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2018年9月17日 (月)

京都市内・洛中を歩く(6)富小路通ー1

 洛中の南北の通りを歩いています。(カテゴリー「大路小路路地」をご覧ください)
 寺町通から始まって、御幸町通・麩屋町通と来ました。次は、「富小路通」(とみのこうじどおり)を南から北に向かって歩きます。
 麩屋町通の南端は五条通、富小路通の南端は「上珠数屋町通」なので、五条通からそこまで少しだけ歩いて、富小路通の南端に立ちました。なお、富小路通の北端は、丸太町通です。
 ここでちょっと疑問が。「じゅず」の漢字は?数珠か?珠数か?パソコンの漢字変換では前者が、私の参考書では後者が使われています。

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富小路通の南端は、突き当りになっていて「渉成園」(枳殻邸)があります。
東本願寺の飛地境内地です。枳殻(からたち)が植えられていたので、「枳殻邸」とも呼ばれています。東の方向を見ています。

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西の方向を見ています。入口は、西に向かってあります。
通りは、上珠数屋町通です。

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富小路通は、ここから始まります。北に向かって進みます。
左手は、「六条院小学校」のグランドです。
ここから先には、お寺が続きます。主に右手の方です。

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石碑にある通り「長講堂」です。後白河法皇ゆかりのお寺です。
正式には、「法華長講弥陀三昧堂」と言います。
元は六条西洞院にありましたが、度重なる火災のため転々とし、天正6年(1587)に豊臣秀吉によって現在地に移されました。

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山門から少し中を拝見させて戴きました。左手の方です。お茶室の様です。

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「蓮光寺」と言います。手前に石碑が建っていて「長曾我部盛親公廃首之地」とありました。中にお墓がある様です。

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こちらは西側にある「上徳寺」です。浄土宗のお寺です。
慶長8年(1603)に、徳川家康によって、上徳院殿(阿茶の局・家康の側室)が開基となって建立したと言われています。境内には、「世継地蔵」と呼ばれるお地蔵さんが祀られていて、昔から良い世継ぎが授かるご利益があるとして、遠近の人々の信仰を集めているそうです。

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五条通に出る直ぐそば(東側)にあるお寺です。浄土宗のお寺です。
寺伝によれば、源 実朝の後室・坊門信子が貞応元年(1222)に、西八条の遍照心院内に創建し、自らの法名「本覚」から寺の名を付けたのが起こりとか。
天正19年(1591)に豊臣秀吉の命によりこの地に移されたそうです。
この地は、源 融(嵯峨天皇の皇子で、光源氏のモデル)の河原院塩釜の第のあった所です。

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五条通の出入口です。左に見えるお寺が「本覚寺」です。

 五条通を渡って、富小路通を上がります。
 次回に続きます。











 

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