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2015年6月24日 (水)

岡山県 津山市 町並みを歩く(2)

昨日の続きです。
 津山の城下町「城東界隈」で、一番大きいと思われる「城東むかし町家」(旧梶村家住宅)が一般公開されていましたので、じっくりと拝見させて戴きました。
 梶村家は、もとの屋号を米屋と言い、元禄年間に出雲街道の南側に居住し、その後現在の地に住んだ様だと、戴いたパンフレットに書いてあります。
(現在地とは、城東界隈の中でも東の端に近い場所です。)
こちらでは、江戸時代から昭和初期の建物を見ることが出来ました。

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「出雲街道」に面した部分です。女性が立っておられるところが、見学の入口です。やはり2階は低いです。
間口は主屋だけでも8間半と、とてつもなく広いです。

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最初の写真の左手には、正式の玄関があります。

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見学用入口から入って、ここ台所から内部を見学させて戴きます。
向こう側が、見学用入口です。

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台所の上を見上げますと、こんな様子でした。
主屋(台所を含む)は、江戸時代後期頃に造られたとのことです。

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大正期に造られた「座敷」です。

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奥には蔵が2つ並んでいました。
手前が、東蔵で大正期の造りで、展示室になっています。
奥は、西蔵で昭和初期のものだそうです。

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西蔵の前には、「千草舎」と言う茶室で、昭和初期に造られたものです。

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お庭です。左手奥には、大きな石組で滝を表わし、真ん中の曲りくねった松の木を中心に島を表わし、周りに石畳を配して、回遊式庭園になっています。
正式の玄関から入りますと、このお庭を通ることになります。

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 お庭から、「落棟」(手前・明治期のもの)と、「主屋」(奥・江戸後期頃のもの)を見ています。上の「お庭」の写真は、「落棟」の廊下から撮ったものです。

 最後に、この「旧梶村家住宅」について、戴いたパンフレットから概要をご紹介します。
○敷地~間口15.8間(31.5m)、奥行17間(34m)、
      面積1,082.91平方m 
○建物~主屋 平入り木造2階建て瓦葺 江戸後期頃 延べ268.7平方m
      付属屋 木造平家建て瓦葺 明治期 延べ25.01平方m
      座敷 木造2階建て瓦葺 大正期 延べ174.03平方m
      洋館・裏座敷 木造2階建て一部平家建て瓦葺 大正期
      延べ146.3平方m
      東蔵 木造2階建て瓦葺 大正期 延べ66.24平方m
      西蔵 同上 昭和初期 延べ49.68平方m
      茶室(千草舎) 木造平家建て人造スレート葺き 昭和初期
      延べ10.8平方m
      合計 8棟
○梶村家の歴史~
  ・元の屋号は、米屋と言い元禄年間に、この辺りに居住しました。
  ・宝暦年間には、山内屋と称していたが、商いは不明とのこと。
  ・明和4年(1767)に「札元並」という町役に任命されました。名字を許され
   茂渡藤右衛門と改名、その後数代にわたり「札元」を勤めました。
  ・梶村姓を名乗るのは、明治4年(1871)からでした。
  ・明治中期には県会議員を、銀行業務や和歌にも。明治42年(1909)の
   歌会始に入選も。

 

 

 

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コメント

古都人さん
 おはようございます
流石は「城東界隈」城下町で一番大きいと言われるだけの事は有りますね
広さが台所のたたきほ見ただけでも解ります
正式の玄関 玄関から入った回遊式庭園蔵が二軒にお茶室、
どれをとっても「素晴らしい」では片づけられないですね
お写真を拝見して溜息が出ます
昔の金持ちと今の金持ちは違いますね
何の商売をされていたのか興味が有ります
梶村家には県会議員と銀行業務そして和歌もされていた多才な人も居られたのですね


お早うございます
 所謂豪商と呼ばれるお屋敷は見た事は有りますが
梶村家はその比では有りませんね
古都人さんの言葉「とてつもなく広い」を実感しながら拝見しています。
広さと言い建物の立派さと言い江戸から昭和の建物が1軒のお宅に有るとは
そして今も保存されているとは何もかもが感動です
蔵が大正期と昭和初期の二軒有るとは
それだけお宝?が有ったことになるのでしょうか?
立派なお茶室に回廊式庭園
豪商は質実剛健だと言われていますが
風流な一面も有ったのですね
当時のお金持ちの生活の一端を垣間見ることが出来ました
こんど生まれてくることが有れば
お金持ちに・・・です(笑い)

古都人さん
 お早うございます
何と立派なお宅ですね
敷地面積が1082㎡とは想像出来ませんがお写真を拝見していて驚いています
江戸時代後期に造られた建物がそのまま残っているのも驚きです
1軒のお宅で江戸から昭和までの建造物が見られるとは凄いですね
個人のお庭が回遊式庭園になっているのですね
余りの立派さに言葉も無く魅入ってしまいました
出来ればこのような立派なお屋敷に1日だけでも住んで
庭をそぞろ歩きしお茶室でお茶を一服の優雅な時間を持ちたいものです

古都人さん
おはようございます。
素晴らしいお屋敷ですねぇ、今もこうして
残されていて見学が出来るって嬉しいですね。
お屋敷の広さに驚きますね、そして台所や
座敷に茶室に蔵など、素晴らしいものばかりですね。
こういう所での暮らしぶりを垣間見る
って素敵です~
出雲街道っていいところですね。
古都人さんの説明で行った気分に
なれました~
いつもありがとうございます。

古都人さん、おはようございます。
立派なお屋敷ですね。
台所の梁のみごとなこと!
お庭のすばらしいこと!
当時は家族だけでなく使用人もたくさん雇って
手堅くお商売をされていたのでしょうね。
単なる商売だけでなくきちんと文化教養面にも
力を入れていたのが分かります。
そうそう、鳥取の親戚の家も(今はありませんが)、
2階の天井が低くて暗い家でした。

taekoさんへ
こんにちわ
そうですね 戴いたパンフによりますと
元禄年間にこの辺りに居住し宝暦年間には山内屋と称していたとの
ことですが商いは不明とあります
もとの屋号は米屋と言ったそうですから
米の買い付けや販売などをしていたのかも知れませんね
明和4年には町役となり「札元」を勤めた様です
金融業の様なものでしょうか
梶村は明治になってからとのことです
かなり手広く商売されていた様ですから
これだけの建物も必要だったことでしょう

植村さんへ
こんにちわ
そうですね 所謂豪商と言われる家も色んなタイプがありますね
豪華な造りであったり意外と質素であったり
その家の先祖伝来の教えや家格など歴史の繋がりによって
違う様に思います
こちらの場合は当主の努力などにより段々と建て増しされ
こんなに大きくなった結果ですね
そうですね 夢は大きく・・・ですね

ムームーさんへ
こんにちわ
そうですね 江戸時代後期から始まって
明治~大正~昭和と建て増し続けられた結果ですね
各時代の当主の方の努力の結果でしょうね
出雲街道は古代から都と出雲とを結んだ街道だったですね
姫路~津山~松江~出雲と繋がっていました

やっこさんへ
こんにちわ
そうですね 台所などの主屋の上には2階がありましたから
使用人達はそこに住んでいた様です
結構広い2階間でしたから
代々の当主の方の努力の結果がこの様な広大な建物と
なったものと思いますね
明治期の当主は歌会始に入選されている様です
美作地方の歌壇の発展にも尽くされたとか

こうした建物が大切に残されているというのは
嬉しいものですね。
大きな蔵が2つ昔の人はお部屋にはあまりものを
置きませんでしたものね。
今思えばそうしたことが和室をきりっとさせたのでしょうか。

此処は唯見せるためのようですね。
出雲街道というのですね^
みたいところが増えて困ります・・・

古都人さん、こんにちは~♪
ずいぶん大きくて立派なお宅ですね。
江戸時代に造られたそうですが
堂々として風格がありますね。
もとの屋号が米屋だそうですが、
そのころの御商売とは関係あるのでしょうか。
台所の梁も立派ですし、
大正期に造られた「座敷」も趣がありますね。
2つの時代に造られたなまこ壁の蔵も見事ですね。
中になにが入っているのか覘いてみたい気分です。
お茶室やお庭も素敵ですね。
財産は3代で無くなると言われていますが、
これだけ長い間栄えてきたということは
梶村家代々の方々の努力のたまものですね。
素敵な御紹介、ありがとうございました。

hirugaoさんへ
こんばんわ
蔵を持ったことがないので全く判りませんが
四季通じて必要なものだけを出し不用なものは
蔵に仕舞われていたのでしょうね
建具だけでも夏用と冬用とが必要ですものね
そうですね 現在はこのお屋敷は津山市の管理下に
あり一般公開(無料で)されているものです

hiroさんへ
こんばんわ
当初の商売は判らないそうですが屋号が米屋との
ことですから米に係わる商売だったのかも判りません
のちに「札元」とありますから金融業かも知れませんね
江戸時代から昭和まで各時代の建物が揃っています
明治以降は銀行業やガス会社・製紙会社なども
手掛けられていた様です
各世代で当主達が努力されたことでしょうね

こんばんは happy01
素晴らしい町屋ですね。
中は広々、お庭も落ち着いた雰囲気。
2つの蔵に茶室まで!
江戸時代から昭和まで、この家の繁栄が窺われます。
その頃は立派な髭を蓄え和服を着た恰幅の良いご主人がいらっしゃったのでしょうね。
それとも文明開化とともに洋装のご主人だったのかな?
と、なんとなく想像してみました。

慕辺未行さんへ
お早うございます
そうですね 途轍もなく広いお邸でした
但し贅を尽くしてと言う感じでは無く質素で実用的な
感じがしました
そうですね 普通その家の歴史みたいなものがパネルなどで
展示されているのですがそれは無かったですね
そんなのがあると歴代の当主の肖像画とか写真などが
飾られているのですが・・・
想像するしかないですね
結構実業をされていた様ですから洋服の方かと思いますね

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