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2021年9月

2021年9月30日 (木)

鴨川河川敷の道を歩く(6)

 前回の続きです。
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河川敷の道を歩いていて中々植物に出会いませんが、珍しく「みそぎ川」縁に
咲いていた花です。

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「フヨウ」の花かと思いますが・・・。

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その近くにも、こんな絵画の掲示がありました。

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これから宴会をする2人の武士(刀が見えます)のところへ、杖をついた老人が介助
して貰いつつ遣って来ます。その人達に向かいの料亭からご馳走が運ばれようとして
います。昔の「床」での様子の様です。

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「三条大橋」の上流の川の中に、こんなものが置かれていました。
どの様にして石の上に置かれているのでしょうか?

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アップで見ました。上の石は、人の顔と言うより「サル」の横顔の様に見えます。
きっと不法な行為かと思うのですが、黙認でしょうか?

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「三条大橋」を下流から見ています。やはり今まで見て来た橋とは違って「風情」が
あります。上流に見える橋は、「御池大橋」です。
この辺りの河川敷の道は、この様に舗装されています。

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「三条大橋」の下流の段差にも、この様な「魚道」が見られましたが、使い方は想像
出来ません。

 次回に続きます。

 

一部を大きくして見ました。

2021年9月29日 (水)

鴨川河川敷の道を歩く(5)

 前回の続きです。

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「二条大橋」の下には、こんなものが据えられています。
 流石 京都かなと思います。

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一部を接近して見ました。真ん中を左右に流れているのが、「鴨川」です。
川に架かる橋が2つ見えますが、右側が「五条橋」、左側が「四条橋」です。
「祇園祭」の山鉾巡行時の様子が描かれています。

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その傍には、こんな絵画も掲示されています。

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「みそぎ川」の様子を見ました。こんな高低差に驚いています。

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坂道を上がって、上の様子を見ました。右がここまでの「みそぎ川」の流れ
です。そこへ左手からも流れ込んでいます。この地で合流して、下流に
流れて行きます。

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左手の流れ口の様子です。

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この辺りから、「みそぎ川」上に設けられた「床」(ゆか)が続きます。

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その辺りから上流方向を見ています。見える橋は、「二条大橋」です。

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川の中を見ると、こんな壊れた様な石造りが見られました。
珍しい状態の石造物と感じました。「段差」では無く、突堤状のものと見え
ました。どんな目的で造られたものでしょうか?

 次回に続きます。
 
 

2021年9月28日 (火)

鴨川河川敷の道を歩く(4)

 前回の続きです。
 前回 9月23日に続き、9月25日(土)
の午前も、前回終点の「丸太町橋」から
「四条大橋」まで歩きました。素晴らしい晴天でしたが、暑かった
です。行き交う人は疎らでした。マスクなしで歩きました。
 橋の名前で言うと、丸太町橋~二条大橋~御池大橋~三条大橋
~四条大橋 因
みに通り名で言うと、 
 丸竹夷二押御池姉三六角蛸錦四
 まるたけえびすにおしおいけ あねさんろっかくたこにしきし
と言う風になります。余興でした。

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今日の出発点の「丸太町橋」を下流側から見ています。ここでも大きな柳
が見られました。

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適当なソーシャルデイスタンスを保って、鳥が3羽川中に佇んでいました。
青サギ・真ん中不明・カワウの様です。

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鴨川河川敷の道の右岸側の下流方向を見ています。この辺りの道の様子は
田舎の野道風ですが、もっと下流では道は舗装されています。

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対岸には短いけど優美な木橋が架けられていますが、そこは「琵琶湖疏水」
の伏見方面への流れとの分岐点になっています。

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鴨川は適度の川幅を有し、ゆったりと流れています。

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この段差でも、「魚道」が設けられていますが、本来の使い方はこれでは
ないのではないかと思います。

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鴨川と並行して流れる「みそぎ川」の始点ですが、どこから湧き出ている
のかなと思いました。

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ここにも対岸への飛び石が造られています。色んな形に造られています。

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何時頃破壊されたのか?川底に造られたブロックが破壊されて転がって
います。増水時の水流の激しさが思い知らされます。

 次回に続きます。

 

2021年9月27日 (月)

鴨川河川敷の道を歩く(3)

 前回の続きです。
 川中の石の大きな亀 3頭?に感動しつつ前進すると、
直ぐに「荒神橋」に至りました。

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「荒神橋」です。「加茂大橋」もそうでしたが、こちらも比較的新しい様に
見受けられます。
「荒神橋」と言えば、かつて「荒神橋事件」と言う事件がありました。
学生運動激化の時、学生群と警官隊とがこの橋の上で衝突し負傷者も発生
しました。昭和28年11月のことです。当時の橋はこの橋では無く、架け
替え前のものです。

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前回ご紹介した「白砂」がここまで広がっています。

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ここでは川幅の半分位まで、「白砂」が広がっています。
見える橋は、「荒神橋」です。

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少し下流の段差を見ています。その手前には、

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その段差の一部に設けられた「魚道」ですが、こんな急流では魚達は飛び
越えられるのかなと思いつつ眺めていました。

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何時もここを通る時にご紹介しているのは、この建物です。
江戸時代の文化8年(1811年)に京に来て住んだ「頼山陽」の
「山紫水明処」です。

 今日は、この辺りで終わりとします。

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「丸太町橋」です。ここも最近更新されました。

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耐震工事もその1つでしたが、橋の下にはこんな頑丈な金具が10個以上
取り付けられていました。

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橋の南西部には、こんな石碑が建っています。
「女紅場址」(にょこうばあと)とあります。
明治5年(1872年)に設けられた女子の高等教育場、
後に京都初の高等女学校、現在の鴨沂高校につながります。

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さらにその西側には、こんな建物があります。
大正13年(1924年)に建てられた「旧京都中央電話局・上分局」です。
現在は、ご覧の通りスーパーマケットです。

 

2021年9月26日 (日)

鴨川河川敷の道を歩く(2)

 前回の続きです。
 賀茂川から鴨川の河川敷の道の右岸を歩いています。

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流れる水量は、少し多いかなと思います。陽光に映えて川面はキラキラと
輝いています。

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川面を見ながら歩いていると、川の様子が変わって来ました。
ご覧の様に、白砂が流れ込んでいます。

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良く見ると、比較的大きな流れ込み口が見られました。
帰宅してから地図を見ると、東山東一条から斜めに、吉田下阿達町まで至る
道路がありました。かつて川が流れていたか、今も暗渠で流れていて、鴨川
に流れ込んでいるのかと推測されます。「白川」と同じ「白砂」かと思われ
ます。

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右岸では、またもこんな造形?がありました。大小の球形の石が置かれて
います。

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見る位置を変えて見ました。

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少し近寄って見ました。

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近くの川中では、こんな情景が見られました。ここにも少し人の姿が見ら
れました。

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川中には、大きな亀が3頭?流れに逆らって佇んでいます。
少なからず感動を覚えました。

 次回に続きます。

2021年9月25日 (土)

鴨川河川敷の道を歩く(1)

 実は、今年5月8日以来の「鴨川河川敷の道」歩きですが、
「お久しぶり」と言うのも気恥ずかしくなり、敢えて言うこと
を避けました。
 9月23日(木)秋分の日の午前に、「出町橋」から賀茂川
の右岸の河川敷の道を、「丸太町橋」まで歩きました。

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今回の出発点の「出町橋」の北西隅の様子です。
若狭の国とを結ぶ「鯖街道」の京の出入り口です。「鯖街道」は幾つかの
ルートがあります。

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その場所には、「出町柳」の地名に因んで、この様な大きな「柳」
の木が植えられています。

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河川敷の道に入る場所には、こんなものが置かれていました。
貼られている掲示を見ると、使用可能な様です。

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さらに進むと、こんな「ストンサークル」風の造りがありました。
中心にあるのは噴水の様です。

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中々先に進めませんが、こんなものもありました。
京都の写真家・甲斐扶左義氏の「鴨川逍遙」と言う題名の写真群です。

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川と人とのコラボの様です。

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賀茂子明手前)と高野川(奥)との合流点です。休日とて多くの人の姿が
見られました。遠くに見えるのは、「比叡山」です。比叡山と言っていますが
実は「四明ケ嶽」と「大比叡」の2つの峰の総称です。

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「出町橋」から下流の「加茂大橋」です。

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雑草の中で、こんな花が咲いていました。私がここで「ヒガンバナ」を
見たのは初めてです。

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ここは「鴨川」になっています。先の合流点から名前が変わりました。
急流を和らげる為の段差が多く造られています。

 次回に続きます。

2021年9月23日 (木)

お久しぶりです(4)嵯峨野歩きー7

 前回の続きです。
 このシリーズの最終回です。
 JRさがの線や嵯峨野観光トロッコ列車の線路の
トンネルの上の坂道を歩いて、「竹林の道」の西の
入口に来ました。

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緩やかな坂道の上から、「竹林の道」を見通しています。
人の姿は、ごく疎らです。ここは観光の人達には魅力のスポットですが。

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ゆっくりと進みます。道の半ばの屈折点です。

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そこから後半を見通しています。

「野宮神社」の横を通り、広い道(愛宕道)に出ました。
バスの時間まで、少し余裕があるので「渡月橋」に向かいました。

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「渡月橋」の北詰からの眺めです。ここも人の姿は疎らでした。
ここは京都のニュースの色んな場面で登場します。
コロナ禍の観光状況やお天気の様子など。

北詰に建つ石碑です。
「琴きき橋」とは、高倉天皇に愛されていた「小督局」が、平清盛の怒りを
恐れて嵯峨野に身を隠す。小督探索の命を受けた源仲国は、この辺りで小督の
弾く琴の音を聞き、居場所を探し当てたとされる。

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橋の下の直ぐ下流の様子です。ここから「桂川」となります。
橋の上流までは、「大堰川」です。
近年の川の氾濫から、川底の砂利が少し除去されました。

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広い川幅も、豪雨の際には濁流が溢れます。

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もう一度「渡月橋」の全体を眺めて見ました。

2021年9月22日 (水)

お久しぶりです(4)嵯峨野歩きー6

 前回の続きです。
 このコースの前半(広沢池~大覚寺前)は「静」、
後半の今歩いているコース(大覚寺前~嵐山)は
「動」と私は勝手に思っています。
 前半は静かな田園地帯、後半は人も多い観光地
だからですが、今はコロナ禍の影響で殆ど人には
出会いません。

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「常寂光寺」前に来ました。その傍にあるカエデは、私が歩くこのコース
の中で最も早く「紅葉」します。

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その部分をアップで見ますと、こんな具合です。

そして、その木の下には、

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こんな碑があります。吉田光由の「塵劫記」(じんこうき)です。
京都嵯峨が生んだ偉大な和算家です。江戸時代前期の人です。

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常寂光寺前を左折して直進すると、「小倉池」があります。
未だ少し蓮の花が咲いていました。池の南の部分だけです。

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ここ数年間で、池全体に「蓮」が拡がりました。

 次回に続きます。

2021年9月21日 (火)

お久しぶりです(4)嵯峨野歩きー5

 前回の続きです。

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鳥居本の三叉路を経て、「祇王寺」への道の近くにある
お宅でも毎年秋を感じる道具立てがあります。

そのお宅の前にも、色んな花達に出会えました。

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「長神の杜」の中にも秋の気配がありました。

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その近くには、「落柿舎」があります。

そこで見た貼り紙には、「柿の落下のご注意を」。成る程!。

その柿の木では、

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色付き始めていますが、未だ「落柿」の心配はない様です。

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一部をアップで見ました。

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少し離れたところから、「落柿舎」を見ています。

 次回に続きます。

2021年9月20日 (月)

お久しぶりです(4)嵯峨野歩きー4

 前回の続きです。
 前回は、9月13日(月)に広沢池から
大覚寺前まで歩きましたが、今回はその後の
9月16日(木)に大覚寺前から嵐山まで歩き
ました。以前は広沢池から嵐山まで通して1回
で歩いていましたが、最近は通しは無理で、2
回に分けています。年ですね。

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大覚寺前から歩き始めて直ぐのお宅の「栗」の木は、毎年見ている木です。
今回は、「小さな秋」を探しての歩きとなりました。

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固まって栗の実が生っていました。少しだけ弾け掛けているものも見られました。

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少し歩くと、芋の葉っぱが生い茂っている中に、一輪の「ヒガンバナ」が
見られました。

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その元気な芋畑です。

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その畑の一角で咲いていた花達です。

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勿論「ヒガンバナ」も仲間入りしています。

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典型的な秋の風景です。
遠くに見える大きな茅葺のお宅は、「北嵯峨 井上家」と言って、昔
庄屋を務めていたお宅で、築後300年は優に超えているとか。

 次回に続きます。

2021年9月18日 (土)

お久しぶりです(4)嵯峨野歩きー3

 前回の続きです。
 「北嵯峨田園地帯」の西端付近を歩いています。

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こんなクラシックな「案山子」を見掛けました。

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刈り入れが終わって、お役目が終わった「脅しのトンビ」を引き上げる農家の方。

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その近くでは、刈り入れ進行中の様子も。こちらでは「脅しのトンビ」が空中を泳いで
います。

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早くも「ヒガンバナ」が咲いていました。

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整った姿の花も見られました。

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良く見渡すと、この近くだけで咲いていました。

 

2021年9月17日 (金)

お久しぶりです(4)嵯峨野歩きー2

 前回の続きです。
 「広沢池」の西側に広がる「北嵯峨田園地帯」の
東縁にいます。田んぼの傍の土道を歩いています。

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早くも稲の刈り入れが始まっていました。

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刈り終わった田んぼに色んな鳥達の姿がありました。
「シラサギ」が一番多く、他に「アオサギ」も。

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少し離れたところ(右端)には、こんな鳥も。

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それが、この鳥です。「トンビ」?・・・。鋭い顔をしています。

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刈り入れは未だ先の稲の様子です。

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少し近寄って見ました。

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脅しの「偽トンビ」が風に吹かれて、本物の様に飛んでいます。
風に合わせて上下に飛んでいます。

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こんな花を見付けました。

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近寄って見ると、こんな様子でした。

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秋の草ですね。「ネコジャラシ」?

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ここでも風に揺られて一輪の「コスモス」が咲いていました。

 次回に続きます。

 

2021年9月16日 (木)

お久しぶりです(4)嵯峨野歩きー1

 本当に久し振りです。7月4日以来です。
 9月13日(月)の午前に、広沢池から
大覚寺前まで歩きました。

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何時もの光景の「愛宕山」と「広沢池」と「キバナコスモス」です。
何時もの様に、池の南東隅からの様子です。

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曇り空の「広沢池」です。少し波立っていました。

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この界隈の観光地化の一環で、トイレの整備や、こんな照明施設も整備
されています。

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「遍照寺山」も物静かな佇まいを見せていました。

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「北嵯峨田園地帯」の一角の原っぱの縁です。
子供達が日曜日などに「ラグビー」などを教えて貰っています。

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「コスモス」が一輪、風に揺られていました。

 次回に続きます。

2021年9月14日 (火)

今年も鑑賞しました

 第25回・京都の秋 音楽祭の
「開会記念コンサート」に、今年も出掛けました。
 9月12日(日)午後2時開演でした。
 場所は何時もの通り、「京都コンサートホール・
大ホール」です。
 曲目は、サン=サーンスの交響曲第3番などでした。
 指揮 大友 直人さん(私は久し振りにお姿を拝見)
    京都市交響楽団桂冠指揮者
 管弦楽 京都市交響楽団
 チェロ 宮田 大さん
 オルガン 冨田 一樹さん

 何時もは開演の冒頭 楽団長の 門川・京都市長が挨拶
されるのですが、コロナ感染緊急事態宣言下なので、出来
るだけ所
要時間を短縮するために、来場されていましたが
座席から立った頭を下げられただけでした。

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京都コンサートホールの玄関を入ったところに立てられた看板です。
音楽祭は、9月12日から11月23日まで開催されます。
右に記載されているのは、その期間中に催されるコンサートのリストです。
20回のコンサートが開かれます。
私も後2回のコンサートを鑑賞する予定です。

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毎年、京都の秋の景色が描かれます。今年は、伊砂正幸「鞍馬寺秋色」です。

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玄関を入った左手の窓に貼られた絵です。

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続きです。向こうに見える建物は、「旧京都府立総合資料館」です。
他に移転して、今は閉鎖されています。
移転して出来たのが、「京都府立京都学・歴彩館」です。良く利用させて
戴いています。展示会や講演会など。

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「京都の秋 音楽祭」のシンボルフラッグです。

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エントランス内では、歴代のポスターが展示されていました。

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照明の加減で見難いですが、「嵐山・渡月橋」です。

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初期のものです。

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「広沢池」です。

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ゆるやかなスロープを、ゆっくりと進みながら、ホール入口に向かいます。
ポスターの展示の様子も見ながら。

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入口から「ホール」に入りました。

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開演前20分です。

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コンサートが終わって退出される皆さんです。ホールの玄関前です。

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円錐形の部分は、スローブの部分です。

地下鉄烏丸線の「北山駅」から、コンサートホールへの通路の隣には、
「京都府立植物園」があります。
何時も利用している「北山門」に寄って見ました。やはり9月30日まで
「休園」でした。

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植物園の休園は、ブログネタの為には応えます。

 

2021年9月11日 (土)

お久しぶりです(3)京都御苑

 「お久しぶり」第3弾は、「京都御苑」です。
 ゆっくりと体力を慣らそうと、今回は「京都御苑」内
をゆっくりと歩きました。9月7日(火)午前のことです。
 7月31日以来のことです。
 何時もの様に、「富小路口」から苑内に入りました。
 殆ど人は居ませんでした。

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苑内に入って直ぐに目に入ったのが、この大きな「サルスベリ」2本
でした。「京都御苑」の散策マップにも掲載されています。
この後、右手に進みます。

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「仙洞御所」の東南部、「寺町御門」近くにある、毎年目に
している名前は分からない木です。

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アップで見ると、何かの木の実です。

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そこから西の方を見ています。「仙洞御所」の南側の築地塀です。

「寺町御門」から一旦外に出ます。「仙洞御所」の東側の築地塀沿いに、
北に向かって歩きました。そして、「清和院御門」から、再び苑内に入り
ました。そして、御苑内の東側の林の中を歩きました。

 沢山生えている「ヤブミョウガ」は花から実の時期でした。

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前回(7/31)ここを歩いた時は、未だ花も咲いていませんでした。 

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こんな状態でした。

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林の中には、「ミズヒキ」が小さな赤い実?が見られました。
その他、「ツユクサ」なども花を付けていました(写真は上手く撮れずボツに)。

 今回は無理をせずに早めに「乾御門」から出て、烏丸今出川に向かいました。

◇また、暫くお休みします。ネタ仕込みが出来ていませんので。

2021年9月 9日 (木)

お久しぶりです(2)宝ケ池

 続いて「宝ケ池」です。
 9月6日(月)午前のことです。前回は、8月2日(月)
でしたから、1か月以上経ちました。
 勿論、例の彼らに出会うことも目的です。

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今日も居ました。場所も前回とほぼ同じところでした。
しかし今日も相変わらず、ソーシャルディスタンスを保っていました。

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「ファミリィ」?

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そんな事はない!?

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池面は少し波立っていました。

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「北園」は人影は殆ど無しでした。

 

2021年9月 7日 (火)

お久しぶりです(1)京都国博

 凡そ1か月、お休みさせて戴きました。
 長雨、終わったと思えば猛暑、そしてコロナの緊急事態宣言
さらに、私自身の体調不良と、外出の機会を失う日々が続きました。
 漸く気候も少し凌ぎ易くなり、宣言下ではありますが、少しだけ
始動を始めました。
 9月5日(日)の午前中は、京都国博へ、
 9月6日(月)の午前中は、宝ケ池へ  行って来ました。

 先ず5日の「京都国博」は、日本博 紡ぐプロジェクトとして
特別展「京(みやこ)の国宝」守り伝える日本のたから
を参観(12日まで開催)しました。前期・後期の展示替えを含め
延べ120点の国宝や重文が展示されました。

 第1章 京都ー文化財の都市
     (1)文化財指定のあゆみと京都
        主に明治時代の貴重な史料
     (2)最初の国宝 昭和26年6月9日指定
        ずらり国宝 7点
        その中には、「御堂関白記 自筆本」も

 第2章 京の国宝
     (1)絵画 その中には、俵屋宗達の「風神雷神図屏風」
           雪舟の「天橋立図」なども

     (2)書跡・典籍・古文書 藤原定家の「明月記 自筆本」や
           東寺百合文書から4点

     (3)考古資料・歴史資料 伊能忠敬関係資料 6点など

     (4)彫刻 仏像類

     (5)工芸品 法具・古神宝・太刀・鎧など

 第3章 皇室の至宝
 第4章 今日の文化財保護 調査と研究 防災と防犯 修理と模造 など
     実例を展示

 長々と内容を書きましたのは、展示品は勿論撮影禁止なので、その代わりにと
思い書きました。

 撮影可能な看板等で、その一部をご覧戴きます。

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展示が行われていたのは、この建物・平成知新館です。

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建物の中に入って直ぐに目に入った大きな看板です。

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建物の外、近くに立つ看板です。

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その近くにある「明治考古館」です。今は耐震上の懸念があるとかで、閉鎖されて
います。

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正面玄関です。

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その前面の景色です。右に見える像は、「ロダンの考える人」の後ろ姿でする
その先に見える建物は、明治開館時の入口です。

館の外に出ました。

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七条通に面した通りにある看板です。

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彫刻の部の展示の「国宝・梵天座像」(東寺・平安時代9世紀)です。
仏の背中にも仏が見られます。

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こちらは絵画の部の「国宝・松に秋草図屏風・長谷川等伯筆」智積院・
桃山時代 文禄元年(1592)頃です。実は、私はこの実物は見られま
せんでした。前期の展示でした。

 

 

 

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