カテゴリー「京都府以外」の29件の記事

2017年3月27日 (月)

ローカル線・単線に乗って 北条鉄道(2)北条町-2

 前回に続き、「北条鉄道」の終点、「北条町」(兵庫県加西市)の町中を歩いています。「商家の家並み」は、「酒見寺」(さがみじ)の門前町として栄えたところだそうです。(今回は行けなかったのですが、酒見寺の隣にある「住吉神社」の門前町でもあるとのことです)

 その「酒見寺」の前に来ました。

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酒見寺の「楼門」です。加西市の指定文化財になっています。

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楼門横の参道です。突き当りが本堂です。

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参道の右手には、「多宝塔」がありました。江戸時代初期のもので、国の重要文化財に指定されています。

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煌びやかな「鐘楼」です。こんなのは初めて見る気がしました。
兵庫県の指定文化財です。指定文化財の多いお寺です。

 次は「旧家の家並み」に向かいました。その中心地は、「横尾通り」といいます。

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その「横尾通り」の様子です。左手のお宅は、国登録有形文化財で、景観形成重要建造物となています。

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こちらのお宅も、↑と同じく指定建造物となっています。
軒先を前方に張り出した「出桁」(だしげた)が特徴的です。

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どのお宅も、奥行が広いです。

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その先の「家並み」の様子です。

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色々な「卯建」(うだつ)を見ることも出来ましたが、この「卯建」は明らかに装飾性優先の様ですね。

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こちらは、それなりの「卯建」ですが、装飾性もありますね。

 この町の建物には、格子戸も美しく、古い民家の特徴(虫籠窓・卯建・出桁など)も多く見られました。


 この町は、私にとっては思わぬ拾い物をした気分の町並みでした。


















2017年3月25日 (土)

ローカル線・単線に乗って 北条鉄道(2)北条町-1

 前回につづいて、「北条鉄道」の終点・北条町(兵庫県加西市)を歩きました。
 この町は、大阪・京への街道・西国街道の「北条の宿」で、県の歴史的景観形成地区となっています。田舎の町(失礼!)と思っていたところ、意外にもかつての繁栄を思わせる町並みが見られました。
 それもその筈で、パンフレットによれば、古くから山陽・山陰を結ぶ交通の要衝として、北播磨地方の中心的な存在だったそうです。明治・大正・昭和初期には、商業・流通の拠点として多くの商家が甍を競い、その名残が現在にも残っているとのことでした。
 先ず「商家の家並み」を歩きました。

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「南町」にある「旧商家」です。

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こちらは、今も「お茶屋」を営んでおられます。ここは「御幸町」です。

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こちらは、「お味噌屋・大黒屋」さんです。

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「宮前」町の「旧商家」です。2階の出窓がユニークです。

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「南町」で見掛けた「袖卯建」です。

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「御幸町」一帯の町並みです。向こうに見えるのは、「酒見寺」の楼門です。
この後、訪れます(次回に)。






2017年3月24日 (金)

ローカル線・単線に乗って 北条鉄道(1)車窓から

 私は、ローカル線の旅や単線の旅に、懐かしさや郷愁を感じています。
 数年前に行った、北海道の「増毛」(留萌本線・12月4日に一部が遂に廃線になってしまいました)の思い出が、今も強く気憶に留まっています。
 かねてから、一度乗ってみたいと思っていた「北条鉄道」に乗ることが、実現しました。「北条鉄道」とは、JR加古川線(この線も単線ですが)で「粟生」(あお)まで行き、そこから「北条鉄道」に乗ります。終点は「北条町」です。地名としては、兵庫県加西市北条町です。

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JR加古川線の前方車窓からの景色です。

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大きくカーブします。

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「加古川」を、鉄橋で渡ります。

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「加古川」です。結構大きな川です。「加古川」に由来する地名も多くあります。
これから行く「加西市」もそうですね。

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加古川線の「粟生」(あお)駅で、今日のメインの「北条鉄道」に乗り換えです。
乗り換え時間が短くて、大急ぎでした。
1両編成です。車体の色は、この色の他に薄緑と紫色がありました。

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車内に掲示されていた沿線図です。終点の「北条町」を含めて、7つの駅がある様です。

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まさに単線ですね。播州平野を進みます。

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終点の「北条町」駅に着きました。
この後は、「北条町」の町中を歩きましたが、その様子は次回として、帰りの「北条鉄道」の様子を、ご紹介します。

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運転士は、ご覧の様に女性でした。お願いして撮らせて戴きました。
その後ろには、お猿さんも乗車しています。

帰りの車窓から風景です。

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小さな川が流れています。

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と或る駅舎です。勿論無人駅です。殆どの駅がその様でした。

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広い野原を、ガタンコトンと走ります。

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そろそろ終点の「粟生」駅に着きます。
ローカル線・単線を、しっかりと楽しみました。

次回は、「北条町」をご紹介します。






































 

2017年3月 7日 (火)

近江八幡節句人形めぐりへ(5)旧伴家住宅雛人形他

昨日 の続きです。
 「旧伴家住宅」(現・八幡教育会館)内に飾られている「雛人形」たちを見て回っています。兎に角広いところですので、まさに見て回っている感じです。
 今回は、「大広間」以外に飾られた「雛人形」をご紹介します。
 ここには、「御殿雛」が多くありました。

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「御殿雛飾り」 大正時代のものだそうです。普通の感じのものです。

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上に比べると、屋根が誇張されています。時代は不詳とのことです。

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こちらも時代不詳ですが、屋根の誇張は上と同じです。

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こちらも見事です。時代の表示はありませんでした。比較的新しいものの様に感じました。

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「一文雛御殿飾り」と言い、江戸辞退後期のものとか。一文とは小さいと言うことでしょうか。

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「古今雛」で、大正時代のものです。

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こちらにも、ずらりと雛人形が飾られていました。

「雛人形」の他に、江戸時代の「朝鮮通信使」に関する展示などもありました。
近くには「朝鮮人街道」なる古道も通っています。

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1階には、「左義長まつり」の飾り(最後には燃やされるそうです)が、置かれていました。材料は、食材(かんぴょう・イカ・寒天・焼き海苔・丁字麩・コーンなど)が使われているとか。

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その近くには、この建物の「大黒柱」が通っていました。

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その「大黒柱」が支える「旧伴家住宅」を、近くのバス停から見ています。左手先が玄関になります。

「旧伴家住宅」は、市指定の文化財になっています。
江戸時代初期の豪商「伴庄右衛門」が、本家として建てたものです。屋号は「扇屋」と言い、畳表・蚊帳・扇子・麻織物を主力に、大阪・京都・江戸に店を持ち、為替業務や大名貸しもしていたそうです。
今の建物は、7代目が建てたものだそうですが、江戸末期に急速に家運が衰え明治期には商家をたたみ、現在では子孫も絶えているそうです。

明治以降は、役場になったり、学校になったり、図書館になったりしています。
平成24年からは、公益財団法人 八幡教育会館となっています。

















2017年3月 6日 (月)

近江八幡節句人形めぐりへ(4)旧伴家住宅雛人形

 前回の続きです。
 午後は、「旧伴家住宅」(現在は八幡教育会館になっています)の雛人形を拝見しました。教育会館になっている位ですから、建物も大変大きいです。

 先ず、2階の大広間に飾られている「雛人形」群を、ご覧戴きましょう。

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部屋に入って先ず目にしたのは、こんな光景でした。
雛段飾りが所狭しと並んでいます。

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正面(手前)から入口の方(右手)を見たところです。

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正面に飾られた雛人形たちです。

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部屋に入った直ぐに飾られていた、一際目立った雛人形です。やや伏し目なお二人です。

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上を見上げると、頑丈な建物の造りが判ります。

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この部屋に飾られているのは、殆どが「段飾り」でした。

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こちらの「段飾り」も、立派なものでした。

 以上が「大広間」での様子ですが、次回はその他の部屋に飾られていた「雛人形」たちなどを、ご紹介します。

2017年3月 4日 (土)

近江八幡節句人形めぐりへ(3)町並みと食事

 前回の続きです。
 「旧西川家住宅」での雛飾りと内部を拝見した後、近くでお昼を戴き、その後町並みを少し歩きました。
 先に、町並みからご紹介します。ここは、「新町通り」を中心に、「伝重建指定地域」ですが、殆どそのことには触れられていない様に感じました。

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最も雰囲気がある「新町通り」を、ほぼ北の方から見ています。
この通りに、「旧西川家住宅」や、後日にご紹介する「旧伴家住宅」などがあります。

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旧西川家住宅の真向いにある「旧西川庄六家住宅」です。

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もう少し近寄って見ました。

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その向い側にある「旧森五郎兵衛家住宅」です。上の住宅共に非公開でした。

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ドラマなどにも良く登場する「八幡堀」です。

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八幡堀に架かる橋の手前にある「白雲館」です。
明治10年(1877)に、西洋風建築物の1つとして建てられた八幡東学校を復元したものだそうです。現在は、観光案内所等になっています。

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「白雲館」の前の通りを進むと、「日牟禮八幡宮」(ひむれはちまんぐう)の前に来ます。振り仰ぐ大きな楼門です。

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楼門をくぐり境内に入りました。千年以上の歴史のあるこの神社は、昔から近江商人の絶大な信仰を集めて来ました。「左義長まつり」(3月)や「八幡まつり」(4月)が有名です。

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拝殿前です。

八幡堀の近くにある「やまとく」さんで、お昼を戴くことにしました。
郷土料理や川魚料理などの他、お土産も売っているお店でした。

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如何にも郷土料理のお店の構えでした。

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「松花堂弁当」をお頼みしました。初めてなので、幾つかお値段がある中、真ん中より一つ上のものを選びました。お魚は鯉では無く「鮒(ふな)」でした。
鮒の卵がまぶしてあって、美味しくて独特の食感がありました。

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これも「鮒」でした。煮たゴボウが添えてあります。
甘辛く煮てあって、美味しかったです。大きな骨を除いて綺麗に戴きました。

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他にも小鉢ものが2点あり、最後にこの「蛤のお吸い物」とお漬物で、御飯を戴きました。
「鮒」のお料理と言う日頃食べないものを含め、美味しいものをお腹一杯戴き、大満足のお昼でした。

この後は、市立資料館の郷土資料館と歴史民俗資料館を拝見し、多くの雛人形が飾られていると言う「八幡教育会館・旧伴氏住宅」に行きました。

2017年3月 2日 (木)

近江八幡節句人形めぐりへ(2)旧西川家住宅

 前回に続いて、雛人形が飾られていた「旧西川家住宅」の内部の様子を、ご紹介します。

 ここは、「大文字屋」・西川利右衛門家住宅で、江戸時代初めの宝永3年(1706)に建てられた京風の建物です。11代当主の没後、当家を管理していた西川庄六家によって市に寄付され、昭和58年に重要文化財に指定されました。
 当時の商売は、蚊帳や畳表などを主に扱って財を成したそうです。

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新町通りに面した表側を、前回とは反対の位置から見ています。
表戸類は、どれも上に跳ね上げたりして、開放的になる様です。

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表戸から入ると(見学時には入れませんが)、帳場があります。真ん中奥には商品の1つ「蚊帳」が吊り下げられていました。右手上にある箱2つは、「千両箱」だそうです。随分イメ-ジが違います。

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奥座敷部分です。

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奥座敷です。

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居間とか台所などの部屋が並んでいます。
2階建てで、全部屋数は 20余あるとか。

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勝手口から入ったところの上を見上げています。
市の寄付されてから、昭和60年に33ケ月掛けて、復原修理がなされたそうです。


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広いお庭もありました。

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勝手口から入った奥には、こんな蔵もありました。
天和年間(1681~1683)に建てられたもので、内部は3階になっていて、珍しいものだそうです。

 この後は、近くでお昼を戴き、次の展示場へ行きました。











2017年3月 1日 (水)

近江八幡節句人形めぐりへ(1)旧西川家雛人形

 滋賀県近江八幡市で催されている、「2017・第12回町なみに装う ひいなのほほえみ」に行って来ました。展示会場は全部で32か所もありますが、その中で集中して展示されている2か所、旧西川家住宅と旧伴家住宅(八幡教育会館)で、沢山の雛人形を拝見しました。どちらも、伝重建地域(かつての近江商人の町)の中にあり、その中心の新町通りにあります。旧住宅の内部の様子(次回に)と合わせて、ご紹介します。
 雛人形の展示は、旧西川家住宅の1階の各座敷で行われていました。

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新町通りに面した「旧西川家住宅」です。昔 商売をされていた時は、左手の真ん中の大戸は全体を吊り上げ、左右の戸は開かれていた様です。右手は勝手口の様です。

 では、勝手口から中に入って、雛人形を拝見しましょう。

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入ったところは、台所の様です。早くも雛人形とご対面です。

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「享保雛」江戸時代末期とのことです。
お内裏様は、全て向かって右に飾られていました。関西風でした。

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「古今雛」江戸時代末期のものです。

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「段飾り雛」江戸時代末期のものです。

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皆丸顔の可愛い顔の雛人形たちです。

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「古今雛」江戸時代末期のものです。

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居間に飾られていた「段飾り雛」です。

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昭和時代の「段飾り雛」です。

 次回は、内部の様子などをご紹介します。











2017年2月25日 (土)

奈良・橿原神宮等に参拝する

 奈良県橿原市八木町の古道や古民家等を見た後は、少し足を伸ばして、「橿原神宮」や「神武天皇陵」に参拝しました。
 近鉄電車大和八木駅から3つ目が、橿原神宮前駅終点です。吉野はここで乗り換えて、吉野行きに乗ります。

 先ず、橿原神宮にお参りしました。

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橿原神宮の一の鳥居です。

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やがて神橋があり、その先には二の鳥居が見えて来ました。

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突き当りの右には、南神門が見えました。

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神門をくぐると、左手に大きな拝殿があります。
お参りを済ませて、回廊で開かれていた「神武天皇東征の図」を拝見。

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回廊から、本殿の様子を拝見しましたが、3つの建物が見えました。

この後、北神門から出て、御陵に向かいました。
歩いて約20分程と聞きました。

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「神武天皇畝傍山東北陵」と、石柱には刻まれています。

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御陵の全体の様子です。
畝傍山は、後方にありますが、畝傍山から見れば、東北にこの御陵があることになります。
他の人の姿は無く、静寂そのものです。

帰りは、近鉄の「畝傍御陵前」駅から乗りました。


2017年2月17日 (金)

奈良県・八木町を歩く(2)下ツ道

 前回の続きです。
今回は、「旧伊勢街道」と直交する「下ツ道」を、北の方から歩きました。
 古代、藤原京と平城京とを結ぶ道は、上ツ道・中ツ道・下ツ道の3本が通っていたそうです。

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下ツ道の北のエリア(東側)の家並みです。立派な古民家が並んでいます。

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そんな中の1つ、「河合家」住宅です。
天保13(1842)年、8代目の河合庄九郎の頃に「絞り油屋」を営んでおり、建物自体があったと推測されているそうです。平成21年に登録有形文化財に。

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その隣にある「河合源七郎家」住宅です。初代河合源七郎によって、明治20年代後半に町屋として主屋を建築、さらに大正時代に離れや茶室が増築されたとか。平成21年に、登録有形文化財に。

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その近くに建つ、「芭蕉句碑」です。

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傍に建つ説明板。

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下ツ道に面した「東の平田家」住宅です。こちらの方が、大きな旅籠の雰囲気が感じられます。

「横大路」(伊勢街道または初瀬街道)を跨いで、下ツ道を南に進みます。

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「谷 三山家」住宅です。幕末の儒者・谷 三山の生家です。
幼い頃に聴力を失いながらも、私塾「興譲館」を開き、多くの門下生を排出しました。吉田松陰等の諸国の名士が来訪したそうです。

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この辺りの町屋の雰囲気です。

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「福島家」住宅です。高取藩の下屋敷として、参勤交代の起点となった家で、御殿部屋が残っているそうです。享保10(1725)年の棟札があるとか。

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軒の様子です。障子が嵌められているのが珍しいです。

この辺りには、他にも古民家が多く見られました。

この後は、折角ここまで来たので、少し足を伸ばして、「橿原神宮」や「神武天皇陵」に行きました。










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