前回の続きです。
違った位置から見ています。
木は古木ですが、花は可愛いです。
しっかりと花を咲かせています。
お庭の方も拝見。作庭は、7代目小川治兵衛とのこと。
「盆梅」と「慶雲館」について
「盆梅」について
大正時代、現在の長浜市高山町で養蚕業を営んでいた「高山七蔵」翁が、
山林に入って枝ぶりのよい梅の古木を掘り起こし、大きな鉢に植え、丹精
込めて世話をしました。高山氏は、春になり見頃を迎えた梅たちを玄関先
に並べ、多くの人達の観覧に供しました。これが「盆梅」の始まりです。
「慶雲館」について
明治20年に明治天皇の京都行幸からの帰り道に、長浜での休憩所として
建てられました。当時の総理大臣伊藤博文が「慶雲館」と名付けたと伝わっ
ています。
次回は、折角「長浜」に来たので、ゆかりのものをご紹介します。
随分昔に一度拝見した記憶がありますが、以前見た時の
印象が強かった記憶があります。
久し振りに、是非拝見したく思い切って長浜まで出向き
ました。山科から長浜まで、新快速で凡そ1時間で行けます。
3月4日(木)の午前のことです。
会場は、「慶雲館」と言う由緒ある建物で開かれています。
今年で「70回」になるそうです。
受付を済ませて会場に入ってから直ぐに目にしたのは、この盆梅でした。
1階の会場の全体を見渡しています。右手の外は、広いお庭です。
では一つ一つ拝見して行きます。
左手にあるのが、「不老」と言う名前で、最も古いもので、樹齢400年と
伝わる古木です。
振り返って見ています。右手は、「雛紗」と言います。
床の間にぴったりの姿です。
近寄って見ています。
こちらも同様の感じを持ちました。
次回に続きます。
前回の続きです。
僅か約15分程しかない(帰りのJRの時間の都合から)中、
並木の中に入りました。
並木の内部は、未だ「黄葉」はこれからと言ったところでした。
さらに中へ。
車も通りますので、注意しつつ。
前方に向かって、左側の様子です。
幹の根元付近の様子です。昭和56年に植えられたとのこと
ですから、約40年経つことになります。
部分的には、この様に黄葉しているのも見られました。
前方に向かって、右側の様子です。こちらの方が、歩道の幅がやや広い様
です。
帰りの集合場所に向かうべく、南側の入口の方を見ています。
南の入口に立っている説明板です。立派なものです。
再び並木の様子を振り返って見ました。
アップでも見ました。
この並木が全て黄金色に変わったら、凄い景色になるでしょうね。
出来れば、もう一度そんな時に来たいなあと思いつつ、現場を
離れました。
最後に、この並木について、現地の資料をお借りして、ご説明
したいと思います。
◇この並木は、延長 約2.4Km 約500本のメタセコイアが
植えられている。
◇昭和56年に、学童農園「マキノ土に学ぶ里」の整備事業の一環
として、造られた。
◇マキノ町果樹生産組合が担当、その後さらに延長された。
◇メタセコイアは、中国原産 スギ科 落葉高木 最大樹高 115m
にもなる。和名 アケボノスギと言う。
◇平成6年、読売新聞が「新・日本の街路樹百景」に選ばれた。
所属する老人クラブの企画で、滋賀県北部のマキノ町にある
「メタセコイア並木」を歩きました。実は時間の関係で「並木道」
を歩いたのは約15分ほどでしたが、雰囲気はしっかりと満喫
しました。
当日の行程は、JR京都駅~湖西線~マキノ駅~マキノピック
ランド(昼食)~メタセコイア並木を歩く~マキノ駅~山科駅
または京都駅 でした。 参加者は 53名 でした。
私にとっては、久しぶりの遠出(府外へ)でした。
先ず、マキノ駅から目的地に向かって、約3.5Kmの道程を
歩き始めました。
道半ばの休憩地での様子です。「ミニ・メタセコイア並木」と言ったものが
ありました。
近寄って見ました。色付き始めの状態かと思います。
さらに、根元を中心に見ました。
その場所から見た景色です。
上の並木は右側にあります。左手は川ですが、そこに架かる橋を渡りました。
やがて目的地の「木の実の王国・マキノピックランド」に到着しました。
ここで、昼食です。
木陰で昼食を摂りました。その場所から見た景色です。
「ピックランド」の中心施設は、左手にあります。
少し見る方向を変えて見ています。
いよいよお目当ての「メタセコイア並木」に向かいました。
並木の南側の入口の様子です。結構多くの人々が来られていました。
少し位置を変えて、斜めから見ています。
次回に続きます。
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