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前回の続きです。
今回も、今まで外からしか拝見していなかった
「永観堂禅林寺」(浄土宗西山禅林寺派 総本山)
に久し振りに拝観しました。紅葉時は初めてです。
嵐山の「宝厳院」に続く断行?です。
永観堂では、12月4日まで「特別寺宝展」として
「源平の争乱と禅林寺」が催されていますが、殆どの
人は「紅葉」に目を奪われていて、余り展示の方には
目が行っていない感じでした。
では、「紅葉」をたっぷりとご紹介しましょう。
(寺宝展は撮影出来ませんから)
「総門」脇の寺名の石碑です。もうここでも多くの「紅葉」が見られました。
その反対側には、案内の「駒札」もありました。
多くの拝観者が訪れるため、多客対応もしっかりとされています。
先ず、検温と手指消毒を、そして左手の白い建物で「拝観券」を購入します。
そして、「中門」から境内へ。
入口の「大玄関」に向かう途中で。
「大玄関」から堂宇に入ります。
「古方丈」で、国宝「山越阿弥陀図」や重文などを拝観。
縁側を歩きます。お庭を拝見。至る所に「紅葉」が見られます。
「釈迦堂」の縁側から、お庭を拝見。
「紅葉」は、お庭にも、お堂の外にも。
次回に続きます。
前回の続きです。
未だ池の畔にいます。そろそろ離れます。
モミジではありませんが、美しく紅葉しています。
漸く池から離れて、「観覧温室」前に来ました。大きなイチョウがありました。
黄葉化が進行中です。
「観覧温室」前の「鏡池」に、そのイチョウの木が映っています。
「逆さイチョウ」です。
「観覧温室」に向かいます。
中に入り、記念展示を拝見しました。
「北山門」に向かいます。
「アマミカジカエデ」 絶滅危惧IA類(CR) 1999年に新種として
発表されました。奄美大島の固有種 ムクロジ科
始めにここへ来た場所です。名所は左手に入りました。
「ヨーロッパカエデ」 アジア南西部 ヨーロッパ ムクロジ科
次回に続きます。
前回の続きです。
今回は、「二条城」です。11月17日(木)午前に行きました。
「桜の園」の桜も、綺麗に紅葉していました。特にこの木が目立っていました。
「桜の園」の西端には、「イチョウ」の高木が黄葉化が進んでいました。
近くの石垣に設けられているのが「南中仕切門」です。
門をくぐって、西を向くとこの景色です。多くの木々が色付いています。
右手には「梅林」が広がっています。
その「梅林」の中で、葉っぱが白っぽく
写真では余り白さが出て居ませんが、実際には驚く程の白さでした。
「西南隅櫓」近くは「紅枝垂れ桜」が並んでいる場所ですが、ここでも
色々な黄・紅葉が見られました。
「清流園」の奥には、紅葉した木々が並んでいます。
少し近寄って見ました。
その向かい側にも、見事な紅葉がありました。
「東大手門」前です。多くの観光客の姿がありました。
前回の続きです。
出口に近付いて来ましたが、紅葉はまだまだ続きます。
中でも比較的立派な木の様に感じました。庭園の中心的存在かと思います。
陽の光の差し具合が素敵です。
右手の木柱は、「渡月橋の旧親柱」とのこと。「大堰川」と記されています。
「渡月橋」の上流側までが、「大堰川」となっています。
橋より下流は「桂川」と名を変えます。
茶室もありました。
これも初めて見る垣根?です。
ここは分岐点です。庭園の回遊路は、私は今一つ呑み込めていません。
出口に向かいます。
正式の入口の様です。趣きがあります。
最後の紅葉です。
紅葉の時期に、初めて拝観した「宝厳院」庭園でした。
見事な紅葉に感動しました。
前回の続きです。
地元新聞の「紅葉情報」によれば、「見頃」とあり、
これは早く行かないと思い、早速出掛けるべしと思い
11月16日(水)午後(珍しく)出掛けました。
先ず「嵐山」へ。
京都の観光情報には、必ず登場する「嵐山・渡月橋」の景色です。
「渡月橋」のその先にあるのが、「嵐山」です。高さは 383mです。
山は色付いてはいますが、今一と言った感じです。
「大堰川」に沿って、上流方向に移動しました。
少し彩りが良くなって来ました。
対岸に一際目立った紅葉が見られました。
光線の加減もあるかと思います。午後にはやや逆光になります。
それにしても、平日なのに人の多いこと!
次回に続きます。近くの「宝厳院」へ向かいました。
対岸には、一際目立った紅葉があります。
凄い人出でした。
この後、「宝厳院」に向かいました。
次回に続きます。
前回の続きです。
桜の花かなと思いましたが、「エレガンスみゆき」 バラ科 とありますので
やはり「桜」の仲間かも? 埼玉県川口市の柴道氏が作出したものとのこと。
「トサミズキ」土佐水木 四国(高知) 日本固有 マンサク科
「ミツバハマゴウ」 シソ科 沖縄、ミクロネシア、東アジア 東南アジア
オーストラリア など。
どれも地味な花達が続きました。
ますますボリューム・アップした「ススキ」です。
「四季彩の丘」 しき いろどりのおか が正しい言い方です。
そこに来ました。
「フジバカマ」も未だ元気でした。
全体像です。
紅葉化した小さな木を見付けました。
「サルスベリ」とあります。
次回に続きます。
前回、京都府立植物園を訪れた時は、未だ「菊花」が咲き始め
た状態だったので、その後はどうかなと思い、11月5日(土)
の午前に出掛けました。
どの菊花も、ほぼ満開状態で咲いていました。
先ず「盆栽仕立て」から。各菊花とも表彰作品の表示がされていました。
こちらは、「京都府立植物園名誉園長賞」でした。
こちらは表彰作品では無かったですが、私は「凄い!」と思ったものです。
こちらは、「京都園芸倶楽部会長賞」です。
こちらは、「奨励賞」でした。根っこの張り具合が見事です。
「盆栽仕立て」の全体像です。
次は、「福助仕立て」です。その中で、「京都府知事賞」です。
こちらは、「京都菊花連合会長賞」です。
「福助仕立て」の全景です。
「古典菊」の1つです。
こちらも、その1つです。
こんなものも置かれていました。
京都府と関係ある施設に置かれています。やや傷みが出ています。
次回に続きます。
前回の続きです。
コスモス→菊→バラと見て来ました。
最後に、「フウ」や見慣れない花などです。
前の台風で枝が大きく折れたりして、木の形が大きく変化しました。
そして、葉っぱの茂りが密になった様に見えます。
台風前は、もっと木の姿がスラッとしていた様に思います。
少し色付きが始まっています。
これは赤くならずに黄色になって行くのでしょうか?
「フウ」の近くの木では、かなり紅葉が進んでいました。
「植物展示場」に来ました。「北山門」に近い場所です。
そこで目にしたのは、
「キイジョウロウホトトギス」 漢字では、紀伊上臈杜鵑草と書いてありました。
この場所では、時々珍しい植物が展示してありますので、必ず覗く様に
しています。今年の「朝顔展」は、ここで催されていました。
前回の続きです。
今度は、「バラ園」を見ました。
結構色んな花が咲いていました。幾つかご紹介しましょう。
「ザンブラ93」 微香 1993年 フランス作出 F系
「サンアンドハート」 微香 2009年 イギリス作出 S系
「花笠」 1978年 日本作出 F系
「凛」 微香 2007年 日本作出 F系
「ディスティニー」 中香 1989年 フランス作出 F系
「カフェ」 中香 1956年作出 ドイツ F系
お馴染みの「マチルダ」です。大分花が増えて来ました。
微香 1988年 フランス作出 F系
白色ばかりでは無く、こんな黄色も咲いています。同上。
黄色が続きますが、「フリージア」 強香 1973年 ドイツ作出 F系
こちらも多くの花が咲いていました。
次回に続きます。
前回の続きです。
今回、ここ植物園に来た目的が「菊花展」を見る
ことでした。
会場は、毎年「早春の草花展」が開かれる場所です。「大芝生地」の北側
にある細長い建物です。
「懸崖仕立て」です。
花はほぼ満開に近い感じです。
「丁子菊」(古典菊)では、これだけが咲いていました。
「大菊3本仕立て」(京都府立須知高校出展)です。
花の直径が、18cm以上のものだそうです。
これ以外は、未だこれからと言ったところでした。
何れも立派な花です。
「福助仕立て」(前出と同様・須知高校出展)です。
花が大きくて、背が低いのが特徴です。50cm以下とのこと。
ここでも、これ以外は、これからでした。
「小菊盆栽仕立て」です。ここでもこれが唯一咲いていたものです。
全体的に時期が早かった様です。
次回に続きます。
前回の続きです。最終回です。長々とお付き合いを
戴きまして有難うございます。
最終の各列は、「祭事」にたずさわる列となります。
「神饌講社列」です。神前にお供えする神饌の列です。
馬上は「御饌長」(みけちょう)です。
「神幸列」の前陣として直前を行くのは、「前列」です。
そんな中での「舞人」達です。
こちらは「迦陵頻伽」(かりょうびんか・鳥)の舞人です。
そして、こちらは「胡蝶」(こちょう・蝶)の舞人です。
「楽人」達が続きます。
「神幸列」の始まりです。車上は「禰宜」の方です。
後方に、「御鳳輦」が見えます。
前の「御鳳輦」は、孝明天皇の御神霊です。
前が「錦蓋」、後ろが「菅蓋」です。
後の「御鳳輦」は、桓武天皇の御神霊が鎮まります。
孝明天皇は、京都での最後の天皇でした。桓武天皇は、平安京に遷都した天皇
でした。何れも平安神宮のご祭神です。
馬車に乗るのは「平安講社・総長」です。
「列奉行」の皆さんです。
「白川女献花列」の皆さんです。神前に供える花を頭にのせています。
最後の列は、「弓箭組列」です。丹波国南桑田(現・亀岡市)と船井(現・
南丹市)の両郡には、弓術に秀でた人が多く、明治維新の山陰道鎮撫の際
に弓箭組が組織されたとのこと。時代祭創設当初から子孫の有志が行列の
警護を担い、参加されています。
約2時間、漸く時代祭の行列は、その最後を迎えました。
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