カテゴリー「京都府以外」の36件の記事

2017年8月20日 (日)

福井県小浜市へ行く(5)小浜湾

 前回の続きです。最終回となります。
 海辺を歩きました。「小浜湾」です。
 JR小浜駅前に着いて、さてお昼をどうするか。少し歩いて探して見ましたが、町全体が定休日らしく、見事にシャッターが下りていました。「道の駅」もダメ、ホテルも予約以外はダメ、ホテルの方に聞いて漸く見付けることが出来ました。

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そのお店は、この近くにありました。戴いた昼食(魚介)は写真を撮るのを忘れていたくらい、美味しくボリュームも有り新鮮で忘れられない味になりました。
ここから左手に少し行ったところでした。そして、見事にシャッターが下りていたのは、右手の道路の両側でした。その先に、JR小浜駅があります。

そして、この道を左に進んだ先に、海辺(小浜湾)があります。

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丁度、小浜港から出た「蘇洞門(そとも)めぐり」の観光船が見られました。
私は、大分前に一度「蘇洞門めぐり」をしたことがあります。狭い洞門を通りますので、船はこんなに小さいものです。

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小浜湾は両側からの半島に囲まれた小さな内海で、その外は「若狭湾」となります。

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見えている小島は、湾内にある小島の1つ・蒼島です。
内海は、波も少なく静かです。

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「人魚」の像が2つ。「人魚の浜」海水浴場です。

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「翼のテラス」と言う場所で、白鳥の像が見えます。

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「重伝建」の地域に近付いています。

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釣り人の姿もありましたが、こんなところで釣りが出来るのでしょうか?

 暫く、海の様子などを眺めていました。
 そう言えば、海を見るのは久し振りでした。

 この後は、これまでにお伝えしてきました「重伝建」の町並みに向かいました。

2017年8月18日 (金)

福井県小浜市へ行く(4)常高寺

 前回の続きです。
 「丹後街道」沿いの山の麓には、小浜藩にゆかりの方の菩提寺が多く並んでいます。今回は、その中の1つ「常高寺」(じょうこうじ)にお参りしました。何故ここかと言えば、丁度ここで「花しょうぶまつり」が開かれていたからです。

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丹後街道から少し山側に入ったところから見た「常高寺」の様子です。
右側の石段の上には、JR小浜線の線路があり、直接的にお寺には行けないのです。石段の下に、軽自動車が停まっていますが、その左手から細い道があり、そこを通って行かなければお寺に到達出来ません。
JRの下をくぐり、右に進むとお寺の前に到着です。

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その途中にあった「常高寺」の説明板です。「常高院」の姿が隠れているのが困ったことです。「お市の方」の娘さんですから、きっと綺麗な方だったことでしょう。

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こちらも、途中に咲いていた紫陽花です。この花から「常高院」を偲びましょう。

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花菖蒲園を通して、山門(左手)を見ています。
右手の建物の裏手で、受付をされていました。

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同じく、花菖蒲園を通して、本堂を見ています。
ちょっとモダンな感じの本堂です。

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さらに、「鐘楼」も同じく眺めています。残念ながら、殆どの花が萎れていました。

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「常高院」について

○浅井長政と織田信長の妹・お市の方との間に生まれた三姉妹・お茶々(後に豊臣秀吉の側室・淀どの)、お初(常高院)、お江(後に徳川秀忠の妻に)でした。

○江戸時代初期の小浜藩主・京極高次の妻となりました。

○徳川と豊臣との戦では、両者の間を取り持ちましたが、結局姉・淀どのと秀頼の命は救えず、豊臣家は滅亡しました。

○晩年は江戸に住み、66歳で波乱の人生を閉じました。

○ここ常高寺は、常高院の発願で菩提所として建立されましたが、完成半ばで亡くなりました。遺骸は江戸からここ小浜に運ばれ、ここで葬儀が行われました。
当時の小浜城主は、息子の忠高でした。

 次回は最終回で、「小浜湾」の様子をご紹介します。

[閑話休題]

「常高寺」があるこの一帯には、小浜ゆかりの方の菩提寺が並んでいます。

○栖雲寺~若狭武田家の菩提寺
○東光寺~同上
○空印寺~小浜藩主・酒井家の菩提寺
他に 5つのお寺があります。





2017年8月16日 (水)

福井県小浜市へ行く(3)丹後街道沿い

 前回の続きです。
 「重伝建」地区の1つ「三丁町」を離れ、「丹後街道」沿いの町並みを歩きました。こちらも「重伝建」地区です。

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街角に立っていた「丹後街道」の道標です。

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今来た道を振り返って見ました。ここまでは道幅が、この様に狭かったですが、この後は少し広くなっていました。

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格子戸が、この様に美しいお宅がありましたが、残念ながら車の為に1階は見られませんでした。今までの体験から、格子戸が美しいお宅は、裕福な家だと思っています。

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背後の山は、中世の山城と守護館が築かれた「後瀬山」(のちせやま)で、山頂には城跡が見られるそうです。平成9年に国史跡に指定されました。
城主としては、若狭武田家や京極家、酒井家などでした。

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この地域は「鹿島区」と言いますが、その自治会館でしょうか?古民家が利用されています。大正期の建物だそうです。

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街道の途中には、この様に海に通じる道もありました。「海」の景色は次回にご紹介したいと思います。

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「若狭武田家」があった場所です。

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そこに掲げらけていた「イメージ図」です。

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丹後街道沿いは、「商家町」だそうで、ここもその内の1軒でしょうか。
酒造家ではなく、お酒の販売店の様です。

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こちらは、「紙屋・吹安」家です。

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特長的な屋根飾りです。「立浪型鳥衾」(たつなみがた・とりぶすま)と言います。立つ浪から、防火の願いを込めているのでしょう。
事実、明治21年(1888)には、大火に襲われています。

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丹後街道が東に向きを変える手前には、「八幡神社」がありました。
建物は、明治期のものだそうです。

 この後は、この丹後街道沿いに幾つかのお寺があるのですが、その中の1つをご紹介します。



















2017年8月14日 (月)

福井県小浜市へ行く(2)重伝建の町(その2)

 前回の続きです。
 「重伝建」の町・小浜西組の1つ「三丁町」界隈を歩いています。

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三丁町の1地区の「飛鳥区」の説明板です。もう1地区は「香取区」と言い、前回ご紹介したところです。

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そのメインストリートとも言える通りです。

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その中心的存在として、この旧料亭があります。

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玄関に近寄って見ました。

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「旧料亭・蓬嶋楼」です。この日は閉館でしたが、一般に公開もされている様です。

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こちらは、元旅館でしょうか?

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その建物の2階のガラス戸です。凝ったデザインのガラス戸です。

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三丁町の町並みを通り抜けると、突き当りにJR小浜線のガード下に出ました。そして、そこから「重伝建」でもある「丹後街道」に繋がります。

ここからは「丹後街道」を歩きました。
次回以降に、ご紹介します。

 ここで「「重伝建」の「小浜西組」について、戴いた資料から、少しご紹介します。
○旧小浜町は、今から約400年前に、雲浜の地(ここから東北にある)小浜城を中心に町人地として栄えた町です。その一部の小浜西組は、丹後街道を中心に育まれた町並みです。
○小浜西組は、主に商家町と茶屋町で構成されており、南には中世山城の後瀬山(のたせやま)、北には小浜湾の海といった自然に囲まれています。



2017年8月12日 (土)

福井県小浜市へ行く(1)重伝建の町(その1)

 近隣て未だ行っていない「重伝建」の町は無いのかなと思ってリストを見ていると、ありました!何とそれもそんなに遠くないところです。
福井県小浜市内の「小浜西組」と言う町並みです。
 因みに「重伝建」とは、重要伝統的建造物群保存地区のことです。
 京都市内から小浜市内に行くのに、JRを利用するのが当たり前かも知れませんが、今回選んだのは、JR湖西線で近江今津まで行き、そこからJRバス小浜線を利用する方法です。
 1時間に1本しかありませんが、近江今津駅前から小浜駅前まで約1時間で行けます。   
 小浜駅からは、歩いて約20分程で、目的の「小浜西組」に行くことが出来ました。
平成20年6月9日に国の選定を受けた様ですが、現地は未だ整備の最中の感じでした。他の「重伝建」の町並みを見ている私としては、未だこれからと言う印象を持ちました。

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重伝建の町並みの入口になる「小浜公園」の入口です。
これは何でしょうね?象か?怪獣か?

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その横にあった「重伝建」の表示看板です。

いよいよ町並みに足を踏み入れます。

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冒頭に言いました様に、目下整備中の様です。あちこちにカラーコーンが置かれ、要所には警備員が立っておられました。

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さらに町並みの中へと進みます。

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重伝建の中心の1つ「三丁町」には、幾つかのお寺がありますが、ここ「常然寺」です。

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「三丁町」の中心部です。ここでも幾つかのカラーコーンがありました。

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ここは「商家町」と「茶屋町」とが混在している様に思いました。

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玄関前に来ました。ここは明治期の建物で、元料亭の「酔月」と言い、公開されていて、飲食も出来る様です。

 次回も、「三丁町」をご紹介します。

2017年8月 8日 (火)

鳴門海峡の渦潮を見る(2)

 昨日の続きです。
 観潮船の「日本丸」は、大鳴門橋の下を、行ったり戻ったりして、私達に渦潮の様子を見易くしてくれました。他に2隻の観潮船が、同じような動きをしていました。

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普通は穏やかな海面が、この様に波立ち、渦を巻くと言う事は凄いことだと思いながら、海面を見詰めています。

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海面は、激しく飛沫を上げて動いています。

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海面の落差が大きいです。

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こちらも海面の落差の大きさが判ると思います。

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渦が出来始めています。

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女性の指先には、はっきりと渦が見えています。一斉に歓声が上がりました。

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こちらでも、はっきりと渦が・・・。しかし中々大きな漏斗状にはなりません。
渦の強さが、弱いのでしょうか?

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小さいですが、渦は出来ています。

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少し物足りなさを感じつつ、現場を離れ帰港の途に。

 最後に、何故ここに渦潮が出来るのか?その理由をご説明します。

①鳴門海峡の幅が、急に狭くなっている。 1.3Kmしかない。

②潮の干満の差により、高い方(満潮)から低い方(干潮)へ、海水が一気に流れ込み、潮流が速くなる。

③海底が、海峡の中央部がぐんと深くて約100mあり、潮流は中央部では抵抗が少ない為、速く流れる。

④それに対して、両岸部では浅瀬などにより抵抗がある為、流れが緩やかにになり、流れの速い潮流が、遅い潮流にぶつかり、そこに「渦」が出来る。

⑤初めは小さな「渦」として発生し、潮流と共に流れて行く間に、「渦」が段々と大きくなり、やがて消えて行く。

2017年8月 7日 (月)

鳴門海峡の渦潮を見る(1)

 久し振りに「鳴門海峡の渦潮」を、「或る会」のお誘いで見て来ました。
 世界3大潮流とかで、なおかつ大潮の時期とかで、心が動きました。
 京都から観光バスで、明石海峡大橋を渡り、淡路島を通り抜け、淡路島の南端の「福良港」から「観潮船・日本丸」に乗り、渦潮を見ると言う行程です。
 行ったのは、6月26日でした。

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福良港の専用桟橋に停泊中の「日本丸」です。
日本を代表する練習用帆船のレプリカ船です。
定員 700名 総トン数 383トン 全長 54m 幅 10m 3層甲板4本マスト帆船型

 福良港を出発して、大鳴門橋の渦潮現場に向かいます。

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その途中ですれ違った、もう1隻の観潮船「咸臨丸」(幕末の日本人で初めて太平洋横断を果した有名な船)です。勿論レプリカです。

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約20分程で、大鳴門橋が見えて来ました。
橋の下では、白波が立っているのが判ります。

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橋の近くまで来ました。
海面に段差が出来ていることや、潮流の激しさなどが良く判りますが、渦が出来ているのは未だ見えません。

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ほぼ橋の真下まで来ました。
小さな渦らしきものが出来ています。

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渦が出来掛けては消えて行きます。

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海面が盛り上がったり、うねりになったりしています。

 続きは、次回に。





2017年3月27日 (月)

ローカル線・単線に乗って 北条鉄道(2)北条町-2

 前回に続き、「北条鉄道」の終点、「北条町」(兵庫県加西市)の町中を歩いています。「商家の家並み」は、「酒見寺」(さがみじ)の門前町として栄えたところだそうです。(今回は行けなかったのですが、酒見寺の隣にある「住吉神社」の門前町でもあるとのことです)

 その「酒見寺」の前に来ました。

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酒見寺の「楼門」です。加西市の指定文化財になっています。

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楼門横の参道です。突き当りが本堂です。

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参道の右手には、「多宝塔」がありました。江戸時代初期のもので、国の重要文化財に指定されています。

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煌びやかな「鐘楼」です。こんなのは初めて見る気がしました。
兵庫県の指定文化財です。指定文化財の多いお寺です。

 次は「旧家の家並み」に向かいました。その中心地は、「横尾通り」といいます。

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その「横尾通り」の様子です。左手のお宅は、国登録有形文化財で、景観形成重要建造物となています。

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こちらのお宅も、↑と同じく指定建造物となっています。
軒先を前方に張り出した「出桁」(だしげた)が特徴的です。

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どのお宅も、奥行が広いです。

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その先の「家並み」の様子です。

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色々な「卯建」(うだつ)を見ることも出来ましたが、この「卯建」は明らかに装飾性優先の様ですね。

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こちらは、それなりの「卯建」ですが、装飾性もありますね。

 この町の建物には、格子戸も美しく、古い民家の特徴(虫籠窓・卯建・出桁など)も多く見られました。


 この町は、私にとっては思わぬ拾い物をした気分の町並みでした。


















2017年3月25日 (土)

ローカル線・単線に乗って 北条鉄道(2)北条町-1

 前回につづいて、「北条鉄道」の終点・北条町(兵庫県加西市)を歩きました。
 この町は、大阪・京への街道・西国街道の「北条の宿」で、県の歴史的景観形成地区となっています。田舎の町(失礼!)と思っていたところ、意外にもかつての繁栄を思わせる町並みが見られました。
 それもその筈で、パンフレットによれば、古くから山陽・山陰を結ぶ交通の要衝として、北播磨地方の中心的な存在だったそうです。明治・大正・昭和初期には、商業・流通の拠点として多くの商家が甍を競い、その名残が現在にも残っているとのことでした。
 先ず「商家の家並み」を歩きました。

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「南町」にある「旧商家」です。

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こちらは、今も「お茶屋」を営んでおられます。ここは「御幸町」です。

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こちらは、「お味噌屋・大黒屋」さんです。

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「宮前」町の「旧商家」です。2階の出窓がユニークです。

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「南町」で見掛けた「袖卯建」です。

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「御幸町」一帯の町並みです。向こうに見えるのは、「酒見寺」の楼門です。
この後、訪れます(次回に)。






2017年3月24日 (金)

ローカル線・単線に乗って 北条鉄道(1)車窓から

 私は、ローカル線の旅や単線の旅に、懐かしさや郷愁を感じています。
 数年前に行った、北海道の「増毛」(留萌本線・12月4日に一部が遂に廃線になってしまいました)の思い出が、今も強く気憶に留まっています。
 かねてから、一度乗ってみたいと思っていた「北条鉄道」に乗ることが、実現しました。「北条鉄道」とは、JR加古川線(この線も単線ですが)で「粟生」(あお)まで行き、そこから「北条鉄道」に乗ります。終点は「北条町」です。地名としては、兵庫県加西市北条町です。

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JR加古川線の前方車窓からの景色です。

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大きくカーブします。

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「加古川」を、鉄橋で渡ります。

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「加古川」です。結構大きな川です。「加古川」に由来する地名も多くあります。
これから行く「加西市」もそうですね。

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加古川線の「粟生」(あお)駅で、今日のメインの「北条鉄道」に乗り換えです。
乗り換え時間が短くて、大急ぎでした。
1両編成です。車体の色は、この色の他に薄緑と紫色がありました。

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車内に掲示されていた沿線図です。終点の「北条町」を含めて、7つの駅がある様です。

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まさに単線ですね。播州平野を進みます。

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終点の「北条町」駅に着きました。
この後は、「北条町」の町中を歩きましたが、その様子は次回として、帰りの「北条鉄道」の様子を、ご紹介します。

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運転士は、ご覧の様に女性でした。お願いして撮らせて戴きました。
その後ろには、お猿さんも乗車しています。

帰りの車窓から風景です。

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小さな川が流れています。

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と或る駅舎です。勿論無人駅です。殆どの駅がその様でした。

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広い野原を、ガタンコトンと走ります。

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そろそろ終点の「粟生」駅に着きます。
ローカル線・単線を、しっかりと楽しみました。

次回は、「北条町」をご紹介します。






































 

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