« 2015年7月 | トップページ | 2015年9月 »

2015年8月

2015年8月30日 (日)

さよなら梅小路・閉館特別展へ  頭出し

 43年間の歩みを持った「梅小路蒸気機関車館」が、来春オープン予定の「京都鉄道博物館」にバトンタッチするために、8月30日で閉館します。その閉館特別展を8月18日の午後、見に行って来ました。
 この日に見られたのは、思い出写真展・蒸気機関車全車の頭出し・「義経号」の運行などでした。
 夏休み中と言うこともあって、沢山の人達が来られていました。

039a

梅小路蒸気機関車館の玄関であり、内部は展示資料館の「旧二条駅舎」です。平成9年(1997)に、ここに移築されました。

038a

そこに展示されていた今回の催しの大看板です。
展示資料館の中を通って、「頭出し」がされている扇形車庫に向かいます。

018a

扇形車庫を東側から見ています。全機関車が着飾っての頭出しです。
中央に進みましょう。

019a

何時も気になって見ているのは、この機関車です。
「お召列車」を引っ張って走っていた機関車です。

その左隣には、

029a

花形機関車の「C62形」の1号車と2号車とが並んでいます。

023a

全機関車が、と言いましたが、この「1070形1080号機」は、車庫内にひっそりと置かれていました。この機関車は外国製で、1901年(明治34年)製です。

022a

今度は西側から、扇形車庫を見ています。

026a

扇形車庫前の転車台(手前の円形部分)の近くにも、新旧2つの機関車が置かれていました。左側は、ディーゼルカーです。展示の機関車の出し入れに使われています。

「頭出し」を堪能した後は、「動態保存SL」を見ました。












2015年8月28日 (金)

巨大彫像「花の女神フローラ」

 園内を散策して目的の観覧温室前の鏡池にやって来ました。 
琳派400年祭を記念し、神々をモチーフにした巨大彫像作品を制作展示する「バンテオンー神々の饗宴」の1つ「花の女神フローラ」を見る為です。
この彫像は7月25日に登場しました。


033_2

高さ約4.5m、9月下旬のライトアップの時には立ち上がって約6.5mの高さになります。
 「花の女神フローラ」をご覧になって「どこかで見た」と思われませんか?
そうです。以前、
「京都府京都文化博物館」も似たものが展示されていて、時間を決めて立ち上がっていました。
こちらの彫像の方が華やかですが。

035_2

衣装には尾形光琳の「紅白梅図屏風」の水の流れを模し、両手にあるハスや衣装の内部には、カラフルなボールなどが入っていて夢が詰まっている様子を表現されています。

036

右の奇妙な形の巨大彫像は、先日ご紹介しました「雷神」です。     

038

鏡池に咲いている睡蓮の花も、珍客の来訪でびっくりしていることでしょう。

039


037

8月中には残る一つの「風神」が登場する予定です。
愉しみが増えました。

2015年8月26日 (水)

京都・糺の森・古本市へ

 今や京都の夏の風物詩とも言える糺の森(ただすのもり・下鴨神社境内)の「古本市」を覗いて見ました。糺の森のほぼ南半分のエリアに広がって多くの古本店が展開しています。
 正式には、京都古書研究会主催・第28回 下鴨納涼古本まつり と言います。
 8月11日から16日の間に開かれていました。
 地元・京都をはじめ、大阪・奈良・兵庫・岡山などから出店されているそうです。

001a

市バス停・糺の森で下車して、糺の森に入って直ぐに、この立て看板に出会いました。

002a

糺の森の中に入って来ました。
平安時代には、「潔斎(みそぎ)の場」として存在していました。

007a

最終日(16日に行きました)とあって、既に多くの方が来られていました。

いろんなスタイルのお店があります。

003a

殆どが青空市です。

005a

全集などやや高級品は、こんな感じのお店でした。
私も、今は絶版になっている或る本を探そうとしましたが、根気がなく諦めて仕舞いました。

004a

皆さん熱心に物色されていました。

008a

こんな簡単なお店も多く見られました。

006a

復刻版ですが、懐かしい本を見付けました。
子供の頃、「のらくろ」の進級を楽しみに、むさぼり読んだものでした。

一日じっくりと時間を掛けて物色したら、意外な掘り出し物が見付かるかも知れませんが、体力勝負でしょうね。

この後は、下鴨神社にお参りしました。













2015年8月24日 (月)

京都・山科四宮「徳林庵」周り地蔵

 毎年8月中旬から下旬にかけて行われる伝統的な民俗行事である「地蔵盆」。
 地蔵信仰という宗教的な性格を持ちながらも、町内安全や子どもの健全育成を願う町内の行事として、時代とともに変化しながら受け継がれ、地域コミュニティの活性化に重要な役割を果たしてきました。
 「地蔵盆」は、京都をはじめ近畿地方で盛んに行われています。
「京の地蔵盆-地域と世代をつなぐまちの伝統行事」を“京都をつなぐ無形文化遺産”に選定されました。
”京の食文化””京・花街の文化”に続く第3号となります。


0401

子どもの頃、山科に住んでいた私は、この「四宮地蔵(しのみやじぞう)」を中心に繰り広げられる地蔵盆の縁日が大好きでした。

私にとって地蔵盆は、夏休みの終わりを飾る最後のイベントで有りました。

036

ここ「四宮地蔵」は、京都の六地蔵めぐりの1つです。

032

地蔵堂の真裏にも扉が設えられていて、ここも開扉されます。
ここからはそれこそ普段は全く見ることができない地蔵尊の後ろ姿も間近に見られるとの事です。


029

地蔵さんのお参りには、独特の作法があります。
これもその1つです。


031


041

京阪電鉄京津線の山科駅前から隣の四宮駅までの1㎞余りに渡って、
地蔵堂のある旧東海道は露店が出て、とても賑わいます。
 地蔵盆は愉しみの少なかった子供の頃の貴重な思い出でも有ります。
唯、当時に比べて露天商の数が多くなり、消防局の数名の職員さんがプロパンガスボンベの点検をしている姿は、当時では無かった光景で、時代の移り変わりをここにも感じました。

2015年8月22日 (土)

「シャドーボックス作品&クラフト展 」を拝見しました

 第3回目となる「シャドーボックス作品&クラフト展 」を拝見しました。
「花のある暮らし」をテーマにシャドーボックスなど約60点が植物園会館1階展示室に飾られていました


095


091


097

幼稚園の頃に買ってもらった絵本の”キンダーブック”を思い出します。

098

タイトルは"春の陽ざしに”

094

可愛くて若い女性向きの部屋ですね。

101

小さな作品も展示されていましたが小さくても丁寧に作られています。
他にも何点か撮ったのですが、室内の灯りが映りこんで残念ながら
ご紹介は止めます。
 展示品の中には即売されているのも有り、又、会場では作品の講習会も有りました。

ご訪問ありがとうございます。
本日都合によりコメント欄は閉じさせて戴きます。





2015年8月20日 (木)

京都の魅惑的な地名(8) 春帯町

 前回は「饅頭屋町」と言う、魅惑的とはやや言い難い町名が有りましたが、、今回は「春帯町」(はるおびちょう)と言う、やや粋な町名をご紹介します。
新町通下立売下るから丸太町通までの南北に細長い両側町です。その間のほぼ真ん中に「椹木町通」(さわらぎ・ちょうどおり)が東西に通っています。
 この町には、京都第二日赤や京都府警別館などがあります。また、近くには京都府庁があります。
 さて、「春帯町」の由来ですが、種明かしをしますと、「春日町」の「春」と「腹帯町」の「帯」が合体して出来た町名なのだそうです。
 春日町は、今の「丸太町通」、平安京の「春日小路」です。この春帯町の南端は丸太町通に面しています。春日町は、この近くにもありますし、河原町丸太町の北西角に「春日小学校」があります。
 そして、「腹帯町」の方ですが、「腹帯地蔵」があるので、それが町名になっていました。「春帯町」になったのは、明治2年(1869)のことだそうです。

 では、「春帯町」を歩いて見ましょう。

002a

下立売通から入りました。京都の地名表示から言えば「下り」(さがり)ました。
右側の建物は「京都第二日赤」です。

003a

東側(左側)には、この様な町家が何軒か見られました。

007a

もう少し先のやや立派な町家の一角には、「腹帯地蔵尊」の祠がありました。
この辺りは、「椹木町通」の北側になります。
私の想像ですが、椹木町通を境にして、北側が「腹帯町」で南側が「春日町」だったのではないかと思います。

001a

町名表示板が全く見当たりませんので、今回も止む無く有料駐車場の看板を使わせて戴きました。

この辺りの「新町通」は、道幅も狭く静かな通りですが、一筋西の「釜座通」(かまんざとおり)は、こんな様子です。

011a

北から南を見ています。左側は「京都第二日赤」の表側です。
右側には、場所柄薬局が多く見られます。

010a

「釜座通」の北側(突き当り)には、京都府庁があります。
真ん中に見えるのが、「旧本館」です。現庁舎は左手に広がっています。

004a

丸太町通に出る手前で、やっと町名表示を見付けることが出来ました。

001a

丸太町通から「春帯町」を北方向に見ています。
左側には「京都第二日赤」の建物が続いています。
右側の角には「めしや 宮本むなし」と言う変わった名前の食べ物屋があります。

 このシリーズは、まだ少しネタがありますから、ぼちぼちと続けたいと思っております。



2015年8月18日 (火)

二条城の西南隅櫓公開

 京都は二条城にある「西南隅櫓」が、「二条城まつり」の行事の1つとして、一般に公開されましたので、見学しました。昨年のことです。
 二条城には、東南隅にも櫓がありますが、何故か今回は西南隅櫓でした。

063a

二条城の外から見た「西南隅櫓」です。押小路通(手前)と城西側の通り(左手)との交点から見ています。

060a

こちらは、「東南隅櫓」です。白壁が綺麗なのは、昨年に台風で一部脱落した壁を修理されたためです。「西南隅櫓」と比べますと、一回り大きく造られています。右手に「東大手門」が、左手先に「西南隅櫓」があります。
堀川通と押小路通との交点から撮っています。

058a

その「東大手門」は、保存修理の工事が始まっていました。
その後、工事は続いていますが、ここからの入城は可能となっています。

054a

従いまして、入城はここ「北大手門」からとなっています。
「東大手門」に比べると、かなり小さく感じます。
ここからの入城は、現在は不可となっていて、「東大手門」からの入城が可能です。

城内を大きく回って、漸く「西南隅櫓」に着くことが出来ました。

039a

林の中を通って、櫓の下に着きました。土手道を上って櫓に入る入口に着きます。入口は、右手の方にありました。

041a

中に入って直ぐに目に入った光景です。やはり全体に頑丈に造られている様です。

043a

二階建てになっていました。上には上がれませんので、下から覗いて見ました。階段も頑丈に出来ています。

045a

東面の内部の様子です。この部分は「武者走り部」と言い、幅一間で四周に設けられています。

047a

櫓の中から、外を覗いて見ました。
外濠があり、その先には城の外周を通り道路が見えます。
左手が「押小路通」、右手は城の西側の通り(名前が判りません)です。

2つの通りの西側の角には、こんな石碑がありました。

068a

「二条城撮影所跡」とあります。碑の後ろは「中京中学校」のグランドです。
「二条城撮影所」は、明治43年(1910)に横田永之助と言う人が、横田商会と言う会社で、京都初の撮影所をここに造りました。
300坪の土地に、2間×4間の低い板敷の舞台を設け、背景は書き割りで撮影をしたそうです。日本映画の父と言われる牧野省三が、人気役者の尾上松之介を使って「忠臣蔵」などを撮ったそうです。

最後に、「西南隅櫓」について(戴いた資料から抜粋して)

概要:木造二階二重櫓 入母屋造 本瓦葺
平面:一階は桁行五間 梁間四間 二階は桁行四間 梁間三間
特徴:外堀に面する二箇所の出窓には、石落とし及び横矢掛り用の窓を備え
    る
    一階屋根上に載る小屋根は唐破風(東南隅櫓は千鳥破風)

歴史的背景:二条城は、慶長8年(1603)、徳川家康により創建されたが、寛永3年(1626)、三代将軍家光により現在の姿に拡張された。
それまでは、本丸郭は無く、現在の二之丸部分だけの大きさだった。
従って、本丸郭に所在する「西南隅櫓」は、寛永3年に建設されたことは明らかである。
その後、天明8年(1788)の大火により本丸御殿等を失うが、外堀の四隅にあった隅櫓のうち、東南と西南の二棟は残り、大きな改変も受けずに今日まで至っていると思われる。
                                     
                 
   

2015年8月16日 (日)

京都センチュリーホテル ダイニングレストラン「カサネ」

 久しぶりにセンチュリーホテル グルメストリートランチ6月を戴きました。

012

「カサネ」はメインレストランの奥に有ります。
いつも比較的空いていて「ゆっくりお召し上がり下さい」の優しい言葉を戴きます。


005

レストラン内の一部です。

002

         一口のおもてなし

003

こんがり焼けたパンは適当な湿り気を保つように箱に入っています

004

   ノルウェーサーモンと塩レモン ※Bioポテトとビーツサワークリーム添え
※Bioは有機農産物、有機加工食品を意味します


007

     本日の魚料理    ソースピペラードとトマトの泡

010

    京都産 日吉ポーク 柑橘風味のパン粉焼き、Bioキャベツ添え

011

        オランジュ ブラン

コーヒか紅茶 またはエスプレッソ
これて税・サービス料込の3000円です。
 日吉ポークを一つ友人に食べてもらったのを、ウエイトレスが見ておられたらしく「お口に合いませんか?」の気遣いの言葉を戴きました。
実はパンが美味しくてお替りしていたからでしたが、「いいえ美味しいでしたが
お腹がいっぱいになって・・・」とバンの事は何となく言えませんでした。

2015年8月14日 (金)

京都・五条坂・陶器まつり(その2)登り窯と陶器人形

 「陶器まつり」に合わせて、2つの催しが行われていましたので、ご紹介します。
 先ずはじめは、五条坂の南側にあった、江戸期の登り窯の発掘調査の様子です。立命館大学が、3代目井野祝峰さんの登り窯を調査し、その様子を公開されているのです。

033a

陶器を焼く窯は、2つありました。昔は7つもあったそうです。
未だ調査中ですので、お邪魔をしない様に気を付けて拝見しました。

030a

見る方向を変えて、見ました。
火の焚口は、右手下にあります。

031a

窯の内部の様子です。結構背が高いです。

034a

「ロクロ室」内の様子です。

035a

「ロクロ室」内に置かれていた写真です。
左手には「清水六兵衛」家の窯とありました。
右手は、ここの建屋の外観の様です。
詳しくは、最後にご紹介させて戴きます。

 もう1つの催しは、「陶器人形」です。五条坂の北側にある「若宮八幡天満宮社」の境内で行われていました。境内には「陶器神社」もあります。
 50年前に始められたものの、10年程で行われなくなっていたのを、昨年復活したものです。こちらは、京都造形芸術大学の学生さん達が造られたものです。今年のテーマは、戦後70年と琳派400年です。

026a_2

境内の奥から、「陶器人形」達を見ています。
使われているお皿などの陶器は、窯元から商品として売れない物を貰ったとの事です。

 では、1つ1つを見てみましょう。

020a

 「風神」です。戦争への風潮・社会の流れに対して、

021a

「雷神」です。戦争に対する人々の怒りを表わしています。

022a

「ハレ神」(オリジナル)です。悪いものをはらう、戦争からの復興を表わしているそうです。右手は「自転車妖怪」とか。

023a

一番奥の紅白の幔幕の中には、陶器で飾ったお神輿も安置されていました。

 では最後に、登り窯について。詳しく書いた資料を戴いたのですが、私には良く理解出来ないところもあって、地元の新聞の記事から抜粋して、書かせて戴きます。
○この窯があるところ(旧音羽川沿い)は、京焼の発祥の地だそうです。
○ここに初めて窯を築いたのは、江戸後期の2代目清水六兵衛の長男・初代七兵衛だそうです。
○清水家と親戚の清風与平家を経て、戦後になって現在の井野家が譲り受けたとのことです。
○現在ある登り窯は、1971年に完成したのですが、同年の京都府公害防止条例などの規制により、一度も使われず物置になっていたそうです。
○立命館大学などの調査チームは、何度か改築されている窯の遺構発掘を進められています。

 

2015年8月13日 (木)

南禅寺・勅使門前のハスの花等

 南禅寺の勅使門前の池に咲いているピンクのハスの花は知る人ぞ知るの蓮です。

037

勅使門は、国の重文に指定されています。

034

勅使門に通じる橋の両側には見事なハスの花を楽しむことが出来ますが、

024

今年は少雨の影響が例年に比べて花数も花姿も・・?のようです。

001

そして紅葉でお馴染の天授庵です。

003


009

睡蓮の花の形は小ぶりですが、毎年可憐な花を咲かせてくれます。
こちらも例年に比べて花数が少ないように思われました。


040

楚々とした風情の花姿に花色も美しく、このお宅の前を通る人が必ずカメラに収めているハスの花です。

039

花をクローズアップしてみました。

少雨と猛暑日の連続でウンザリしていますが、お花にとっても辛いでしょう。

ご訪問ありがとうございます。
本日都合によりコメント欄は閉じさせて戴いています。
 

 

2015年8月12日 (水)

京都・五条坂・陶器まつり(その1)陶器市

 六道まいりの後は、京都の夏の風物詩の1つ「五条坂・陶器まつり」(7日から10日までの開催)へ行きました。(その1)ではその様子を、(その2)では公開された登り窯跡と陶器人形の2つを、ご紹介します。
 はじめに、陶器市の様子です。陶器市は、五条通の五条大橋から東大路通の間の両側の歩道に、約350の店が並んでいます。
 お店は、地元京都の窯元や陶器問屋をはじめ、全国各地の業者が出店しています。この行事は、大正時代から始まったと言われています。

029a

陶器市が開かれている五条通の様子です。
手前南側から、向こう側・北側を見ています。陶器の店を構えて遣っておられるのは殆どが向こう側です。遠くの山並みは、東山連峰です。

012a

南側に並ぶお店群です。陶器の他に食べ物や飲み物などのお店もありました。

014a

兎に角、陶器ならば色んな物が売られています。こちらのお店は、日常の生活で使うものばかりですね。

016a

こちらも南側ですが、お店のスタイルはいろいろです。

015a_2


「唐津焼」のお店です。高級感が有るように思いました。

017a

 北側も歩きました。日中の猛暑の真っただ中ですが、多くの方が物色されています。

028a

 北側に並ぶお店の1つです。
出店は、手前側にも並んでいます。

036a

 デザインに惹かれて写しました。作者のこだわりを感じます。

 次回では、江戸期の登り窯の発掘調査と、五条若宮神社での陶器人形をご紹介します。どちらも地元の大学生が係っておられます。





 

 

 

2015年8月11日 (火)

京都・六道まいり

 京都のお盆の行事「六道まいり」を、松原通東大路西入の「珍皇寺」(ちんのうじ)でさせて戴きました。8月8日の午後、最高気温が38.1度C。
珍皇寺では、8月7~10日の間に「六道まいり」は行われます。

 先ず始めに、珍皇寺さんでのお参りの手順を、ご紹介させて戴きます。
 山門を入りますと、参道の両側には「高野槙」を売るお店が並んでいます。そこで高野槙を買い求めます。本堂で水塔婆にご先祖さんや最近亡くなられた方の戒名を書いて貰います。そして、それを持って「迎え鐘」を撞きます。
 多数の地蔵石仏が並ぶ宝前で、用意された槙の葉で水塔婆に水をかけて、供養する水回向を行いますと、買い求めた槙の葉にご先祖などのお精霊さんが乗り移られ、家に持って帰ります。

037a

珍皇寺の山門前に遣って来ました。

境内に入ります。

039a

ずらりと並ぶ高野槙を売るお店です。

043a

境内の正面には、この様な供養塔があります。

047a

その反対側(本堂に向かっています)は、こんな様子です。
「群霊塔」と提燈には見えます。

046a

本堂では、お坊さん達がずらりと並んでおられ、水塔婆に戒名などを書いて戴けます。

042a  

いよいよ「お迎え鐘」を撞きます。と言いましても「ゴォーン」と言う音が聞こえるだけです。
やや低い鐘の音ですので、ご先祖様があの世からこの世に帰って来られる思いがします。

045a

ここで水塔婆に槙の葉で水を掛けて拝みます。水塔婆は、ここに納めます。
そして、ご先祖の霊が乗り移った槙の葉の束を持ち帰ります。
以上で、「珍皇寺」さんでの一連の手続きが終わります。

午後にお参りしましたが、午前中に行かれた方の話では、お参りの方の長い行列が出来ていたとの事です。
 この後は、夏の風物詩になっている「五条坂の陶器市」を覗いてきました。
後日ご紹介します。

ご興味があれば、どうぞ。
「珍皇寺」さんについて
臨済宗の本山の1つ、建仁寺の塔頭です。ご本尊は、薬師如来です。
古くは「愛宕寺」(おたぎでら)とも呼ばれていました。
平安・鎌倉時代には東寺を本寺として栄えたそうです。
室町時代前期に建仁寺の僧が再建し、臨済宗に改められました。
この地は、葬送の地・鳥辺野の端に当る為、現世と冥界の境界として、小野篁
(おのの・たかむら)が冥土通いをしたという伝説が生まれました。
小野篁像や冥土への井戸などが、境内にあります。
今や「六道まいり」の本拠寺となり、お盆には多くの方の参詣が見られます。












2015年8月10日 (月)

早朝の瑞々しい朝顔

 7月31日から始まった朝顔展に行きました。
 例年この日は7時から12時まで開園しています。
朝顔の愛好家の方達が丹精込めて育てられた朝顔です。


032

こちらの朝顔は京都府立植物園の方が丹精込めて育てられた花ですが、
竹林の芝生などの優しい緑が涼しさを一層演出しているようです。


001

多くの作品の中から何かの賞を貰われた朝顔をご紹介します。

007


009


013


016

次からは花姿も葉っぱも変わった文字通り「変化朝顔(朝鮮朝顔)」です。

019


022


017


 会場に来られていた会員さんの言葉によると「今年は少雨と猛暑で好い花が咲かなかった」「会員も高齢化で少なくなりました。」

2015年8月 8日 (土)

京都の魅惑的な地名(7) 饅頭屋町

 京都市内には、かつて何らかの商売や職人集団が住んでいたことを示す町名がいろいろとありますが、今回ご紹介する「饅頭屋町」も、そんな中の1つです。
 「饅頭」屋と言えば町中のどこにでもありそうに思うのですが、この本の著者・高野澄先生によれば、「饅頭」と付く地名は、ここ京都の「饅頭屋町」と、東京都に「饅頭谷」があるだけだそうです。
 珍しい町名だと言うことで、早速現地に行って来ました。

009a


いきなり地図の登場で恐れ入りますが、この方が場所が良く判って戴けるかと思いましたので・・・。
地図(住宅地図から)の左下の赤線で囲ったところです。
烏丸通の三条通から六角通の間の両側町です。
その饅頭屋「塩瀬」が、この町のどこにあったかは判りません。
「塩瀬」が京都のこの辺りで開業していたのは、室町時代だそうで、江戸時代には江戸に移っていたそうです。
現在は東京で「塩瀬総本家」として営業されていて、立派なHPも開設されています。

 

008a

 町名表示を探しましたが、全く見付かりませんでした。
総てが高いビルに変わっていますから、きっと邪魔だと外して仕舞ったのでしょう。辛うじて見付けたのが、これでした。
しかし、「饅」が「鰻」になっています。無神経さに呆れます。

006a

 

「饅頭屋町」の東側を北から見ています。真ん中の高いビルは、「華道池坊」の本部です。裏側には「六角堂」があります。

 

004a

烏丸通の西側を南から北を見ています。
左手は「ホテルモントレ京都」、その右隣の赤い建物は「みずほ銀行京都中央支店です。その間に字が間違って表示されていた「タイムズ駐車場」があります。右手の先には先日オープンした「NHK京都放送局」があります。

002a

ここが「烏丸三条」です。手前の広い道路が烏丸通、それと交わる道路が三条通です。現在は烏丸通の方が道幅が広いですが、明治までは三条通の方が重要な道路でした。何しろ東海道の西の終点・三条大橋の延長線上ですから。今も三条通には、明治時代に建てられた建物が健在です。
明治時代は、ビジネス・金融の中心地でした。

003a

烏丸三条の東南角には、こんな石碑も残っています。

005a

「ホテルモントレ京都」の正面上には、こんなからくり時計が見られました。
どんな様子に変化するのか、一度見てみたいものです。

 さて、最後に2つ。饅頭屋・塩瀬と烏丸通について。
①饅頭屋・塩瀬家について(高野先生の記述から)
塩瀬家の歴史は、室町時代の初期、京都の禅宗寺院の建仁寺からはじまる。
建仁寺の塔頭両足院の開基・龍山徳見が中国の兜率寺での10年間の修業を終え帰国した。
徳見の俗弟子の林和清は師と共に来日した。和清の子孫の浄因は奈良に居を構え、中国の技法で饅頭をつくり売り出した。
浄因には2人の子供があり、ひとりは奈良で、もうひとりは京都で、それぞれ饅頭を作り売った。
応仁の乱が起こると、京都の林家は親戚がいる三河の塩瀬に逃れ、平和の到来とともに京都に戻り、烏丸三条に定住し、饅頭の製造販売を再開した。この頃から「塩瀬」を名乗っていたようだ。
再開の時期の詳細は不明だが、延徳3年(1491)、室町幕府10代将軍・足利義稙の頃には「饅頭屋四郎」の名で営業していたのが判っている。
(現在京都市内の和菓子屋に「塩○軒」と言う名がありますが、「塩瀬」と何らかの繋がりがあるのでしょうか?)
「塩瀬」と並んで京都での和菓子の老舗「虎屋」は、江戸時代も京都で和菓子屋を営み、明治になって東京に移りました。今も京都にも店はありますが・・・。

②烏丸通について(「京都の大路小路」から抜粋して)
平安京の「烏丸小路」にあたる。当時の道幅は12mあった。

現在は20m級の京都市内の中枢的な幹線道路となっている。
平安京の時代には、天皇家や貴族が集住していたが、応仁の乱で壊滅状態となり、田園風景がひろがっていた。
烏丸小路を再建したのは、豊臣秀吉だった。その後も徳川家康が引き継いだが、江戸時代の烏丸通の道幅は数mだった。
道幅が広がったのは、明治になってから。

 これからも、このシリーズは、ぼちぼちと続けたいと思っております。

 

2015年8月 6日 (木)

夏色 京都府立植物園

 7月は連日の猛暑 久しぶりに朝から植物園へ行きました。
目的の一つは琳派400年祭記念の、神々をモチ
ーフにした巨大彫像作品「バンテオンー神々の饗宴」の1つ「花の女神フローラー」を見る為です。
観覧温室前の鯉池の中に登場しています。


023

何時ものように北山門から入ります。

024

元気印のタイタンビカスのお出迎えです

028

噴水は見ているだけで涼しく感じます。

027

近くで見ても疲れた様子も無く元気溌剌です。
 赤色も咲いていましたが、強烈過ぎて(暑そうに思われ)撮るのを躊躇しました。
 パワーを貰って園内を散策しましょう。
結果は半分しか回れませんでした。


029

これも夏に咲く元気な花「ロベリア・スペキオサ」です。

031

日陰を探して歩いています。
1羽のカルガモが長閑な姿で悠々と泳いでいますが暑くは無いのでしょうか?


041

こちらも夏の元気印の代表格 百日紅です。
頑張れと励まされるように観覧温室前の鯉池に向かいます。

ご訪問ありがとうございます。
本日都合によりコメント欄は閉じさせて戴いています。



 

2015年8月 4日 (火)

祇園祭・最後の神事・夏越祭

 1か月間の長丁場の祇園祭も、7月31日に執行される八坂神社境内の「疫神社」での「夏越祭」で終わりを告げます。
 当日は
お参りが叶わないので、前日午後にお参りさせて戴きました。   

019a

四条通に面している「西楼門」から、境内に入ります。
大抵の人が、こちらから入っていると思います。
或いはこちらが正門と思っている人が多いかも知れません。

021a

実は、こちらが正門の「南門」なんです。
「西楼門」には、石段がありますが、ことらは少しあるだけです。
祇園祭の稚児達の参拝やお神輿などは、こちらから出入りします。
右手には、有名な京料理の老舗「中村楼」があります。

010a

先ず本殿にお参りしました。日中の暑い盛りだつたので、参拝する人の姿も少なかったです。
そして、「疫神社」(えきじんじゃ)にお参りしました。

こちらは、「西楼門」から入って直ぐの正面にあります。

002a

「疫神社」の正面です。すっかり「夏越祭」の準備が出来ていました。
「茅の輪」や茅の束などが並べられ、 清々しい雰囲気が感じられました。

005a

006a

神社の入口に立っていた説明板から、この神社の由緒をご紹介します。

ご祭神は、蘇民将来命(そみんしょうらいのみこと)です。

むかし祖神(すさのおのみこと)が諸国を巡って日暮れになり、宿を探しておられました。
はじめに巨旦将来(こたんしょうらい)の家を訪ねて一夜の宿を頼まれましたところ、巨旦将来は富み栄えていたのに宿を貸すことを断りました。
次に蘇民将来の家に行き宿を頼まれました。蘇民将来は貧しかったけれども、心良く引き受け、粟殻で座を造り、粟の粥で手厚くもてなしました。
そこで祖神は「われはハヤスサノヲの神なり」と言い、後年疫病が流行しても茅の輪を付けて「蘇民将来の子孫なり」と言えば、災厄から免れしめると約束され、子孫は災厄もなく栄えた一方、巨旦将来の子孫は皆絶えて仕舞いました。
事情があって、UPが遅くなって仕舞いましたが、締め括りが大切と思い、祇園祭の最後の神事をご紹介させて戴きました。

 

 

 

2015年8月 2日 (日)

シェフの饗宴 in Kyoto 「夏の亰」が始まりました

 今年で第64回目となる、シェフの饗宴「夏の亰」が7/1~9/30迄の予定で始まりました。
 これは、京都駅周辺8ホテル共同企画で各ホテルのシェフの競演とも思われ
何時も愉しみにしています。
 最初はホテルグランヴィア京都の15F に有るスカイラウンジ「サザンコート」です。京都駅ビル内にあります。
 こちらはお料理は勿論ですが15階からの外の景色が見られることも嬉しく食事を一層愉しいものにしてくれます。


022

京都タワーと北の方向を眺めています。

では、この日のランチ 2500円(税 サービス込)です。

011

               鯛サラダ

012

         カボチャのの冷製スープ

014

  賀茂茄子のオーブン焼き 豆腐と白味噌のソース

015

  塩麹でマリネした牛フィレ肉のポワレ 焼とうもろこしと青柚子の香り

他にパンまたはライス コーヒー又は紅茶です。


017

別にデザート「マンゴーのクレーム(500円)」を頼みました。
こちらのレストランは久しぶりでしたが、どれも美味しく戴くことが出来ました。


020

 駅ビルの北側の一部を、15階から見下ろしています。
鉄骨を多用した超近代的なデザインに、何時も感動とともに見詰めております。

041

 今度は、その姿を内部から、見上げています。
この下には、JR京都駅のコーンコースがあります。

 今年の夏の亰の各ホテルのメニューを拝見していると、いずれのレストランも
工夫されいるようで楽しみです。

ご訪問ありがとうございます。
本日都合によりコメント欄は閉じさせて戴いています。

« 2015年7月 | トップページ | 2015年9月 »

2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

京 歩き