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2017年9月11日 (月)

大政奉還150周年(2)京都御苑-2

 前回の続きです。京都御所内では、尊攘派(長州藩中心)と公武合体派と(会津藩と薩摩藩)の対立が激しくなって来ました。
 1863年(文久3年)8月、公家の急進派7名(三条実美など)が宮廷から追放されました。
 「8月18日の政変」 「七卿落ち」と言われる事件です。長州に落ち延びました。長州勢は京都から追い出されて仕舞いました。

 しかし、長州藩は翌年(1864年・元治元年)、武装して大挙京都を目指して進軍を始めました。
 長州藩は、伏見藩邸・山崎天王山・嵯峨天龍寺の3か所に布陣した後、一斉に京都御所を目指して進軍を開始しました。
 そして、遂に「禁門の変」(蛤御門の変)が勃発しました(7月19日)。

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「蛤御門」です。現在は、烏丸通に面していますが、当時は90度回転して南面していました。右側が正面になります。

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門の柱のあちこちに弾痕などが見られます。

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木島は薩摩兵に撃たれて、ここで討ち死にしたそうです。

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幕末の頃の古地図では、「清水谷家」はこの辺りにあった様です。

この戦いのもう1つの場が「鷹司家」だと言われています。

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場所は、御苑の南端、「堺町御門」の東側です。
鷹司邸に入った久坂玄随は、鷹司公にお伴して参内したいと申し入れたが断れて、鷹司邸に火を放ちここで自刃した。

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駒札をどうぞ。

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「鷹司邸」の西側にあったのが、「九条邸」でした。
この橋は、「高倉橋」と言って、明治になって架けられた橋です。
高倉通の延長にあるからとのことで、その名前が付けられたそうです。

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「九条邸」にあった庭園と池です。「高倉橋」は、この池の上に架けられています。遠くに見える建物は、「拾翠亭」です。「厳島神社」は右手にあります。

 御苑内の史跡は、次回にも続きます。

 

 


 

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