸造家の主屋は、全体的な構造から細部意匠に至るまで、湯浅特有の様式をよく残しており、代表的な町家建築として位置づけされているとのことです。

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「竹林家」住宅です。長大な間口に6つの虫籠窓がずらりと並ぶ主屋は、醤油と漁網の販売を営んでいたとか。

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鍛冶町通り(左)と北町通り(右)との交点角にある「岡正」です。
最初の地図は、この左手先にありました。

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この「岡正」に掲げられた表示です。

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立ち位置を変えて、交点角を見ています。
北町通りは、突き当りを左に進みます。

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その突き当りにあるのが、「津浦家」住宅です。
かつては醸造に用いる「麹」(こうじ)の製造販売店です。主屋は、明治11年の建築とか。
この建物には、2つの特徴が見られます。
1つは、軒にある「幕板」(まくいた)です。もう1つは、中2階の「虫籠窓」の形状です。

 次回も続きます。

2019年2月16日 (土)

紀州の旅(1)湯浅町-1

 久し振りに紀州に出掛けました。
 目的は、(1)有田郡湯浅町の伝重建群地区を観る (2)田辺市内を歩く の2つでした。

 先ず、醤油の町・湯浅町の「伝重建地区」をご紹介します。私達にとって「伝重建地区」探訪は生涯のテーマと言えます。

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スタートは、ここJR勢本線・湯浅駅からです。時に特急も停車する駅です。
駅近くにある観光案内所で、「伝重建地区」などについて、教えて貰いました。

目的地に向かって歩き始めました。

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先ず始めに出合ったのが、この石碑でした。「熊野古道」が、この町を通っていて、これは「立石道標」と言います。天保9年81838)に建てられました。

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見る位置を90度変えて見ています。

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マンホールの蓋の図柄は、その町の名所や名物を端的に示していますが、お城は「湯浅城跡」を表わしています。後は魚類や蜜柑なども現わしています。

熊野古道とは、立石道標から離れて進みました。そして直ぐにあったのが「深泉寺」(しんせんじ)でした。

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お寺の正面です。西山浄土宗のお寺で、和歌山県指定文化財だそうです。

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本堂の屋根には、こんな凄い「鯱」(しゃち)が付いていました。

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山門の右手には、不思議な木がありました。
良く見ると、木の幹が捻じれているのです。自然にこんな状態になったのでしょうか?
そして、山門の左手には、

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地震と津波の記念碑です。地震や津波の恐ろしさを伝えています。

丁度お昼になったので、醤油の醸造屋の女ご主人に食堂を教えて戴き、そこでお昼を戴きました。

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ここの名物食べ物の「しらす丼」(左手)を戴きました。
右手のお蕎麦とセットになっていました。何故か「ハモ」が入っていました。
どちらも美味しかったです。

 次回も続きます。漸く「重伝建地区」に入ります。

2018年9月 5日 (水)

北陸・高岡市と五箇山へ(4)相倉集落ー4

 前回の続きです。
 この「相倉集落」には、23棟の合掌造りが現存しているそうですが、約100年~200年前のものが多く、古いものは400年前に建てられたものもあるそうです。

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そろそろこの集落の終点が近付いて来ました。

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「人形山展望所」に来ました。人形山には、悲しいお話があるそうです。

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それは、分かりづらいと思いますが、この説明板をご覧願います。
ここから引き返します。主道路を外れた道を歩きました。

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お寺です。「相念寺」と言います。お寺もこの通りです。

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永い風雪に耐えた貫録を感じます。

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お寺の前には数少ない田んぼがありました。

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お寺の並びには、お宮がありました。「地主神社」と言います。

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この辺り、家々が比較的集まっている場所でした。

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スタート地点の駐車場に戻って来て、ここでお昼のお蕎麦を戴きました。
涼しい風が吹いていました。
ゆっくりと休憩をした後、バス停に向かいました。
多分再びこの地を訪れることは無いと思いつつ・・・。

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「相倉口」のバス停から見た、付近の景色です。やはり「五箇山」は秘境だなあと感じました。

 この後、バスで「高岡駅」へ。高岡~金沢~京都と帰路に着きました。


                      ★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

こちらで、素敵な出会いがありました。
 オーストリアから来られた、若そうなご夫婦から声を掛けて頂き、英語で話すことが出来ました。
私に「何処から来られたのか?」に「京都からです」
「これからストレートに京都まで行きます。今夜は京都で泊り明日は京都見物。」
京都はこれまでも数回来られているとの事でした。
 片言英語でも結構通じて嬉しい時間でした♪











 

2018年9月 3日 (月)

北陸・高岡市と五箇山へ(4)相倉集落ー3

 前回の続きです。
 合掌造りの集落・相倉(あいのくら)の半分位まで来ました。
 ゆっくりと見させて貰っています。興味が尽きません。

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集落の真ん中を通る主道路沿いにあります。
先住民(絵図にそう書いてあります)が使っていた生活道具や農具などが展示してあるそうです。

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集落の外れから、この辺りで現道路と合流し、この先に至る「旧五箇山街道」です。今はトンネルや舗装道路が出来て通行が便利になった様ですが、昔は峠を越え、谷を渡った難所だった様です。

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道路の右側にある「宿・なかや」です。こちらも右側にあります。

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こちらは、左手の少し低いところにある「伝統産業館」です。
五箇山の伝統産業の和紙や塩硝に関する資料などが展示されています。

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普通の民家の様です。

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こちらも同様です。

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こちらは立派なお宅です。絵図には(窪田家)とのみあります。
この集落の有力者だったのでは?と思います。
道路から少し入ったところにあります。「旧五箇山街道」沿いです。

 次回も続きます(最終回)。

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