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2018年9月

2018年9月29日 (土)

9月13日の京都府立植物園(その3)

前回の続きです。
 園内を散策した後は、「観覧温室」に行きました。
こちらは、台風の影響も無く、心が痛みません。
 尚、花の名前は、今回も省略させていただきます。

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温室内では、右回りがしたいのですが、何時も「こちらから入ってください」と係の方に言われます。

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ここからは2枚は、昼夜逆転室です。

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手振れしています。

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外に出て、ほっとしています。観覧温室内ですが。

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清楚な純白の花です。気持ちが洗われるようです。

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今、見直されている、木材で作った建物や家具、特に北山杉は銘木で、需要が多いと聞いています。(観覧温室の一隅に作られていました)

2018年9月27日 (木)

9月13日の京都府立植物園(その2)

前回(その1)の続きです。
やはり、何時ものように東屋の有る、池までやって来ました。
東屋も台風で傷んでいて、流石に腰掛けて休憩したり、池を眺めている人の姿は有りませんでした。

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マガモが悠々と伸び伸び泳いでいます。

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雨に濡れて緑の葉っぱが生き生きしています。
マガモも何時もより、数が多いように思えました。

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四季彩の丘に向かって歩いています。
小高い場所に花達は、木々に守られるように咲いています。

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池は「ボニコウホネ」で覆いつくされていたのですが、時期的に遅かったのでしょう、開花しているのは数輪でした。その中の比較的綺麗だった1輪です。

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最後は皆さんが好んで休憩される風通しの良い、涼しい場所です。
幾つかのベンチが並べられています。
時には、軽食を戴いている人たちも。
 この後、観覧温室に向かいますが、次回にご紹介しましょう。

2018年9月25日 (火)

9月13日の京都府立植物園(その1)

大型の台風に見舞われた翌々日の13日、朝に京都府立植物園を訪れました。

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流石にこの日は、人影が少ないです。

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    「タイタンビカス」と書いてあります。

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    「コリウス」でしょうか?

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    真っ赤な「サルビア?」

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台風で折れた木々の伐採と整理をしている人の姿が見えます。
「立入禁止」と書かれた黄色いテープは園内の至る所に貼られていました。

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クリーム色の彼岸花です。

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たった一輪ですが、シュウメイギクです。

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 「カシワバアジサイ」ですが、花弁?の中心が綺麗な青紫色です。
残念ながら、雨に打たれて傷んでいます。
この後も園内を散策します。








  

2018年9月23日 (日)

京都市内・洛中を歩く(6)富小路通ー4

 前回の続きです。
 「富小路通」の最終段階に入ります。

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「三条通」に来ました(手前の道路)。北西角に建つ明治時代に建てられた一連のビル群の1つです。

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西側に並ぶ、さそれぞれに個性的な京町家 3軒です。

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同じところを、北の方から見ています。町中で時々見掛ける外燈です。

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西側の比較的大きな京町家です。左手には蔵も見えます。

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こちらも西側で、こちらもそれぞれに個性的な町家が並んでいます。

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「御池通」の手前、西側にある旅館と「てんぷら」の店・吉川さんです。

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「御池通」を、北から南の方を見ています。
左手の車が出ようとしているところが「富小路通」の南側で、手前の道路が北への道です。
これからはその道を北上します。

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こちらも西側です。かつてここに「京都市立商業実修学校」がありました。

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同窓会の皆さんが造られた説明板です。

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間口の広い大きなお屋敷の様です。傍に建つ石碑によれば、「大炊御門萬里小路跡」とありました。お公家さんの邸宅があったところの様です。

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同じく西側には、「京都弁護士会館」です。
その訳は、

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「京都地方裁判所」が、「丸太町通」に面してあるからです。通りからはその横を見ています。右手の緑は、京都御苑です。

 以上で、「富小路通」は終わりですが、この「富小路通」について、資料から。

◆この通りは、豊臣秀吉の「京都大改造」によって生まれた通りです。

◆この「富小路」と言う名前は、平安時代の小路名でした。
◆その旧富小路の道筋は、実は東隣の麩屋町通です。
◆何故それが逆転した訳は不明だそうです。
◆この富小路通は、全く新しく通貫された通りです。
◆秀吉は、京都大改造で、この様に「通り」を増加させることで、人・もの・車の移動を便利にし、経済的効果を上げています。
◆正方形の街区の真ん中に通りを通して矩形の街区にしています。

 猛暑が続く京都市内、暫く「洛中を歩く」はお休みさせて戴きます。


2018年9月21日 (金)

京都市内・洛中を歩く(6)富小路通ー3

 前回の続きです。
 「富小路通」を北に向かって歩いています。この通りには、比較的京町家が多く見られます。歩いていても楽しい通りです。

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四条通を渡って、今来た道を振り返っています。
左手角にあるコーヒー店「ドトール」は、よく行くお店です。

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四条通から、これから歩く先・北の方を見ています。
右手角にある書店「ジュンク堂」も、時々覗く本屋さんです。

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この辺りはビジネス街でもありますので、右手にある様なお店(四富会館)は夕方以降、サラリーマンで賑わっているいることでしょう。

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京町家の活用例の一つでしょうか。「バッタン床几」は京町家の象徴の一つです。

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かつては大きな糸へん商社のお店だったところだろうと思います。

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出入り口を見ています。築100年だそうです。「地ビール」のお店です。
一度味わって見たいと思いました。

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蛸薬師通との角にある旅館です。

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こちらも旅館の様です。

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「旧高倉東小学校」です。「生涯学習部」の看板が掛っていました。市教委が使っている様です。

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こちらも旅館の様です。この辺りを歩いた日が、丁度「祇園祭」の期間中だったので、提燈などがその雰囲気を示していました。

 次回も続きます。




















2018年9月19日 (水)

京都市内・洛中を歩く(6)富小路通ー2

 前回の続きです。
 「富小路通」を歩いています。五条通を越えました。

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五条通から入って直ぐの景色です。

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西側に、こんなお宅がありました。映画の初期のスター「目玉の松ちゃん」です。
彼の銅像は、下鴨神社に行く道の途中にあります。どんなご縁があるのでしょうか?。

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この通りでは、いわゆる「京町家」が、色んな形で存在している様に思いました。
こちらは東側の町家です。「銅器商」とは珍しい、ご商売です。

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こちらは西側です。随分と凄い防御をされたお宅です。
何か大切なものを扱っておられる(またはおられた)お宅かなと想像しました。

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その右手端には、こんな物を見付けました。もう使われていないのかな?
最近災害時の対応に、見直されているとか聞きましたが。

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凄く立派な格子戸のお宅が2軒、並んでいました。

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「仏光寺通」では、この様に少し道がずれていました。
碁盤の目状と言われていますが、何かの理由でこんなことが起きているのでしょうか。

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東側には、この様な白亜の教会がありました。

 まだまだ続きます。次回に。

2018年9月17日 (月)

京都市内・洛中を歩く(6)富小路通ー1

 洛中の南北の通りを歩いています。(カテゴリー「大路小路路地」をご覧ください)
 寺町通から始まって、御幸町通・麩屋町通と来ました。次は、「富小路通」(とみのこうじどおり)を南から北に向かって歩きます。
 麩屋町通の南端は五条通、富小路通の南端は「上珠数屋町通」なので、五条通からそこまで少しだけ歩いて、富小路通の南端に立ちました。なお、富小路通の北端は、丸太町通です。
 ここでちょっと疑問が。「じゅず」の漢字は?数珠か?珠数か?パソコンの漢字変換では前者が、私の参考書では後者が使われています。

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富小路通の南端は、突き当りになっていて「渉成園」(枳殻邸)があります。
東本願寺の飛地境内地です。枳殻(からたち)が植えられていたので、「枳殻邸」とも呼ばれています。東の方向を見ています。

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西の方向を見ています。入口は、西に向かってあります。
通りは、上珠数屋町通です。

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富小路通は、ここから始まります。北に向かって進みます。
左手は、「六条院小学校」のグランドです。
ここから先には、お寺が続きます。主に右手の方です。

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石碑にある通り「長講堂」です。後白河法皇ゆかりのお寺です。
正式には、「法華長講弥陀三昧堂」と言います。
元は六条西洞院にありましたが、度重なる火災のため転々とし、天正6年(1587)に豊臣秀吉によって現在地に移されました。

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山門から少し中を拝見させて戴きました。左手の方です。お茶室の様です。

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「蓮光寺」と言います。手前に石碑が建っていて「長曾我部盛親公廃首之地」とありました。中にお墓がある様です。

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こちらは西側にある「上徳寺」です。浄土宗のお寺です。
慶長8年(1603)に、徳川家康によって、上徳院殿(阿茶の局・家康の側室)が開基となって建立したと言われています。境内には、「世継地蔵」と呼ばれるお地蔵さんが祀られていて、昔から良い世継ぎが授かるご利益があるとして、遠近の人々の信仰を集めているそうです。

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五条通に出る直ぐそば(東側)にあるお寺です。浄土宗のお寺です。
寺伝によれば、源 実朝の後室・坊門信子が貞応元年(1222)に、西八条の遍照心院内に創建し、自らの法名「本覚」から寺の名を付けたのが起こりとか。
天正19年(1591)に豊臣秀吉の命によりこの地に移されたそうです。
この地は、源 融(嵯峨天皇の皇子で、光源氏のモデル)の河原院塩釜の第のあった所です。

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五条通の出入口です。左に見えるお寺が「本覚寺」です。

 五条通を渡って、富小路通を上がります。
 次回に続きます。











 

2018年9月15日 (土)

嵯峨野に早い秋を見付けに

 毎年今頃この時期に、マイウォーキングコース「嵯峨野」に、早い秋・小さな秋を見付けに、歩きにカメラを持参します。
 今年も、9月13日(木)の午前中、キョロキョロと見ながら歩いて来ました。

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今日も「広沢池」は、静寂さを漂わせていました。
池の東南隅から、「愛宕山」方向を望んでいます。

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広沢池の南側の道路沿いの桜の木が、先日の台風21号の被害を受けていました。

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池の北西の田んぼでは、早くも「ヒガンバナ」が。
そして早くもお客さんも・・・。

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北嵯峨田園地帯では、稲穂がこうべを垂れていましたが、台風で少し倒れているところも見られました。

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その傍では、早くも刈り入れの準備が始まっていました。

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以前から気になっている小さな祠が、台風で周りの木々が倒されて、良く見える様になっていました。祠の中は「石」の様です。調べているのですが、未だ詳しくは判りません。
回りのご神木?の1本が倒れていました。

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風に乗って勢い良く動いているのは、「トンビ」の偽物でしたが、始めは本物かと思う位動きがリアルでした。上下・左右に、風に乗って良く動きます。今年初めて見ました。

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ここでも刈り入れが始まっていました。

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秋の味覚の「サトイモ」の葉っぱが風にやられて無残に姿に。

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毎年見ているお宅の「栗」も。

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可愛く「ハギ」も。

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こちらも毎年拝見の「ススキ」は、未だ赤ちゃん状態の様です。
「祇王寺」への道の傍です。

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「常寂光寺」の山門横のこの木は、毎年早くに色付き始めます。

 結構多くの「秋」のはしりを見付けることが出来ました。































2018年9月13日 (木)

写真や図絵が語る祇園祭の移りかわり(2)

 前回の続きです。続いて「写真」編です。

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函谷鉾町の様子です。明治後期です。
函谷鉾町は、四条通烏丸西入ル北側です。

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その函谷鉾の鉾建ての様子です。昭和3年7月です。
四条通を走る市電の架線の支柱が見えます。

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函谷鉾と市電の様子です。市電は、四条通を走っているところです。
昭和37年の様子で、上の2枚とは町の様子が大分違います。

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長刀鉾の稚児が降りようとしている場面です。昭和初期のです。
今は、稚児が途中で降りることは無いですが、昔はあったのですね。

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粽(ちまき)を受け取る若者たちと「船鉾」の様子です。昭和初期です。
何故ここにこんなに若者が集まっているのでしょう?
今では見られ無い光景です。

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昔は、こんなことがあったのですね。

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その帰りの光景です。

以上で、懐かしの写真でした。次の2枚は、現代のものです。

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「菊水鉾」の「辻回し」の迫力です。

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「車方」の技の凄さです。

 写真編が終わって、次回は図絵やポスターなどを、ご紹介します。















2018年9月11日 (火)

写真や図絵が語る祇園祭の移りかわり(1)

 都のまつり文化研究会さんが、「写真・図絵が語る 祇園祭の移りかわり」と言う展示会を開催されていたので、懐かしく思い拝見して来ました。
 明治から平成までの姿を伝える写真や、江戸から昭和までの図絵など約150点が展示されていました。
 そんな中から、私の判断で今はもう見ることが出来ない貴重なものを選んで、ご紹介させて戴きます。
 展示は、写真や図絵をグループに分け、写真などは撮影場所別に展示されていて、判り易く見易かったです。
 先ず、「写真」からご紹介します。

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先ず「三条通」を巡行する山鉾の様子から。今は「三条通」は巡行しませんが。
三条通を東に巡行する「北観音山」です。明治36年の様子です。
三条富小路付近です。

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三条通を巡行する「南観音山です。昭和33年とありますが、戴いたリストでは、明治後期とあります。私は明治の方に賛成ですが、皆さんの服装から判断すると明治では無い感じもします。昔は「ちまき」をこんな風にして受け取っていたことは知っていました。

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三条通高倉東入ル北側で、「鯉山」が「籤改め」をしている場面です。
昭和中期です。後ろに見える建物は、旧日銀京都支店(現京都文博・別館)ではないかと思われます。

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(左)寺町通を巡行する「南観音山」です。 (右)烏丸三条を巡行する「北観音山」です。
   昭和32年                     昭和40年

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次は、「新町通」での様子です。
新町通を巡行する「長刀鉾」です。昭和初期です。この頃は、総ての山鉾は新町通を北上していたとのことです。

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新町通で、「岩戸山」を抜かす「船鉾」です。昭和初期です。
両者の位置関係から、この様になったとか。

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四条河原町での「菊水鉾」と京都市電です。昭和中期です。
鉾と市電とは、直角関係にあります。私の想像では、鉾は「河原町通」を北上する様子かと。

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河原町通を巡行する「長刀鉾」などです。昭和36年です。
前祭で、初めて河原町通を巡行する様子だそうです。
状況から察するに、「辻回し」の様子かと思われます。

 次回も続きます。






2018年9月 9日 (日)

グランドプリンスホテル京都

 前回は、ホテルのランチをご紹介しましたが、今回は、ホテルの周辺や内部の様子をご覧ください。

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前方に聳えている山は、比叡山です。右手に見える建物は、国際会館関連のものです。

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このホテルの建物の形状は、円形です。中央辺りが、ホテルの玄関です。

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玄関を入った正面には、こんな置物がありました。
見た感じは、「下がり松」を金属で表現した様に見えました。

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近寄って見ると、この様です。松の老木みたい。

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ホテルのロビィの様子です。

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円形の中には、庭園が造られていて、目を楽しませて貰えました。

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地下への階段やエスカレーターなどです。

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今回の食事を戴くレストラン「いと桜」の入口です。
広くて、ゆったりとした感じでした。右手が庭園です。

2018年9月 7日 (金)

グランドプリンスホテル京都「メインダイニング いと桜」

 メインダイニング「いと桜」で”リニューアル1周年記念 ランチ”を戴きました。
何時もの仲良し3人ですが、2人が8月生まれという事で盛大??なお祝いでした。

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              お祝いのワンプレート

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パンはいつものように、お替りします。
ホテルのパンは美味しいですね。

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冷製スープはまろやかで、口当たりが良くとても美味しいでした。

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メインディッシュは魚料理↑か肉料理↓を選べます。
一人は魚を二人は肉料理を選びました

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ワンドリンク(写真のビール)、デザートとコーヒ付きで、3500円(税・サービス料込み)
 
3人とも、「美味しかったな、量も十分で、安い」と口々に喜んでいました。

2018年9月 5日 (水)

北陸・高岡市と五箇山へ(4)相倉集落ー4

 前回の続きです。
 この「相倉集落」には、23棟の合掌造りが現存しているそうですが、約100年~200年前のものが多く、古いものは400年前に建てられたものもあるそうです。

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そろそろこの集落の終点が近付いて来ました。

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「人形山展望所」に来ました。人形山には、悲しいお話があるそうです。

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それは、分かりづらいと思いますが、この説明板をご覧願います。
ここから引き返します。主道路を外れた道を歩きました。

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お寺です。「相念寺」と言います。お寺もこの通りです。

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永い風雪に耐えた貫録を感じます。

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お寺の前には数少ない田んぼがありました。

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お寺の並びには、お宮がありました。「地主神社」と言います。

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この辺り、家々が比較的集まっている場所でした。

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スタート地点の駐車場に戻って来て、ここでお昼のお蕎麦を戴きました。
涼しい風が吹いていました。
ゆっくりと休憩をした後、バス停に向かいました。
多分再びこの地を訪れることは無いと思いつつ・・・。

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「相倉口」のバス停から見た、付近の景色です。やはり「五箇山」は秘境だなあと感じました。

 この後、バスで「高岡駅」へ。高岡~金沢~京都と帰路に着きました。


                      ★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

こちらで、素敵な出会いがありました。
 オーストリアから来られた、若そうなご夫婦から声を掛けて頂き、英語で話すことが出来ました。
私に「何処から来られたのか?」に「京都からです」
「これからストレートに京都まで行きます。今夜は京都で泊り明日は京都見物。」
京都はこれまでも数回来られているとの事でした。
 片言英語でも結構通じて嬉しい時間でした♪











 

2018年9月 3日 (月)

北陸・高岡市と五箇山へ(4)相倉集落ー3

 前回の続きです。
 合掌造りの集落・相倉(あいのくら)の半分位まで来ました。
 ゆっくりと見させて貰っています。興味が尽きません。

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集落の真ん中を通る主道路沿いにあります。
先住民(絵図にそう書いてあります)が使っていた生活道具や農具などが展示してあるそうです。

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集落の外れから、この辺りで現道路と合流し、この先に至る「旧五箇山街道」です。今はトンネルや舗装道路が出来て通行が便利になった様ですが、昔は峠を越え、谷を渡った難所だった様です。

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道路の右側にある「宿・なかや」です。こちらも右側にあります。

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こちらは、左手の少し低いところにある「伝統産業館」です。
五箇山の伝統産業の和紙や塩硝に関する資料などが展示されています。

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普通の民家の様です。

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こちらも同様です。

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こちらは立派なお宅です。絵図には(窪田家)とのみあります。
この集落の有力者だったのでは?と思います。
道路から少し入ったところにあります。「旧五箇山街道」沿いです。

 次回も続きます(最終回)。

2018年9月 1日 (土)

北陸・高岡市と五箇山へ(4)相倉集落ー2

 前回の続きです。
 「世界遺産・五箇山」の相倉集落の中を歩いています。
 静かな落ち着いた雰囲気です。日本の原風景の1つと言えるでしょう。

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運良くと言うか、ちょうど屋根の葺き替えの場面に出合いました。
資料によりますと、屋根の葺き替えは15~20年毎に行われるそうで、工事は森林組合が中心になってされているとか。

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実は、最初に見たのが、この場面でした。右側は既に葺き替えが終わっているのでしょうか。

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左側も、半分近く終わっている感じです。

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トラックには、これから使う茅が積まれていました。
葺き替えが行われていたのは、進行方向右手のお宅でした。

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前回にご紹介した「宿・五ヨ門」の正面近くに来ました。

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正面玄関の様子です。

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近くの「宿め与茂四郎」(左手)と、右手は何やら気になる建物です。

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その奥にあるお宅です。

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右手の建物が、先に「何やら気になる」とした建物です。
貰った絵図には、「西方道場」と書いてあります。
普通の民家より、小振りの建物です。

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「宿・与茂四郎」の向いには、この様な「原始合掌造り」がありました。

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その説明板です。

 集落の半分位まで来ました。次回に続きます。

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