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「あじさい園」で、しっかりと「あじさい」を
堪能した後は、何時もの通り植物園内を、時計周り
に回って、その他の花などを見て回りました。
あじさい園の近くで咲いていました。最近歩いていて良く見掛ける花でした。
名前が分かりました。「金糸梅」(キンシバイ)とのことでした。
あじさい園に来たからには是非見なくてはいけない「フウ」です。
葉っぱが良く茂っています。秋が楽しみです。
夏の花「カンナ」も、良く咲いていました。
花しょうぶ園に行く途中で見掛けました。名前が中々覚えられずにいました。
「ヤマボウシ」でした。コルヌス アングスタータ 中国常緑性 ヤマボウシ属
ミズキ科 と書いてありました。
「花しょうぶ園」では、未だ盛りの花が多く見られました。
西側から見たほぼ全景です。
青系統が多い様でした。
次回に続きます。
雨上がりの後、天気も良く、空気も爽やかなので
「MYウォーキングコース」の嵯峨野を歩きました。
6月20日(土)午前のことです。
今日は、緑一杯溢れる「北嵯峨田園地帯」に注目
して、気持ち良く歩きました。涼しい風も吹いていて
絶好のウォーキング日和でした。
右手に「広沢池」を見ながら、左手に広がる「北嵯峨田園地帯」を見ています。
「広沢池」を背に、西の方を見ています。植えられた稲は、大分しっかりと
している様です。田園地帯の中には、この様に農道が縦横に通っています。
偶にこの農道を歩くこともあります。今男の人が歩いている様に。
少し北に進みました。見える山は、「嵐山」付近の山々です。左手には、
「松尾」にも通じます。
更に北に進み、西を見ています。
前の位置から少し北に回り込んでいます。田んぼの周りには、見える様に
防護網(電流が流れている様)が張り巡らされています。
大分北に来ました。東南の方を見ています。
地帯の北から南に変わりました。この一帯は、石碑にある通り「歴史的
風土特別保存地区」として、開発から守られています。
田んぼばかりではなく、この様に畑もあります。ほぼ南を向いています。
飛んでいるのは、ビニール製のトンビです。風に煽られて本物が飛んでいる
様に見えます。カラスやスズメ除けです。
地帯の北西部分に来ました。
見えている森は、「大沢池」の外側です。その先に「大覚寺」があります。
この後、大覚寺前で休憩後、鳥居本から嵐山まで歩きました。
雨降りの為に歩きに行けず、2か所の展覧会に
行きました。
①6/13(土)京都府立堂本印象美術館へ
②6/14(日)京都市学校歴史博物館へ
どちらも午前中のことです。
①の方は、タイトルが「おしゃべりな絵画」と言う
もので、結構楽しめました。コレクション展です。
②の方は、企画展で「歴史人物を描いた絵画」です。
では先ず、①の方から。
正門前です。
大型ポスターです。掲載されている絵は、展覧会のトップに掲げられていました。
タイトルは、「阿蘭陀人持渡 牝五才 牡四才」(索心画冊)より です。
絵は、絹本着色・額 36×45 1925年(大正14年) です。
阿蘭陀人が江戸に連れて来たラクダ2頭が、初めての江戸について会話をしています。
江戸の町をキョロキョロと眺めながら。
そのことが絵の横に貼った説明板に書かれています。
展示されている全ての絵に添えられていました。
展示されていた絵画は、全部で 40点です。
外観は凄いです。印象の作と聞いています。
正門入った正面の外観です。
この建物の下に玄関があります。
戴いたパンフには、「耳を澄まして絵を見ると・・・みんな、何か話している!?」と。
次に、②の方です。
「京都市学校歴史博物館」(旧・京都市立開智小学校)の正門前です。
そこに掲示されていた今回のポスターです。
建物の玄関です。
では、少しそっと作品を、ご紹介します。
むかし学校を飾った絵画達です。
分かり難いとは思いますが、左から豊臣秀吉像・坂本龍馬像・海上随鴎像・
林和靖図 です。
菅原道真像と紫式部像です。
吉田松陰先生と塾生米をつく の図です。
作者は 物外画史 昭和13年 第三錦林小学校 所蔵。
「桃太郎図」大八木桂月作 昭和期 元豊園幼稚園 所蔵
変に大人顔の桃太郎でした。
全部で 30点が展示されていました。
先日「宝ケ池」で、アヒルとカモが仲良くしている
光景をお知らせしましたが、今日6月17日(水)午前
再び歩きに行った時に、どうしているかな?と思い
前回と同じ場所で探して見ました。
同じ場所にいたのは、こんなカモ(マガモ?)1羽でした。
諦めて歩いていると、約200m程離れたところに、
先ず、アヒルを発見。
そこへカモが来ました。
そして、一緒に泳ぎ始めました。
今日は、カモがリードしています。
ところが方向を変えると、アヒルもリードを。
方向を変えるたびに、交互でリードを。
アヒルが毛づくろいすると、カモも同じく。仲の良いこと。
多分場所は違えど前回のペアだと確信しました。暫く立ち止まって眺めて
いました。
前回は、言葉だけでしたが、今日も「宝ケ池」の近くで「鹿」を見ました。
一生懸命に木の芽を食べていました。
前回居た「高野川」には、今日は居ませんでした。
前回の続きです。
「高野川」沿いに歩いています。この辺りは未だ
「河川敷」では無いです。
「馬橋人道橋」の上から、上流を見ています。
右岸に「鹿」がいました。実は、「宝ケ池」でも「鹿」に出会いました。
同じく下流を見ています。ここから右岸に変わりました。
漸くここから「河川敷」に近い道を歩くことが出来ました。
道の様子が少し変わりました。
終着の「高野橋」が見えて来ました。上の方の道に変わりました。
「高野橋」の北西部です。
橋の上から、上流を見ています。遠くに「比叡山」が望めます。
同じく、下流を見ています。この辺りには、両側に道が付けられています。
「宝ケ池」からここまで、歩き通しました。約1万2千歩でした。
前回の続きです。
「宝ケ池」では、アヒルと鴨の睦まじさに癒されて、
「高野川」の合流地点に来ました。
左が「岩倉川」(岩倉の町中を通って来ます)、右が「高野川」(八瀬を
通って来ます)との合流地点です。ここからは「高野川」となります。
橋の名前は不詳。その橋の上から下流を見ています。
暫くは川とはお別れです。
駅伝の放送で良く出て来る「叡電跨線橋」です。
この通りは、「川端通」です。その途中の右側には「山はな平八茶屋」です。
情緒ある入口です。
ここで道が分かれます。左は「大原街道」、右は「川端通」です。
私は「川端通」を進みます。
漸く川と再会しました。「松ケ崎橋」の上から、上流を見ています。
同じ橋から、下流を見ています。
次回に続きます。
「三密」を避けて、マスクをして歩いています。
今日(6/6・土)は、「宝ケ池から高野川」を
歩きました。人に合わないところでは、マスクを外して。
「宝ケ池」の周りでは、お互いの間隔を意識しながら、
歩いたり走ったりしています。少し人は増えたかなと思いますが
何しろ広いですから全く心配はしていません。
さて、池の傍で休憩していたら、こんな風景が目に入りました。
アヒルと鴨が仲良く泳いでいました。そして、ほぼ一定にアヒルが先頭に
なって。
池の近くを右に、左に、こちらに。
岸近くに来て、方向転換しようとしています。
今度は右に。色は違えど良く似ています。
アヒルが一声鳴いて岸に上がって来ました。
左に歩いています。
ここでは鴨が先頭に。
そこへ女性が来て、何かを食べさせました。慣れているのでしょうか。
女性は直ぐに立ち去りました。
アヒルと鴨とは、お互いにどの様に思っているのでしょうか?
鳥と言う点では仲間ですが、それは人間が見てのこと。
アヒルと鴨とでは、長い時間での行動は全く違う筈ですね。
以前、ここにはアヒルだけが数羽住んでいて、前に死んだアヒルが
剥製にして近くの施設で展示していることは知っていました。
暫くここを訪れた時に、観察して見たいと思いました。
この後、「宝ケ池」を離れて、「高野川」沿いに歩きました。
次回に続きます。
京都市美術館から「京都市京セラ美術館」としてスタート
しました。その開館記念展「京都の美術250年の夢 最初
の一歩 コレクションの原点」を拝見しました。
「コロナ問題」からスタートが大分遅れましたが、漸く
拝見可能となりました。前日にインターネットで予約し、
6月5日(金)午前10時の予約で行きました。1時間以内で
鑑賞することになっています。
建物を正面から見ています。建物の外観は変わっていない様に思いましたが、
手前の一段低くなったところは「京セラスクエア」と言って、緩やかなスロープ
になっていました。左手の人が集まっているところが入口です。
建物全体としては、地下1階となります。
正面左手から見ると、こんな感じです。
スロープの実感が無いかも知れませんが、ここが「京セラスクエア」です。
ここは全く新しく出来た部分です。
中に入って地下1階から1階に上がると、内部はこんな様子です。
「中央ホール」です。
違う位置から見ています。ここには3カ所の入口があって、それぞれの展示
室へ進みます。
私は開館記念展の展示室に進みました。その途中にあったものです。
展示は勿論撮影出来ませんが、
第一章 最初の所蔵品 4点 を始め 第五章まで 計 47点が展示
されています。
以前の様子を思い浮かべながら、内部を撮りました。
今回は使われていない2階への階段です。ここは変わっていません。
以前もあったトイレなどの近くの扉です。
以前の正面玄関の部分かなと思いましたが・・・。1階部分です。
その内側です。柱に何か光るものが取り付けられています。
次回に続きます。
町中を歩いていると、所々で「アジサイ」の花を
見掛ける様になって来たので、植物園に行きました。
京都府立植物園には、「あじさい園」があります。
北山門から入ってほぼ真っすぐのところ(私の
好きな「フウ」の木の傍)にあります。
6月4日(木)午前9時半頃の様子です。あじさいの花は直接的には見えない
(隠れている)で、見えているのは「ガク」だそうです。
あじさいは、東アジアと南北アメリカに 40種、日本では12種が自生
しているそうです。当園には 180種 200株があるとか。
近寄って見ました。
透明感を感じます。
見頃には、少し時間がありそうです。
もう少し色が濃くなるかと思いますが・・・。
「クロジク」と名札にありました。成る程ね。
「インマクラータ」とありました。
始めに書きました様に、「フウ」(左手の大木)と、「あじさい園」の一部
です。
次回に続きます。
前回の続きです。最終回たです。
京都では、河川敷でこんな史料が見られます。
「葵祭」(昔は「賀茂祭」と言いました)に関するものです。絵画史料です。
続いてこちらも絵画史料です。
昔の写真です。
何故この様な史料が掲示されているかと言えば、この橋は「葵橋」です。
この橋の下に掲示されていました。
「路頭の儀」は、下鴨神社を発した行列は、この橋を渡って、加茂街道を経て
上賀茂神社に向かいます。
賀茂川(手前)と高野川(見え難いですが、向こう側)との合流点です。
左上の平地が合流地の三角地です。
「賀茂大橋」です。下流側から見ています。
「鴨川」となりました。その右岸の傍には、「京都府立医科大学」と
「同付属病院」の建物群が立ち並んでいます。玄関側は、「河原町通」に
面しています。
その下流方向にある「山紫水明処」です。「頼山陽」の書斎でした。
「丸太町橋」は工事中です。
ここまで来れば、「大文字」もしっかりと見えます。
丸太町橋の西南隅には、この様な石碑が建っています。
京都の歴史の一幕を示す証しです。
前回の続きです。
「賀茂川」右岸の河川敷を歩いています。
「御薗橋」から少し下がったところで、何やら
水面が乱れていました。
良く見ると、何と大きな鯉が数匹、固まって泳いでいました。
暫く見惚れていました。
今時良く見掛ける花です。
名前は分かりません。
この花も、良く見掛けました。
「上賀茂橋」です。
右手の大きな並木の傍には、「加茂街道」が通っています。
「葵祭」の行列が通る道です。
私が今歩いているのは、左手の道です。
川の中に出来た大きな中洲では、木が大きく育っています。
「北山通」が通る「北山大橋」です。下流側から見ています。
「北山大橋」から下流の左岸を見ています。見える木々は、「半木の道」の
紅枝垂れ桜です。その奥には、「京都府立植物園」が広がっています。
この一帯は、「鴨川公園」です。
川中では、子供達の姿がありました。
次回に続きます。
「三密」を避けて、歩く範囲を拡大しています。
今日は、西賀茂橋から賀茂川右岸を歩き、さらに
高野川との合流点から鴨川右岸を丸太町橋まで歩きました。
6月2日(火)の午前中のことです。
日中の最高気温が31度Cの予報が出ていたからか、結構
暑かったです。休憩と水分補給をしつつ、歩きましたがやや
応えました。9時40分頃から11時30分頃まで掛かりました。
これが「西賀茂橋」です。恰好が良いでしょう。未だ新しい橋です。
東詰めから見ています。
橋の近くかに、五山の送り火の1つ「舟形」の西賀茂船山が見えます。
橋を渡ります。東詰めから西へ。
橋の幅は結構広い様に思います。
上流を見ています。山が近いので、こんな景色に見えます。
下流を見ています。比較的山が近いので、土砂の流出が多いのか、大小の島が
出来ています。
橋の西南隅から、橋の全体を見ています。
橋の近くにあった看板です。今日は「丸太町橋」(左から3番目)まで
歩きました。
河川敷の右岸から、橋を振り返って見ています。川に設けられた段差の高さ
が、この辺では大きい様です。
ここでは、3段になっています。昔は暴れ川と言われた「賀茂川・鴨川」の
治水対策です。
「上賀茂神社」の近くの「御薗橋」(みそのばし)です。目下工事中です。
次回に続きます。
前回の続きです。
「四条大橋」を渡り、鴨川の左岸の河川敷にコースを変更、
丁度影がある所を歩くことになりました。日向と日陰では大分
体の方も楽です。
堤防の斜面には、木や草花が植えられています。花名は分かりませんが、
涼し気な感じがします。
玄関は「高瀬川」沿いにありますが、大きな料亭旅館です。
「鮒鶴」(ふなつる)です。立派な建物です。最上階には更に立派な建物
が見えます。
少し下流にも、もう1軒あります。「鶴清」(つるせ)です。こちらも玄関
は「高瀬川」沿いです。ここは「五条通」から高瀬川沿いにすこし上がった
ところにあります。かつては、「鮒鶴」と共に賑わっていたのでしょう。
「五条大橋」を下流から見ています。国道でもあり、幅は広く強靭に造られて
います。
橋の下を見ました。頑丈そうに造られています。
三条や四条付近には、紐を川幅一杯に張り防いでいましたが、ここには見られません
「カワウ」です。
次の大きな橋、「七条大橋」です。上流から見ています。橋の形状は立派
です。
橋の欄干には、この様なデザインのものが嵌め込まれています。
何か由来があった様に聞きましたが、思い出せません。「矢」?
下流側からも見ました。
この様な鉄橋も、余り見掛けなくなった様に思います。JR奈良線のものです。
そろそろゴールの「九条大橋」が見えて来ました。この橋も立派です。
前回の続きです。
鴨川河川敷の右岸側を歩いています。
「三条大橋」の下をくぐりました。
観光名所?の「三条大橋」の下流域だけあって、川底も整備されていて、
美しいです。
左手に見えるのは、「先斗町歌舞練場」の裏側です。向こうに見える橋は
「三条大橋」です。左手の小川は「みそそぎ川」です。
三条と四条の真ん中辺りの川底は、もうこんな有様です。
大きな獲物を取ったものの、呑み込むのに苦労している様です。
「四条大橋」に来ました。大きく見えるのは、「南座」です。
ここで、一旦上に上がり、ここからは左岸の河川敷を歩くことにしました。
「四条大橋」の上から、鴨川の上流を見ています。遠くの山並みは「北山
連峰」です。
橋の欄干に施された金具です。欄干の各所に取り付けられていました。
「御所車」の車輪?祇園祭の「鉾」の車輪?
「四条通」の「川端通」から東を見ています。遠くに見えるのは、「八坂
神社」の西楼門です。
「四条大橋」を下流から見ています。
「四条大橋」の西側の下流の様子です。右側の建物は、中華料理店の
「東華菜館」です。時々行っていました。美味しかったです。
次回に続きます。
前回の続きです。
右岸・河川敷を下流に向かって歩いています。
「二条大橋」です。下流側から見ています。
その下には、こんなものが展示されていました。
国宝・上杉本・洛中洛外屏風のコピィです。流石京都です!(言い過ぎ?)
みそそぎ川に張り出して造られている「床」です。コロナ問題で、営業は
まちまちです。
「御池大橋」の下でも、京都らしい絵画が見られました。3点ありました。
江戸時代の鴨川の遊興の様子が描かれています。当時の京の人達は、鴨川で
四季楽しんでいた様です。
その近くに設置されていました。
真ん中の太い線が「三条通」(昔の東海道)です。その左の少し細い線は、
「四条通」です。
「三条大橋」です。下流から見ています。
橋桁に注目しています。やはり他の橋とは違います。古い形を保っています。
次回に続きます。
解除宣言が出たものの、用心に越したことは無いので、
「三密」の心配が先ず無いところを歩いています。
例えば、嵯峨野・嵐山、各河川敷、宝ケ池などです。
今日(5月28日)は、鴨川河川敷の道を、丸太町橋から
九条橋まで歩きました。やはり少し人は増えた様に感じました。
午前10時10分頃から、11時40分頃までの約1時間半でした。
その時の景色などをご紹介したいと思います。若しご興味がおあり
てしたら、ご覧願います。今時の鴨川付近の様子です。
丸太町橋の右岸側から河川敷に入りました。
初めに歩き始めたのは、鴨川から離れた小径でした。
その小径から鴨川を撮りました。
直ぐ手前に見える小川は、「みそそぎ川」とか「みそぎ川」と言います。
水は鴨川から取っているそうです。
さらにその先で、東側を見ています。ほぼ真ん中に見えるのは、琵琶湖疏水
の鴨川への排出口で、その上は木造の橋が架かっています。
琵琶湖疏水は、ここから右に直角に流れて、伏見に至っています。
遠くに「大文字山」が見えます(見難いですね)。
道端に咲いていました。
途中で見た「イタヤカエデ」の新緑でした。
鴨川には、こんな飛び石が設けられています。暑くなっ来たので、水も
楽しいことでしょう。
こんな花も咲いていました。
今歩いている小径です。鴨川は左手に流れています。
みそそぎ川(または、みそぎ川)の様子です。街中にこんな小川が流れて
いるのです。しかし、下流に行くとガラリと様相が変わります。
漸く河川敷の道に降りて来ました。上流(北)を見ています。
遠くに見えるのは、北山連峰です。
今までの小径や、みそそぎ川は左手にあります。
ここからは、この道(右岸)を下流に向かって歩きました。
次回に続きます。
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