« 大政奉還150周年(3)新選組-3 | トップページ | 京都「野外彫刻」展」 at 「京都府立植物園」 »

2017年10月27日 (金)

大政奉還150周年(3)新選組-4

 前回の続きです。
 「新選組」が壬生界隈に活動の場を置いていたのは、文久3年(1863)3月から慶応元年(1865)2月の間でした。隊員数は 68名でした。
 慶応元年5月には、100名を超えましたので、より広い場所を求めて2月末に
「西本願寺」に移りました。「北集会所」に屯所を置いたそうです。現在はその建物は他所に移築されています。

024a

右の建物は、「太鼓楼」ですが、この辺りに屯所があったそうです。

022a

その「太鼓楼」についての駒札です。

023a

西本願寺が、太鼓楼の近くに掲示されている説明文です。丁寧に説明されています。
当時、西本願寺にとっては、大変迷惑な話だったかと思います。
慶応3年(1867)6月まで、ここにいました。

 その後に移ったのは、ここから南へ約500m程行った所でした。
 「不動堂村屯所」と言います。

029a

堀川通塩小路にある「リーガロイヤルホテル」がある付近です。

026a

ホテルの表示がある黒い囲いの中には、この様な石碑がありました。

027ab

石碑の傍には、この様な金属製の銘板がありました。
ここでは隊員は、157名程だったそうです。

 幕末、世情不安な京の都の治安を取り締まるために置かれた「京都守護職」に、会津藩主・松平容保は、黒谷の「金戒光明寺」(こんかいこみょうじ)に本陣を置きました。藩兵約1000人を率いての上洛でした。

001a

金戒光明寺の山門には、「京都守護職 本陣」の木札(左側)が掲げられています。

003a

以前のNHK大河ドラマ「新選組」のタイトルバックに、隊員達がこの石段を上がって行く場面がありましたが、多分ここでは無いかと撮りました。

008a

本堂です。
本陣は、どこに置かれたのかな?本堂でないでしょう。では何処に?

009a

本堂の右手の大きな建屋がありましたが・・・。食堂のようですが・・・。

 新選組は、会津藩預かりの組織でしたから、近藤局長など幹部ら時々ここにも来ていたのではないでしょうか?
 金戒光明寺の境外には、ここで亡くなった会津藩士達の多くの墓があります。

 新選組ゆかりの地を訪ねては、今回で終了です。














« 大政奉還150周年(3)新選組-3 | トップページ | 京都「野外彫刻」展」 at 「京都府立植物園」 »

地域歴史」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/133820/71842538

この記事へのトラックバック一覧です: 大政奉還150周年(3)新選組-4:

« 大政奉還150周年(3)新選組-3 | トップページ | 京都「野外彫刻」展」 at 「京都府立植物園」 »

2017年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

最近のコメント

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

京 歩き