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コロナ感染防止の為に閉園していた「京都府立植物園」が
5月18日(月)に開園されたので、5月25日(月)の
午前に、久しぶりに行きました。桜の季節以来です。
通常のコロナ対策をしての入園です。人の姿はありましたが、
疎らでした。何時もの通り、時計周りで回りました。
久しぶりに見る「花」を中心に写真を撮りました。
北山門から入って真っすぐの所にあった木に、何故か引き寄せられました。
こんな花が咲いていました。「花名音痴」の私は、名前を知りません。
良く見掛ける花ではありますが・・・。
「竹笹園」の中を進むと、「しゃくやく園」では、華やかさが広がっていました。
園関係者が、花やツボミを摘み取っておられました。
更に直進すると「沈床花壇」に行きますが、先に「はなしょうぶ園」に行きました。
多分見頃を迎えているのではないかと思い。
ほぼ全景を見渡しています。右手には「大紅枝垂れ桜」があります。
一部盛りが過ぎた花もありました。
次回に続きます。
そろそろ初夏の様相の嵯峨野・嵐山(MYウォーキングコース)
を歩いて来ました。5月24日(日)午前のことです。
約2週間ぶりのことです。緊急事態宣言が解除され、気持ち的には
少しほっとした感じですが、マスクと三密には引き続いて注意しつつ
歩きました。人との出会いは、日曜日のせいもあってか、少し多い
様に思いました。
「北嵯峨田園地帯」の田んぼでは、「田植え」が始まっていました。
ここでは、何時でも「田植え」が出来るところまで準備が完了して
いました。
その隣の田んぼでは、「田植え」が終わっていました。
こちらの田んぼでも、「田植え」は終わっていますが、苗が小さいので終わった
様には見えません。
ここでは、真っ最中でした。しばし見惚れていました。
上手い具合に苗が植えられて行きます。
「苗代」の様子です。ブロックごとに田植え機にセットされます。
所々で見掛けた花を、ご紹介します。
畑の中で咲いていました。
小さな池に咲いていました。
生垣の一角で見付けました。
今一番良く見掛けます。
或るお宅の玄関近くで見ました。
「小倉池」の片隅で見付けました。
小さな塊で咲いていました。
その「小倉池」の全貌です。南から北を向いて撮りました。
この池の傍には、髪の神様「御髪神社」があります。
前回は殆ど人の姿がありませんでしたが・・・。
最後に「MYウォーキングコース」について、ご紹介しますと、
市バスの丸太町通の「広沢御所の内町」で下車し、ここから歩き始めます。
ほぼ北の方向に進みますと、やがて「広沢池」に出ます。
池の周りを、時計方向に歩きます。
池の西側には、「北嵯峨田園地帯」が広がっています。地帯の東~北~西と
進みます。
やがて、「大覚寺」の北側にある集落を抜けて、「大覚寺」前のBSに着きます。
ここで約10分ほど休憩します。
後半は、「大覚寺」前から西~南~西と進みます。
五山の送り火の1つ「鳥居形」の近くを通ります。その近くには、瀬戸内寂聴さんの
「寂庵」があります。やがて鳥居本の三叉路に来ます。左折して、「二尊院」前を通り
「常寂光寺」前を左折、「小倉池」を右に見て、トロッコ鉄道・嵐山駅前から「竹林の道」
を抜け、「野宮神社」の横を通って、市バスの「野宮」に到着。ここで市バスに乗るか、
嵐電・嵐山駅前まで歩いてバスに乗るかします。
約2時間弱、約1万2千歩程の行程です。
飲み物と2本ストックは、必ず持参します。最近は、ややしんどくなって来ました。
月3回がいまのところ精いっぱいです。
前回の続きです。
「東福寺」にも多くの「塔頭」があります。
今回は、市バスの「東福寺前」で下車後、
東福寺に向かう途中での塔頭を拝見して行きたいと
思います。
先ず最初にあったのは、「退耕菴」です。
駒札によりますと、歴史的な大きな出来事2つに関わりのあるところの様です。
ちょつと面白そうなので、撮らせて戴きました。新緑も美しく。
門外の道を行く二人連れ、新緑のトンネルの下を。
その反対側の塀沿いの道です。
新緑のお饅頭に惹かれて撮りました。
塔頭が立ち並ぶ道です。ここにも新緑が溢れていました。
大きく枝を伸ばして、山門を覆っています。
虚無僧で有名な「明暗寺」です。
京都府も、「緊急事態宣言」が解除され、気持ち的には少しほっととしました。
しかし、今まで通り「マスク」と「三密」には十分気を付けて行動したいと
考えています。
前回の続きです。
「智積院」から、次は「東福寺」に向かいました。
紅葉の名所=青もみじの名所と言う発想から、京都
の秋の紅葉の名所・東福寺を訪ねたと言う訳です。
「東福寺」は、東山区本町15丁目にあって、臨済宗
東福寺派の大本山です。東大寺の「東」と興福寺の「福」
から名付けられたそうです。京都五山の1つです。
東福寺の境内に向かう途中にある「臥雲橋」から、カエデの谷を経て、
「通天橋」の方を見ています。
少し橋の上で位置を変えて見ています。
カエデの森に目を移して見ています。
谷には小川が流れています。僅かな流れにもね青もみじが映えています。
境内に入りました。
境内を見渡しています。
手前の「三門」から「仏殿・法堂」を見ています。
三門の真ん中から仏殿・法堂を見通しています。
「通天橋」に続く廊下の屋根です。
堂舎の近くにも、見事なカエデが見られました。
次回に続きます。
前回の続きです。
殆ど人に出会わない境内を歩いています。
「金堂」の付近を歩いています。
「金堂」の前にはねこの様に立派なカエデがあります。太い幹が存在感を
感じさせます。
こちらは先程ではないですが、しっかりと枝を広げて、それなりの存在感を
示しています。
新緑が目を覚ませてくれます。
近寄って見ました。
瑞々しい新緑です。
「鐘楼堂」の周りも、この様な様子です。因みに、鐘は「智専之鐘」と言います。
「鐘楼堂」の付近です。
多くのカエデがありましたが、こんなのは初めてです。
カエデの種で、風に乗って遠くまで飛んで行き易くなっている?と聞いた
ことがありますが・・・。インターネットで調べて見ましたが正直言って
良く分かりませんでした。
この後は、近くの「東福寺」に向かいました。
次回に続きます。
健康保持のために、過疎地歩きは続けていますが、
これではブログのネタには成り難いので、不要不急
には反しますが、マスクと禁三密を守って他所にも
出掛けました。
「智積院」と「東福寺」の2か寺の「青もみじ」を
訪ねて出掛けました。どちらも人は疎らで、過疎地で
した。5月20日(水)の午前のことです。
普通なら込み合う市バスの東大路通経由ですが、乗客
は往復とも数人程度でした。
「智積院」(ちしゃくいん)は、東山七条にあって、真言宗智山派の総本山
です。「金堂」への道の両側には、新緑の「青もみじ」が美しい。
近寄って見ました。
新緑が溢れています。
「金堂」前には、太いカエデがでんと控えています。
金堂に掛けられた幕の寺紋は、「桔梗」の様です。
近寄って見ました。
「明王殿」の横の小池では、こんな花が咲いていました。
金堂内から聞こえる読経の声を聴きながら見ています。
境内を歩いています。
「天水桶」と新緑のコラボです。
次回に続きます。
私の「愛宕山」に対する想いを話したいと思います。
滋賀県は湖南地方に住んでいた時は、家の裏手に出ると
直ぐに見えたのは、「比良連峰」それも雪を頂いた山々でした。
それが約50年前に現在地(京都市右京区)に引っ越して
来てからは、何時も見られる「愛宕山」に変わりました。
その後は、私は「愛宕山」に魅せられ続けています。
京都市内のどの位置にいても、「愛宕山」を探します。
山容も独特の形をしていますから直ぐに分かります。
元気な時は、毎月1回はコースを変えて、表参道や神護寺境内から
首無し地蔵のコースや水尾からのコースなど歩きました。
月参りの際には「火廼要慎」のお札を買い求め、ご近所に差し上げたり
もしました。「千日詣」も勿論行きました。
「京都愛宕研究会」にも入りました。今も名前だけですが会員です。
膝を痛めてからは、医者にも止められ登山は一度もしていません。
ただ地上から眺めて満足している状態です。
お気付きかと思いますが、私のブログには屡々「愛宕山」が登場します。
今回も、5月11日(月)の午前中に、「MYウォーキングコース」を
歩いた時に、快晴でもあったので、コースの各所で撮りました。
何時もは、「広沢池」を通して見る「愛宕山」ですが、今回は「北嵯峨田園
地帯」を通しての「愛宕山」です。
同じく「田園地帯」からのものです。山を見る位置は変われど、京都市内
からの位置ですから、山容は変わりません。
「清滝道」の傍から見ています。山には近くなっています。
「鳥居本」への道の途中から見ています。
私が歩いている道の途中で、山が見えなくなる寸前の様子です。
「嵐山」に出る手前の「竹林の道」の様子です。人の姿が全くなく、道に
散らばっている枯れ葉が地上に落ちたままの状態です。人が通らないから
そのままの状態です。
同じ状態が続きます。
枯れ葉を蹴散らす人がいないことを示しています。
再び「愛宕山」が望めるのは、この場所でした。
アップで見ています。
最後に、「愛宕山」はその山頂にある「愛宕神社」についてです。
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」でも、明智光秀が本能寺に織田信長を
襲う前に、ここでの「連歌」の催しで、その決心したと言うエピソードが
ありますが、その場面も多分表現されるのではと思っています。
「京都検定・公式テキストブック」でも、「愛宕神社」に関することが
多く出て来ます。
また、最近発行された京都市埋蔵文化財研究所・京都市考古資料館の
「リーフレット京都No.376(2020年4月)の土器・瓦40の
愛宕神社境内採集の「桃山陶器」にも、「愛宕神社」について詳しく記載
されています。明治初頭の廃仏毀釈までは、愛宕大権現を祀る神仏習合の
霊山でした。勝軍地蔵が祀られていたので武士達の信仰を集めていました。
さて、「三密」には十分注意しつつ、広い所を歩いていますが、同じ場所
なので写真は撮っていません。
今より少し解放されて歩き回れそうですが、暫くお休みします。
「三密」を避けながら、歩いています。
今回は、「松尾大社」前から「桂川」沿いの
河川敷の道・桂川サイクリングロードを歩きました。
5月8日(金)午前のことです。
「松尾大社」の大鳥居前です。手前を走るのは、阪急電車嵐山線です。
歩きは手前に戻って、「桂川」の河川敷を歩きます。
地図のほぼ真ん中辺りの「現在地」(赤印)から左の方に歩きます。
「松尾山」などの山々です。河川敷の所々に運動場みたいなところがあります。
色んな新緑が見られます。
大きな木も新緑に包まれていました。
ここにもグランドがありました。そこにも大木の新緑が盛り上がっていました。
遠くに「愛宕山」の姿も見られました。
「嵐山」に近付いて来ました。サイクリングロードは、こんな姿です。
歩いている人、走っている人、そこを通り抜けて自転車に乗った人など。
正面の山は、「小倉山」です。右に少しだけ「愛宕山」が。
ここにも新緑の大木がありました。
「嵐山」も新緑に覆われていました。
ここらは、「嵐山公園・中の島地区」です。右手が「渡月橋」です。
「渡月橋」も閑散としています。左手からここまでが「大堰川」、その右側
からは「桂川」と名前が変わります。
バス待ちをしている間に近くの「天龍寺」の入口の様子を見ました。
色んな「ツツジ」が出迎えてくれます。
帰りの市バスも、乗客は数人でした。
前回の続きです。
「宝ケ池」から離れて、元来た道に戻りました。
「北園」とを結ぶ「連絡橋」です。手前が池側、向こうが「北園」です。
橋の上から見た景色です。流れている川は、「岩倉川」です。
左手が運動場です。右斜めの道を進みます。
進行方向右側には、低い山々が連なっています。そこには新緑が溢れています。
ちょうど良い略図がありましたので撮って見ました。
池の周りを反時計周りで歩き、「北園」を真っすぐに下がり、
赤色の「現在地」に来ました。
運動場になっています。
目下閉園中の「こどもの楽園」です。
閉園中ですが、鯉のぼりは新緑の中元気に泳いでいました。
ここから約30分程歩いて、地下鉄・松ケ崎駅から帰途に着きました。
「洛北」とは書きましたが、確かに京都市内の
北部には在りますが、多少の違和感を感じつつ、
「洛北」で進めたいと思います。
走ったり歩いたりする人達とは出会いますが、
広々としているので、「三密」にはならないと
思って行きました。今までも書いていませんが
ずっと一人旅です。往復の地下鉄も1両当たり
数人の乗車でした。
5月7日(木)午前のことです。
地下鉄烏丸線の北の終点・国際会館駅から地上に出て、南に少し歩くと
やがてこの景色に出会います。
宝ケ池公園の北園です。運動場になっていますが人の姿は疎らです。
また、この様に「比叡山」が間近に見られます。
「宝ケ池」の方へ行きます。
その途中で出会った「ツツジ」です。この奥に「国際会館」があります。
久しぶりの「宝ケ池」と「寝子ケ山」(ねねがやま)です。
風がやや強く吹いていて、池面には何も映っていません。
ここから、反時計周りに池の周辺を歩きます。1周約1.6Kmです。
池の形は、「ヒトデ」に似た形をしています。その一つの尖がりに来ました。
「菖蒲園」ですが、全く花は見られません。
方角的には、北西になります。この先には「宝ケ池通」が通っています。
池の南西から見た景色です。手前に国際会館の建物が見え、その先には
「比叡山」が聳えています。
望遠にして、山頂を望んで見ました。
池の東側の道を歩いています。新緑が眩しい程です。
池の周りには、色んな名前の「森」が造られています。ここもその1つです。
高い木の上も、新緑が輝いていました。
所々で、「ツツジ」が満開でした。
そろそろ池からは離れます。
次回に続きます。
前回の続きです。
そろそろ出口に近付いて来ました。
左手は、「宗像神社」の西側です。この辺りには背の高い木々が見られます。
この辺の高い木には、「アオバズク」が住んでいます。
以前、私もその姿を見たことがあります。見付けるのに苦労した記憶が
あります。
御苑の南西には、「閑院宮邸跡」があります。その中の新緑です。
その東側には、「九条家邸跡」の「拾翠亭」(しゅうすいてい)があり、
その入口の新緑です。何故か人の姿が多いです。
出口の「間之町口」近くです。勢い良く走って来た人がいました。
「間之町口」です。
御苑の外に出ました。「丸太町通」の北側です。東を向いています。
遠くの山並みは、東山連峰です。
「丸太町通」の南側から、御苑の木々を見ています。
以上でこのシリーズは終わりです。
因みに、往復の市バス内の様子は、
行きは、私が「裁判所前」で下車したら、乗客は「ゼロ」となりました。
帰りは、「烏丸丸太町」で数人の乗客で、私が下車するまで殆ど変化なしでした。
バスの窓は、全部開けてありました。バス停では、いちいち停車してドアを開けて
いました。また、最前列の座席は座れない様にしてありました。
前回の続きです。
「近衛邸跡」から林の中を西に進みました。
御苑の北西にある「児童公園」に来ました。今日は「こどもの日」とて
ここはやや人が多い様でした。
お父さん達が、子供達のブランコ遊びに付き合っていました。
少し心配な状態です。
左手は、御所の西辺の築地塀です。北から南を見ています。
御苑の西側にある御門の1つ「中立売御門」周辺です。
御所の西辺と比叡山です。左手前は、葉桜の「車返桜」の一部です。
背景は、御所の西辺です。
林の中を歩いています。ご家族連れ、密集は止むを得ないか?
「蛤御門」の周辺です。
手前の大きな木は、「清水谷家の椋」の木です。
御所の南西角です。建礼門前の大通りです。
遠くの山は、五山の送り火の主、「大文字山」です。
「桃林」を通って「出水の小川」に向かっています。
次回に続きます。
前回の続きです。
余り人のいない広々とした御苑内を、
新緑を求めて歩いています。
「建礼門」前の大通りを、東から西に向かって見通しています。
人影は疎らです。
御所の東側の築地塀です。御所内の木々も新緑が見られます。
その東側にある「桜松」も、この通り葉っぱで覆われています。
右に進むと「京都迎賓館」の正門前に至ります。その角で見た新緑です。
そこから前方は、御所の東北の鬼門に当たる「猿ケ辻」です。
その「猿ケ辻」の東にある「明治天皇誕生の地・中山邸跡」も、大きな新緑に
覆われています。
御所の北辺を左手に見て、西方向を見通しています。
「近衛邸跡」に来ました。「糸桜」も新緑に変身していました。
近寄って見ました。最近は「近衛池」には水がありません。
背の高い木もね新緑です。
次回に続きます。
「不要不急」の外出自粛を言われていますが、
自分の体調管理も欠かせないので、「三密」には
十二分に注意をしながら、人出の少ない所
MYウォーキングコースの嵯峨野・嵐山、
京都御苑、鴨川などの河川敷道、宝ケ池などを
歩いています。
今日・5月5日(火・祝)の午前中は、
「京都御苑」の新緑を撮りに歩いて来ました。
最近良く利用する「富小路口」から入苑しました。
その入口に立てられていた看板です。
済みませんと心の中で詫びながら入らせて戴きました。
苑内に入って直ぐの光景です。
暫く進んで西方向の様子です。
「博覧会場跡」(左手)付近です。博覧会とは、明治初年にこの地で開かれた
ものです。
角を右折した東側の様子です。この辺りも博覧会場跡だと思われます。
この辺りは、木々が生い茂っているところです。
(私称・東大通り)を、南側から北を見通しています。
人の姿は、極々稀です。
東側にある「仙洞御所」の手前です。ここにも立派なカエデがありました。
その左側の林です。
奥に「仙洞御所」の築地塀が見えます。
近寄って見ました。
次回に続きます。
前回の続きです。
田舎の畑です。「ダイコンの花」(さや採り用品種)です。
「ブロッコリーの花」アブラナ科 です。
春の七草の1つ「スズシロ」=ダイコン です。小さなダイコンが見えます。
「聖護院ダイコンの花」です。アブラナ科です。
根元の方です。
「ミズナ 紅法師」アブラナ科 の花です。
春の到来を告げる「フキノトウ」キク科 です。後程園内の「生態園」でも
見掛けました。
エリア③和みの春 菜の花の道に来ました。
その全景です。菜の花が一際大きくなった様に思いました。
保育園の子供達も来ていて、賑やかなこと。
菜の花の部分を、大きくして見ています。春景色です。
名札の通りです。純白の可愛い花です。
次回に続きます。
「桜の追っ駆け」をしている間に、忘れ去られていた記事がありました。
新緑探訪も儘ならぬ昨今、時間稼ぎに登場してもらいましょう。
毎年、ほぼ2度は拝見している「京都府立植物園の
早春の草花展」に、今年は3月9日(月)午前中に、
2度目を拝見して来ました。
エリア①祝いの春 の全景です。前回より花のボリュームが増している様に
感じました。
今回は、出来るだけ花の名前を表示して行きたいと思って撮影しました。
ストック (キスミーブルーの表示を撮影していますが、間違っていると
思います)アブラナ科
チューリップ フォクシーフォックツスロット ユリ科
少し変わった色のチューリップです。
こちらはお馴染みの「ハナナ(ナノハナ)」京都伏見寒咲 アブラナ科 です。
こちらもお馴染みの「パンジー ピカソ シルバーブルー」 スミレ科 です。
こちらも「パンジー ピカソ ブルーブロッティンプ」スミレ科です。
先日地元紙で紹介されていました。
色違いの2種類です。
「ショカツサイ(ムラサキハナナ)」です。花の名の由来は次回で。
次回に続きます。
[展示は、3月15日に終わっております]
前回の続きです。
「大覚寺前」に遣って来ました。バス待ちの人は
一人だけでした。
「ツツジ」があちこちで満開でした。この白は「大覚寺前」のバス停の近く
で咲いていました。
「アジサイ」? とすれば早過ぎ・・・。
この色の「ツツジ」が一番多い様に思いました。
私のお気に入りの場所=五山の送り火の1つ、鳥居形の麓の風景です。
新緑が増えていました。
こちら、「二尊院」の隣にある「長神の杜」も、新緑に包まれていました。
「落柿舎」も、新緑の中にありました。
左手の鳥居は、「有智子内親王」(嵯峨天皇の皇女で賀茂社の斎王を
務められた)のお墓です。
「竹林の道」も、ご覧の通りの風景です。
出会ったのは、女性一人だけでした。振り返って見ています。
進行先の曲がり道の坂道も。
さらに、その先も・・・。この先の右手には「天龍寺北門」がありますが、
開いていました。人の姿は見られませんでした。
「不要不急」の外出を控える様に言われている中で、
「三密」に注意しつつ、久しぶりに「MY ウォーキングコース」
の「嵯峨野・嵐山」を歩きました。4月30日(木)午前のことです。
人との接触は、行きのバスは乗客が数人程度、コース内は十分に
「三密」は守られたと思います。帰りのバスも乗客は行きと同様
数人程度でした。
久しぶりの「広沢池」とのご対面です。何時もながら静かな佇まいを見せて
いましたが、池面は僅かなさざ波で鏡面では無かったです。
池の畔には、今まで見なかった花が咲いていました。
池の傍には新緑が瑞々しい姿を見せていました。ここは広沢池のボート乗り場
です。今は未だシーズンオフですが・・・。今までもボートに乗った人の姿は
見たことがありませんが・・・。
「遍照寺山」も新緑が目立っていました。
池傍のカヤが刈り取られ、見通しが良くなりました。
池に突き出た弁天島には数人の姿が見られます。
対岸の宗教施設も、日本の原風景的姿になって来ました。
池の西側の「北嵯峨田園地帯」では、「田起こし」が行われていました。
その北にある集落では、鯉のぼりが見られました。
その北側にある竹藪の葉っぱの色が色付き始めていました。
この後、大覚寺の北側の集落の家々の花などを眺めながら、大覚寺前から
嵐山に向かいました。
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