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2016年9月16日 (金)

京都市・中堂寺界隈を歩く

 過日、「中堂寺六斎会」の皆様による「六斎念仏踊り」を拝見して、その内容は先日ご紹介させて戴きましたが、中堂寺界隈はどんな所かなと思い、その現地を訪ねたくなり行って見ました。
 踊りの当日、解説の方から、地域の範囲を聞きましたので、地図などを片手に歩きました。
 地域とは、北は松原通・南は花屋町通・東は大宮通・西は御前通の範囲でした。
 中堂寺町と言うからには、当然そのお寺があろうと思い、探しました。
 やはりありました。松原通に面しています。

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その山門です。

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山門横の通行路から中に入らせて戴きました。
右手手前は居住部分、その奥が本堂、さらにその奥には墓地があります。

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本堂前です。

この後、この地域では、比較的名前が知られている「櫛笥通」(くしげとおり)を歩きました。櫛笥とは、櫛とか紅など化粧道具を入れる箱のことです。
平安京の櫛笥小路に当ります。

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櫛笥通を、松原通から少し入って見た景色です。お寺が多いです。

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反対から見た櫛笥通の様子です。突き当りが松原通です。

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そんな多くのお寺の中で、逸話があるのが、この「末慶寺」(まつけいじ)です。
山門の右手手前に、「烈女 富山勇子 墓」の石碑がありました。
その謂れについては、最後に。

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さらに前進しますと、こんな立派なお宅がありました。
随分と間口が広いお宅です。

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入口には、こんな行灯が掛っていました。
真ん中には、天照皇大神。左右には、稲荷大明神・縣大明神と書かれています。昔の信仰の実態が判る感じがしました。

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手前に井戸が、その先にはお地蔵さんがあります。

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同じお宅を、反対側から見ています。
昔は、どんなお仕事をされていたのか、興味津々です。
行灯の様子からは、何か商売をされていた?と想像しました。

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隣のお宅との間の隙間?です。人一人が通れる程の間隔です。

櫛笥通は、さらに南に延びています。五条通を越えて、少し足を延ばしました。
何故かと言えば、その先に「中堂寺通」があるからです。

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五条通の1つ南の通りが、「中堂寺通」です。
少し歩いて見ましたが、特に目に付くものはありませんでした。
この先には、「京都中央卸市場」やJRさがの線の「丹波口」駅があります。

閑話休題
(1)昔は、この辺りは京都府葛野郡中堂寺村と言い、都に比較的近く、農産物の供給地でした。とりわけ藍・芹・大根は特産品として知られていました。
やはりこの地の中心地は、櫛笥町界隈だつた様で、村の有力者達が江戸元禄年間に、「六斎念仏」を取り入れ定着したそうです。

(2)末慶寺の「富山勇子」の墓について
皆様ご存じでしょうか? 明治にあった「大津事件」を。
明治24年5月11日、大津の東海道でロシア皇太子が、津田三蔵と言う巡査に切り付けられ負傷しました。当時の超大国ロシアの皇太子を傷つけたと言うことで、大事件となり、明治天皇が直ちに見舞われたほどでした。怒ったロシア側は軍艦で帰国の準備を始め、国交断絶の危機さえなりました。
このとき、富山勇子は日本人として謝罪しようと、5月20日 京都府庁前で、のどを切って自害しました。このことに感動したロシア皇太子は帰国を見合わせたそうです。富山勇子は、万里小路家の女中で、27才の若さだったそうです。

























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