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2018年6月 3日 (日)

京都・宇多野と鳴滝の歴史探訪(その1)

 或る会の主催で、京都市右京区内の北東部にある「宇多野・鳴滝」地区の歴史を訪ねる会に参加しました。
 この地区の知名度は、全国的には多分それ程高くは無いかと思いますが、平安時代から江戸時代にかけて、高い文化的な雰囲気を持ったところだったそうです。
 スタートは、今や全国的に有名になった?「嵐電」の「宇多野」(うたの)駅からです。

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①「光孝天皇御陵・後田邑陵」です。
 平安時代の第58代の天皇で、在位は884~887年でした。55才で即位された。藤原氏が権力を持ち始めた時代です。
 この辺りには多くの御陵が造られました。

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(番外)「御室八十八か所めぐり」の第2番目のお堂です。その傍を通りました。
ここも入口への道の外観だけだったので、敢えて(番外)扱いしますが、「陽明文庫」です。写真も撮っていませんが、知る人ぞ知る、近衛文麿が近衛家に伝わる古文書・古美術品などを一括管理する為に設立した建物です。藤原道長の「関白記」など、国宝などがあります。

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②「円融天皇御陵・後村上陵」です。
 第64代の天皇で、在位は969~984年でした。11才で即位、26才で退位。藤原氏の権力闘争・内紛の時代でした。

③「村上天皇御陵・後村上陵」ですが、参道の入口だけです。

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緩やかな坂を上がって行く様です。
村上天皇は、第62代の天皇で、在位は946~967年の21年間でした。在位中は「天暦の治」と言われる程の政治を行い、後世高く評価されているそうです。

④妙光寺
 <知れば知るほど奥の深い禅寺、それが妙光寺・・・!>と、戴いた資料にはありました。私は以前、ここが隠れ桜の名所だと聞いて行ったことがありましたが、中には入れず外から見て帰ったことがあります。
 臨済宗建仁寺派で、室町時代には「京都十刹」の第八位に位置し、大徳寺よりも上位だっそうです。

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山門です。質素な感じです。

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境内に入りました。隠れ名所らしく桜の木々が並んでいます。

奥の墓地に行きますと、

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野々村仁清の墓です。江戸時代初期に御室に竈を築き、色絵陶器によって京焼の竈に新風を吹き込みました。

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その近くに墓石が落ちている墓は、幕末の勤皇僧・天章和尚のものだそうです。倒幕勤皇の志士達と親交があったそうです。維新後に何故か暗殺されたとか。幕末には、西郷や龍馬などもここに来ていたとか。裏山に逃げる通路が造られていたとか。

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境内にも桜が。

ここで耳よりなお話を。
○国宝「風神雷神図屏風」は、もとはここにあったものだそうです。
 本山の建仁寺に、どの様な経緯で送られたのか?
○神器の間があるそうです。それは、後醍醐天皇が吉野に移る時、この寺で
 仮眠され、三種の神器が置かれたことからの由来。

 次回に続きます。       




















 





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