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2015年9月29日 (火)

京都の魅惑的な地名(9) 本能寺町

 今回の地名も魅惑的とは言い難のですが、歴史上あまりにも有名な「本能寺の変」の舞台となった場所、旧「本能寺町」です。旧と言ったのは、新があるからです。「本能寺の変」とは、言うまでも無いかと思いますが、天正10年(1582)6月2日未明、明智光秀が本能寺に宿泊していた主君・織田信長を襲撃し、信長を自害させた場所です。その折りに本能寺は全焼しています。
 当時本能寺の寺地は、
    油小路通以東  西洞院通以西  六角通以南  錦小路通以北の2町
と言う広大なものだったそうです。京都の方は、お判り戴けるかと思いますが。
 現在、町名としては、 
    本能寺町(六角小川付近) 
    元本能寺町(小川通六角~蛸薬師間) 
    元本能寺町南町(小川通蛸薬師~錦小路通間)  の3つです。

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本能小学校が廃校となり、跡地を発掘調査されました結果、ここに本能寺があったことが判りました。「能」の字の瓦が出土しました。「能」の字のつくりが「去」となっていたそうです。ヒヒでは火を連想するからだとか。
この石碑は、油小路通蛸薬師下ル東側にありました。

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碑文を拡大しました。もし、ご興味があればお読み願います。

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「本能校跡」の石碑です。立派な石碑です。旧校跡にこんな立派な石碑が建てられているのは珍しいことで、あまり例を見ません。旧校舎の一部を再利用されているのかな?。

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校舎の跡地には、これだけの建物が建てられています。
右手奥には、↑の石碑の横側が見えます。
自治会館の一部には、「本能寺の変」のことを説明したコーナーもありました。

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新しい建物の裏(東北隅)には、古い石碑もありました。

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大正4年に建てられたものです。

では最後に、町名の表示を2つ、ご紹介しましょう。

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あの有名な「仁丹」のものではないので、比較的新しい表示板です。

不運な最後を迎えた織田信長と、そうせざるを得なかった明智光秀に思いを馳せながら、歩いてみられるのは如何でしょうか。





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