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2016年9月

2016年9月30日 (金)

久し振りに北嵯峨を歩く (2) ヒガンバナ

 前回の続きです。
今回は、「北嵯峨田園地帯」に咲き誇る「ヒガンバナ」を、ご紹介します。

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この日、最初に撮ったヒガンバナです。やや小ぶりでしたが、鮮やかな色に惹かれました。
場所は、北嵯峨の休耕田の土手でした。子供達が、一生懸命ラグビーの練習をしていました。

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田園地帯では、この様に固まって咲いているのを多く見ました。

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花が絡まっている様に見えました。緑色とのコラボも素敵です。

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何時も思うのですが、ヒガンバナの花の形って不思議な形をしています。

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ヒガンバナの行列です。これこそ嵯峨野らしい風景です。

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こちらは、行列から離れた一団の様です。

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こちらは、小集団の様です。兎に角沢山咲いていました。

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こちらは、烈が少し乱れていますが、三々五々行進しています。
オリンピックの閉会式の時の選手入場を思い出します。

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真っ赤な花ばかりで無く、こんな色の花もありました。褪色しているのではありません。

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少し濃い目の花もありました。
花びらの両端に白線があります。初めて見た花です。

 ヒガンバナは、これ位にして、他にも咲いている花なども、次回ご紹介します。

2016年9月28日 (水)

久し振りに北嵯峨を歩く (1) 田んぼなど

 凡そ1年ぶりに、「北嵯峨」を歩きました。
田園地帯では、稲の刈り入れが最盛期を迎えていて、「ヒガンバナ」も盛りとなっていました。
約1時間程、広沢池やその周辺、田んぼ道の中をゆったりと歩きました。
 大阪・茨木市から来たと言う小団体さんにも会いましたが、「良いところですねぇ
」は、全く同感です。
 
最後は、近くのカフェで、京野菜カレーを戴き、心も体も満ち足りた半日でした。
 やっぱり「嵯峨野」は、何時来ても良いですね。心も体も癒されます。

 では、北嵯峨の様子から。

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何時もの通り、先ず「広沢池」とご対面です。
池面は僅かに揺れている程度で、穏やかな雰囲気に包まれていました。
遠くには「愛宕山」が、その山容を見せていました。

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遍照寺山の美しい姿が、池面に映えていました。
今年の秋には、山の色付きはどんな華やかさを見せてくれるのか、楽しみです。

 では、「北嵯峨田園地帯」の方へ行って見ましょう。

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広沢池沿いの道の途中辺りから、田園地帯の凡そ半分位を見ています。
東南から西北方向になります。この辺りの田んぼでは、ご覧の通り稲刈りは早くに終わっている様です。刈り取った後の「ひこばえ」が大分と伸びています。

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刈り取った後の稲藁を、束ねておられる姿もありました。
私の田舎では、「チョッポイを結う」と言っていたことを思い出していました。

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稲藁を燃やしているのか、ゆったりと煙が立ち上っていました。

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北の方では、未だ刈取りが終わっていない田んぼもありました。

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田園地帯には、田んぼだけでは無く、畑も広がっています。
葉物の収穫をされているご夫婦の姿も見られました。

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南の方では、今年も「案山子」が立ち並んでいました。
酒米の「祝」が植えられています。

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代表の方に、ご登場願いました。(9月24日撮影)

 ↑でも少し見られます「ヒガンバナ」が、花盛りを迎えていました。
 次回にご紹介します。












2016年9月26日 (月)

京都 大原野散策

 京都西京区大原野は嵯峨野と同じように田園地帯が広がる地域です。
 爽やかな秋風の吹く頃は特に好きでよく出かけます。


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田園地帯を吹き抜ける風は、少し汗ばんだ肌に心地よいです。

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既に刈入れの終わった田んぼもあります。

出かけた時(9月15日)は、「なんやかんや”大原野”推進協議会」の農家有志が、3年前から農地でヒマワリを栽培されいて、時期をずらしてヒマワリ畑を開設し、農業PRや地域活性化に役立てようと行われているとのこと。
満開
には間に合わなかったのですが思いがけなく、夏の名残を惜しむことが出来ました。

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山々を背景に伸び伸びと咲くヒマワリの花。

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一口に”ヒマワリ”と言っても花色や花姿は異なり、魅力的な花です。

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既に数本の彼岸花が目を惹きました。
秋の気配を感じます。


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ゆったりとした山姿の小塩山に心を残しながら、ヒマワリ畑を後にしました。

2016年9月24日 (土)

京都・ノートルダム女学院・和中庵を拝見 (2)

 前回の続きです。「和中庵」の建物内部を拝見しております。
 洋館の2階に上がりました

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2階に上がったところの様子です。
この窓の形は、部屋でも見られました。

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洋館の2階のほぼ全景です。
修道院があった時は、ここが聖堂だつたそうです。壁には十字架の後が残っていました。

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2階のガラス戸から下を見下ろした様子です。
楕円形のところに、取り壊された主屋が建っていた場所です。渡り廊下で繋がっていたそうです。右が土蔵です。

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立派な暖炉もありました。

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天井も、趣がありました。

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洋館から渡り廊下を渡って、奥座敷(客殿)に行きました。

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奥座敷の全景です。床の間は左手に、お庭は右手にあります。

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床の間などの部分です。

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大きな石があちこちに配置された、お庭です。石灯篭にも、何かの形が彫り込まれているそうでした。

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奥座敷の片隅には、この様な出っ張りが造られています。

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内部はこんな様子でした。静かに物想うには、最適な場所ですね。

 最後に、「和中庵」について、戴いたパンフから抜粋して、ご紹介したいと思います。


◇「和中庵」を造った人は、藤井彦四郎(1876~1956)と言う近江五箇荘出身の方です。繊維製造販売業者で、「スキー毛糸」のブランドを興して財を成しました。

◇大正15年に、鹿ケ谷の山裾の林のこの地を取得、陣頭指揮のもと工事に掛りました。昭和3年4月に、広大な庭園を持つ、この住宅のお披露目の会が行われました。主屋・奥座敷(客殿)・蔵・洋館・お茶室など5棟もあったそうです。

◇昭和23年12月に、当時空き家になっていたこの建物群は、ノートルダム教育修道女会に売却されました。
多い時には、60人ものシスターや修練者たちが生活を営んでいたそうです。

◇やがて、シスター達の高齢化に伴い、修道院としての役割を終えて、2008年春にはノートルダム女学院中学高等学校に移管されました。

◇2014~2015年の2か年に改修工事を経て、教育施設として活用出来ることになり、現在に至っています。

 

2016年9月22日 (木)

京都・ノートルダム女学院・和中庵を拝見 (1)

 第41回(今年の)・京の夏の旅の文化財特別公開で、その中の1つ、「ノートルダム女学院中学高等学校・和中庵」を拝見しました。
 場所は、哲学の道の途中にある「霊鑑寺」の南隣です。山の麓にあるため、緩やかな坂道を上がって行きます。

 受付を済まして、現礼拝堂で解説の方のお話を伺いました。

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その礼拝堂です。今は学校の施設として、使われている様です。

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礼拝堂には、素晴らしいステンドグラスが付きものです。

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何れも和風の感じのステンドグラスでした。

お話を聞いた後は、いよいよお目当ての建物へ移動しました。

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その途中で目にしたのが、こちらの土蔵です。随分感じが違います。土蔵の前には、主屋が建っていたそうですが、老朽化が進んでいたため、取り壊されたそうです。

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内部が拝見出来る「洋館」です。右端の建物は、現礼拝堂のあるところです。
真ん中の玄関から入ります。

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玄関を入った上には、こんなものが見られました。
阿と吽が、外側と内側とにありました。建物を守っているのでしょう。

1階の応接室?です。

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風格のある洋館には欠かせない「暖炉」も見られます。

この後は、2階に上がりましたが、その様子は次回に、ご紹介します。
なお、「和中庵」の歴史についても、次回にご紹介させて戴きます。

2016年9月20日 (火)

テーマ「京都の水」 (7) 琵琶湖疏水-6

 前回に続き、琵琶湖疏水の本線を追って歩いています。
 本線とは、大津市から京都市伏見までです。
 前回は、南禅寺ダムから夷川ダムを通り、冷泉通に沿って鴨川まで来ました。
 
そして、流れは伏見に向かって流れます。流れは、御池通から塩小路通までは暗渠になっていて見られませんが、その先は鴨川に沿っていたり、京阪電車の京阪本線に沿っていたりして伏見区まで流れています。

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冷泉制水門の下の疏水の流れを、もう一度ご覧戴きます。
流れは右手(南)に向かっています。

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その流れが地上に現われたところです。向こうが南です。
これから伏見への長い旅が始まります。
左手に見える道路は、川端通です。

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ここは、仁王門制水門です。向こうに見える道路は川端通です。

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ここは御池通です。疏水はここから暗渠になります。

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所々にこの様な装置がありました。中を覗いて見ると、水が流れている微かな音がしますが、水の流れは見えませんでした。底まで10m以上はあるでしょうか。換気のためか、保守のためか判りませんが・・・。

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疏水は、三条通・四条通・五条通・七条通と暗渠を流れ、漸くここ「塩小路通」で姿を現わします。激流の様相です。

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塩小路橋から疏水の流れを見ています。
向こうに見えるのは、新幹線や在来線などの鉄橋です。

ここから疏水の流れに沿って歩きました。

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疏水に架かる「一之橋」です。

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「一之橋」から、疏水の下流を見ています。
疏水に架かる大きな鉄橋は、JR奈良線の鉄橋です。

ここからは、疏水の流れから離れて歩きました。
理由は、歩道が無く、歩くのが危険と感じたからです。

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JRや京阪電車の「東福寺駅」まで遣って来ました。JRや京阪の線路は、左手にあります。手前の橋は、疏水に架かる歩道の橋です。上の橋は、「九条通」です。

 ここからの疏水の流れは、京阪電車の線路と交差したりして、付かず離れずに流れて行きます。

 次回は、いよいよ伏見のエリアに入ります。

2016年9月18日 (日)

上七軒盆踊りの日の芸舞妓さんたち(その4)

「上七軒盆踊り」のご紹介も今回が最後です。肝心の踊りの様子は取材していませんが、いつもとは違った芸舞妓さん達をご覧ください。

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何を見ておられるでしょうか?

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中の方に呼ばれて、立ち止まって笑顔で応えておられます。

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目的は隣の喫茶店のようです。

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この方も思いは同じと見えて、お仲間を誘っておられます。

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先の舞妓さんが二人、「コーヒー飲みませんか?」に「飲みたいです」と中に入って行かれました。

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「コーヒー一緒に如何ですか?」に「私も飲みたいです。」

集合写真が終わって盆踊りが始まるまでの、つかの間の一息ですね。

2016年9月16日 (金)

京都市・中堂寺界隈を歩く

 過日、「中堂寺六斎会」の皆様による「六斎念仏踊り」を拝見して、その内容は先日ご紹介させて戴きましたが、中堂寺界隈はどんな所かなと思い、その現地を訪ねたくなり行って見ました。
 踊りの当日、解説の方から、地域の範囲を聞きましたので、地図などを片手に歩きました。
 地域とは、北は松原通・南は花屋町通・東は大宮通・西は御前通の範囲でした。
 中堂寺町と言うからには、当然そのお寺があろうと思い、探しました。
 やはりありました。松原通に面しています。

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その山門です。

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山門横の通行路から中に入らせて戴きました。
右手手前は居住部分、その奥が本堂、さらにその奥には墓地があります。

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本堂前です。

この後、この地域では、比較的名前が知られている「櫛笥通」(くしげとおり)を歩きました。櫛笥とは、櫛とか紅など化粧道具を入れる箱のことです。
平安京の櫛笥小路に当ります。

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櫛笥通を、松原通から少し入って見た景色です。お寺が多いです。

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反対から見た櫛笥通の様子です。突き当りが松原通です。

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そんな多くのお寺の中で、逸話があるのが、この「末慶寺」(まつけいじ)です。
山門の右手手前に、「烈女 富山勇子 墓」の石碑がありました。
その謂れについては、最後に。

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さらに前進しますと、こんな立派なお宅がありました。
随分と間口が広いお宅です。

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入口には、こんな行灯が掛っていました。
真ん中には、天照皇大神。左右には、稲荷大明神・縣大明神と書かれています。昔の信仰の実態が判る感じがしました。

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手前に井戸が、その先にはお地蔵さんがあります。

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同じお宅を、反対側から見ています。
昔は、どんなお仕事をされていたのか、興味津々です。
行灯の様子からは、何か商売をされていた?と想像しました。

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隣のお宅との間の隙間?です。人一人が通れる程の間隔です。

櫛笥通は、さらに南に延びています。五条通を越えて、少し足を延ばしました。
何故かと言えば、その先に「中堂寺通」があるからです。

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五条通の1つ南の通りが、「中堂寺通」です。
少し歩いて見ましたが、特に目に付くものはありませんでした。
この先には、「京都中央卸市場」やJRさがの線の「丹波口」駅があります。

閑話休題
(1)昔は、この辺りは京都府葛野郡中堂寺村と言い、都に比較的近く、農産物の供給地でした。とりわけ藍・芹・大根は特産品として知られていました。
やはりこの地の中心地は、櫛笥町界隈だつた様で、村の有力者達が江戸元禄年間に、「六斎念仏」を取り入れ定着したそうです。

(2)末慶寺の「富山勇子」の墓について
皆様ご存じでしょうか? 明治にあった「大津事件」を。
明治24年5月11日、大津の東海道でロシア皇太子が、津田三蔵と言う巡査に切り付けられ負傷しました。当時の超大国ロシアの皇太子を傷つけたと言うことで、大事件となり、明治天皇が直ちに見舞われたほどでした。怒ったロシア側は軍艦で帰国の準備を始め、国交断絶の危機さえなりました。
このとき、富山勇子は日本人として謝罪しようと、5月20日 京都府庁前で、のどを切って自害しました。このことに感動したロシア皇太子は帰国を見合わせたそうです。富山勇子は、万里小路家の女中で、27才の若さだったそうです。

























2016年9月14日 (水)

頑張っている花たち

 8月は勿論の事、9月に入っても日本列島が暑さに閉口したと言っても過言ではないでしょう
そんな中でも京都府立植物園の花たちは、頑張って健気に色美しく花を咲かせていました。


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御なじみ噴水と池と花たち

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夏だからでしょうか?水と花のコラボはより涼しそうにより優しく感じられます。

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↑の三種類の花たちは、何れも「ノゲイトウ「です。

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観覧温室の前の植え込みの花です。小さな花ですが、一生懸命に咲いている愛しい花達で、正門から入って来られた方たちが、一番最初に出会う花とも言えます。

2016年9月12日 (月)

二人のバースデー・ランチ

 8月生まれの友人 二人の誕生日を祝って、3人でバースデー・ランチを楽しみました。場所は、一度行ってみたかった、「京都洛東迎賓館・レストラン秀岳」(京都市山科区)でした。
 山科駅から歩いて約10分程、お目当ての場所に近付くと、高い塀に囲まれた場所に着きます。

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塀が途切れたところが、入口でした。高い木々に囲まれた道を塀に沿って進むと、左手の玄関前に着きます。

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豪壮な玄関と、お城の様な主屋の建物に圧倒されます。
私達は、右手の飛石伝いに進みます。

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玄関に入って、靴のままで上がります。何やら恐縮しながら、中へ進みます。
突き当りの額には、吉田茂・元首相の前当主宛の書簡が飾られていました。
前当主とは、国務大臣も務められた「大野木秀次郎」さんで、吉田茂氏も、ここに来られたとの事です。

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私達が今日お食事を戴くのは、この部屋でした。右手奥が、そのテーブルです。

お食事の前に、お庭を拝見しました。お庭は洋風庭園と和風庭園の2か所ありましたが、和風庭園の
みご紹介します。

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背の高い木々に囲まれた、落ち着いた雰囲気のお庭でした。

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左手には、石組があり、小さな滝から水が流れ落ちていました。

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お庭の真ん中を先に進みますと、灯籠などがあり、日本庭園の趣を感じました。

いよいよお食事を戴きます。

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前菜です。ごま豆腐や鱧や冬瓜など、工夫を凝らしたものばかり。

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お魚料理です。食材は鯛でした。

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お肉料理です。

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デザートです。嬉しいメッセージが、チョコレートで。
2種類のパンとコーヒーも戴きました。

どれも適量で、美味しく戴きました。しっかりお腹も満足でした。
今後もまた、訪れて見たい気持ちで、「秀岳」を後にしました。

2016年9月10日 (土)

テーマ「京都の水」 (6) 琵琶湖疏水-5

 前回に続き、琵琶湖疏水の本線(大津市内~伏見)を追って歩いています。
前回では、平安神宮前の道「神宮道」に架かる橋「慶流橋」まで来ました。
 今回は、その先へ進みます。疏水の流れは、「みやこめっせ」の裏側から横側を通って、更に直角に曲がり西進し、東大路通に至ります。

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東大路通の橋の上から、西を見ています。

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昔は船溜りだつた、「夷川ダム」です。

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ここには、疏水事務所(京都市上下水道局)や発電所(左端)などがあります。
そして、写真のほぼ真ん中には銅像があります。

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銅像は、琵琶湖疏水を企画・推進した、京都府第3代目知事の「北垣国道」の像です。

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「夷川発電所」の部分です。

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疏水の水の利用の表示です。発電は、関電が担当しています。

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発電に利用した水の吐出口の様子です。

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水はさらに西に流れて、ここ川端通に達します。

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川端通と鴨川との間に水門があり、この時には全部の水がここで方向転換し、南(右方向・伏見)に向かって流れていました。

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水門の施設の地上部分です。左手が、川端通。右手には、鴨川。
水門には、こんな木の橋が架かっています。

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鴨川です。右下が疏水の放水口ですが、水は流されていませんでした。

2016年9月 8日 (木)

盛夏 その2 「木陰を探して」

植物園の「四季彩の丘」に瓢箪の棚が有ります。
そこは広い園内の中でも貴重な憩いの場です。


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手入れに余念のない園の方の姿は、暑さにも関わらずあちらこちらで見かけます。

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瓢箪の棚の隣、やはり緑の葉っぱに覆われた憩いの場所です。
誰かが昼寝を楽しんだり読書をされている姿を見かけます。

瓜やカボチャの中から少しご紹介しましょう。

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       「ペポカボチャ」 ウリ科
カボチャは大きく3種に分類され、日本に一番始めに導入された「ニホンカボチャ」、現在の「カボチャ」、主流の「セイヨウカボチャ」そして「ペポカボチャ」です。
「ペポカボチャ」は他の二種にはない特徴を持つ品種が多く若どりの果実を食べる「ズッキーニ」や果肉が繊維質になる「ソウメンカボチャ」 観賞用の「オモチャカボチャ」などがよく知られています。

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これは京野菜の「鹿ケ谷カボチャ」ですね。

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  「打木赤皮甘栗かぼちゃ」  ウリ科
石川県金沢市打木町で作られている「加賀野菜」の一つです。
「セイヨウカボチャ」の一品種で、鮮やかなオレンジ色の果皮とタマネギのような形が特徴です

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   「トガドヘチマ」 ウリ科 原産地 インド

  漢字では「十角糸瓜」と書き、果実に10本程度の筋(稜)があるためこの名がついています。
未熟な果実は食用になり、アジアの熱帯、亜熱帯で野菜として栽培されています。日本では沖縄県と熊本県で食用に栽培されています。

                ★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

植物園会館の前に展示されていました。

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マローカボチャ                 ズッキーニ(UFOズッキーニ)
          ズッキーニ オーラム
見ているだけでも楽しいですね。

2016年9月 6日 (火)

テーマ「京都の水」 (5) 琵琶湖疏水-4

 前回の続きです。
京都市内・蹴上まで流れてきた「琵琶湖疏水」は、ここから多方面に分流します。
 (1)「第1疏水」の流れとして、伏見区までの約20Kmの流れ
 (2)南禅寺船溜り(現在は南禅寺ダムと呼んでいます)から夷川発電所を通って鴨川に合流する流れ(常時では無
い?)
 (3)南禅寺から「疏水分線」として、松ケ崎までの流れ 当初は約8.4Km
 (4)東山麓の各庭園への流れ
などがあります。
 これからは、これらの流れを、系統的には出来ないかも判りませんが、追っ駆けて見たいと思います。

 先ずは、上の(1)と(2)とは重複している部分がありますので、そこからご紹介したいと思います。

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この場所は、「南禅寺船溜り」と言って、インクラインを使って通船が行き来していた時の通船の待機場所でした。
疏水の水は、南禅寺境内の「水路閣」を経由して、北上して松ケ崎浄水場まで流れる水を除いた水が、ここに流れ込んでいます。
右端に見える建物は、「琵琶湖疏水記念館」。真ん中から左手一帯奥は、「京都市動物園」です。ここから流れて、伏見や鴨川に至ります。

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疏水の水が流れ込んでいる部分です。水量の大きさが、良く判りました。

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実は、この部分には「白川」の水が流れ込んでいます。
流水口には、「白川砂」が溜まっています。

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いよいよ、ここからの流れが始まります。
上の水の色が白くなっているのは、「白川砂」の流出によるものです。
溜り過ぎると、時々ショベルカーで砂集めをされています。

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「京都市美術館」近くの橋上から、上流を見ています。
遠くに見える建物は、「琵琶湖疏水記念館」です。
遠くの山並みは、東山連峰です。

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同じ橋上から下流を見ています。右手の建物が「京都市美術館」です。
向こうに見える赤い橋は、平安神宮に通ずる道「神宮道」です。

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赤い橋「慶流橋」に近付いて見ました。
水面に映える朱色の大鳥居は、平安神宮のものです。
橋上から見て、右手には「京都市美術館」が、左手には「国立京都近代美術館」があります。

 次回は、ここでちょっとコースアウトします。

2016年9月 4日 (日)

京都・六斎念仏を拝見しました

  久し振りに、京都六斎念仏を拝見しました(8月24日(金)午後8時から、右京ふれあい文化会館内。)
奉納は、竹林禅寺・水子地蔵供養。出演団体は、中堂寺六斎会 でした。

 今回は、解説者のお話では、多くの子供達が出演するとのことでしたが、子供達の一生懸命さに感動しました。
勿論大人の方達も、手本を示しつつも、頑張っておられました。会場の都合で、約1時間の制限の中、適当に短縮しての演技との事でしたがが、素人の私には文字通り、文句無しの楽しい時間でした。

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念仏会ですので、先ず始めに「発願」(お祈り)から、始まりました。
そして、最初に演じられたのが、この六斎踊りの「太鼓踊り」でした。
小さな太鼓の音は、軽快で乾いた音がします。
この豆太鼓は、六斎踊りの主役と言っても良い存在です。

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女の子が主役の「越後さらし」です。皆さん練習を重ねている様で、中々上手でした。

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「四つ太鼓」と言い、六斎の基本と言われているものです。豆太鼓が4個並んでいるのを、子供や大人が交代しながら曲打ちします。
段々とテンポが速くなって行きます。
先ず、小さな男の子から。

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次は、女の子達です。傍では、次の出番を待っています。

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大人の男性が、凄く速いテンポで打ち鳴らします。そして、豆太鼓がもう2個付け加えられ、「六つ太鼓」になります。

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「祇園囃子」もありました。それに、太鼓踊りが加わって、六斎風祇園囃子となります。

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祇園祭の山鉾巡行でも見られます「棒振り」が、六斎にもありました。
厄除け祈願になるそうです。

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「獅子舞い」です。始めに緑色の獅子が出て来て、ユーモラスな踊りを見せてから、オレンジ色の獅子が出て来ます。そして、2匹揃って逆立ちを。

緑色の獅子が退いた後、オレンジ色の獅子が曲芸をします。

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3段重ねの碁盤の上での逆立ちは、獅子舞いの中では圧巻です。
正式には、6段重ねだと思います。

そして、最後は六斎のクライマックスとも言うべき、「獅子舞いと土蜘蛛」です。
これを見ないことには、六斎は終われません。

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太鼓の音の不気味さと、土蜘蛛の動き、獅子との絡み、蜘蛛が吐き出す蜘蛛の糸が、獅子に絡みます。結局、土蜘蛛は敗退して退散します。
蜘蛛の糸は、持ち帰って厄除けとか財布に入れるとお金が貯まるとかのご利益があるとか。

         ★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

「六斎念仏踊り」について、戴いたパンフから。

◇起源は、今から約1100年前に、平安京で疫病が蔓延した時、空也上人が南無阿彌陀仏を唱えつつ、洛中の街角を托鉢用の鉢と瓢箪を打ち鳴らしつつ歩いて、庶民の不安を取り除いたのが始まりと言われています。

◇六斎とは、毎月8日・14日・15日・23日・29日・30日の6日を、佛教では六斎日と言い、この日は悪鬼などが勢いを得て、人々に災いを及ぼすとされています。

◇この六斎の日に、庶民達は鉦や太鼓を打って念仏を唱えました。
それが徐々に芸能化し、幾つかの流派が生まれました。

◇大正・昭和にかけて、隆盛を誇ったものの、戦争で中断・後継者難等で、現在では数団体の活動にとどまっているそうです。
昭和58年には、重要無形民俗文化財に指定されました。



















2016年9月 3日 (土)

盛夏 その3 「草花にもシャワーのご褒美」

連日の猛暑と少雨、人間を含めて動物は勿論ですが、植物もうんざりしている事でしょう。
そんな中でも健気に咲いている花たちにシャワーのご褒美です。


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北山門を入った処の噴水は勿論ですが、勢いよくシャワーのお出迎えで人間もホッと一息です。

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夏の花は厳しい環境に強いと思いますが、やはり適度のお湿りは欲しいでしょう

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森のカフェで寛ぐ人たちに、ひと時のやすらぎを与えてくれているようです。

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観覧温室の前の綺麗な緑の葉っぱと赤い花のコントラストに、元気をもらえます。

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植物園会館の前に咲いていましたが初めて見たように思います。
「ブルグマンシア」の名札がついていました。
少し色あせた花も有りましたが、花姿は百合に似ていますね。
(8月3日 撮影)

2016年9月 1日 (木)

上七軒盆踊りの日の芸舞妓さんたち(その3)

 前回の続きです。
上七軒歌舞練場前の盆踊りの会場に帰ってこられた芸舞妓さん達ですが、

勿論、前列は綺麗どころです。
西日がまともに当たってつらいでしょう。


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総勢何人位おられるのでしょうか?

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”おかあはん”らしき人が、「撮影が始まるまで、顔を隠しておおき」

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眩しいて堪らん!

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お気の毒です。

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それでもさすがにプロです。笑顔を絶やさないで「それではいきますよ~」に応えておられました。

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