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2016年6月26日 (日)

紀伊半島めぐりの旅 2日目(和歌山県その2)

 和歌山県太地町から串本町に移動しました。
 そして、「向かいは大島・・・」に渡る前に見たのが「橋杭岩」です。
 「橋杭岩」は、マグマがつくった不思議な景観です。
 幅が15m 長さが約900mにわたって橋脚のような巨岩が、向かいの大島に向かって、まっすぐに並んでいます。国指定の天然記念物です。

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紀伊半島の先端の岸辺に近い部分です。

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中間部分をやや大きくして、見ました。右寄りの岩は、人の後姿の様に見えました。背景の景色は、紀伊大島です。後程あちらに向かいます。

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右端の岩(と言うよりも島の感じです)が、最も大島に近いところです。

昔は「巡航船」で渡っていた大島も、「くしもと大橋」が架けられたので、車で一渡りです。大島では、「トルコ記念館」など明治時代に起こった海難事故の様子を学びました。

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「トルコ軍艦遭難慰霊碑」(右側の大きい方)です。
左端に見える小さな方は、事故の翌年に日本側で建てた石碑です。
遭難事故の概略は、最後に記述します。

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遭難事故に関する資料が展示されている「トルコ記念館」です。
事故の詳細や日本とトルコとの友好の様子、引き揚げられた遺品の数々などが多数展示されていました。

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記念館内には、遭難現場の写真が展示してありました。

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また、その場所を実際に見ることが出来る様、窓が造られています。
この日は、やや波が荒くて、その岩を見ることが出来ませんでした。

 最後に、海難事故について、その概略をお話します。

 明治23年(1890)6月、トルコ皇帝特派使節として来日したオスマン・パシャ以下650余名の将兵を乗せた「軍艦エルトゥールル号」が、我が国との修交の使命を果して帰国の途中、9月16日夜、熊野灘で暴風雨に遭い、串本・樫野埼灯台下の岩礁で難破、痛ましくも587名の将兵が殉職、生存者は救助された人も含め69名でした。地元住民の献身的な救助活動によるものでした。この事故については最近映画化され、「海難1890」のタイトルにて昨年12月に上映されました。

 帰途は、串本から白浜~南紀田辺~紀ノ川~岸和田~東大阪~田辺~
上鳥羽~京都市内へと帰着しました。

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