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2019年5月 4日 (土)

歴史の町ウォーク・亀岡(5)

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(手違いでここに入って仕舞ました、後程説明させて戴きます)

 

 

 前回の続きです。
 今回のウォークも終盤となりました。

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町中での1シーン。

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「稱名寺」です。生憎山門(薬師門)は工事中でした。城下で一番古い薬師門(元禄時代)
とのこと。
横手から境内に入らせて戴きました。

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本堂です。

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この梵鐘には、戦時下の傷跡が残されています。

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それはこの4つの穴です。説明によりますと、戦時下に金属供出で一旦出されましたが
奇しくも生き残り、終戦後返還されました。供出時金属分析のために試料として取り
出されものだそうです。

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街角に建つ「毘沙門堂」です。国分寺から明智光秀がここに安置後、
小早川秀秋の守護としたとか。

 その右隣にある「聖隣寺」です。

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山門前に建つ石碑です。

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境内を覗いて見ました。小早川秀秋の子菩提寺で、秀勝が建てたとか。
織田信長の五輪塔もあるとか。

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先の石碑の左側にはこんなものも。

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「坂部公園」の一角には、総堀のお土居が残っています。
この坂部氏は、槍奉行だったとか。坂部氏は後に「日本クロス」(京都市内)を
経営されていました。

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日本クロスの創業者・坂部三次氏像です。

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「三宅神社」です。古代奈良時代より年貢の屯倉に由来します。
建物は元禄時代頃のものとか。

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最後の見学地です。藩主形原松平家の菩提寺です。
形原松平家は、徳川譜代の大名で、この地で明治まで8代121年間続きました。
境内の撮影は禁止でした。境内には、歴代藩主の墓碑がありました。
流石大名家のお墓は立派でした。

 以上で、「歴史ウォーク・亀岡」は終りとさせて戴きます。

 なお、「亀岡市」は、京都市の西に位置し、京都市・宇治市に次ぐ人口8万8千人の都市で、
京都府下3番目の都市です。
 亀岡祭・亀岡光秀まつり・佐伯燈籠祭・保津川下り・嵯峨トロッコ列車・湯の花温泉などが
あります。
 

 

 

 

 

 


 

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