カテゴリー「旅行」の113件の記事

2018年9月 5日 (水)

北陸・高岡市と五箇山へ(4)相倉集落ー4

 前回の続きです。
 この「相倉集落」には、23棟の合掌造りが現存しているそうですが、約100年~200年前のものが多く、古いものは400年前に建てられたものもあるそうです。

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そろそろこの集落の終点が近付いて来ました。

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「人形山展望所」に来ました。人形山には、悲しいお話があるそうです。

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それは、分かりづらいと思いますが、この説明板をご覧願います。
ここから引き返します。主道路を外れた道を歩きました。

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お寺です。「相念寺」と言います。お寺もこの通りです。

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永い風雪に耐えた貫録を感じます。

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お寺の前には数少ない田んぼがありました。

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お寺の並びには、お宮がありました。「地主神社」と言います。

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この辺り、家々が比較的集まっている場所でした。

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スタート地点の駐車場に戻って来て、ここでお昼のお蕎麦を戴きました。
涼しい風が吹いていました。
ゆっくりと休憩をした後、バス停に向かいました。
多分再びこの地を訪れることは無いと思いつつ・・・。

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「相倉口」のバス停から見た、付近の景色です。やはり「五箇山」は秘境だなあと感じました。

 この後、バスで「高岡駅」へ。高岡~金沢~京都と帰路に着きました。


                      ★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

こちらで、素敵な出会いがありました。
 オーストリアから来られた、若そうなご夫婦から声を掛けて頂き、英語で話すことが出来ました。
私に「何処から来られたのか?」に「京都からです」
「これからストレートに京都まで行きます。今夜は京都で泊り明日は京都見物。」
京都はこれまでも数回来られているとの事でした。
 片言英語でも結構通じて嬉しい時間でした♪











 

2018年9月 3日 (月)

北陸・高岡市と五箇山へ(4)相倉集落ー3

 前回の続きです。
 合掌造りの集落・相倉(あいのくら)の半分位まで来ました。
 ゆっくりと見させて貰っています。興味が尽きません。

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集落の真ん中を通る主道路沿いにあります。
先住民(絵図にそう書いてあります)が使っていた生活道具や農具などが展示してあるそうです。

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集落の外れから、この辺りで現道路と合流し、この先に至る「旧五箇山街道」です。今はトンネルや舗装道路が出来て通行が便利になった様ですが、昔は峠を越え、谷を渡った難所だった様です。

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道路の右側にある「宿・なかや」です。こちらも右側にあります。

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こちらは、左手の少し低いところにある「伝統産業館」です。
五箇山の伝統産業の和紙や塩硝に関する資料などが展示されています。

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普通の民家の様です。

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こちらも同様です。

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こちらは立派なお宅です。絵図には(窪田家)とのみあります。
この集落の有力者だったのでは?と思います。
道路から少し入ったところにあります。「旧五箇山街道」沿いです。

 次回も続きます(最終回)。

2018年9月 1日 (土)

北陸・高岡市と五箇山へ(4)相倉集落ー2

 前回の続きです。
 「世界遺産・五箇山」の相倉集落の中を歩いています。
 静かな落ち着いた雰囲気です。日本の原風景の1つと言えるでしょう。

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運良くと言うか、ちょうど屋根の葺き替えの場面に出合いました。
資料によりますと、屋根の葺き替えは15~20年毎に行われるそうで、工事は森林組合が中心になってされているとか。

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実は、最初に見たのが、この場面でした。右側は既に葺き替えが終わっているのでしょうか。

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左側も、半分近く終わっている感じです。

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トラックには、これから使う茅が積まれていました。
葺き替えが行われていたのは、進行方向右手のお宅でした。

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前回にご紹介した「宿・五ヨ門」の正面近くに来ました。

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正面玄関の様子です。

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近くの「宿め与茂四郎」(左手)と、右手は何やら気になる建物です。

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その奥にあるお宅です。

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右手の建物が、先に「何やら気になる」とした建物です。
貰った絵図には、「西方道場」と書いてあります。
普通の民家より、小振りの建物です。

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「宿・与茂四郎」の向いには、この様な「原始合掌造り」がありました。

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その説明板です。

 集落の半分位まで来ました。次回に続きます。

2018年8月30日 (木)

北陸・高岡市と五箇山へ(4)相倉集落ー1

前回の続きです。
 今回の旅の第1日目の「高岡市内の観光」を終え、第2日目は世界遺産の「五箇山」の内、「相倉集落」を訪ねました。時間の都合で、もう1か所の「菅沼」には行きませんでした。
 高岡駅前から世界遺産バス」が出ていて、白川郷まで行っています。私達は、途中の「相倉口」で下車し、「相倉集落」(あいのくら・しゅうらく)に向かいました。
 相倉口までは約1時間20分でした。集落までは、ややきつい坂道を約10分程歩きます。

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集落の入口は、広い駐車場になっています。そこには、2基の石碑が置かれていました。こちらは、国指定史跡の記念碑です。

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こちらは、世界遺産登録記念碑です。

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こんな説明板もありました。

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こんな見事な写真も。一斉放水の様子です。何しろ萱葺屋根ですから、燃え易いです。皆さん防火に気を付けておられることでしょう。
京都府南丹市美山でも、同じ様です。

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駐車場から、集落の一部を見渡しています。
いよいよ、集落の中に入って行きます。

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集落の真ん中を通るメインロードを進みます。進行方向左手の家々です。

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こちらも左手にありました。少し低い所に建っています。

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道の分岐の角の宿「庄七」です。右の道がメインロードです。

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右手前は、茶店・土産店の「まつや」、その奥は、宿の「五ヨ門」です。
集落の真ん中を通る主道路の3分の1位進んだところです。

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その付近の左側の家々です。

 次回も続きます。

2018年8月28日 (火)

北陸・高岡市と五箇山へ(3)市内ー2

前回の続きです。
 高岡市内を歩いています。
 土蔵造りの町・山町筋から、「高岡大仏」へ向かいました。
 その前に、「重伝建地区・金屋町」に行く途中で出合ったのは、これでした。

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昭和通りを進んで行くと、千保川(せんぽがわ)に架かる「鳳鳴橋」(ほうめいばし)の真ん中には、こんな像がありました。橋の両側にありました。鳳凰が羽ばたいています。

日本三大仏の「高岡大仏」に向かいました。

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高岡市指定文化財 銅造阿弥陀如来坐像です。

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近付いて見ました。
始まりは、およそ800年前と謂われています。その後の度々の大火に遭い、その度に再建されました。その後の経年変化もあり、直近では平成19年に大修理が行われたそうです。

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大仏様の各サイズです。

その後、「高岡古城公園」(高岡城跡)に向かいました。
かなり草臥れて来ました。

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駐春橋(左下の赤い手摺り)上から見た「外濠」?の様子です。

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続いて、もう1つの濠(内濠?)の様子です。

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直進した突き当りには、「射水神社」があります。
明治8年(1875)に、二上山麓にあった射水神社が遷座して、建てられたものです。
ここを左折して、「本丸跡」に向かいました。

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案内の道標です。

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広々とした「本丸跡」です。

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近くに展示されていたものです。

 漸く高岡市内の観光を終え、今夜の宿の「ホテル ニューオータニ高岡」に向かいました。
 明日は、今回のもう1の「重伝建地区・五箇山」に行きます。
 次回に続きます。




2018年8月26日 (日)

北陸・高岡市と五箇山へ(3)市内ー1

 前回の続きです。
 高岡市内の「重伝建地区」の2か所(金屋町と山町筋)をご紹介しましたが、それ以外の高尾市内の名所などを、今回はご紹介したいと思います。

先ず高岡市内の玄関口「高岡駅」です。

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実は、この駅はJRではないのです。金沢駅からは「あいの風とやま鉄道」と言う別会社の鉄道になっています。北陸新幹線開通時に変わったのではないかと思いました。こちらは、古城公園口(北口)です。

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2階のコーンコースです。改札口から南口(瑞龍寺口)を見ています。
なお、北陸新幹線の「JR新高岡駅」は、ここからバスで5分位の所にあります。
先ず観光の手始めに、南口・瑞龍寺口から歩いて10分程の「瑞龍寺」に行くことにしました。

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参道の途中にあった「加賀藩・2代藩主・前田利長」公の像がありました。
利長は、ここ高岡を開いた方で、初代藩主・利家と妻まつとの間に生まれた長男でした。

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瑞龍寺の前まで来ましたが、良く見ると山門の奥の建物は工事中の様で、中には入りませんでした。

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ご覧の通りです。ここは、利長の菩提所で、利長の異母弟・3代藩主・利常が建てたものです。国宝です。観たかったのですが・・・。

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入口の近くでは、こんな看板がありました。ここから少し離れた所にある様で、行かずに元来た道を戻って、北口の方に行きました。

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北口の駅前には、こんな像がありました。「大伴家持」などの像です。
奈良時代、伏木(海辺)の地に越中国府が置かれ、万葉集の代表的歌人・大伴家持が国守として赴任し、当地の風光明媚な自然などを愛でた多くの秀歌を詠みました。

高岡市内には、路面電車が走っています。

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高岡駅舎内にある路面電車「万葉線」の始発駅です。

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駅舎から出て来たところです。

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市内のメインロード・昭和通りを走る「万葉線」です。伏木まで行きます。

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その昭和通りの途中にあった像です。大きな口を開けた獅子像です。
傍の説明板には、「水のみ獅子像」とありました。
この地の伝統的技術の「」製造で造られたものと思います。

 次回も続きます。



















2018年8月24日 (金)

北陸・高岡市と五箇山へ(2)山町筋-2

 前回の続きです。
 高岡市内の2つ目の「重伝建地区」山町筋を歩いています。
 昭和通りを渡って、右側の町並みへ来ました。

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通りの右側の様子です。手前の「薬肆」は薬屋さんです。

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上の町並みの中の1軒です。1階は普通の外観の様ですが、2階は頑丈な耐火蔵造りです。

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延焼防止の「うだつ」(ここではそう言うのか?)です。立派な造りです。

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もう一方の造りです。

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上の建物の説明板です。「筏井」は、文字の通り「いかだい」と読むそうです。

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国の重文指定の「菅野家住宅」です(右側)。

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屋根の棟の様子です。鯱?も見られます。

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正面を見ています。

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この建物の説明板です。

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軒下を覗くと、こんなものが・・・。何でしょうか?

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防火施設です。2軒の分です。左側が「菅野家住宅」です。

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この町の「重伝建地区」の表示です。

もう少し歩きます。

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角地のお宅です。やはりここも2階は防火造りでした。

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ここも角地に建つお宅です。

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右側の建物は、資料館です。

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こちらも角地に建つお宅です。屋根の棟は、この地のもの。
1階と2階は蔵造りとは言えないが、風格を感じます。

 以上で、「山町筋」は終わります。
 次回は、その他の市内の様子を、ご紹介します。

2018年8月22日 (水)

北陸・高岡市と五箇山へ(2)山町筋ー1

 前回の続きです。
 今回は、高岡市内のもう1つの「重伝建地区」の「山町筋」土蔵造りの商人の町並みを、ご紹介します。こちらも昭和通りを挟んで、左右に広がっている町並みです。

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高岡駅から昭和通りを歩いて来て、先ず左折しました。
そして、直ぐに目に付いたのが、この建物でした。
看板にある様に、「富山銀行」です。東京駅を設計した辰野金吾の監修で、大正3年(1914)に建てられました。今も現役の銀行だそうです。

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真正面を見ています。

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毎年5月1日に、この界隈で催される「高岡御車山祭」の山車を、通年展示しているところです。「御車山」は、全国に5つしかない国の重要有形・無形民俗文化財だそうです。建物は、この地独特の土蔵造りです。

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その向いにある、「高岡信用金庫」です。これはこの土地の雰囲気に合わせて造られた建物かと思います。

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通りにあった民家です。

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その先の町並みの様子です。現代風の建物も見られます。

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角地にある建物です。
この角を右折します。

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曲がってから、左側にあるのは、この「佐野家住宅」(国登録有形文化財)です。2階の前面の様子が、目を惹きました。

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その先にあったのが、この「高峰公園」です。

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公園の一角には、その胸像がありました。

 道を戻って、元の町並みを見ました。

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始めの町並みの様子です。
この蔵造りの町が出来たのは、明治33年(1900)の大火で、高岡町の大半が焼き尽くされた際、復興にあたって防火構造の建築物とすることが義務づけられたことによるものだそうです。

 次回に続きます。

2018年8月20日 (月)

北陸・高岡市と五箇山へ(1)金屋町ー2

 前回の続きです。
 高岡市内の重伝建地区の1つ「金屋町」を歩いています。

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こちらも上下とも、見事に千本格子です。

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立派な地蔵祠です。この地の方々の信仰心の深さを感じました。

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右手の囲いは木が見えるから、座敷の前庭?でしょうか。
その2階には、現代風の住まいの形も見られます。

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毎年6月20日に催される、この町のお祭り「御印祭」のポスターです。
前田利長への報恩感謝の意を込めてのお祭りとか。
前夜祭では、鋳物作業歌「弥栄節」に合わせて踊りの町流しが行われるそうです。

昭和通りを渡って、鋳物の町らしい物を見に行きました。

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その説明板です。

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その実物です。

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キューポラ部分です。左端に少し煙突の一部が見えています。
「キューポラのある町」と言う映画を思い出します。そちらは、関東の川口市だったと思いますが・・・。

 次回は、もう1つの「重伝建地区」の「山町筋」を、ご紹介します。

2018年8月19日 (日)

北陸・高岡市と五箇山へ(1)金屋町-1

 今回の旅は、「重伝建地区」3か所を巡るものでした。
 1~2か所目は、高岡市内の「山町筋」と「金屋町」の2つ、3か所目は「五箇山」(合掌造り集落)です。
 6月6日~7日の1泊の旅でした。行程は第1日目が京都~金沢~高岡(泊)、第2日目は高岡~相倉集落~高岡~金沢~京都 と言う割合ゆったりとした旅でしたが、「重伝建地区」が3か所も見られる中味の濃い旅でした。
 では、順を追ってご紹介したいと思います。

 先ず「重伝建地区」の「金屋町」に行きました。千本格子が美しい家並みでした。加賀藩2代目藩主・前田利長が、産業振興のために、鋳物師(いもじ)を呼び寄せ住まわせた高岡鋳物発祥の地です。
 高岡駅前から北西に延びる広い道の昭和通りを歩いて、約20分位のところでした。

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昭和通りを左折した直ぐの町並みです。金屋本町と言います。
平成24年12月28日に重伝建地区に選定されました。
町中を歩きました。

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建物の外観は、この場所共通の様式がある様に感じました。
千本格子や卯建つ、2階の窓の形など、横に広がる梁状の外観にも特徴を感じます。

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千本格子が見事です。

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高岡市鋳物資料館の入口に掲示されていた説明板です。

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資料館の入口から中を見ています。可なり奥行が深そうです。
見学はせずに、町中を進みました。

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鋳物の町らしく、所々にこんなものが置かれていました。

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町並みの右側(進行方向の)の様子です。

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創業が慶応3年とか。金属工芸のギャラリーになっています。

 次回にも続きます。

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