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2015年10月 5日 (月)

京都の魅惑的な地名(10) 釘隠町

 このシリーズも、とうとう10回目となりました。
 まだまだネタはありますので、気長に続けたいと思っております。

 さて、今回は「釘隠町」(くぎかくし・ちょう)と言う、珍しいと言いますか、奇妙な名前の町です。場所は、仏光寺通烏丸西入るの両側町です。町名の由来は、最後にご紹介します。

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烏丸通から仏光寺通に入って直ぐの景色です。西の方向を見ています。
普通の京都の町中の景色です。

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上の写真でも少し見えていましたが、進行方向左手にあった商事会社の建物です。祇園祭の期間中に、ここを訪れましたので、この様なお祭りの飾りがされています。
その真ん中に立っている石碑です。

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「与謝蕪村」は、江戸時代中期の有名な俳人であり画家でもあります。

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近くのビルの壁面には、この様なものも嵌め込まれていました。
与謝蕪村の辞世の句だそうです。

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同じ並びに、この様な町家を活用したお店もありました。

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また、この様な奥深い路地を見付けました。

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今度は、「釘隠町」を西から見ています。
例によって、町名表示を探しましたが、全く見付かりませんでした。
やっと見付けたのが、これでした。

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あるビルの表札です。
「東入」とあるのは、室町通から東入るです。
何故こんなにも町名表示が無くなって仕舞ったのか?!嘆かわしい限りです。

 最後に、ボヤキが入って仕舞ましたが、「釘隠町」の由来をご紹介します。
 江戸時代の京都を紹介した書物に「雍州府志」(ようしゅうふし)と言うのがあります。それによりますと、近世 京都には 角倉 十四屋倉 醍醐倉 と言う3人の町人(多分豪商だと思いますが)がいて、その中の 十四屋倉 がこの町に住んでいたそうです。この十四屋倉の住居には、長押(なげし)には釘を裸では打たず、鳥獣草木の模様入りの釘隠しを使ったそうです。当時、町家で釘隠しを使うのは珍しく見物人が大勢押しかけたとか、それから「釘隠町」となったそうです。
 なお、この近くには以前にご紹介した「二帖半敷町」(カテゴリー地域歴史をご覧ください)があります。

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ちょっと豪華過ぎるかと思いますが、「京都迎賓館」内の「釘隠し」の1例です。
「釘隠し」は、この様に「長押」を接続して釘で止めた釘の頭を隠すための金具です。贅沢な建築には、凝った「釘隠し」が使われていて、またそれを見て歩く人もいる様です。



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