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2015年8月14日 (金)

京都・五条坂・陶器まつり(その2)登り窯と陶器人形

 「陶器まつり」に合わせて、2つの催しが行われていましたので、ご紹介します。
 先ずはじめは、五条坂の南側にあった、江戸期の登り窯の発掘調査の様子です。立命館大学が、3代目井野祝峰さんの登り窯を調査し、その様子を公開されているのです。

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陶器を焼く窯は、2つありました。昔は7つもあったそうです。
未だ調査中ですので、お邪魔をしない様に気を付けて拝見しました。

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見る方向を変えて、見ました。
火の焚口は、右手下にあります。

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窯の内部の様子です。結構背が高いです。

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「ロクロ室」内の様子です。

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「ロクロ室」内に置かれていた写真です。
左手には「清水六兵衛」家の窯とありました。
右手は、ここの建屋の外観の様です。
詳しくは、最後にご紹介させて戴きます。

 もう1つの催しは、「陶器人形」です。五条坂の北側にある「若宮八幡天満宮社」の境内で行われていました。境内には「陶器神社」もあります。
 50年前に始められたものの、10年程で行われなくなっていたのを、昨年復活したものです。こちらは、京都造形芸術大学の学生さん達が造られたものです。今年のテーマは、戦後70年と琳派400年です。

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境内の奥から、「陶器人形」達を見ています。
使われているお皿などの陶器は、窯元から商品として売れない物を貰ったとの事です。

 では、1つ1つを見てみましょう。

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 「風神」です。戦争への風潮・社会の流れに対して、

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「雷神」です。戦争に対する人々の怒りを表わしています。

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「ハレ神」(オリジナル)です。悪いものをはらう、戦争からの復興を表わしているそうです。右手は「自転車妖怪」とか。

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一番奥の紅白の幔幕の中には、陶器で飾ったお神輿も安置されていました。

 では最後に、登り窯について。詳しく書いた資料を戴いたのですが、私には良く理解出来ないところもあって、地元の新聞の記事から抜粋して、書かせて戴きます。
○この窯があるところ(旧音羽川沿い)は、京焼の発祥の地だそうです。
○ここに初めて窯を築いたのは、江戸後期の2代目清水六兵衛の長男・初代七兵衛だそうです。
○清水家と親戚の清風与平家を経て、戦後になって現在の井野家が譲り受けたとのことです。
○現在ある登り窯は、1971年に完成したのですが、同年の京都府公害防止条例などの規制により、一度も使われず物置になっていたそうです。
○立命館大学などの調査チームは、何度か改築されている窯の遺構発掘を進められています。

 

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