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前回の続きです。
「南神苑」を拝見して、次の神苑に向かいます。
「西神苑」です。ここは「花菖蒲」が有名ですが、
今は見られません。
「西神苑」に入って直ぐに目に入るのは、この木でした。
勿論「花菖蒲」は見られません。「花菖蒲」の葉っぱが乱れに乱れていました。
右手に見える木が、前出の木です。
ここでも「花菖蒲」の葉っぱが見られます。
「西神苑」には、「花菖蒲」が約200種 2000株 もあるとのこと。
白・濃紫・薄紫などの花が咲くそうです。
「花菖蒲」の花が満開の時は、その花床までは見えませんが、今はこの通り
です。
「西神苑」から、次の「中神苑」に向かう途中の小径です。
社殿の裏に当たります。外は、「丸太町通」です。
雰囲気のある小径です。右手の様な太い木も見られます。
左手の塀の外は、「丸太町通」です。
途中には、「西神苑」に流れ込む水路がありました。
小径の傍には小川が流れています。「琵琶湖疏水」の水が取り入れられて
います。
その為か?こんな小さな貝がらも見られます。貴重な小魚もいるそうです。
所々には、「小川の生き物には手を出さない様に」との注意書きが立てら
れています。
途中には、こんな石が見られました。不思議な模様です。
次回に続きます。次は「中神苑」です。
前回の続きです。
いよいよ「神苑」に入らせて戴きます。
先ず始めは、「南神苑」です。ここは、春の
枝垂れ桜が見事です。
説明は、駒札で・・・。
「南神苑」の入口から神苑の一部を見渡しています。
中に入って行きます。
神苑の真ん中には小川と池があります。
駒札にあった古典の草木で、この日見られたのもの1つは、この「ススキ」
でした。
この様な説明板が立てられています。
もう1つは、
「リンドウ」でした。
ここには庭園には似付かわしくない、こんなものが置かれています。
我が国最初の市電(チンチン電車)ですが、「琵琶湖疏水」の開通により
水力発電が出来、その産物として生まれたもので、「平安神宮」の創建と
ほぼ同時期(明治27~28年)のものです。
「南神苑」のほぼ真ん中の景色です。
色付き始めたものもありました。
次回に続きます。
「平安神宮」の神苑の無料公開があり、
10月21日(水)に行って来ました。23日(金)
までの3か間の公開でした。
今年はコロナ禍の為、恒例の「時代祭」が中止となり、
その為にこの期間(時代祭は10/22に決められてい
ます)に無料公開が行われたのかと推測します。
そこで先ず、「平安神宮」関連から、ご紹介します。
平安神宮の拝殿正面です。平安時代の「大極殿」を模して造られています。
10月22日がここの祭礼の為か、何時もと違う景色です。
前面に立てられている旛の1つです。
その隣の旛です。
さらに、その右手の2本です。
合計 4本あると言うことは、「四神」即ち 玄武・朱雀・青龍・白虎 を
表していると思います。
拝殿の近くにも、こんな旛が立てられていました。
「時代祭」に因んで、時代行列の1つ「織田公上洛列」の甲冑が展示され
ていました。
東神苑の中にある「貴賓館」には、「柴田勝家」の甲冑が置かれていました。
神苑から離れて、収蔵庫近くには、「滝川一益」の甲冑です。
その近くには、「羽柴秀吉」の甲冑と、「牛車」がありました。
少し離れたところには、「織田信長」の甲冑です。
これらの「時代祭」の用具などを大切に守る「収蔵庫」の1つです。
こちらもその1つです。風格を感じます。
次回は、いよいよ「神苑」をご紹介します。
京都国立博物館で、御即位記念特別展「皇室の名宝」
を拝見しました。10月22日(木)午前のことです。
東京の宮内庁三の丸尚蔵館には、さまざまな形で
皇室と縁を結んだ書画の逸品が収蔵されていますが、
そのコレクションの一部が、東京以外で初めて京都で
公開されました。
コロナ禍の今、殆どの博物館や美術館は事前予約制
になっていて、パソコンでの予約が大変でした。
私は結局パソコン予約は出来ず、予約なしで兎に角
行って見ました。ある程度予約なしでもOKの分があ
る様でした。
展示は撮影不可ですので、何時もの通りポスター等で
お伝えしたいと思います。
会場内の1階正面に掲示された大型ポスターです。展示は3階→2階→1階
の3展示室でした。
部分的に拡大しました。伊藤若冲筆 旭日鳳凰図の一部です。
伝狩野永徳筆 源氏物語図屏風 の一部です。
松喰鶴蒔絵螺鈿二階厨子飾り 飛香舎(宮中の女性達の居間)調度のうち
館内に記念撮影のための場所が設けられています。
外へ出ました。
博物館の「明治古都館」の前面です。今は閉館のままです。
今回の展示が行われた「平成知新館」の前面です。
その前に置かれた大型ポスターです。内容は前出と同じです。
「平成知新館」前から、西を見ています。
色んなものが見えます。極手前はロダンの「考える人」、赤レンガは旧入口、
遠くには「京都タワー」も。
館外に出ました。
外にも、この様な大型のポスターが立っていました。内容はほぼ前出の通り
です。
これは「即位の風景」です。狩野永納筆 霊元天皇即位図屏風の部分です。
「私の見ての感想」
◆筆跡(書)は、全く読めない。字の上手さは何となく。
◆絵巻は、ストーリーが分っていないと絵を見るだけ。
◆絵画は、或る程度は分かる。
◆天皇の姿の絵は興味があった。
◆名前を知った方の資料は、興味本位で見られた。
◆歴史的な出来事に関係する資料にも、関心を持って見られた。
◆説明書きを読むより、音声ガイドを利用する様にしている。
◆前期・後期通算で、98点の展示を見るのは、結構疲れました。
秋の日の半日、老人クラブの歩きの会で、
京都府向日市にある「竹の径」を歩きました。
コースは、京都市西京区と向日市の境で、
境界線を出たり入ったりとしつつ歩きました。
10月16日(金)の午前のことです。
凡そのコースは、次の通りでした。
西京区桂のほぼ中央にある小畑川中央公園を
スタート~竹林公園~竹の径~桓武天皇皇后陵
~阪急洛西口駅 約6.5Km
洛西竹林公園に着きました。暫し休憩です。
竹林公園には、「竹の資料館」があって、そこから色んな竹が植えられて
いる風景を眺めました。竹林の中を歩くことも出来ます。
下を見ると、こんな石橋が見られます。
応仁・文明の乱の時に、東西両軍の激戦があった「百々橋」を、ここに移築
したものです。「百々(どど)橋」があった場所は、尼門跡寺院の「宝鏡寺」
の近くです。
再び竹林を見ています。
少し位置を変えて見ています。
「竹の資料館」らしく、竹の地下茎が見られました。
少しボケていますが、「タケノコ」もそのまま見られました。
掘り起こすのが大変だったことでしょう。
「竹の資料館」の外に出て、凡そ北の方を見ています。
「大原野」辺りかと思います。手前は「洛西ニュータウン」です。
遠くの山々は、「西山」です。
次回は、いよいよ「竹の径」を歩きます。
前回の続きです。
再び南玄関前を通って、「メインエントラス」に向かいました。
右が「南玄関」で、その先に見えるのは、「平安神宮・大鳥居」です。
さらにその先には、「京都国立近代美術館」が見えます。
地下にあるチケット売り場から、1階の「中央ホール」に向かいます。
「中央ホール」の様子です。
今回の大型ポスターです。
前に進みます。「光の広間」です。
上を見ると、こんな様子です。しっかりと光が届いています。
展示は、「北回廊」の1階と2階で行われていて、多くの作品を観覧する
ことが出来ました。絵画・書・彫刻・工芸・版画など、約200点が、時代
別に展示されていました。
展示品で唯一撮影出来たのが、これでした。
豊国神社の社号標の「拓本」です。書は「山本竟山」
(1863~1934)で、1925年の作です。
以前の玄関ではないかと思います。
その内側の様子です。
再び地階に降りました。
手前が「ショップ」です。その先には、「カフェ」があります。
このフロァから1階に上がりました。
「北西エントランス」から、外を見ています。
外に出ました。正面には、昔の銘板「京都美術館」(1933年)が残されています。
11月10日から始まる「後期」にも観覧したいと思っています。
「京都市京セラ美術館」の開館記念展の
「京都の美術 250年の夢」の最初の
「最初の一歩:コレクションの原点」に続き、
第1部~第3部の総集編 江戸から現代へ の
前期分を観覧しました。10月15日(木)の
午前のことです。前日電話で予約して、午前
10時30分からの時間帯に予約出来ました。
会場は、本館北回廊の1階と2階でした。
京都市民にとっては見慣れた外観かと思います。名称が少し変わりましたが。
「京都市京セラ美術館」です。「神宮道」に面した正面を、斜めから見ています。
少し早く着いたので、裏側(東側)にある「日本庭園」を見ました。
その途中で通る「南玄関」前です。車寄があるので、貴賓用の玄関かと
思います。
先ず目に入る「日本庭園」の全景です。
近付くと大きな池が目立ちました。
池の真ん中に何かが見えます。
これは、杉本博司氏の「ガラスの茶室・聞鳥庵(モンドリアン)」です。
記念展の「杉本博司 瑠璃の浄土」に関連した展示です。
庭園の中央を見ています。向こうは中の島です。
島に渡る橋です。
島の中の様子です。
島の奥(東)には、「京都市動物園」が見えます。
池に流れ込む小川です。小川の水源は、音が聞こえるのですが、良く分か
りませんでした。
次回に続きます。
前回の続きです。
「北嵯峨田園地帯」の東辺に立っています。
殆どの田んぼでは刈り取りが終わっていましたが、ここだけは未だでした。
刈り取りが終わった所の様子です。南西方向を見ています。
早くに刈り取りが終わった後には、蘖(ヒコバエ)が青々と伸びています。
刈り取りが終わった稲わらは、この様に結わえられていました。
私の田舎では、「チョッポイ」と呼んでいました。
現在の稲の刈り取り方法では、この様に稲わらだけを残すのはひと手間掛かる
ことになります。稲わらを何かの目的に使われる為かと思いました。
田んぼの北側の道を歩いていると、唯一残っていた「ヒガンバナ」を見付け
ました。時すでに遅く、「ヒガンバナ」は全て枯れてしまっている中で、
ここだけで、ほぼ完全な姿で見ることが出来ました。
私が今年嵯峨野で見た初めてで最後の「ヒガンバナ」です。
この後、何時も通り「大覚寺」前で小休止をして、「嵐山」に向かいました。
途中何時も「秋」を感じている「栗」の木は、全て実を落としていて、「イガ」
さえも見られませんでした。
「落柿舎」の柿の実が、たわわに実っていました。
前回もご紹介した「常寂光寺」横の「塵劫記」の碑の紅葉は、さらに少し
進んでいました。
例年この木の紅葉は、他に先駆けて進みます。
「竹林の道」の上に来ました。
人影は少ないです。
この瞬間では、人影はありません。平日であることでも、その理由かも
知れませんが・・・。
前回嵯峨野を歩いたのは、9月14日でした。
1か月振りの10月13日(火)の午前中、
少しは秋が進んだかなと思い出掛けました。
少し風が強かったですが、爽やかな中、少し
汗もかきながら歩きました。
1か月の変化は大きく感じました。
何時もの様に、「広沢池」の東南隅に立っています。
キバナコンモス・池・愛宕山を見ています。
北西の風が強くて、池面が大きく波立っています。
池の南側を通る道路から、池や愛宕山を眺めています。
池の畔から、愛宕山を眺望しています。この時点で、愛宕山に陽光が当たっ
ていました。
池の西にある「北嵯峨田園地帯」の東辺に来ました。
ここは田んぼでは無く、子供達の運動教室が日曜日などに行われている
場所です。この場所の西から北にかけて「コスモス」が広がっています。
今までは無かった光景です。
その東辺では、こんな様子です。以前より大きく増えている様に感じました。
近くで見ました。
「コスモス」列の北側を見ています。
ほぼ三方を、「コスモス」が囲んでいます。
次回に続きます。
前回の続きです。
前回の近くには、「シュウメイギク」が見られました。
キンポウゲ科です。中国、台湾などが原産です。現在では野生種やそれら
を交配して作られた品種をまとめて「シュウメイギク」と言うそうです。
そのうち、八重咲きで赤花のものが京都市北部の貴船地域で多く見られる
ことで、「キブネギク」とも呼ばれています。
「針葉樹林」内の杉の木の傍に咲く「ヒガンバナ」です。
「ハギ」です。ハギの木は結構多かったです。
名札の通りです。ヒガンバナ科です。
アップで見ると、ヒガンバナの感じもします。
「ワイルドガーデン」に来ました。
「チョウセンアサガオ」です。パープルクィーン ナス科です。
花をアップで見ました。紫の色が良いですね。
次回に続きます。最終回です。
前回の続きです。
未だ「四季彩の丘」にいます。目立つた花の塊がありました。
「サルビア レウカンタ」です。シソ科の多年草で、9月頃から花穂を伸ば
しね房状に多数の花を咲かせます。「レウカンタ」とは「白色」の意味で、
白い花が紫色のがく片から突出するように咲くことによるとか。
花はすぐに散ってしまうが、がく片が美しい紫色を保つので長く鑑賞出来る
そうです。また、細かい毛で覆われた花とがく片は、触れるとベルベットの
ように滑らかな感触がするそうです。地元新聞の「植物園つうしん」から。
「パンパス グラス」です。イネ科で、南アメリカやニュージランドなどに
分布しているそうです。アルゼンチン中部に広がる大草原「パンパ」で多く
見られることからこの名が付いたとか。和名では「シロガネヨシ」とも呼ば
れます。切り花などとしても利用されます。
「瓜棚」に来ました。
色んな実が、ぶら下っています。「ヘビウリ」は、枯れています。
大きな「ヘチマ」です。「ヘチマ」と言えば、ヘチマ水とヘチマたわしを
思い出します。
その東には、
「チヨウキンレン」(地湧金蓮)別名「チコウキンレン」 バショウ科です。
中国南部~インドシナ半島原産。
ちょっこと黄色いものが見えますね。
実体は、これです。花?実?
さらに東へ。
「ヒガンバナ」の白と赤です。
白い方に近寄って見ました。ヒガンバナ ヘイスパー
赤い方にも。真紅白条八重咲です。
次回に続きます。
前回の続きです。
「正門」の北に広がる2つの大きな花壇を、「観覧温室」の近くから
見通しています。右手先が「正門」です。
「観覧温室」前の池に来ました。
池の南側には、多くの「スイレン」が咲いていました。
花びらの真ん中にあるのは、「蕊」でしょうか?
こちらにも見られます。
「四季彩の丘」に来ました。
「フジバカマ」です。
キク科で、関東以西から九州などに分布。秋の七草として知られています。
かつて京都府内では絶滅したと考えられていたそうですが、約20年前に
西京区大原野で発見されました。
多くの訪花昆虫が花の周囲を優雅に舞うそうですが、この日は見られません
でした。
「ススキ」の群生です。未だ若い様です。
ここでも「フジバカマ」が見られました。絶滅したと思われた植物が一気
に復元し広がった見たいです。
次回に続きます。
前回の続きです。
南側にある「正門」の近くに来ました。
「正門」の北側には、大きな花壇が広がっています。
そこにも「カンナ」が咲いていました。
カノーバ イエローです。
「ネコノヒゲ」(クミスワチン)シソ科です。インド、マレーシアが原産です。
「パパイヤ」の実が大きくなって来ました。
「パパイヤ」は、熱帯および亜熱帯地域が原産で、沖縄など
では果物としてよりもむしろ野菜として利用されているとか。
冬の寒さで枯れてしまうため、植物園では秋に種まきを行い
冬はガラス温室で越冬させ、4月下旬以降に花壇に定植され
ているそうです。
見るからに痛そうな葉っぱです。実際はどうなのか?触っていないので
分りませんが・・・。
アカリファウィクシアナ ファイアードラゴン と言います。
トウダイグサ科です。
「ノゲイトウ」です。ヒユ科で、インド原産です。
「センニチコウ」オードリーピンクインプ ヒユ科 です。
同じく「センニチコウ」オードリーホワイト ヒユ科 です。
同じく「センニチコウ」 オードリーパープルレッド ヒユ科 です。
立て札にある様に「キバナコスモス」です。
キバナコスモスとセンニチコウの連続です。
同上です。
この花壇では、色んな花が見られました。
次回に続きます。
前回の続きです。
「水生植物展」(既に終わっていますが、そのまま
展示されています)のを見て回っています。
知った名前の植物を選って見ています。
「イグサ」です。畳の材料でしたね。
「コガマ」です。「ガマ」(蒲)の仲間でしょうか。
「ホテイアオイ」(ミズアオイ科)です。こんな綺麗な花が咲くのですね。
「カミガヤツリ」(パピルス・カヤツリグサ科)です。葉っぱ?を見た様に
思います。
オオサンショウウオならぬ「オオサンショウモ」(オオサンショウモ科)
です。葉っぱの連なりですね。
「クワイ」です。お正月の「おせち」の食材ですね。
葉っぱの形は、「サトイモ」と葉っぱと良く似ています。
オモダカ科 園芸品種です。
「セリ」(セリ科)です。春の七草の1つですね。
「ジュンサイ」(ジュンサイ科」です。食用にするのは、この葉っぱの下に
あるのですね。小舟に乗って、「ジュンサイ」の採取のシーンを、テレビの
ニュースで見たことがあります。
次回に続きます。
前回の続きです。
「沈床花壇」の外側の西には、今年も「コスモス」畑が
造られていました。
全く花が咲いていない中で、気の早いのが2、3輪咲いていました。
「コスモス」は、アメリカ~メキシコが原産とか。
そこから西へ、「バラ園」へ。
最近ずっと見続けている「マチルダ」を、今日も見ました。猛暑に耐えて
良く咲いています。
幾つかの花に近付いて見ました。
バラらしい花びらの形です。
はんなりとした花の色に魅せられます。
「植物園会館」の北側には、先月まで開かれていた「水生植物展」が、
継続して展示されていました。馴染みの名前から展示品を撮って見ました。
「ミツガシワ」です。葉っぱが3枚連なっています。
「ヒメコウホネ」 スイレン科 絶滅危惧Ⅱ類
小さな花です。「ガガブタ」 ミツガシワ科 準絶滅危惧種
「マツカサススキ」 カヤツリグサ科 絶滅危惧Ⅱ類
「オグラコウホネ」 スイレン科 絶滅危惧Ⅱ類
私が今年初めて見た「ヒガンバナ」です。
園内あちこちで、少しずつ咲いていました。もう盛りが超えた感じです。
ヒガンバナ科 原産は中国大陸で、日本へは稲作の伝来と共に伝わったとか。
花の形は興味深いです。
次回に続きます。
漸く「秋めいた京都府立植物園」に、
約1か月振りに(前回は8/29・猛暑下)
訪れました。10月6日(火)午前のことです。
平日でしたが、やや人は多い様に思いました。
何時もの様に「北山門」から入り、ほぼ時計
回りに、ゆったりと散策しました。
「アジサイ園」の近くに立つ「フウ」の木とご対面。
未だ紅葉は始まっていません。今年の紅葉が楽しみです。
傍を歩く女性と比べて、「フウ」の木の高さが分かります。
そこから少し離れたところに立つ木です。実は前から気になって
いた木です。幹が「迷彩模様」です。樹皮が剝れたものとか。
「ハクショウ」と言います。中国原産のマツ科の木です。
「聖木」と言い、孔子廟に植えられている木だとか。
「沈床花壇」に来ました。色んな花が咲いています。
「ケイトウ」(フレッシュルック レッド)です。
近寄って見ました。
その近くでは、
観賞用「トウガラシ」です。ブラックオリーブと言います。ナス科です。
果実の形は、球形や円錐形などがあるそうです。これはほぼ球形です。
「カンナ」は寧ろ元気になった様に思いました。トロピカルローズです。
ここにも「トウガラシ」がありました。ヌーメツクス イースターです。
こちらの「カンナ」も元気です。ブロンズ スカーレットです。
ここにも「ケイトウ」が。
先程のものとは、全く違います。ボンベイ ミックスと言います。
近寄って見ますと・・・。「ヒダ」の集合体です。
全体像です。
次回に続きます。
今年は何故かNHKのニュースに何回も取り上げ
られた「西之京 瑞饋神輿」と言うよりも、北野天
満宮の「瑞饋神輿」を、久し振りに(最近この言葉
が良く出て来ますが)拝観しました。
以前は殆どが「御旅所」で安置されているのを拝
観していましたが、今回は「北野天満宮」内での拝
観でした。このことは、明治時代以来約150年ぶ
りとのことです。
なお、今年は御神輿の巡行はありません。
今出川通に面した「一の鳥居」から境内に。
先ずは御神前にお参りを。
そして、ご本殿に向かって左手の安置場所へ。
右手奥が、ご本殿です。「瑞饋神輿」は、係の方がおられるその先に安置
されています。
その近くに掲示されていた説明板です。
要は色んな野菜で作られた御神輿です。
御神輿の安置場所です。多くの方が拝観に来られていました。
こちらが御神輿の正面側です。屋根はズイキで葺かれています。
2種類のズイキで、2段に葺かれています。
その下の欄間には、保存会の会員の方が趣向を凝らして、毎年題材を考えて
作られているそうです。
「天満宮」の文字が見えるのは「真紅」と言って、千日紅と言う赤い花を
糸で通して巻いたものです。
御神輿を反時計回りに回って見ます。
御神輿の四隅を飾っているのは、「瓔珞」(ようらく)です。
赤なす・五色とうがらし・麦わら細工の三蓋松などの家紋を糸に通して
作られています。要は御神輿の四隅の飾りです。
どれも作るのが大変でしょう。
次回に続きます。
前回の続きです。
展示コーナー3か所は見終わりました。
以下に、館内や館外の様子をご紹介します。
館内の展示の1つ、水道敷設時に立てられた「消火栓」です。
館の1階の外に置かれている2点です。
手前の大きいのは、「ベルトン式水車」です。第1期蹴上発電所で使用さ
れていたものです。
右奥にあるのは、「スタンレー式発電機」で上記と同じく使用されていました。
館の外(と言っても外部ではないです)に出て見ました。
疏水の水の一部が勢い良く流れていました。
その先は、「船溜」に流れ込んでいます。
左手の部分は、「インクライン」に繋がるところです。
館の下部からも、この様に疏水の水が流れ出していました。
こちらも「船溜」に流れ込んでいます。
噴水を中心にした「船溜」です。向こうに見える部分は「京都市動物園」
です。
噴水は電気などは使わず、水圧だけでこの様に吹き上がっているとのこと
です。
「船溜」から流れ出して、伏見などに流れて行きます。
館の敷地内での展示品です。
「第4トンネル南口洞門の笠石」です。トンネルの上の方を飾るものです。
若し岡崎方面にお出掛けの際には、一度「琵琶湖疏水記念館」を覗いて
戴ければと思います。
前回の続きです。
今回は、「3 今そして未来へ 疏水の流れは
永遠に」のコーナーです。展示場所は、「2」と
同じ地下1階です。
「3」コーナーの入口の様子です。
内部の様子です。ここでの見ものは、2つあります。
1つは、疏水完成130周年の記念特別展「琵琶湖疏水工事を描いた画家
たち 田村宗立と河田小龍」と、2つ目は真ん中にある「インクライン」
の模型です。
先ず記念特別展です。これは、その説明板です。
絵画展の一部です。上の掲示は「田村宗立」、下が「河田小龍」の絵です。
絵の表現が全く違う様に思いました。
こちらも上と同様です。
もう1つの見ものは、この「インクライン」の模型です。
疏水の下と上との立体差を解決する装置です。
運搬する荷物を載せた船を台車に乗せて、動力で動かします。
一応各展示コーナーを拝見した後、あちこち見て回りました。
ブロックで作られた「記念館」付近の様子です。色々見られます。
2階から西を見た景色です。疏水が西に流れて行きます。
手前から、船溜り・市美術館の屋根・慶流橋(赤い橋)・京都ホテルオークラ
(高いビル)など。
ほぼ同じ場所から、同じ景色を撮った写真です。
その説明板です。
次回に続きます。
前回の続きです。
館内の展示室を見て回っています。
地下1階の展示室に来ました。ここには2つの
展示コーナーがあります。
「2 大正・昭和時代」京都 近代化へのあらまし」
のコーナーです。
ほぼ全景の半分です。
ここの見ものの1つは、右手に見える「蹴上付近の復元模型」(大正4年
(1915年)頃 です。
全景です。
中央に見える赤い札「現在地」の表示です。
右上の広場状は「蹴上浄水場」、その下の光っている池状は疏水に繋がる
「船溜り」、2つの間の道路は、「東海道」です。
この部分は、「南禅寺」です。上の方には「水路閣」が見えます。
「琵琶湖疏水人物列伝」の展示です。
その中から、「西郷菊次郎」を選びました。
菊次郎は、明治維新の中心人物の1人、西郷隆盛の長男です。
第2代目の京都市長を務めました。そして、京都市三大事業
(第2疏水の開削・上水道の整備・道路拡張と電気軌道敷設)
を行いました。
その菊次郎の愛用のカバンです。菊次郎は、三大事業推進のため度々上京
していたそうですが、その際に愛用したものだそうです。
次回に続きます。
京都市上下水道局では、琵琶湖疏水130周年及び
下水道90周年を記念した催しの1つとして、同記念館
で特別展が開かれていることを地元新聞で知り、久しぶ
りに(10年以上経つ?)同館を訪れました。
9月3日(木)午前のことです。
白川通に面した記念館の入口です。
建物に埋め込まれた銘板です。「近代化産業遺産」に指定されています。
平成19年(2007年」のことです。国史跡にも指定されています。
入口を入って直ぐ右手に玄関があります。建物は、地下1階・地上2階と
なっています。入場は無料です。
記念館の裏手・西側の様子です。
少し離れた所から、建物の裏手(西側)を見ています。
手前は、疏水の流れの一部や「インクライン」の地上・取っ付きなどが
見えます。
玄関を入った右手には、こんなものが見られました。
工事の様子を表したものです。
1階の展示室から見学しました。
このコーナーは、「1 明治時代 琵琶湖疏水の計画と建設」に関して
の展示です。
ほぼ全景です。
入って直ぐ右側には、疏水工事に関係した人々の「人物相関図」が展示さ
れています。
政治面での推進者・北垣国通や工事の直接責任者・田邊朔朗などが紹介されて
います。
映像による疏水の説明がなされています。
このコーナーでの展示で凄いと感じたのは、
「従滋賀県近江国琵琶湖至京都通水路目論見実測図」でした。
始めにご紹介した「全景」の左手に展示されている大きな地図です。
明治16年(1883年)に京都府租税課地理掛の「島田道生」氏が測量調査
をして描き上げた実測図でした。凄く緻密に描かれたものです。一見の価値あり
です。
次回に続きます。
前回が9/11、その前が8/9と、そして今日
9/28(月)の午前中、「宝ケ池」公園の「あの
鳥達」に出会いました。
(初めて出会ったのは、6/6でした)
場所は、当初から3番目の前回と同じところです。
今日は、何故か忙しく移動したり、食べ物を漁っ
たりしていました。
少し離れていますが、多分何時もの鳥達かと思います。
白い方は、何か漁っていました。
今度は、茶色の方が同じく・・・。
やっと揃って・・・。
茶色がリードして・・・。
仲間が集まって・・・。
今度は白がリードして・・・。
対岸が見える位、入江状になっている場所です。
多くの鳥達が集まっています。
再び揃って泳ぎ出しました。
白の方が何か探している様?
あちこちと泳いでいます。
付近には、未だ多くの仲間たちが・・・。白と茶は手前に仲良く・・・。
また・・・。
近寄って見ました。
この日、通りがかりの人が2人、何か餌を遣っていました。
また、私の様にカメラを向けている人もいました。
私の様に、違った種類の鳥がペアでいることに気が付いた人がいるのか
どうかは分かりませんが・・・。
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