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2017年12月27日 (水)

京都市内・洛中を歩く(1)先斗町

久し振りに、そして気まぐれに、京都市内の「洛中」と言われる範囲を歩き始めました。「先斗町」(ぽんとちょう)からスタートしたのですが、考えて見ればここは「洛外」かも知れません。現在の「寺町通」が「平安京」の東の端(東京極・ひがしきょうごく)ですから、先斗町は少し東に外れています。

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先斗町を四条通から(南から)入って直ぐの場所から、北方向を見通しています。
道幅はこんなに狭い通りです。手前付近はまだ広い方です。

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ここから先は道幅は狭くなっています。

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道幅が狭いわりに、間口の広いお店もあります。昔からの姿を残しています。

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所々に、この様な狭い路地もあります。突抜けた先は、「木屋町」です。

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古民家風の店もありました。

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こちらもそんなお店です。

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そこには、こんな説明板がありました。

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北の端近くには、「先斗町歌舞練場」があります。

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その先を見ますと、この通りです。趣のある建物です。

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この様な看板が掛っていました。

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建物の壁の一部を見ますと、こんなデザインが見られました。

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北の端から、南を見通すと、こんな様子でした。
左手先が、「先斗町歌舞練場」です。

ここで珍しいものを、ご紹介します。

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お気付きかと思いますが、電柱が曲がっています。
道幅が狭い故の結果の様です。

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探していたら、もう1本ありました。
実は、このことは地元新聞に教えて貰ったものです。
現在、この通りで「無電柱化」の工事が行われており、2019年度には完成するとか。この不思議な電柱は、それまでの命です。

最後に、この通りについての説明を。
○この通りは、北は三条通の一筋南から、南は四条通までの全長約500m。
○この通りが出来たのは、寛文8年(1686)に、大規模な鴨川改修が行われてからのことだそうです。鴨川右岸に造成されました。
○「先斗」を「ぽんと」と呼ぶのは難読ですが、この読みはポルトガル語のポント(先の意)に起因するとのことです。もともとこの辺りは「御崎」と呼ばれいたそうで、それをハイカラ風に呼んだものと言われています。
○この通りに最初に家が建ったのは、延宝2年(1674)で、それから続々と建てられたそうです。
○正徳2年(17129には、料理茶屋や旅籠屋などが軒を連ねた。
○文化10年(1813)には、芸者も生まれています。

この後も、気まぐれに、町中を歩きます。

































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