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2017年9月

2017年9月21日 (木)

或る日の昼食

 残暑が未だ厳しい或る日のこと、今出川通の上七軒でお昼が食べられそうなお店を探していたところ、見付けた「お蕎麦屋」さんでした。

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今出川通に面したお店の入口です。

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入口の右手には、こんな様子も。

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お品書きです。「日替定食」をお願いしました。

お店のオーナーが、元大工さんだったそうで、お店の佇まいにも十分感じられます。

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テーブルで戴くのですが、その隣には、こんな茶室風のお部屋もありました。

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中を覗くと・・・。

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外観もこんな様子です。

先ずビールをお願いしました。

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手作りらしいプレートが、このお店の雰囲気を高めています。

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本日の「日替定食」です。勿論お蕎麦も付いています。

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てんぷらを1人前、お願いしました。野菜のてんぷらですが、食べ応えがありました。
最後に「蕎麦湯」を戴きました。

何時も感じているのですが、今日も始めは私達だけでしたが、暫くすると続々とお客さんが入って来られました。私達は、「招き猫」?です。






















2017年9月19日 (火)

秋の気配の嵯峨野を歩く

 厳しい残暑の中にも、朝夕には忍び寄る「秋」の気配を感じつつありますが、そんな中「北嵯峨」で、「秋」らしさを求めて散策しました(9月9日)。

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何時もの様に「広沢池」の東南隅から、愛宕山の方向を見ています。
池の畔では、キバナコスモスが咲き誇っていました。
雲の様子に、秋らしさ感じました。

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また何時もの様に、池の畔の「ザクロ」が沢山の実を付けていました。
そろそろ「ザクロの実を取らないでください」の札が付けられる頃です。

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「遍照寺山」を正面に見るところにも「キバナコスモス」が沢山咲いていました。

この後は、「北嵯峨田園地帯」すなわち田んぼの中の道(農道)を、ゆっくりと歩きました。

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稲穂は、その実りをしっかりと付けて、「実りの秋」を示していました。
一部では、刈り入れが始まっていました。

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田んぼの中の「農道」を歩いています。

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田んぼの外周から渦巻状に、中心に向かって刈り取って行く様です。
刈取り~脱穀を同時に行い、稲モミだけを収穫されていました。

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イケメンの案山子が、頑張って田んぼを守っています。

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刈り入れが終わった田んぼは、秋から冬への景色の変化を感じさせます。

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畑では、「ナスビ」の花が満開でした。多くの実も成っていました。

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「大沢池」の外側の土手で、「アオサギ」が何かを狙っている様でした。

秋の気配を感じつつも、暑い歩きのひと時でした。






















2017年9月17日 (日)

京都駅ビル大文化祭

  「20th Anniversary 京都駅ビル 大文化祭
  京都美風 古典芸能を楽しもう!能・狂言の世界へようこそ」
のタイトルで駅ビル2Fインフォメーション前にパネルを使って展示されいてたもの、又、実際の実物展示等を拝見することが出来ました。


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【パネル展示】
・能・狂言の歴史
・能舞台について/能・狂言を演ずる人たち
・能のしくみ(構成)/番組の見方
・舞台を彩るもの「能面」「装束」「被り物」「扇」


【実物展示】
・能面、能管、小鼓、大鼓、太鼓
・能面ができあがるまでの製作工程

 〇舞台を彩るもの「能面」


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 〇 能管、小鼓、大鼓、太鼓


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〇能面ができあがるまでの製作工程


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そして、実際の「能」公演の映像など、京都に住まいしていても身近で拝見する機会は無くて、貴重な体験をしました。(8月24日撮影)

2017年9月15日 (金)

大政奉還150周年(2)京都御苑及び御所-3

 前回の続きです。
 京都御苑内を歩いています。

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御苑の東側の真ん中辺りに、少し盛り上がった場所があります。
向こう側は、南方向です。

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駒札でどうぞ。

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「五摂家」の筆頭、「近衛家」もこの戦乱には何らかの影響はあった筈です。
戦火に焼かれたかと思います。

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春にはこの一帯は、枝垂れ桜が咲き誇り、多くの人で賑わいます。
「蛤御門の変」は、御苑の西側が戦いの場になりましたので、長州兵がここまで来ることは無かったかと想像します。

結局長州勢は、全てが敗退しました。
京都の町は、鷹司邸の火災と河原町の長州屋敷の出火で、京都の町は3日間燃え続けました。
後にこの大火のことを、「鉄砲焼け」とか「どんど焼け」とか呼びました。
また、京都の古老達は、この間の戦争と言えば、この「蛤御門の変」のことを指し、さらにその前の戦争と言えば「応仁・文明の乱」のことを言うとか。

京都御所の中にも、幕末大事な会合が開かれた場所があります。

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御所拝観のコースに含まれている「小御所」です。

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御所内の説明は、駒札では無く、この様な形での掲示です。

「蛤御門の変」後、「小御所会議」が開かれたまでの、時の流れは激動と言っても言い位のものでした。


元治元年(1864年)4月   蛤御門の変勃発
慶応元年(1865年)閏5月  将軍家茂、長州藩再征の為上洛、参内
慶応2年(1866年)1月    薩長同盟成立
             7月   将軍家茂死去
             12月  徳川慶喜に将軍宣下
             同月   孝明天皇崩御
慶応3年(1867年)10月  大政奉還
             12月  王政復古の大号令 「小御所会議」開催される
                  明治天皇 即位

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その「明治天皇」(後の諡号)が誕生され、幼児期を過ごされたのが、この場所です。

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祐宮が即位されたのは、慶応3年(1867年)ですから、御年15歳で天皇になられたことになります。そして、激動の幕末~維新~明治の時代を過ごされました。

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当初、皇女・和宮の婚約者と目されていた「有栖川宮」邸は、御所の正門「建礼門」の斜め前にありました。

 大政奉還150周年に関係する「京都御所・京都御苑」の史跡等は、以上です。
 次回は、幕末京都で活躍した「新選組」を取り上げたいと思います。


2017年9月13日 (水)

絹谷幸二 色彩とイメージの旅 

 京都近代美術館で、今、注目されている画家の一人「絹谷幸二 色彩とイメージの旅」を拝見しました。
詳しくは  、
こちらをご覧ください。

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二方向から撮っています。

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 正直、色彩の豊さ?派手さ?に疲れて、4階で開催されていた、平成29年度コレクション展を拝見しました。
 コレクション・ギャラリーでは、日本画、洋画、版画、彫刻および陶芸、染織、金工、木竹工、漆工、ジュエリーなどの工芸、写真等の中から適宜展示替を行い、日本の近代美術の代表作や記念的な作品を中心に、欧米の近・現代の作品もあわせて展示されていました。
やっと絵画の世界に浸れた?そんな穏やかな気持ちになりました。


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近代美術館の一部です。緑を眺めながら暫しのひと時を楽しんでいる人達の姿がみられます。

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美術展を見た後は、館内に有るカフェレストラン「カフェドゴマルゴ」でゆっくりランチを戴きました。

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美術館の四階から眺めた風景、平安神宮鳥居の一部と、東山連峰です。

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東山岡崎ループバスですが、ご覧のように緑を基調とした可愛い図柄です。
この市バスは、岡崎エリア内を回遊し,更には地下鉄や京阪電車の駅,市内中心部の河原町通を結ぶ路線バスです。
一度乗ってみたいと思っています。

2017年9月11日 (月)

大政奉還150周年(2)京都御苑-2

 前回の続きです。京都御所内では、尊攘派(長州藩中心)と公武合体派と(会津藩と薩摩藩)の対立が激しくなって来ました。
 1863年(文久3年)8月、公家の急進派7名(三条実美など)が宮廷から追放されました。
 「8月18日の政変」 「七卿落ち」と言われる事件です。長州に落ち延びました。長州勢は京都から追い出されて仕舞いました。

 しかし、長州藩は翌年(1864年・元治元年)、武装して大挙京都を目指して進軍を始めました。
 長州藩は、伏見藩邸・山崎天王山・嵯峨天龍寺の3か所に布陣した後、一斉に京都御所を目指して進軍を開始しました。
 そして、遂に「禁門の変」(蛤御門の変)が勃発しました(7月19日)。

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「蛤御門」です。現在は、烏丸通に面していますが、当時は90度回転して南面していました。右側が正面になります。

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門の柱のあちこちに弾痕などが見られます。

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木島は薩摩兵に撃たれて、ここで討ち死にしたそうです。

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幕末の頃の古地図では、「清水谷家」はこの辺りにあった様です。

この戦いのもう1つの場が「鷹司家」だと言われています。

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場所は、御苑の南端、「堺町御門」の東側です。
鷹司邸に入った久坂玄随は、鷹司公にお伴して参内したいと申し入れたが断れて、鷹司邸に火を放ちここで自刃した。

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駒札をどうぞ。

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「鷹司邸」の西側にあったのが、「九条邸」でした。
この橋は、「高倉橋」と言って、明治になって架けられた橋です。
高倉通の延長にあるからとのことで、その名前が付けられたそうです。

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「九条邸」にあった庭園と池です。「高倉橋」は、この池の上に架けられています。遠くに見える建物は、「拾翠亭」です。「厳島神社」は右手にあります。

 御苑内の史跡は、次回にも続きます。

 

 


 

2017年9月 9日 (土)

大政奉還150周年(2)京都御苑-1

 前回(二条城)の続きですが、今回の舞台は京都御所及びその周りに有った公家町(今の京都御苑)です。幕末、それまでは静かだった御所やその周辺が、俄然騒がしくなりました。
 少し遡って、時の流れを見てみますと、「黒船来航」が大きな転換点ではないかと思います。大老・井伊直弼の「通商条約」勅許問題から、「安政の大獄」~「尊王攘夷」の気運、「桜田門外の変」で井伊直弼が暗殺され、幕府の屋台骨が揺らぎ始めました。
 そこで持ち上がったのが「公武合体」論でした。
 文久元年(1861)皇女・和宮の江戸下向、翌年第14代徳川将軍・家茂との婚儀が行われました。

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京都御苑内の御所の東側にある、「皇女和宮生誕の地」すなわち「公家・橋本家」があったところです。

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その傍に立てられている駒札を利用させて戴きました。
簡潔に要領よく表示されているので、これからもしばしば使わせて戴く積りです。

 その場所から、少し北に行ったところに「猿ケ辻」があります。

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御所の東北の角付近です。御所の鬼門に当ります。

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東北の角(鬼門)を、この様にして変形させてあります。

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さらに、変形した左手には、御幣を担いだお猿さんがいます。
右を向いて、座って居ます。

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それらの説明は駒札で。

 次回にも続きます。

2017年9月 7日 (木)

大政奉還150周年(1)二条城

 慶応3年(1867)10月13日、第15代将軍・徳川慶喜が大政を朝廷に奉還して、今年で150年の記念すべき年に当ります。
 京都市では、それを記念してプロジェクト運営委員会を立ち上げ、ガイドマップやスタンプラリーを実施しています。今年の8月9日から来年1月31日までの期間です。京都に住む人間にとって、この催しに是非乗りたいと、早速動き始めました。

そこで、先ず大政奉還が発せられたと言う「二条城」から、スタートしました。
 「二条城」を少し詳しく調べて見ると、結構数奇な運命を辿った「お城」だと言うことが判ります。詳しくは、最後のところでお話したいと思います。

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二条城を紹介する写真に、東大手門よりこちらの櫓「東南隅櫓」の方が、多い様に思っております。お城の構造物として、初めに目にする建物です。
何年か前に台風で壁が破損し、その後修復されていますので、美しい外観を保っています。お堀の向こうは西方向です。遠くに西の山並みが見えます。

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東南隅櫓から北の方向に進むと、「東大手門」が見えて来ます。
こちらも最近修復されたので、美しくなりました。

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このお城は、正しくは「元離宮 二条城」と呼びます。
二条城が辿った数奇な運命を表わしています。

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「東大手門」の正面です。門の金具が修復により、美しくなっています。
入城券の購入から、入城までのコースが修復後に変更されています。

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門の横に置かれている「大政奉還」の看板です。

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「二の丸御殿」の入口です。大政奉還の宣言が行われたと言う「大広間」に行くには、ここから入らねは゛なりませんが、入っても内部は全て撮影禁止です。

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「二の丸御殿」は、この様な形「雁行」(がんこう)と言う形で繋がっています。
右手奥の建物「遠侍」に入って、手前の方に進みます。
左手の建物が「大広間」で、ここで大政奉還の宣言を、徳川慶喜が在京の大名の代理者を集めて行ったところです(が慶喜はその場にはいなかったとか?)

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右手が「大広間」、この中には人形を使って、その場面を再現しています。
突き当りは「黒書院」です。

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「二の丸庭園」の一部です。右手に少し建物の一部が見えていますが、「白書院」です。

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二条城は徳川の建物でしたから、この様に「葵」の紋があっても当然ですが、
明治になって政府に接収、その後宮内省に移管されて、離宮になりました。

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こちらでは、「菊」の御紋が付けられています。
瓦と違って、割合容易に取り換えられたからでしょう。

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こちらは、「本丸御殿」ですが、元々あった建物は焼失したので、明治26~27年に桂宮本邸が移築されました。
現在は耐震性に問題があり、一般公開はされていません。

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本丸御殿の御車寄せです。

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本丸の西側の堀です。遠くに見える高い石垣は、天守閣のあったところです。
堀では、これからのライトアップの準備が進められていました。

 さて、二条城についてですが、その数奇な運命を、箇条書きに述べたいと思います。

○徳川家康が、征夷大将軍の宣下を受けるに際し、居館として築かれた。

○慶長8年2月、家康は二条城でなく伏見城で征夷大将軍の宣下を受けた。

○家康は同年3月、拝賀の礼を挙行するために、二条城に入った。

○以後、二条城は、主として徳川幕府の儀典の場として利用された。

○大阪冬の陣で、軍議の舞台となった。

○元和6年(1620)、徳川秀忠の娘・和子は後水尾天皇の女御として入内の際には、ここから儀典が行われた。

○寛永3年(1626)には、後水尾天皇が二条城に行幸。この行幸に際して、大規模な普請が行われた。

○徳川秀忠が本丸御殿を造立し、徳川家光が二の丸御殿の大改造を行った。現在の二の丸御殿は、その時の作事によるものである。

○寛永11年(1634)には、徳川家光は30万余人の大軍勢を率いて、二条城に入った。それ以降幕末まで、将軍の上洛は無かった。

○文久3年(1863)、第14代将軍・徳川家茂が、久し振りの上洛。

○慶応2年(1866)、最後の将軍・徳川慶喜が、ここで将軍宣下を受ける。

○しかし翌年(慶長3年)10月、慶喜はここで「大政奉還」を宣言。

○奇しくも、二条城は徳川幕府の誕生と終焉の両方の舞台となった。

○明治元年(18689)、二条城は明治政府によって接収され、同4年から京都府庁として活用。

○その後、宮内省に移管され、二条離宮となる。

○昭和14年(1939)、離宮が廃止され、京都市に下賜された。


















2017年9月 5日 (火)

仄々とした子供たちの絵画を拝見しました(その2)

前回の続きです。

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嬉して楽しくて・・・一生けん命に描いている子供の顔が見えるよう、声が聞こえるようです。

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残念ながら、これらの作品を見に来られている人たちの姿が・・・
会場に居られた担当の方も同じことを言われていました。


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この空間にいるだけでも、幸せな気分になれました

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幼稚園児も中学生も夫々に上手で、何よりも描くことが好きで・・・の気持ちが伝わり気持ちが明るく嬉しくなりました。と、同時にいつまでもこのような素直で無邪気な気持ちでいられたら・・・を願わずにはいられませんでした。

2017年9月 3日 (日)

仄々とした子供たちの絵画を拝見しました(その1)

 京都府立植物園で開催されていた、地元の幼稚園児から中学生が園内で写生した絵画展を拝見しました。
 無邪気な中にも生き生きした筆遣い、明るい色遣いに楽しく癒されながらゆっくり拝見しました。


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季節的にハスの花が゛多く描かれていましたが、捉え方が微妙に異なり、興味深いでした。


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無邪気に絵を描くことをを楽しんでいる子供たち、大人には無い姿に感動しました。
余りにも素晴らしい作品が多く、どれもご紹介したくて、2回に分けました。

2017年9月 1日 (金)

ホテルで肉ランチ

 下鴨納涼古本市へ出かけた後は、 「今年は肉(29)年! だから 2,900円ランチ 地下鉄で行くっ ホテルでランチ」 のパンフレットに誘われて、「京都ホテルオークラ」に出掛けました。
 ここの目玉は、「肉三昧」と言うもので、牛・豚・鶏の3種類の肉料理が戴けると言うものです。
 私達にとってはやや馴染みが薄い「京都ホテルオークラ」ですが、勇気?を出してホテルインしました。勿論予め予約は忘れずにしました。
 2階にある「テラスレストラン・ベルカント」に向かいます。

 その前に、ホテルの内部の様子を少し。

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先ず目に入ったのは、このお花でした。京都らしい奥床しさを感じました。

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ロビィの真ん中にも、こんなに大きな花が飾られていました。
花の名前は、グロリオサ ドラセナ アルストロメリア ウェゲナナ の4種類だそうです。

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ロビィの右手には、2階への階段がありました。花婿・花嫁が手を繋いで降りるのにぴったりの雰囲気です。私達はその奥にあるエスカレーターで2階に上がりました。

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2階から、その階段とロビィを見ています。

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2階から、ロビィの一部を見ました。名門ホテルの重厚さを感じました。

 では、戴いたお料理をご紹介します。

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地下鉄を利用したと言えば、通常はスモールサラダですが「サラダ゛バー」での色んなサラダなどが自由に戴けます。地下鉄のチケット特典との事です。

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メインデッシュの「肉三昧」です。
黒毛和牛のハンバーグ(左) 黒豚のポークジンジャー(真ん中)
大山どりのチキン南蛮(右)
どれも大変美味しかったです。2種類のパンが付きます。

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最後は、デザートとコーヒーです。大満足のランチでした。
 この後、元気モリモリ、市バスを利用して、又、出来るだけ歩いて歴史資料館へ向かいます。





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