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2021年10月

2021年10月31日 (日)

秋が始まった植物園(4)

 前回の続きです。
 今回は、「バラ園」が綺麗と聞いたので、そこへ。
 花の名前も丁寧に見ながら拝見しました。

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「賛歌」 1985年 日本作出 HT系 鮮やかな赤色が目を惹きました。

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上と同じくです。

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「マヒナ81」 1981年 フランス作出 HT系 可愛い色です。

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「凛」 2007年 日本作出 F系 絞りの様な感じです。

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「ピース」(上の花)の説明板です。

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「うらら」 1993年 日本作出 F系 沢山の花を見ていると、そんな
気分になりました。

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お馴染みの「マチルダ」 1988年 フランス作出 F系

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上と同じく。

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「フリージァ」 1973年 ドイツ作出 F系 黄色は全体的に少ない
色です。

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「ジュビレ・デュ・プリンセス・デウ・モナコ」 

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「フェー」 1963年 ドイツ作出 F系 こんなにも花びらの多さに
驚きです。

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「マ・パーキンス」 1952年 アメリカ作出 前出の「凛」に良く
似ています。

 次回に続きます。

 

2021年10月30日 (土)

秋が始まった植物園(3)

 前回の続きです。
 未だ「菊花展」の会場にいます。
 「菊花」を使っての変化です。

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菊を育てる過程での変化でしょうか。

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「ミッキーマウス」ですね。

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車輪を使ったベンチの後ろには「ハート」の「菊飾り」が。

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色んな形が造れる様です。

 外に出ました。音楽会が催されていました。

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女の子が弾いているのは「ピアノ」です。

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近寄って見ました。

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それぞれかず上手に造られています。

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「菊花展」の会場の全体を遠望しています。
春にはここで「早春の草花展」も開かれます。

 次回に続きます。

2021年10月29日 (金)

秋が始まった植物園(2)

 前回の続きです。
 「大芝生地」の北側に設けられている「菊花展」の会場に居ます。

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その隣には、背の低い菊が並んでいます。「福助仕立て」と言うそうです。

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その中の1つに注目。

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その説明板です。

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その次は、豪華絢爛な「大菊」が並んでいます。

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その中の1群、「京都府立須知高校」の作品です。京都府の北部の高校です。
学校でも実習で造っているのでしょうか。

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随分手間暇が掛かりそうです。

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さらに、その隣です。

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1鉢だけが咲いていました。

 次回に続きます。

2021年10月27日 (水)

秋が始まった植物園(1)

 10月1日に緊急事態宣言が解除になり、早速
「京都府立植物園」を訪れたのが 3日(日)でした。
 続いて行かなければと思いつつ、それは23日(土)
になって仕舞いました。23日の午前に行きました。

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「北山門」を入って直ぐの「コスモス」群は、前回より一層華やかになって
いました。

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その場所から直進して、時計回りに園内を歩きます。

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ちょっと横道に入って、「フウ」さんと対面。

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何故か、ここの部分だけが、色付いていました。

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良く見ると、こんな実が成っていくました。花が咲いて実が成ると思いますが、
花が咲いたのは見たことがありません。見落としているのかな?

 先ず、「菊花展」の会場(大芝生地の北側)に行きました。今回の目的の
1つです。

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盆栽風の「小菊」が咲いていました。

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違う「小菊」も、この様に。

 次回に続きます。

 

 

2021年10月26日 (火)

時代祭2021(3)

 前回の続きです。
 今回は、もう一つの場面を拝見しました。
 それは、「室町洛中風俗列」の一部です。
 一部と言ったのは、本当は大きな「花笠」が入っていますが
この日には参加が無かったです。

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平安宮の「大極殿」を模して造られた「外拝殿」です。
私は真っ先に、ここにお参りをさせて戴きました。

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「風流踊」(ふりゅうおどり)の一行が登場されました。

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「応天門」前で、始まります。

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始まりました。真ん中で、「太鼓受」と「太鼓打」が演技をされています。
手前の「棒振」が大きな仕草で動き回ります。
「音頭取」が歌い、音楽を奏でる人達の、ゆったりとした雰囲気を醸し出し
ます。

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右の方が、このグルーの代表でした。

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2回目の演技が始まります。

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終わって退場されます。お疲れ様でした。

2021年10月25日 (月)

時代祭2021(2)

 前回の続きです。
 「時代祭衣装」を拝見しています。

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安土・桃山時代「織田公上洛列・滝川一益」
行列には馬上姿で参加。兜は、銀水牛脇立兜。

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安土・桃山時代「織田公上洛列」の主役・織田信長。
勿論、馬上姿で参加。

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兜をアップしました。真ん中は「桔梗紋」ですね。
三枚しころ鍬形打兜と言います。

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江戸時代婦人列「吉野大夫」 打掛
江戸時代寛永の頃、京三筋町の名妓で後に豪商・灰屋紹益の妻となる。

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江戸時代婦人列「出雲阿国」
出雲大社の巫女でした。阿国歌舞伎の創始者で、京都で念仏踊
を興行して広く愛好され、歌舞伎踊にまで発展した。

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江戸時代「徳川城使上洛列」 城使の駕籠
本来城使は駕籠に乗っているが、時代祭では騎馬です。駕籠は「陸尺」
4人が担いでいます。

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本体に近付いて見ました。華麗に装っています。

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江戸時代婦人列「和宮」
孝明天皇の妹、14代将軍・家茂に降嫁された。
お輿入れ前の宮廷における近世女房装束(十二単)姿となります。

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平安時代婦人列「清少納言」
「枕草子」の著者、当時の女官の正装姿です。

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吉野時代・楠公上洛列 主将「楠木正成」
元弘3年(1333)6月、後醍醐天皇が配流先の隠岐からの還幸
にあたって、楠木正成が一族郎党を率いて兵庫に出迎え先駆して
上洛した。それは楠公一代の盛事といわれる。

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兜をアップで見ました。「菊水紋」が見られます。

 次回に続きます。

 

 

 

2021年10月23日 (土)

時代祭2021(1)

 コロナ禍のため、2年連続で「時代祭」は中止となっていますが、
「時代祭」が執行される10月22日(平安遷都の日)には、
何かがないかと思い、その前日の21日に「平安神宮」に
出向いて見ました。21日(木)午前のことです。
 そうすると、2つの行事に出会うことが出来ました。
 その1つは、時代祭の行列に参列する人々の衣装の展示と
 その2つ目は、行列に参加する1つ「室町洛中風俗列」
の「風流踊り」の実演が見られました。

 では、先に拝見した「時代祭衣装」から、ご紹介させて
戴きます。

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その展示は、拝殿の左手前にあるこの建物「額殿」の中で行われていました。

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展示会場の中を見渡しています。北の方から見ています。

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反対側の南からも。

 では、個々に見て行きます。

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平安時代婦人列「百済王明信」
藤原種縄の妻、百済王氏の出、桓武天皇の信頼が厚く、尚侍(女官長)
として天皇を陰から支えた女性。
平安朝初期の女官の正装姿。

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平安時代婦人列「紀貫之の女」 女とは、この場合は娘の様です。
10世紀半ばの若い未婚女性の平素の姿。

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平安時代婦人列「巴御前」 
木曽義仲の愛妾で武勇の誉れ高き女性。行列には馬上姿で参加。
太刀に長刀を持って義仲に従って出陣した時の姿。

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中世婦人列「淀君」 
太閤秀吉の側室、秀頼の生母。唐織、刺繍、染めなどの最高の技術を生かした
桃山時代を代表する豪華な衣裳。外出着。

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中世婦人列「静御前」
源義経の愛妾、悲劇の女性。平安末期から女人の舞装束として
用いられた水干を着けた白拍子姿。

 次回に続きます。

 

2021年10月21日 (木)

アジアの女神たち・展

 京都の「龍谷大学・龍谷ミュージアム」の
秋季特別展「アジアの女神たち」を拝観しました。
 10月19日(火)午前のことです。
 世界各地で人が最初に作った人間の姿は、例外なく
女性像だとか。
 「多産を祈る生物としての根源的な感覚かもしれない」
と、当館学芸員の方の言葉。
 原始の時代の「土偶」から始まり、優しい女神もあれば
恐ろしい女神や闘う女神など、多種多様の女神たちを
拝観しました。
 勿論展示品は撮影禁止ですので、何時もの様な方法で
極一部をご紹介したいと思います。

 先ず展示の構成内容は、次の通りでした。
第1章 太古の地母神とその末裔
第2章 インドの地母神からヤクシーへ
第3章 インドの女神たちと仏
第4章 「デーヴィー・マーハートミヤ」と大女神
第5章 観音になった女神ー性を超えた聖ー

    延べ 150点

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「堀川通」に面した「龍谷ミュージアム」前です。
受付は、地下1階です。

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前面に置かれた展示会の看板です。

 展示は、2階と3階の2会場でした。

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撮影が許されている2階の入口傍にあった看板です。

 部分的にアップして見ましょう。

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「縄文の土偶」です。女性ですね。

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「魚籃観音」(ぎょらんかかんのん)、観音は女性?

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初めは子供を食っていたと言う「鬼子母神」子供の守護神。

 説明書きをじっくりと読みながら拝観していると疲れますが、
見応えがあり、得ることが多くありました。

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「ミュージアム」の向かいは、「龍谷山 西本願寺」(浄土真宗本願寺派)です。

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「山門」前に来ました。

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少し北には「唐門」があります。

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斜めから見ています。

2021年10月18日 (月)

1か月振りの嵯峨野歩き(2)

 前回の続きです。
 「広沢池」の西側に広がる「北嵯峨田園地帯」に
来ました。と言っても、道を隔てた隣です。

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道の傍には、その時々の季節の花が咲きます。今はご覧の通り「コスモス」
です。どなたかがお世話戴いている様です。
「コスモス」の向こう側(人の姿が見えます)では、広場で子供達の「ラグビー」
教室が開かれていました。

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自然生えの様に思いますが、立派な花が咲いています。

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ここでも「愛宕山」が近くに見えます。

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その先には、「ススキ」も。

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刈り入れが早くに行われたため、「ヒコバエ」が立派に育っています。
「北嵯峨田園地帯」の北西方向を見ています。

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南西方向(嵐山方面)を見ています。

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近寄って見ると、こんな具合です。

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稲わらを燃やしているのかな?
田んぼの煙は、何となく叙情を感じます。

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道端で見掛けた花ですが、「ヒルガオ」ですかね。

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「アジサイ」を連想しますが・・・。

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「カキ」が正にスズナリです。

 次回は、「大覚寺前」から「嵐山」まで歩く予定です。

 

 

2021年10月17日 (日)

1か月振りの嵯峨野歩き(1)

 約1か月振りに、「嵯峨野歩き」をしました。
 「広沢池」から「北嵯峨田園地帯」を経て、
「大覚寺前」まで、約1時間歩きました。
 10月16日(土)午前のことです。
 前回は、9月13日でした。
 大きな年中行事も、コロナ禍で全部が中止となり、
そうでないものでも神事だけで一般の人間は参加も
出来ず、体力・気力の衰えで遠出も儘ならず、結局
は自分が決めた幾つかの歩きコースの繰り返しで日々
を過ごす結果となっています。
◆近場を歩く ◆嵯峨野歩き(2回に分けて) 
◆鴨川河川敷の道歩き(数回に分けて)
◆京都御苑内歩き ◆宝ケ池周辺歩き(鳥達との出あい)
などの繰り返しで、ほぼ半日を過ごしています。

 さて、「嵯峨野歩き」のスタートは、何時もの通り
「広沢池」からです。池の東南隅に立ち、色々と見ます。

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「キバナコスモス」?が、より一層その色を輝かせていました。

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黄色い蝶々が数匹、花から花へ、飛び回っていました。

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「キバナコスモス」?の全体像です。以前より少し増えている様
に思います。

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その位置から、池の全体を見ています。今日は風を感じませんが、池面は
鏡面とは言えません。

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少し「愛宕山」に近付いて見ています。

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池の東北部の風景です。古民家風の景色が出来上がって来ました。

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「遍照寺山」ですが、以前は山の木々が綺麗に色付いていましたが、木々の
種類が変化したのか、その美しさが最近見られなくなりました。
今日は未だその時期では無いですが・・・。

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池のほとりの石仏さんです。どなたかがお祀りされているのでしょうか。

 次回に続きます。

 

2021年10月14日 (木)

久し振りに京都御苑へ

 未だ暑さが続く京都(だけでは無いですが)ですが、
歩き先が1か月以上後となっている私の行動パターン
です。今回の「京都御苑」も、前回が9月7日でした。
今日 10月10日(日)の午前、久し振りに歩き
ました。感染防止の為のマスク着用などの立て札は、
前と同じく立てられていました。
 何時もの様に、「富小路口」から入りました。
 日曜日とあって、グランド2か所では野球の試合が
賑やかに行われていました。

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「富小路口」を入って直ぐに目に入る光景です。前にもご紹介しましたが、
この辺りは、「京都博覧会場跡」です。

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少し葉っぱが色付いて見えたので、近寄って見ました。
その先には、「富小路広場」があってグランドになっています。
大人達が野球に興じていました。
もう1つの広場「今出川広場」では、少年野球が3面位で行われていました。

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何時も赤い実が見られた「仙洞御所」の南側の築地塀では、こんな様子で
した。赤い実が見られません。下に落ちた様でも無いです。どうしたのかな?

何時もの様に「寺町御門」から一旦外に出て、「仙洞・大宮御所」の東側の
築地塀に沿って歩きました。

 そして、「清和院御門」から、再び苑内に。

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その門の南側の石垣の様子です。そこで目にしたのは、

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この大きな切り株です。何んの木?「ケヤキ」かな?
切り倒されてからも大分時が経っている様に見えますし、木そのものも大分
古木の様に見えました。
大胆に推測して、100年前とすると、2021-100=1921→大正
10年となりますが・・・。
「京都御苑」が今の様な形に整備が始まったのは、明治10年(1877年)
と言われています。
それから、どれ位の期間が掛かったのか分かりませんが、この木がその時に植え
られたと仮にすると、現時点で144年。切り倒されてから50年とすると、
この木はやはり100年近く立っていたと推定されます。

 再び苑内に入り、「コオロギの里」がある林の中を歩きました。

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草が生い茂り、小径を狭めます。

 この後、残りを歩いて、「間之町口」(あいのまちくち)から外に出ました。

 因みに、御苑は 東西約700m 南北約1,300m あります。
 ほぼ苑内の外周ぎりぎりを歩いていますので
  700+1300+1300=3300m
 を歩いた勘定になりますか? 写真を撮ったり、キョロキョロしたりして、
 所要時間は 1時間以上 掛かります。

 

2021年10月13日 (水)

発見された日本の風景・展を観る

 美しかりし明治への旅「発見された日本の風景」展を、
京都国立近代美術館にて観覧しました。
 10月9日(土)午前のことです。
 10月31日(日)まで開催しています。

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「京都国立近代美術館」の正面です。
手前の広い道路は、「神宮道」です。右に行くと突き当りに「平安神宮」
があります。

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その建物を「慶雲橋」(赤い欄干)から見ています。

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正面に近寄って見ています。

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正面前には、色んな広告の絵が立っています。
左の絵は、笠木次郎吉の「提灯屋の店先」です。

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河久保正名の「田植え」です。

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笠木次郎吉の「牡蠣を採る少女」です。

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チャールズ・ワーグマンの「見物する人々」です。
殆どの絵が、明治年間の後半に描かれたものです。

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館内に入ります。入った正面の様子です。
会場は3階です。エレベーターで上がります。

会場内は、勿論撮影禁止です。
第0章 序 明治洋画史を眺める 有名画家の絵が 7点 明治30年頃
第1章 明治の日本を行く 外国人画家も含めて163点 風景画
第2章 人々の暮らしを見る 同上      77点  人物中心
第3章 花に満たされる   同上      39点  花が中心  
                   合計 286点
見応えがありました。

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「コレクション展」が開かれている4階の窓からの景色です。
平安神宮の大鳥居、通りは神宮道、向こうの建物は京都市京セラ美術館
山並みは東山連峰

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大鳥居の向こうには比叡山、その手前の伽藍は黒谷さんの金戒光明寺

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手前は琵琶湖疏水に架かる慶雲橋、真ん中の向こうは、「都ホテル」です。

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外へ出ました。そして大鳥居を仰ぎ見ました。

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「神宮道」の突き当りの「平安神宮」の「応天門」前では、何か催しが
行われている様です。

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今回のパンフレットです。

バスを待っていると、

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突然こんな2階建てバスが来てビックリ!

 

 

2021年10月12日 (火)

宝ケ池の鳥達に逢いに

 前回は、9月6日でしたので、約1か月ぶりに
彼らに逢いに行きました。10月8日(金)の
午前のことです。必ず彼らは居るとの確証はあり
ませんから、姿を見るまでは不安です。
 そんな思いを抱きつつ歩いていると、居ました。
 それも場所が前とは違ったところでした。
 以前一度居た場所ですが、前回の場所から大きく
移動したところです。池の中ですから、何処に行く
にも自由には動けますが、何故か大移動していました。

 何時もの通り、「宝ケ池」の周りの道を反時計回りに
歩きました。

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「宝ケ池」に到達して、直ぐに出会う場面です。
「寝子ケ山」(ねねがやま)の姿が、やや波立つ池面に、綺麗に映えていました。

 ここから、右手に歩みを進めます。

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すると意外にも、早い段階で、彼らに出会いました。
以前に一度居たことがある場所です。相変わらず「ソーシャルディスタンス状態」
です。そして、多くの仲間が居ました。

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数えて見ると、全部で 9羽もいます。

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少しずつ右手に移動しつつ撮りました。

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珍しく、「白」の方が立ち上がっています。

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久し振りに見る光景、相対しています。

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何か会話をしていますが、やや緊張感を感じます。

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再び「ソーシャルディスタンス」状態になりました。

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突然、羽ばたきをしました。

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約10分間のことでした。「白」が近寄って来る他のカルガモを追っ払う
一幕もありましたが、直ぐにこの状態に戻りました。

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再び「寝子ケ山」を撮りましたが、目的は彼らの移動距離を知って貰いたい
為です。
前回居た場所は、左手奥でした。今日居た場所は、右手奥でした。池の中で
最も長い距離を、何時か移動しています。カルガモは飛べますが、アヒルは
多分飛べないと思います。2羽は泳いで移動したのだろうと想像します。

2021年10月11日 (月)

鴨川河川敷の道を歩く(10)

 前回の続きです。
 「五条大橋」を過ぎました。さらに下流に向かって
歩いています。

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川中に色んなものが見えます。
良く見ると、石だったり、その石の上にとまっている鳥達だったり。

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そんな中で一際目立つのが、この鳥です。「カワウ」かと思いますが・・。

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また、「アオサギ」も。水中の獲物を狙っているのかな?

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右手のビルとビルの間に「京都タワー」が見えますが、写真では分かり難い
ですね。実際にはもっと良く見えたのですが・・・。
近付く橋は、「七条大橋」です。

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欄干の模様がユニークです。何かを表していると聞きましたが、思い出せません。
「七」の字を模様化した?

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対岸に見えるのは、「稲荷神社」と地図には表記されていますが、歴史的に
有名な出来事に関連したところと、以前知ったのですが・・・。
最近、こんなことが増えました。

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鉄道橋が集まっているところです。新幹線や在来線など。

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今回の終点の「九条大橋」が見えて来ました。この橋もユニークな形をして
います。
以前は、ここから更に下流に向かって歩いていましたが、もう無理はしません。

2021年10月10日 (日)

鴨川河川敷の道を歩く(9)

 前回の続きです。
 今回は、「四条大橋」からのスタートです。
 川の様子を見たり、対岸の様子を見たりして歩いています。

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四綾佛高松万五条の「松」=松原橋です。下流側から見ています。

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「五条大橋」の手前、ビルの間に「京都タワー」が見えました。

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河川敷の道の傍には、こんな標識が所々に置かれています。

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今日の歩きの一部です。

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「五条大橋」の上流側を見ています。「三条大橋」とは違った貫録があります。

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国道1号線ですから、橋もしっかりと造られています。

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「五条大橋」の下流側です。ここにも護岸防御対策がされています。

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振り返って「五条大橋」を見ています。ここの交通量は凄いです。

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かつてこの辺りは「遊び場所」でした。その雰囲気が、今も残っています。

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この辺りでは川の水が見えません。右手奥に川が偏っています。

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川中の「生け花」です。誰が・・・?。(自然のなせる業です)

 次回に続きます。

 

2021年10月 9日 (土)

鴨川河川敷の道を歩く(8)

 前回の続きです。
 少し間が空きましたが、今回は「四条大橋」から
歩き始めました。10月5日(火)午前のことです。

「四条大橋」付近には色々と見るべきものが多いので
中々前進出来ません。

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「四条大橋」の北東近くに立つこの像です。
「出雲の阿国」です。この界隈は芝居発祥の地です。

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そして完成形とも言える、ここ「南座」です。正面です。

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上の方を見ています。昔の芝居小屋の名残の「やぐら」が置かれています。

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西側にある「楽屋口」です。

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漸く河川敷の道に降り立ちました。下流から「四条大橋」を見ています。
今日は左岸を歩きます。

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「四条大橋」の南西隅近くに立つ「東華菜館」(右側)です。歴史ある
建物です。「四条大橋」が出ると必ずと言って良い程、出て来ます。
手動の「エレベーター」があります。

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荒れる鴨川の護岸の防護対策の様です。

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鴨川の下流方向を見ています。右側に並ぶ建物群のその西側には、京都市内
有数の繁華街「河原町通」が通っています。河原とは鴨川のことです。
河川敷の道の様子も、右岸(手前)と左岸(向こう側)とでは違います。

 次回に続きます。

2021年10月 8日 (金)

再開の植物園へ(5)

 前回の続きです。

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「北山門」(帰途)に向かう途中で見掛けた花々です。
「シュウメイギク」(貴船菊とも)です。

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白色もあります。

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白をアップで。

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僅かに残っていた「シロバナマンジュシャゲ」です。園芸品種 ヒガンバナ科。

「北山門」の近くに来ました。

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残っていた「ダリア」です。白いものが見えます。

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今回のお目当ての1つです。「ネコノヒゲ」と言います。
地元新聞で紹介されていました。
インド、マレーシア原産の多年草で、高さ40~60センチとなる。
花は唇形で下から順に開花する。和名はぴんと長く伸びた4本の雄しべと
1本の雌しべを猫の髭に見立て事による。
寒さに弱く生育には10度以上が必要。
利尿や血圧降下の作用がある薬用植物として、全草を乾燥させた茶を
飲用する。

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午前10時45分頃の「北山門」から園内の様子を見ています。

 

2021年10月 7日 (木)

再開の植物園へ(4)

 前回の続きです。
 「四季彩の丘」に来ました。

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先ず目に付いたのが、これでした。「オミナオシ」です。

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その横には、「フジバカマ」がありました。
キク科 関東以西から九州などに分布 秋の七草の1つ
かつて京都府内では絶滅したと考えられていましたが、約20年前に西京区
大原野で発見されました。戴いた資料から。

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続いて、これも秋の代表的草花です。「ススキ」です。

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丘の裏手には、「スイフヨウ」が多く見られました。
アオイ科 数少ないフヨウの園芸種 早朝から咲き始め、朝は純白、昼は
桃色、夕方から夜にかけてさらに色が濃くなり紅色に変化します。
「酔芙蓉」の名は、この赤くなる様がお酒を飲んで酔っぱらったように
見えることに由来します。1日花です。こちらも資料から。

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こちらは「フヨウ」です。

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 次回に続きます。

2021年10月 6日 (水)

再開の植物園へ(3)

 前回の続きです。
 何時もの様に、「植物園」内を時計回りに
歩いています。

 「正門」前に来ました。

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「正門」の北側に比較的大きな花壇がありますが、色んな花が咲いています。
その中で一際目立ったのが、こちらでは元気な「カンナ」でした。
背景は、「観覧温室」です。

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ご覧の通りの様子です。

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名札を探したのですが見当たりません。沢山の球体が実っています。
ここでは、この植物を多く見ました。

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その北にある花壇でも、色んな花が咲いていました。

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「観覧温室」に向かう通路の左手に池があり、「スイレン」が咲いていました。

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葉っぱが正反射して、こんな様子でした。

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通路の右手が真っ赤に染まっていました。

 この後、「四季彩の丘」に向かいます。
 次回に続きます。

 

2021年10月 5日 (火)

再開の植物園へ(2)

 前回の続きです。

 「沈床花壇」から「バラ園」に向かいました。

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「バラ園」の中で、何時も注目しているのが、この「マチルダ」です。

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少しピンクが掛かっています。これも「マチルダ」です。

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「ジャルダン・ドウ・フランス」です。

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「フェー」です。

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「アプリコット・ネクター」です。

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「プスタ」と言います。

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「植物園会館」の前方にある「ソテツ」の周りにも「コスモス」が咲いて
いました。

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その周りには、さらに「水生植物」が色々と見られます。その中の1つ、
「ヒレタゴボウ」と言います。北アメリカ産 アカハナ科 です。

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何時見ても気持ちが悪い「ヘビウリ」です。一部黄色く色が変わり始めて
いました。

 次回に続きます。

 

 

2021年10月 4日 (月)

再開の植物園へ(1)

 少し隙間が生じました。
  緊急事態宣言の為「休園」していた「京都府立植物園」が、
9月30日で解除され、10月1日から「再開」されました
ので、早速3日(日)の午前に出掛けました。

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何時もの様に、「北山門」から入りました。その先に、毎年「コスモス」
が植えられていますが、そろそろ花が咲き始めていました。

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花は未だちらほら状態でした。

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毎度の如く、「フウ」さんにご挨拶を。しっかりと葉っぱが茂っています。
紅葉が楽しみです。

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木の天辺の様子です。

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「沈床花壇」へ向かう途中で見掛けた光景です。何故か大木が切り倒されて
いました。切り屑が傍にあるので最近のことかと想像しました。

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切り口を見ました。真ん中に何か異常を感じました。

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切り株も、こんな状態でした。だから切り倒されたのかなと・・・。

「沈床花壇」に来ました。

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一番ましそうな「カンナ」でした。

 次回に続きます。

2021年10月 1日 (金)

鴨川河川敷の道を歩く(7)

 前回の続きです。
 「三条大橋」の下流付近まで来ました。

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「三条大橋」のほぼ全景を下流から見ています。

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この辺りの両岸の堤防は、更新されている様です。そう言えば大分前に濁流で堤防が
崩れたことがあったと記憶しています。

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左岸もご覧の通りです。

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「三条大橋」の下流部分では、川底がこんなに浅くなっているのに驚きました。
川底が浅いと言うことは、川の氾濫が起こり易くなるのではないでしょうかね。

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少し下流部でも・・・。

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実は何も写っていないのですが、瞬間の出来事で現象に追っつか無かったのです。
その現象とは、かなり広い範囲で、何かが素早く移動すると言う現象です。
川中に魚がいる訳でもなく、また鳥などが飛んでいる訳でもなく、稲妻の様な速さで
川の表面に波紋が広がるのです。何回が撮影に挑戦しましたが、成功しませんでした。
川底から起こっている様にも見えました。不思議な思いでした。

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対岸の注入口は、比叡山を源流とする「白川」の流れの到達点です。

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今回の終点の「四条大橋」が見えて来ました。左上の大きな建物は、「南座」です。
河川敷の道の様子は、ご覧の様です。歩く部分は「砂道」です。

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「四条大橋」上から、上流を見ています。左側の道を歩いて来ました。
「みそぎ川」上には「床」が並んでいます。右側にも河川敷の道があります。時々歩き
ます。遠くには「北山連峰」がはっきりと見えます。

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