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2020年9月

2020年9月30日 (水)

久し振りのウォーキング(2)

 前回の続きです。
 「京都市老連」の歩きの会です。
 「観月橋」を過ぎ、「伏見港公園」に入って来ました。

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「三栖閘門」(みすみこうもん)に来ました。
南北に2基建っていますが、その1基(南側)です。

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これは北側の1基です。

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その説明板ですが、要は宇治川と濠川との水位差が大きいため、船の通行を
容易にするための仕掛けです。川の水の出し入れで水位差を調整しています。
現在は使われていない様です。

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北側の水門を近くで見ています。

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南の水門を正面に見ています。
手前の船は、ここから「宇治川派流」までの遊覧船です。

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昔あった「伏見港」付近です。大阪・淀川から宇治川に入り、閘門を通って
ここに着き、物資の積み下ろしをしていた様です。
多分、「伏見の銘酒」もここから積み出されていたのでは?

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こんな表示板がありました。厳格な治水管理の証拠と思います。

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「伏見港」の面影が偲ばれます。

 ウォーキングは、ここでゴールです。

2020年9月29日 (火)

久し振りのウォーキング(1)

 コロナ問題から、今年2月以降中止されていた
京都市老人クラブの歩きの会が、漸く再開され
久し振りに参加しました。9月17日(木)の
ことです。
 タイトルは、「秋の気配を探して 山科川から
宇治川ウォーキング」。
 スタートは、山科川・六地蔵小橋から。
山科川河川敷~京阪六地蔵駅~丹後橋~桃山御陵参道
~宇治川河川敷~観月橋~三栖閘門~伏見みなと広場
がゴール。
 要は、2つの河川敷と、御陵に寄り道と言ったところ。
 参加者は約500名とか。
 天気は、曇り時々晴れで結構暑かった。

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御陵は、この長い石段を上ったところにあります。
この石段をトレーニングに使っている高校生の姿を、テレビのニュースで
見たことがあります。結構キツイことと思います。

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石段下にあった御陵の説明板です。赤く見えるのが「現在地」です。
左側が「明治天皇陵」、右側が「明治天皇皇后陵」です。

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御陵の近く南側には、「乃木神社」があります。
明治天皇と乃木将軍との浅からぬ縁を感じます。

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再び山科川の河川敷を歩きました。そして、ここ「宇治川」(右側)との
合流地に来ました。この後は、宇治川の河川敷を歩きます。

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やがて「観月橋」の手前まで来ました。
ここには、国道24号線(上の橋)、通常の道路の橋(下の橋)、そして
その先には、近鉄京都線の鉄橋と並んで架かっています。

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その鉄橋です。この鉄橋はかなり古いものとのことで、電車はここを徐行
して通ります。

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その近くには、こんな表示が見られました。

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鉄橋を間近で見ています。

 次回に続きます。


 

2020年9月28日 (月)

今年も記念コンサートへ

 「京都の秋 音楽祭」の開会記念コンサート(第24回)
に、
今年も行って来ました。
 9月20日(日)の午後
のことです。
 コロナ感染対策をしたコンサートでした。
 昼と夕方の2回開催で、着席退席は時間差を設け、演奏は
2曲だけの短時間で、席は1席空けて、マスク着用でした。
 勿論入館時の検温や手指の消毒もありました。
 私は、昼の部に拝聴しました。開演は午後1時から、
終演は午後2時20分でした。間の休憩は無しでした。
 プログラムは、
 ①ジョンゲン:大オルガンとオーケストラのための
        協奏交響曲
 ②レスピーギ:交響詩「ローマの松」
 出演は、
  指揮 高関 健  オルガン 福本 茉莉
  管弦楽 京都市交響楽団
 でした。オルガンとは、大きなパイブオルガンです。

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先ず始めに、今日のコンサートのポスターから。

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下鴨中通に面した「京都コンサートホール」の建物の外観です。
出演者などはねこちらの入口から入館されますが、聴衆者達は右手の通路に
向かいます。

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建物はご覧の様に、円筒形と長方形とが合体したユニークな姿です。
円筒形の内部は、螺旋状のスロープになっています。

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途中で見付けた表示です。

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円筒形の部分を中心に撮りました。浅い池に架かる橋を渡って中に入ると、
そこはレストランになっています。
終演後に撮りましたので、皆さんの向きは帰途方向です。

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こちらが一般聴衆者の出入り口です。終演後に撮った時の模様です。

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館名の表示です。

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玄関の正面に掲げられていた、今年の音楽祭のプログラムです。
今年の絵は、秋色の大文字山と伽藍は金戒光明寺?でしょうか。

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こんな旗も立てられていました。

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1階のエントランスを、螺旋状スロープの途中から見下ろしています。
平面なのに、凄く立体的に見えます。

午後0時~同15分のホール内に入る指定時間に、指定座席に着きました。

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大ホール内の様子です。数人の楽団員の方が練習をされていました。
正面の大きなパイブオルガンが、この後大活躍します。

 演奏の始めに、和服姿の門川大作・京都市長の開会のご挨拶がありました。
 市長は、京都市交響楽団の「楽団長」でもあります。

 休憩無しの1時間20分のコンサート、十分に堪能しての大満足でした。

 

 

 

 

 


 

2020年9月27日 (日)

秋を探しに嵯峨野へ(4)

 前回の続きです。

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「常寂光寺」横に来ました。ここにあるモミジは、例年他に先駆けて早く
紅葉します。左にある「サルスベリ」=夏と、右にある「モミジ」=秋と
が同時に見ることが出来ます。

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余り美しく無い様に見えますが、紅葉する「モミジ」です。

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それらの木の下には、こんな石碑があります。「塵劫記」と刻まれています。

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傍に立っている石製の説明碑で説明させて戴きます。

 「常寂光寺」前を左折して、「小倉池」に来ました。

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この1年程で池一杯に「蓮」が生えました。そして、未だ花が咲いていました。

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見ていると一陣の風が吹いて来て、蓮の葉っぱが一斉に裏返り、葉っぱの裏
の白い色が見事でした。

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結構花が咲いていました。既に「蜂巣」状態もありました。

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そして、こんなツボミも。

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風に揺れる池面に映る「蓮の花」(裏側)です。

 嵯峨野トロッコ列車の「トロッコ嵐山」駅を下に見て、「大河内山荘」を
右に見て、ここに遣って来ました。

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「竹林の道」の西の入口から、東を見通しています。
やはり歩いている人は、ご覧の通り極めて少ないです。

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道の半ば近くを見ています。

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道は曲がりくねっているところを見ています。

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そろそろ東の入口です。写真を撮っている人は相変わらずです。

 少し涼しくなったとは言え、汗は一杯かきました。
 市バス「野宮」BSから、帰途に着きました。
 あちこち撮影しながら、また3か所で小休止したので、
午前9時20分から11時30分まで掛かりました。
 私の歩きコースの中では、最長距離のコースです。
 最近の私の体力低下からは、月1~2回がやっとです。

 

2020年9月26日 (土)

秋を探しに嵯峨野へ(3)


 前回の続きです。
 「北嵯峨田園地帯」から離れて、「大覚寺」の北側にある集落内を
歩いています。

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かなり大きく刈り取られて花の数がうんと減りましたが、何時も拝見して
いる「ノウゼンガズラ」です。私はこの花の色が何とも言えず大好きです。

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或るお宅の庭を覗くと・・・。

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小さな花を撮るのが苦手ですが、「ハギ」の花です。

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こちらも何時も拝見している「クリ」です。今年は「クリ」の生り年かな?

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未だ実は固そうです。

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「大覚寺」から離れて、「鳥居本」に向かう途中で見掛けた花です。
良く見掛ける花ですが、名前は知りません。小さな花ながら色が鮮やかで、
私には印象的です。

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「鳥居本」近くの、私の好きな風景です。「五山の送り火」の1つ、「鳥居
形」の麓の「日本の原風景」とも言える風景です。

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「二尊院」前から少し行ったところで見掛けた風景です。
こちらも未だ若そうです。

 次回に続きます。

 

2020年9月25日 (金)

秋を探しに嵯峨野へ(2)

 前回の続きです。
 「北嵯峨田園地帯」には、田んぼが主ですが、
田んぼの近くには畑も多くあります。

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その畑で見掛けた「ショウガ」?です。

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その近くには、「オクラ」も植えられていました。

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その花をアップで。

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その近くでは、こんな景色も。何かの目的で、この様にされているのでしょう。
種を取る為か?或いは稲藁(わら)を使う為か?

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前回で見掛けた収穫風景です。近くで拝見。
収穫した稲モミを、この様にして大きな袋に移し、近くにある「籾摺り機」
場に持ち込み、「玄米」となります。凄く効率的な収穫風景です。

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この日、私が歩いた道の田んぼでは、約3割近くはこんな景色でした。

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以前から大変気になっているお堂です。以前調べて見たのですが、未解決
です。雑草などの邪魔者が少し減ったので、お堂は少し見易くなったのです
が、これ以上中には入れません。お堂の中を良く見た範囲では、「石」の
様なものが見えた様に思いました。

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「籾摺り機」がある場所に置かれていた、収穫した稲籾が入った大きな袋
です。

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「田園地帯」の北部近くから見た田んぼの様子です。この辺りでは、稲刈
が進んでいました。

 次回に続きます。

 

2020年9月24日 (木)

秋を探しに嵯峨野へ(1)

 猛暑を恐れ敬遠していた長歩きも、漸く体を
動かすのに苦にならなくなつて、8月4日以来
MYウォーキングコースの「嵯峨野~嵐山」に、
9月14日(月)午前に、思い切って行って来
ました。少し気が早いのですが、「秋」を探し
に。

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何時もの通り、先ず「広沢池」の東南角に立ち、池や愛宕山などを見ます。

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少し立ち位置を変えて、池の全体を見渡します。
池面は、やや波立っていました。

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池の周りから、「北嵯峨田園地帯」に来ました。
早くも、「コスモス」が咲いていました。

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何故か花の形が乱れているのが見られました。
「ヒガンバナ」は、全コースで1本も咲いていませんでした。

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未だ若い「ススキ」です。

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稲刈りが始まっていました。

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所々で咲いているのを見ました。

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こちらでも、収穫が行われていました。

 次回に続きます。

2020年9月23日 (水)

久し振りの京都御苑へ(4)

 前回の続きです。
 この日は、今咲いている花に目を向けて
苑内を回ったのですが、1つ見落としていた木が
あったことに気付き、それを見ました。
 由緒ある木です。

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それは、この木です。「京都御所」の南西角から少し離れたところに立つ
木です。中途半端な場所に立っています。

「清水谷家の椋」の木です。

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木の傍に立っている駒札です。

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ここから見たのでは、かなり傾斜しています。

ぐるっと回って見ました。

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かなり幹が傷んでいる様です。

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ここから見る限りでは、傾斜は感じられません。
約300年の貫録を感じました。

2020年9月22日 (火)

久し振りの京都御苑へ(3)

 前回の続きです。
 御苑内をほぼ一周して、出口近くまで来ました。

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「サルスベリ」を中心に見て来ましたが、ここ「宗像神社」の塀越しに、
「ムクゲ」がその姿を見せていました。

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未だ蕾が多く見られます。

 「間之町口」の出口近くに来ました。

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ここでも2本の大きな「サルスベリ」がありました。

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その内の1本に近寄って見ました。

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さらに近くへ。

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幹に近寄って見ました。太さはそれ程では無いですが、それ
なりの経年が感じられました。

 私が何時も参考にさせて戴いている「国民公園 京都御苑
散策マップ」(環境省自然環境局京都御苑管理事務所・発行)
を見ると、苑内の「サルスベリ」の所在表示(マークにて)
は、15か所ありました。

 次回に続きます。

  

2020年9月21日 (月)

久し振りに京都御苑へ(2)

 前回の続きです。
 「清和院御門」から、再び苑内に入り、「京都迎賓館」の
東の小径を歩きました。「コオロギの里」に沢山咲いていた
「ヤブミョウガ」には、小さな紫色の実がついていました。

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これだけ多くの実が、やがて熟して種が地上に落ち、何年か後に地上で芽生え
再び多くの草として茂ると思えば、大量の「ヤブミョウガ」の群生が出来る
ことを納得しました。

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「旧中山邸」(明治天皇生誕の地)内でも、「サルスベリ」が咲いていました。

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花の集まりに目を向けて見ました。

 「旧近衛邸」跡から西に向かい、「乾御門」近くから「宮内庁京都事務所」
の西側に来ました。

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そこには、「ヤマブキ」の花が終わりを迎え様としていました。未だ咲いて
いたのが不思議です。

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「宮内庁京都事務所」の入口近くにも、大きな「サルスベリ」がありました。

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その門柱の傍の掲示板には、「京都御所」内の「サルスベリ」の花の様子が
写真で示されていました。
へえー、そんな気の利いたことも遣られるのですね。感心しました。

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ここの「サルスベリ」の様子です。

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少し中に入らせて戴きました。

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(久しぶりのダブリです)

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 違う位置からも。

 次回に続きます。

 

2020年9月20日 (日)

久し振りに京都御苑へ(1)

 急に動き易くなりました。季節は劇的に変化する
ものですね。9月9日(水)天気はいまいちでしたが
久し振りに(7月31日以来)京都御苑内を歩きました。
 この日の最高気温は、29.1℃でした。
 歩いたのは、午前中のことです。
 折角歩くのですから、何か目的をと考え、今咲いている
花を探して歩きました。
 最近の何時もの様に、「富小路口」から苑内スタートです。
 反時計回りに歩きました。

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苑内に入って直ぐに目に入ったのは、この光景でした。
賑やかに咲いている「サルスベリ」です。かなり大きな木の様です。

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近寄って見ました。

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さらに近くへ。細い小枝が撓る位に花が重そうです。

 東に向かって歩いていると、

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また直ぐに、「サルスベリ」に出会いました。

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初めに出会った木とは、かなり細い木でしたが、しっかりと花は咲いていました。

 「寺町御門」近くの、「仙洞・大宮御所」内の木に、一杯の実?を付けた木
が赤く実っていました。実は、この木の様子は苑内を歩き始めた当初から気に
なっていた木でした。

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一杯に実を付けています。

 「寺町御門」から一旦外に出て、塀沿いの東の小径を歩きます。

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小径の直ぐ傍に、こんな花が咲いていました。

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小さな星形でラッパ状の白い花です。未だ蕾も多く見られます。

 次回に続きます。

2020年9月19日 (土)

京都市考古資料館を拝見(2)

 前回の続きです。
 前回ご紹介した「墨書人面土器」が発見された経過について、
ご紹介します。前回の記事と合わせてご覧願います。

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出土したところは、長岡京左京七条三坊の川の跡です。左の図の真ん中下
(赤字表示)のところ。

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出土時の状況の復元写真です。

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出土状況を部分的に捉えた写真です。

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上と同じくです。

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出土土器を集めた写真です。

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まつりには、「墨書人面土器」の他に、人形(ひとがた)・斎串・土馬・
小型かまどなども合わせて用いていました。

 最後に、「墨書人面土器」が出土した川からは、延暦10年(791年)
3月16日の日付が記された荷札木簡が出土しており、この祭祀が長岡京
の時代に行われていたことを示す貴重な資料となっているそうです。
 延暦9年には長岡京で「疱瘡」(ほうそう)が大流行したことが伝えら
れています。

2020年9月18日 (金)

京都市考古資料館を拝見(1)

 京都市考古資料館で、企画陳列の「古代の祓え」
展が開かれて
いることを知り、拝見しに行きました。
 古代の人は疫病とどう戦ったのか!!

 コロナ感染問題に関連した催しです。
 医療なるものが未開の古代に、人々が考えた切実な方法
ではないかと思います。
 9月5日(土)の午前のことです。

 先ず企画陳列のケースの中を拝見しました。

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ケースの中の様子です。「墨書人面土器」と言うものです。

面白いので、個々に見て行きましょう。

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やや怒っている顔です。

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情けなそうな顔です。鼻の下はひげでしょうか。

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少し惚けた様な顔です。顔中ひげだらけです。

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太い鼻っぱしらに、下がり目は愛嬌があります。

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真面目そうな顔です。

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目が吊り上がっています。ちょっと怒っているのかな?

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おちょぼ口のおすまし顔です。

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ややいかつい表情です。

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土器(椀)の中を覗いて見ました。

 ここで解説を。考古資料館の資料による。
◆口径 16cm 高さ 8cm前後 小さいものは 10cm・4cmの
 素焼きの土器で、広口の壺形で胴の部分はわずかに湾曲している。
◆全体の作りは粗い。
◆約200個出土した。
◆発見場所は、今から約1200年前、僅か10年間だけ都が置かれた「長岡京」
 の東南部になる。
◆出土したのは、川幅が5~10m、深さ約1mの川の跡。
◆何故川跡から出土したのか?ここがポイント。
 この土器は、穢れを祓うまつりに用いられたことが分かっている。
 土器の中に自分の穢れを息とともに吹き込み、紙などで土器の口を封印し、それ
 を川に流したという祭祀であったらしい。
◆土器に描かれた人面は、祓いを行う本人のものと言う説と、厄病神を表している
 という説もあるらしい。

 次回に続きます。

 

2020年9月16日 (水)

猛暑下の植物園(3)

 前回の続きです。
 「植物園会館」の北側にある「ソテツ」の周りでは、
「水草展」が開かれていました。様々な水草が見られました。
 その近くで見付けたのは、

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この巨大な植物2つです。
手前は、「リュウゼツラン」、奥は、「アオノリュウゼツラン」です。
キジカクシ科で、100年植物とありました。漢字では「龍舌蘭」と書きます。
猛暑にも負けない強さを感じましたが、果たして?

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ここにも大きな木陰がありました。

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その木陰をつくっているのは、この巨木です。
向こうは、「正門」です。

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その北側には、「くすのき並木道」があります。
以前は、もっと木陰が出来ていたのですが、枝を一部切られたので、こんな
状態になっています。

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「正門」の直ぐ北の花壇にも、「カンナ」が元気でした。

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ここでも「カンナ」が・・・。向こうは、「観覧温室」ですが、暑い時期は
敬遠しています。

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その近くの花壇では、「パパイヤ」(中央の木)が実を付けていました。
実は濃い緑色になっていました。

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「サンショウバラ」と言う木です。原産地 日本 バラ科 です。

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近くで実を見ると、こんな様子でした。外皮はイボイボで覆われています。

 そろそろ猛暑に近付いて来ました。約1時間強、そろそろ退出としました。

 

2020年9月14日 (月)

猛暑下の植物園(2)

 前回の続きです。
 暑い中を、汗だくになりながら歩いています。
 「あじさい園」に来ました。

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ここで必ず見ているのが、この木です。「フウ」の木です。
やや形が不自然ですが、しっかりと葉を茂らせています。
木の根元近くに人がいますが、この木の大きさが分って戴ける
かと思います。

 そして、その近くの「蓮池」では、

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唯一の「蓮の花」が見られました。

 そこから南に進むと、「沈床花壇」があります。

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そこでも「噴水」が元気よく吹き上がっていました。

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ここでは、「夏の花・カンナ」が見られましたが、かなり暑さにやられている
様に見えました。背景は、「噴水」です。

 そして、「バラ園」に来ました。前回でもご紹介した「マチルダ」が
引き続き元気でした。

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「マチルダ」の説明板です。

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こんな感じです。

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近くで見ました。

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「バラ園」には、巨大な「ヒマラヤスギ」(推定樹齢約100年)の下には
大きな木陰が広がっていました。

 この後、植物園会館の1階で催されていた「芦生の天然林と着生植物」
写真展を拝見しました。昔一度だけ「芦生の森」に行ったことがあります。
凄い杉の大木があった記憶があります。

 次回に続きます。

2020年9月12日 (土)

1か月ぶりに宝ケ池へ

 約1か月ぶり(前回は8月9日)に、宝ケ池に
行って来ました。9月11日(金)のことです。
 目的は、健康管理のためのウォーキングと、
あの鳥達のことが気になって。

 何時もの通り、市営地下鉄烏丸線の北の終点・
「国際会館」で下車し、「宝ケ池」に向かって
歩きます。
 こちらも何時もの通り、反時計回りに歩きます。
 そうすると、早くも「御面会」です。

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今日も揃っていました。場所は、今までとは全く違った場所です。
位置は、池の奥まった北側です。
ソーシャルディスタンスを保って佇んでいます。

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「アヒル」(と私は思っている)をアップで。
他の場所には居なかったので、前から見ている鳥達だと思います。

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「カモ」は3羽いますが、左端が「カルガモ」で、他の2羽は「マガモ」
ではないかと思います。

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その「カルガモ」をアップで。

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位置を変えて。

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最初に彼等を見た場所です。鳥達の姿はありません。
手前に何か気になるものが。

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近寄って見ると、こんなものでした。前からあったかな?

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その後に彼等が移動した場所です。
今日彼等が居た場所は、ここから対岸位の場所になります。

 「アヒルとカルガモ」の関係は、何時まで続くのか大変気になります。
 場所は違えど、彼等の姿を見ると、ホッとしますが・・・。

2020年9月10日 (木)

猛暑下の植物園(1)

 前回に、京都府立植物園を訪れたのは、
8月2日の「盛夏」でした。(その前は7/5でした)
 そして、「盛夏の植物園」のタイトルで記事にし、
ご覧戴きました。
 猛暑下の、8月29日(土)の午前に、約1か月
ぶりに訪れました。この日の日中の最高気温は、
36.8度Cでした。
 猛暑日が続く京都市内での外出は勇気が必要です。
 コロナと熱中症対策をしっかりとして、出掛けました。
 何時もの様に、北山門から入り、時計回りに歩き
始めました。

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この暑さでも、頑張っているのは、「タイタンビカス」達でした。
もう萎んだ花もありましたが、どんどん開花が続いているみたいです。

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ひととき暑さを忘れさせる位の見事さです。

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こちらも負けずに頑張っていました。「モミジアオイ」です。

 実は、これらの花々は大きな植木鉢に植えられた上、プール状の池に置かれて
いて、水分補給がしっかりとしていることも関係があるのかなあと考えました。

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北山門を入って直ぐにある「噴水」です。
暑い時のせめてもの清涼感です。
遠くの背景は、北山門です。そして、上の花達は右手に並んでいます。

 前回にもご紹介した「朝顔展」が、未だ続いていました。

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「木立」と言って、蔓が無い朝顔です。

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未だ美しく咲いていた朝顔です。
この猛暑は、朝顔にとってさぞ厳しいことでしょう。

 次回に続きです。

 

2020年9月 8日 (火)

京都・六地蔵巡り(6)

 前回の続きです。今回が最終回となります。
 今回は、「桂地蔵」(丹波、山陰街道) 地蔵寺 です。

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道路に面した山門を入ります。

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山門を入ると、直ぐにこの石碑がありました。

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その先に「地蔵堂」があります。「地蔵堂」として、ここが一番大きいと
思いました。寺名が「地蔵寺」ですから、納得です。

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「地蔵堂」の手前左手には、この様なところがありました。

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「お地蔵さん」です。

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堂内の様子です。

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「お地蔵さん」に近付いて見ました。

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ここの「お幡」です。
「お幡」が6枚揃いましたので、玄関に吊るし、一年中の
厄病退散・家内安全・福徳招来の護符とさせて戴きます。

 最後に、「京の六地蔵めぐり」について、「六地蔵会」発行の
パンフレットから、ご紹介します。若しご関心がありましたら、
ご覧ください。

〇800年の伝統行事。
〇六地蔵とは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六道に迷い
 苦しむ衆生を救済せんと発願された仏さまである。
〇六地蔵尊縁起
 京の六地蔵尊は、人皇55代 文徳天皇の仁寿2年(852年)、
 朝廷に仕える参議左大辨従三位 小野篁公の作と伝えられる霊像
 である。篁は嘉祥2年(849年)、48才の時、大病にかかり
 仮死状態となった。夢遊の中に地獄の世界に行き、恐ろしい地獄
 の猛火の中に一人の尊き比丘ましまして、獄卒に苦しめられて悲
 鳴する罪人たちを慈悲のみ手に救い取り給うお姿を拝した。
〇比丘曰く、「我はこれ地蔵菩薩なり、昔、釈迦如来の滅後、末世
 の衆生を我に付託し給う故に、毎日もろもろの地獄に入り、大神
 通力を以て罪障の人を救う、普く衆生を済度するといえども、尚
 無縁の衆生を救うこと難し、汝、娑婆世界にかえらば、一切の人々
 に、おのが犯す罪業の報いによって受けねばならぬ地獄の苦痛の
 恐ろしさを知らしめて、我に帰依せしめよ」と。
〇篁は大悲の御心に強く感激して、末法の衆生に普く菩薩の御利益
 をこうむらんしめんと発願された。そして、木幡山の一本の桜の
 大木を以って六体の地蔵尊像を刻み、木幡の里、即ち、現在の
 伏見六地蔵の地に安置された。
〇尊77代、後白河天皇は深くこの六地蔵尊を御信仰になり、
 宝祚長久、王城守護、厄病退散を祈願し、又、都往来する旅人た
 ちの路上安全を願い、又、広く一般庶民に二世福楽の利益結縁の
 御心から、保元2年(1157年)、平清盛に勅命し、清盛は
 西光法師に命じて、都街道の入口6か所に六角堂を建てて、一体
 ずつ御尊像を分置された。
〇これにより京の宗教行事として広く庶民に親しまれる「六地蔵
 めぐり」の風習が起こった。

2020年9月 6日 (日)

京都・六地蔵巡り(5)

 前回の続きです。
 今回は、「鳥羽地蔵」(西国街道)浄禅寺 浄土宗 です。
 ここは、「恋塚 浄禅寺」とも言い、遠藤盛遠と袈裟御前との
 悲劇の物語に関連し、袈裟御前の首塚があります。

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山門が2か所ありましたが、こちらは「地蔵堂」に直行の山門でした。

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こちらが「地蔵堂」です。

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上を見ると・・・。

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「地蔵堂」の内部です。色んなお供えが見えます。

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「お地蔵さん」です。

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右手には「本堂」があります。

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こちらは、「本堂」に向けての山門です。

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石碑の後ろの「クスノキ」が、この地域の名木とのことです。

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ここの「お幡」です。

 次回に続きます。次回は最後の「桂地蔵」です。

2020年9月 4日 (金)

京都・六地蔵巡り(4)

 前回の続きです。
 ④今回は、「常盤地蔵」周山街道 源光寺 です。

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山門前です。

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山門を入って正面に「地蔵堂」があります。

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「お地蔵さん」です。

「常盤」と言いますと、

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境内には、こんな説明板があります。

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どれがお墓か分りませんが・・・。

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その傍には、こんな像がありました。

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お顔が良く見えなかったので、違う位置から。

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ここの「お幡」です。

 次回に続きます。次回は「鳥羽地蔵」です。

2020年9月 2日 (水)

京都・六地蔵巡り(3)

 前回の続きです。
 今回は、鞍馬口地蔵(鞍馬街道)上善寺 浄土宗 です。

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「鞍馬口通」に面した山門の傍には、こんな石碑がありました。

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山門を入った正面には、本堂がありました。
「地蔵堂」は、その手前を右斜めにあります。

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前後しますが、山門の全景です。上の石碑は、左側の屋台の後ろに少しだけ
見えます。

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「地蔵堂」です。

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堂内の様子です。

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「お地蔵さん」です。

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「地蔵堂」の右手には、こんなのがありました。

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ここの「お幡」です。

 次回に続きます。次回は、「常盤地蔵」です。

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