« 2018年7月 | トップページ | 2018年9月 »

2018年8月

2018年8月30日 (木)

北陸・高岡市と五箇山へ(4)相倉集落ー1

前回の続きです。
 今回の旅の第1日目の「高岡市内の観光」を終え、第2日目は世界遺産の「五箇山」の内、「相倉集落」を訪ねました。時間の都合で、もう1か所の「菅沼」には行きませんでした。
 高岡駅前から世界遺産バス」が出ていて、白川郷まで行っています。私達は、途中の「相倉口」で下車し、「相倉集落」(あいのくら・しゅうらく)に向かいました。
 相倉口までは約1時間20分でした。集落までは、ややきつい坂道を約10分程歩きます。

004a

集落の入口は、広い駐車場になっています。そこには、2基の石碑が置かれていました。こちらは、国指定史跡の記念碑です。

005a

こちらは、世界遺産登録記念碑です。

012a

こんな説明板もありました。

028a

こんな見事な写真も。一斉放水の様子です。何しろ萱葺屋根ですから、燃え易いです。皆さん防火に気を付けておられることでしょう。
京都府南丹市美山でも、同じ様です。

002a

駐車場から、集落の一部を見渡しています。
いよいよ、集落の中に入って行きます。

003a

集落の真ん中を通るメインロードを進みます。進行方向左手の家々です。

007a

こちらも左手にありました。少し低い所に建っています。

010a

道の分岐の角の宿「庄七」です。右の道がメインロードです。

011a

右手前は、茶店・土産店の「まつや」、その奥は、宿の「五ヨ門」です。
集落の真ん中を通る主道路の3分の1位進んだところです。

013a

その付近の左側の家々です。

 次回も続きます。

2018年8月28日 (火)

北陸・高岡市と五箇山へ(3)市内ー2

前回の続きです。
 高岡市内を歩いています。
 土蔵造りの町・山町筋から、「高岡大仏」へ向かいました。
 その前に、「重伝建地区・金屋町」に行く途中で出合ったのは、これでした。

016a

昭和通りを進んで行くと、千保川(せんぽがわ)に架かる「鳳鳴橋」(ほうめいばし)の真ん中には、こんな像がありました。橋の両側にありました。鳳凰が羽ばたいています。

日本三大仏の「高岡大仏」に向かいました。

087a

高岡市指定文化財 銅造阿弥陀如来坐像です。

088a

近付いて見ました。
始まりは、およそ800年前と謂われています。その後の度々の大火に遭い、その度に再建されました。その後の経年変化もあり、直近では平成19年に大修理が行われたそうです。

092a

大仏様の各サイズです。

その後、「高岡古城公園」(高岡城跡)に向かいました。
かなり草臥れて来ました。

095a

駐春橋(左下の赤い手摺り)上から見た「外濠」?の様子です。

097a

続いて、もう1つの濠(内濠?)の様子です。

098a

直進した突き当りには、「射水神社」があります。
明治8年(1875)に、二上山麓にあった射水神社が遷座して、建てられたものです。
ここを左折して、「本丸跡」に向かいました。

115a

案内の道標です。

114a

広々とした「本丸跡」です。

118a

近くに展示されていたものです。

 漸く高岡市内の観光を終え、今夜の宿の「ホテル ニューオータニ高岡」に向かいました。
 明日は、今回のもう1の「重伝建地区・五箇山」に行きます。
 次回に続きます。




2018年8月26日 (日)

北陸・高岡市と五箇山へ(3)市内ー1

 前回の続きです。
 高岡市内の「重伝建地区」の2か所(金屋町と山町筋)をご紹介しましたが、それ以外の高尾市内の名所などを、今回はご紹介したいと思います。

先ず高岡市内の玄関口「高岡駅」です。

011a

実は、この駅はJRではないのです。金沢駅からは「あいの風とやま鉄道」と言う別会社の鉄道になっています。北陸新幹線開通時に変わったのではないかと思いました。こちらは、古城公園口(北口)です。

001a

2階のコーンコースです。改札口から南口(瑞龍寺口)を見ています。
なお、北陸新幹線の「JR新高岡駅」は、ここからバスで5分位の所にあります。
先ず観光の手始めに、南口・瑞龍寺口から歩いて10分程の「瑞龍寺」に行くことにしました。

002a

参道の途中にあった「加賀藩・2代藩主・前田利長」公の像がありました。
利長は、ここ高岡を開いた方で、初代藩主・利家と妻まつとの間に生まれた長男でした。

003a

瑞龍寺の前まで来ましたが、良く見ると山門の奥の建物は工事中の様で、中には入りませんでした。

004a

ご覧の通りです。ここは、利長の菩提所で、利長の異母弟・3代藩主・利常が建てたものです。国宝です。観たかったのですが・・・。

005a

入口の近くでは、こんな看板がありました。ここから少し離れた所にある様で、行かずに元来た道を戻って、北口の方に行きました。

006a

北口の駅前には、こんな像がありました。「大伴家持」などの像です。
奈良時代、伏木(海辺)の地に越中国府が置かれ、万葉集の代表的歌人・大伴家持が国守として赴任し、当地の風光明媚な自然などを愛でた多くの秀歌を詠みました。

高岡市内には、路面電車が走っています。

055a

高岡駅舎内にある路面電車「万葉線」の始発駅です。

007a

駅舎から出て来たところです。

015a

市内のメインロード・昭和通りを走る「万葉線」です。伏木まで行きます。

014a

その昭和通りの途中にあった像です。大きな口を開けた獅子像です。
傍の説明板には、「水のみ獅子像」とありました。
この地の伝統的技術の「」製造で造られたものと思います。

 次回も続きます。



















2018年8月24日 (金)

北陸・高岡市と五箇山へ(2)山町筋-2

 前回の続きです。
 高岡市内の2つ目の「重伝建地区」山町筋を歩いています。
 昭和通りを渡って、右側の町並みへ来ました。

065a

通りの右側の様子です。手前の「薬肆」は薬屋さんです。

067a

上の町並みの中の1軒です。1階は普通の外観の様ですが、2階は頑丈な耐火蔵造りです。

068a

延焼防止の「うだつ」(ここではそう言うのか?)です。立派な造りです。

069a

もう一方の造りです。

070a_2

上の建物の説明板です。「筏井」は、文字の通り「いかだい」と読むそうです。

072a

国の重文指定の「菅野家住宅」です(右側)。

073a

屋根の棟の様子です。鯱?も見られます。

074a

正面を見ています。

076a

この建物の説明板です。

077a

軒下を覗くと、こんなものが・・・。何でしょうか?

079a

防火施設です。2軒の分です。左側が「菅野家住宅」です。

075a

この町の「重伝建地区」の表示です。

もう少し歩きます。

081a

角地のお宅です。やはりここも2階は防火造りでした。

083a

ここも角地に建つお宅です。

085a

右側の建物は、資料館です。

086a

こちらも角地に建つお宅です。屋根の棟は、この地のもの。
1階と2階は蔵造りとは言えないが、風格を感じます。

 以上で、「山町筋」は終わります。
 次回は、その他の市内の様子を、ご紹介します。

2018年8月22日 (水)

北陸・高岡市と五箇山へ(2)山町筋ー1

 前回の続きです。
 今回は、高岡市内のもう1つの「重伝建地区」の「山町筋」土蔵造りの商人の町並みを、ご紹介します。こちらも昭和通りを挟んで、左右に広がっている町並みです。

043a

高岡駅から昭和通りを歩いて来て、先ず左折しました。
そして、直ぐに目に付いたのが、この建物でした。
看板にある様に、「富山銀行」です。東京駅を設計した辰野金吾の監修で、大正3年(1914)に建てられました。今も現役の銀行だそうです。

044a

真正面を見ています。

046a

毎年5月1日に、この界隈で催される「高岡御車山祭」の山車を、通年展示しているところです。「御車山」は、全国に5つしかない国の重要有形・無形民俗文化財だそうです。建物は、この地独特の土蔵造りです。

048a

その向いにある、「高岡信用金庫」です。これはこの土地の雰囲気に合わせて造られた建物かと思います。

049a

通りにあった民家です。

050a

その先の町並みの様子です。現代風の建物も見られます。

056a

角地にある建物です。
この角を右折します。

058a

曲がってから、左側にあるのは、この「佐野家住宅」(国登録有形文化財)です。2階の前面の様子が、目を惹きました。

059a

その先にあったのが、この「高峰公園」です。

060a

公園の一角には、その胸像がありました。

 道を戻って、元の町並みを見ました。

063a

始めの町並みの様子です。
この蔵造りの町が出来たのは、明治33年(1900)の大火で、高岡町の大半が焼き尽くされた際、復興にあたって防火構造の建築物とすることが義務づけられたことによるものだそうです。

 次回に続きます。

2018年8月20日 (月)

北陸・高岡市と五箇山へ(1)金屋町ー2

 前回の続きです。
 高岡市内の重伝建地区の1つ「金屋町」を歩いています。

028a_2

こちらも上下とも、見事に千本格子です。

029a

立派な地蔵祠です。この地の方々の信仰心の深さを感じました。

030a

右手の囲いは木が見えるから、座敷の前庭?でしょうか。
その2階には、現代風の住まいの形も見られます。

031a

毎年6月20日に催される、この町のお祭り「御印祭」のポスターです。
前田利長への報恩感謝の意を込めてのお祭りとか。
前夜祭では、鋳物作業歌「弥栄節」に合わせて踊りの町流しが行われるそうです。

昭和通りを渡って、鋳物の町らしい物を見に行きました。

036a

その説明板です。

033a

その実物です。

034a

キューポラ部分です。左端に少し煙突の一部が見えています。
「キューポラのある町」と言う映画を思い出します。そちらは、関東の川口市だったと思いますが・・・。

 次回は、もう1つの「重伝建地区」の「山町筋」を、ご紹介します。

2018年8月19日 (日)

北陸・高岡市と五箇山へ(1)金屋町-1

 今回の旅は、「重伝建地区」3か所を巡るものでした。
 1~2か所目は、高岡市内の「山町筋」と「金屋町」の2つ、3か所目は「五箇山」(合掌造り集落)です。
 6月6日~7日の1泊の旅でした。行程は第1日目が京都~金沢~高岡(泊)、第2日目は高岡~相倉集落~高岡~金沢~京都 と言う割合ゆったりとした旅でしたが、「重伝建地区」が3か所も見られる中味の濃い旅でした。
 では、順を追ってご紹介したいと思います。

 先ず「重伝建地区」の「金屋町」に行きました。千本格子が美しい家並みでした。加賀藩2代目藩主・前田利長が、産業振興のために、鋳物師(いもじ)を呼び寄せ住まわせた高岡鋳物発祥の地です。
 高岡駅前から北西に延びる広い道の昭和通りを歩いて、約20分位のところでした。

018a

昭和通りを左折した直ぐの町並みです。金屋本町と言います。
平成24年12月28日に重伝建地区に選定されました。
町中を歩きました。

019a

建物の外観は、この場所共通の様式がある様に感じました。
千本格子や卯建つ、2階の窓の形など、横に広がる梁状の外観にも特徴を感じます。

020a

千本格子が見事です。

022a

高岡市鋳物資料館の入口に掲示されていた説明板です。

021a

資料館の入口から中を見ています。可なり奥行が深そうです。
見学はせずに、町中を進みました。

023a

鋳物の町らしく、所々にこんなものが置かれていました。

024a

町並みの右側(進行方向の)の様子です。

025a

創業が慶応3年とか。金属工芸のギャラリーになっています。

 次回にも続きます。

2018年8月17日 (金)

京都市内・洛中を歩く(5)麩屋町通ー4

 前回の続きです。
 「麩屋町通」を、南に向かって歩いています。

 東西の通り「仏光寺通」から「松原通」辺りを歩いています。

009a

間口は比較的狭い「京町家」のお宅?ですが、暖簾や木札が見られますので、何か商売でも?とも。「あんず庵」と書かれています。コンパクトな前面の外観です。

010a

「松原通」と麩屋町通との交点には、「明王院不動寺」があります。
こちらは、松原通に面した部分です。

011a

京都市が掲示している「駒札」を利用させて戴きました。

もう1つの掲示板には、この「松原通」に関することが説明されていましたので、今回の最後に、少しご紹介します。

013a

左手に「明王院不動寺」の西面を見て、麩屋町通の南方向を見通しています。

016a

暫く歩くと、同じく左手には「朝日神明宮」と言う、こじんまりとしたお宮がありました。社伝によれば、貞観年間に丹波国桑田郡穴生村(現在の亀岡市)に造営され、元亀3年(1572)に現在地に遷座されたとか。
天照大神を祭神とし、かつては南北は五条通から松原通、東西は河原町通から富小路通までの広大な社域だったそうで、「幸神の森」(さいのかみのもり)とよばれたとか。かつては8社もあったが、天明の大火や元治の大火で大半が焼失、今は「猿田彦社」のみ。

017a

そろそろ南端の「五条通」に出ます。

 「麩屋町通」は終了して、1つ西の「富小路通」を、北に向かって歩きます。

 「松原通」についてのお話です。「明王院不動寺」に掲示してあった説明文から抜粋しました。

◆松原通は、平安京造営時には、「五条大路」でした。道幅は8丈(24m)の大通りでした。

◆松原通は、八坂神社と稲荷大社の境界で、北側が八坂神社、南側は稲荷大社のそれぞれ氏子となっています。

◆松原通は、かつて五条大路時代 清水寺への参道でした。

◆平安時代末期、五条橋を渡った「六波羅」一帯は、平家一門の屋敷町でした。
牛若丸と弁慶の出会いも、実は現在の「松原橋」なのです。

◆松原通の地名の由来は、室町時代末期に、荒廃した五条室町に「玉津嶋神社」が建てられていて、その松林が美しく「五条松原通」と呼ばれていましたが、やがて五条が取れて「松原通」となりました。











2018年8月15日 (水)

京都市内・洛中を歩く(5)麩屋町通ー3

 前回の続きです。
 「麩屋町通」を下がっています。三条通を越え、四条通に近付いて来ました。

061a

町中に牛が!? 良く見ると、レストランの前に置かれたベンチでした。

062a

そのレストランの玄関前です。傘の下に牛はいました。

063a

ずっーと通りの西側の様子です。暖簾には、「扇」白竹堂とあります。

066a

こちらは、東側です。蔦に覆われた立派な建物です。

067a

玄関前です。確かお医者さんだつたと思います。

072a

西側にあるお蕎麦の店「権太呂」さんです。未だ一度も入ったことはありません。
最近蕎麦に親しんでいるので、是非一度・・・。

四条通を越えました。

001a

四条通からの「麩屋町通」の様子です。この近辺の通りの道幅は、大体こんな程度です。車の離合は出来ないから、通り毎の交互に、一方通行になっています。

003a

西側にある「藤澤萬華堂」と言う、印刷・紙・包装資材の商店です。京町家の姿を残したお店です。「バッタン床几」(バツタリとも言います)もそのままに。

004a

こちらも西側。染物・呉服のお店ですが、「銭京」と言う名前が面白くて。京都らしくないストートで。

005a

京都の古い商家らしく、道路に面して店舗、その後ろに住居がある形が良く判ります。

006a

「井上清七薬房」さんです。京都市内で時々見掛ける薬屋さんの看板が掛けられています。

 次回も続きます。





2018年8月13日 (月)

京都市内・洛中を歩く(5)麩屋町通ー2

前回の続きです。
 「麩屋町通」を歩いています。

018a

「押小路通」(東西の通り)を越えたところにある「白山神社」です。
この通りの別名「白山通」の名の由来になったとか。
ここを歩いたのが、6月28日でしたので、「茅の輪」が見られました。

020a

その向いには、「湯波半」と言う名の京ゆばの老舗があります。
生憎この日はお休みの様でした。
昔は、この通りには多くの豆腐や麩麺類を商う人達が多く住んでいたとか。
それが通り名の「麩屋町通」になったと言う説もあります。
通り名の由来が、向かい合わせにあると言うのも面白いです。

021a

「御池通」に来ました。

023a

御池通を渡って直ぐ右に広がるのは、有名高級旅館の「柊屋」さんです。

025a

そして、その向い(東側)には、「俵屋」さんがあります。

026a

「柊屋」さんの玄関です。

027a

お向かいの「俵屋」さんの玄関です。絵文字の看板がありました。

028a

西側には、こんな雰囲気のあるお店が並んでいます。

029a

こちらも西側です。

059a

もう1軒、「炭屋」さんと言う旅館です。

060a

「炭屋」さんの玄関です。

 次回に続きます。






 

2018年8月11日 (土)

京都市内・洛中を歩く(5)麩屋町通ー1

 前回の続きです。
 今回は、「御幸町通」の1つ西の「麩屋町通」を、北端の「丸太町通」から、南端の「五条通」までの、約2.3Kmを歩きます。「白山通」とも言うそうです。その訳は、やがて判ります。

001a_2

「麩屋町通」の北の入口を、見通しています。

002a_2

この通りの西に、「京都地方裁判所」があるので、この様に多くの「法律事務所」があります。

この通りにも、色んな形の建物(主に住宅)が見られました。

003a

対称的な町家が並んでいます。

004a

「石川九揚」さんは、有名な書家であり、書道史家の先生です。

007a

典型的な京町家と、モダンな洋館のお宅です。

008a

ここでも色んな住宅が見られました。

009a_2

こちらも市内では良く見掛ける町家 2軒です。大きさが少し違います。

011a

町中にも、こんなお堂的なお寺が見られます。「大福寺」と言います。
天台宗のお寺で、平安時代に勅命で奈良から移ったとか。かつては七堂伽藍を有していたそうですが、天明の大火で焼失し、今は小さくなって仕舞ったとか。
幕末には、勤皇の志士の「梅田雲浜」が妻と住んでいたそうです。
安産のお地蔵と都七福神の布袋尊が信仰の対象です。「大福帳」は、ここから付いた名前とか。

014a

今まではずっと西側でしたが、こちらは東側です。
2軒とも蔵が前面に出ていて、住居が後にあると言う、少し変わった配置になっています。どんな経緯でこんな形になったのか?少し興味があります。

017a

英国の音楽家「サー・エドワード・エルガー」ゆかりの地とか。
彼の旧居をモデルに建てられたそうです。
左右を京町家に挟まれた狭いところに建っています。

 そろそろ「御池通」です。
 次回に続きます。


























2018年8月 9日 (木)

京都市内・洛中を歩く(4)御幸町通ー3

前回の続きです。
 「御幸町通」を、北に向かって歩いています。「上がっています」。錦通まで来ました。ここでお昼を食べることにしました。

 京都の台所と言われるところなので、きっと新鮮な食材を使っていることを期待して、そんなお店に入りました。

005a

御幸町通から西に入って直ぐの南側にあるお店「錦平野」さんです。
お店の中は、奥が広いです。

001a

天ぷらが自慢のお店の様なので、「天ぷら御膳」を頼みました。

002a

そして、「海鮮御膳」です。どちらも美味しかったです。

009a

お昼を済ませて、再び「御幸町通」を北に向かって歩きました。
京町家を再利用した、こんなお店が増えて来ました。
「ご飯屋」さんです。一度入って見たいなあと話していました。

012a

こちらも、そんな感じのお店です。

016a

「御池通」に来ました。東を見ています。遠くの山並みは、東山連峰です。

021a

西側のお宅です。随分立派なこと。お医者さまの様です。

023a

東側にある教会です。「日本キリスト教団 京都御幸町教会 会堂」です。
大正2年(1913)に建てられたとか。

033a

反対の西側にあるお寺、「浄慶寺」です。真宗大谷派のお寺で、寺号は「小野山」です。ご本尊は、阿弥陀如来さまだそうです。
山門に脚立が?何かされているのかな?

034a

御幸町通の北端の「丸太町通」に近付いて来ました。突き当りの森は、「京都御苑」です。御苑の南東部分になります。

 次回に続きます。一つ西の「麩屋町通」を、南に向かって歩きます。「下がり」ます。





 

2018年8月 7日 (火)

京都市内・洛中を歩く(4)御幸町通ー2

 前回の続きです。
 「ごこうまちどおり」を、北に向かって歩いています。
 前回の「きせる屋」さんの真向いが「京都市学校歴史博物館」です。

050a

「京都市学校歴史博物館」の入口です。旧開智小学校を活用した博物館です。

051a

開催中の開館20周年記念の企画展です。勿論拝見しました。

052a

学校の外観は、この様ですが、中は懐かしい旧校舎の姿がそのままです。
常設展も、結構見応えがあります。自分の小学生時代を思い出します。

053a

博物館の展示をしっかりと拝見した後、「御幸町通」に戻り、北に向かって歩きはじめました。博物館の向いにある「ステーキ屋」さんです。町家を上手く活用した姿です。

054a

その北隣の建物ですが、「OPEN」の札が掛っているので何かのお店かと思うのですが、沢山積まれた割木が気になります。これもお店の宣伝方法かな?

四条通に来ました。

057a

四条通に面したビルを「御所車」に見立てた造りになっています。
北側から見ています。

058a

前方に「錦通」が見えて来ました。

059a

その手前には、「近又」と言う有名な料理旅館があります。

061a

錦通は、最近注目の江戸時代の画家「伊藤若冲」が生まれ育った場所です。

062a

若冲の絵を上手く使って、「錦通」の宣伝が行われています。
今の「錦通」は、そんな宣伝など不必要な位の人出です。外国からのお客様で大賑わいです。

 次回も続きます。





2018年8月 6日 (月)

京都市内・洛中を歩く(4)御幸町通ー1

 京都市内の南北に走る通りを、東から西へ、順番に歩いています。
 寺町通」(平安京の東京極大路、すなわち平安京の一番東の大路)から、西隣の「御幸町通」を、「五条通」から歩き始めます。
 「御幸町通」は、「ごこまちとおり」と言います。観光客の中には「みゆきまち」と言う方もおられるとか。
 この通りは、豊臣秀吉の京都大改造によって出来た通りです。北へ丸太町通まで至ります。

033a

五条通から、御幸町通に入って直ぐの地点から、北の方向を望んでいます。

035a

入って直ぐの東側にあるお宅(町家)です。表の格子戸や虫籠窓などに格式を感じます。入口の上には、極めて古い電話番号札が掲げられていました。表記は漢数字でした。

039a

左手(西側)の、「御弓師 柴田勘十郎」さんのお宅です。
時々中の様子は、テレビの旅番組などで紹介されています。
見事な格子戸です。

040a

市内では良く見掛ける3軒続きの民家です。西側です。

043a

対称的に、古民家です。バッタン床几も見られます。入口はアルミサッシに変わっています。古民家も住むとなると大変な様です。

047a

こちらも西側です。照明燈には「作島」とありますが、面白いのは表の両側の柱の上です。

045a

向かって右側の怪物です。蛙?鬼?

046a

左側です。梵字の円板を抱え込んでいます。

048a

その向いには、初めて見る植物です。毒々しいまでの色合いに、何故か惹かれました。

049a

こちらも東側。「きせる屋」さんです。創業は享保年間とあります。

 この後は、この向いにある「京都市学校歴史博物館」での催しを拝見しました。
 次回に続きます。

2018年8月 5日 (日)

暑中お見舞い申し上げます

 猛烈な暑さの日本列島。
 連日、最高気温が報告され、もう、うんざりしています。
 皆さんはどのようにしてこの暑さを凌いでおられますか?

 人間は、自宅でもエアコンなどで避暑が出来ますが、お花達は大変です。
 
そんな8月の初旬の京都府立植物園の様子をご紹介しましょう。

Img_4757


Img_4758

流石に人影はチラホラです。
勇気?の有る方ですね。

Img_4713


Img_4717


Img_4750


Img_4716


Img_4736_2

やはり、噴水は何よりのご馳走です。
水しぶきが少しでもかかれば、思わず「涼しい~」

今の暑さは、いつまで続くのか?!日本列島だけではないとの事。
どうか一日も早く、何時もの夏に戻ってほしいものです。

2018年8月 3日 (金)

京都市内・洛中を歩く(3)寺町通ー7

 前回の続きです。
 寺町通の歩きを、四条通から再開し、終点の五条通に向かって歩いています。
 仏光寺通辺りまで来ました。

020a

勿論東側にある「空也寺」です。

021a

西側)「煎抹茶道具」と言う立派な古典的な看板が上がっていますが、右側のお店の様子では?です。左手下には、ここ本来の木札が見られますが・・・。

022a

(東側)勿論お寺です。

023a

寺町高辻の角に建つ、ド派手な仏具屋さんです。

024a

(東側)こんなに古い町家が3軒並んでいます。虫籠窓・バッタン床几・格子戸・古風な看板など、魅力ある古民家です。

027a

(西側)古本屋さんです。毎年下鴨神社の境内で開かれる「古本市」の常連さんだったと思います。店名がちょっと変わっていますね。

028a

(西側)「乾大仏堂」と言う仏具屋さんです。

029a

河原町通に来ました。「寺町河原町」と言う、京都の碁盤の目の町割りから言えば、有り得ない町名表示です。お判り難いかと思いますので、もう少し説明しますと、寺町通も河原町通も南北の並行した通りが、ここで交わっているのです。その訳は簡単です。河原町通が曲がっているのです。
寺町通は、ここで河原町通を越えて、斜めに進み五条通に至ります。

031a

左側が寺町通、右側が河原町通です。

032a

五条通から寺町通を見通しています。
以上で、「寺町通」を完歩しました。

 この後、続いて西隣の道路「御幸町通」(ごこまちどおり)を北上しました。













2018年8月 1日 (水)

京都市内・洛中を歩く(3)寺町通ー6

 前回の続きです。と言っても約半年以上も前のことです。
 前回のアップは、2月23日でした。
 前回の締め括りに、「次は、残りの四条通から下(しも)を歩きたいと思います。」で終わっています。今回は、言葉通りに「四条通」から下、南に向かって歩きました。

001a

寺町通四条下ルの南の入口です。右手の角は「藤井大丸」(デパ-ト)です。

002a

寺町通ですから、勿論多くのお寺が並んでいます。全て東側(進行方向の左側)です。始めてのお寺は、「春長寺」です。

003a

こちらも東側です。「火除天満宮」です。
由緒は古く、天正7年(1579)九州から一人の老神官が京へ遣って来ました。
初めは六条通に鎮座しましたが、その後慶長2年(1597)に、この地に移しました。元治元年(1864)の「蛤御門の変」でも、奇跡的にこの辺りは焼けず、火除けのご利益があったそうです。

004a

かつて寺町通は、京都市内では最大の「電器街」でした。
現在では、大きな店として、この店しかありません。前は「ニノミヤムセン」でした。その後、西の京円町に移り、ここと同名の量販店に変わりました。
ここ以外に、小さな店は数軒ある程度に、大きく変貌しました。

010a

東側にある「京都大神宮」です。社殿の後にあるのは、「高島屋」です。

011a

西側にある本屋・信長書店の前面の様子です。
2階のショーウインドーには、「コスプレ」のマネキンが飾られています。
これも時代の波でしょうか?

012a

和菓子屋の「仙太郎」さんです。私は、ここの「最中」が大好きです。

015a

勿論東側にあるお寺「聖光寺」です。ここには、赤穂浪士・大石良雄の母や赤穂浪士に協力的だった天野屋利兵衛などのお墓があるそうです。

017a

東側には、こんなお店がありました。

018a

西側にある仏具屋さんです。
お寺が多くある通りですから、仏具屋さんがあっても不思議ではないのですが、
17世紀末前後には、この通りには位牌・石塔・数珠・仏師・筆屋など、寺院とのタイアップ型の店がならんでいたそうです。

 次回に続きます。

















« 2018年7月 | トップページ | 2018年9月 »

2018年10月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

最近のコメント

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

京 歩き