« 「奉納図画展」 北野天満宮 (その2 ) | トップページ | 大政奉還150周年(3)新選組-2 »

2017年10月21日 (土)

大政奉還150周年(3)新選組-1

 「大政奉還」と言う面から見て、「新選組」の存在はそれを阻止する力と言えますが、結果は虚しく散って仕舞ました。しかし、NHK大河ドラマの影響もあり、「新選組」は若い人を中心に息長い人気を保っている様に思います。

 今回は、京都市内にある「新選組」ゆかりの地を訪ねました。

049a

文久3年2月、京都に入った「浪士隊」は、ここ「新徳寺」(壬生寺の向い)に本営を置きました。当時のリーダーは「清河八郎」でしたが、後に目的が違うと言うことで江戸に引き上げました。
それに反発して京都に残ったのが、芹澤鴨や近藤勇達24名でした。彼らは
京都守護職・会津藩主 松平容保の預かりとなりました。

035a

彼らの宿所になった1つ、「前川邸」です。屋敷続き(南隣り)が「新徳寺」です。

036a

前川邸の長屋門に貼られていた邸の間取り図です。見難くて申し訳ありません。左手が新徳寺です。

038a

少し門から中を覗かせて戴きました。公開はされていませんが、中では何かお仕事をされている感じでした。

040a

前川邸の横の「坊城通」に面した様子です。右奥が新徳寺になります。そしてその向いが「壬生寺」です。

もう1つの宿所は、前川邸の道を隔ててある「八木邸」です。

041a

その入口に建っている石碑「新選組遺跡」です。こちらは公開されています。

047a

右手にある和菓子屋さんで入館料を払い中へ。

043a

またまた要領良く書かれている駒札を使わせて戴きました。

045a

お馴染みの旗が掲げられているこの門から中は、撮影禁止になっていました。
着物姿が見えるところが式台です。

046a

門の右手の様子です。
ここでは、文久3年9月に芹沢一派が、近藤らによって暗殺されました。
その時の刀傷と言うのが、座敷の鴨居にありました。

044a

「八木家住宅」についての駒札です。

「壬生浪士隊」が、「新選組」と名乗ったのは、文久3年8月に「8.18の政変」(長州勢力が、三条実美らの公家達とともに都落ちした)の時に堺町御門の警備に当たった時に武家伝奏から戴いた時からです。

この後は、隣りにある「壬生寺」に向かいました。
次回に続きます。










« 「奉納図画展」 北野天満宮 (その2 ) | トップページ | 大政奉還150周年(3)新選組-2 »

地域歴史」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/133820/71795464

この記事へのトラックバック一覧です: 大政奉還150周年(3)新選組-1:

« 「奉納図画展」 北野天満宮 (その2 ) | トップページ | 大政奉還150周年(3)新選組-2 »

2017年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    

最近のコメント

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

京 歩き