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2019年2月 5日 (火)

京都・島原・角屋を見る(3)

 前回のつづきです。
 1階を見た後は、2階に上がりました。こちらは一切撮影が禁止されていましたので、案内の女性から、丁寧な説明を聞きながら、各部屋を回りました。
 2階の主座敷の「緞子の間」の他、翠簾(みす)の間、扇の間、草花(そうか)の間、馬の間、青貝の間、桧垣の間など、趣向を凝らした部屋部屋でした。

 今回は、最後に「大座敷・松の間」を、ご紹介します。1階の奥座敷です。

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立派な床の間が、部屋の雰囲気を落ち着かせています。掛け軸は、墨絵の山水画です。

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床の間から右に目を移すと、この様な様子です。

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近寄って見ますと、凄いです。

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襖絵は、岸連山筆「桐に鳳凰の図」です。

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さらに右手に目を移します。

そして、この部屋の名前「松の間」の由来は、庭にある「臥龍松」です。

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庭全体に広がる松の枝です。

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松の枝の奥には、茶室が3つあるうちの1つが、奥に見える茶室です。
茶室は、左手にも2つあるとのことです。

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今繁る松は、2代目です。元の松は枯れて仕舞って太い幹のみが残っています。

◆島原と角屋について

●島原は、昔は花街の1つでした。

●その後、遊宴の場である「揚屋」と、揚屋に太夫や芸妓を派遣する「置屋」の分業制でした。角屋は揚屋でした。

●その後、この制度は消滅し、大型の宴会場に変わって行きます。

●さらに、遊宴に留まらずに俳諧などの文芸の場にもなって行きました。

●幕末には、勤皇倒幕派の武士達の密議の場にもなりました。

●角屋は、島原開設当初(寛永18年・1641年)から存在しましたが、現在の規模になったのは天明7年(1787)の増築後のことです。












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