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2016年5月21日 (土)

湖北の町・彦根市などを旅する-3 お城の周辺で

 「玄宮園」から、隣の「楽々園」に来ました。

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建物は「槻御殿」(けやきごてん)と言い、彦根藩の下屋敷です。
井伊直弼も、ここで生まれたそうです。
右隣に少し見える建物の一部は改築中で、「地震の間」と言うそうです。
いざと言う時には逃げ込むところだそうです。

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「楽々園」のお庭です。この向こうが「玄宮園」になります。

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「玄宮園」の近くに建つ、「井伊直弼」像です。
何かに付けて有名だった彦根藩主でしたね。

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「旧西郷屋敷長屋門」です。長屋門としては、最大規模のものだそうです。
屋敷の主の西郷伊豫は、3500石で彦根藩の家老だったようです。

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「旧西郷屋敷長屋門」から少し行くと、この「京橋口門」に来ました。
石垣だけで建物はありませんが、防御策の1つの「桝形」になっています。

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「中堀」の一角に出ました。彦根城には、内堀と中堀とがあって、堀がしっかりと城を守っていることが、良く判りました。

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こちらの石垣は、上の場所とは城域を挟んで反対側の場所です。
いわば裏側です。石垣には草が生え、荒れた感じがしました。

昔の藩を構成する組織には、当然最下級の人達もいました。
所謂「足軽」と呼ばれる人達です。それらの人達が住んでいた「足軽屋敷」の1つ、「善利組足軽屋敷」(せりくみあしがるやしき)跡を訪ねました。
城下町の最も外側にあり、城下を取り囲む様に屋敷を連ね、彦根城と城下町を守る役割を担っていたそうです。

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この屋敷は、「辻番所」と言い、狭い道路が交わる角地にあって、道行く人を監視していたそうです。建物の角に格子状の窓が造られていて、そこから監視していたとか。この建物は、復元されたものだそうです。

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内部の様子です。足軽達が交代で見張っていたとか。

次回は、比較的新しい彦根の町の様子を、ご紹介したいと思います。



 

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