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2015年6月16日 (火)

京都の魅惑的な地名(6)正面町

 「京都の魅惑的な地名」ぼちぼちと続けています。
 今回は、あまり「魅惑的」とは言い難いですが、不思議な地名です。
 
 「正面」とは、何に対する正面なのか?これが問題です。
 そして、町名だけでなく、「正面通」と言う面から線にまで変化しています。
 勿論「正面町」と言う町名はあります。その町は、語源の正面の付近にあります。持って回った言い方をしていて済みません。
 「正面」とは、東山の方広寺大仏殿に対しての「正面」です。方広寺と言い、大仏殿と言い、豊臣秀吉や豊臣家や徳川家康など、歴史上有名であり、悲劇の舞台でもありました。異説ですが、正面通の西にある「東西本願寺」の正面と言うことを聞いたことがありますが・・・。

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さて、正面の根拠はこの裏にあります。ここは、豊臣秀吉をご祭神とする「豊国神社」です。その横を通って裏に回りますと、

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字が小さくて読み難いかも知れませんが、要領良く説明されています。

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発掘調査された「大仏殿跡」です。南から北を見ています。
左手上に少し見えているお社が「豊国神社」です。

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上の説明板に書いてあった「方広寺の鐘」に刻まれた「国家安康」 「君臣豊楽」の文字です。歴史上有名な文言が、実際に見られるのは、京都の歴史の厚さと言えます。

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豊国神社の南隣に残る「方広寺の石垣」の一部です。

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こちら(国立京都博物館)も、方広寺の境内だったそうです。
こちらは、京都国博の旧正門で奥の建物が旧本館・明治古都館です。

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豊国神社をバックに、「正面通」を見ています。前方は西の方向になり
手前の通りは、「大和大路通」です。
この「正面通」は、東西本願寺などで中断しますが、さらに西まで千本通の手前まで達しています。

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「正面通」の南側にある「耳塚」です。見る度に心が痛みます。
秀吉の朝鮮出兵の際、戦功のしるしとして持ち帰った耳や鼻を供養したものです。

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さらに、その先にある「京料理 道楽」です。

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その建物の上に張り付けられていた町名表示板です。
やっと「正面町」の文字を見ることが出来ました。
ここまでも「正面町」となると、「正面町」は随分東西に長い町だと判ります。













 

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地域歴史」カテゴリの記事

コメント

 お早うございます
今朝のご紹介は正しく「京 歩き」ですね
カルチャーショックを受けました。
京都の地名や通り名は歴史と切り離しては考えられませんが、
私には魅惑的な「町名」で有り通り名になりました。

「正面町」は市バスの「河原町正面」の駅名で何となく知っていますが
名前の由来には関心は有りませんでした。
京都の長い歴史と歴史上の人物との関わりが深かったことに感動しました
京都に住まいしていても断片的な知識は少しは持ち合わせているかも知れませんが
この東西に長い「正面通」を歴史に思いを馳せながらゆっくり歩いて見たいものです
「歩く町 京都」の真の意味を学ばせて戴きました。
繁華街をそれて不思議な町名や通りを探すのも愉しみですね

古都人さん
 おはようございます
ご紹介の「正面町」の地名の由来興味深く拝見しました
京都の地名には歴史的な由緒の有るものが多いですが、
こちらもその一つと言うか代表的なものなのですね。

見る度に心が痛むと言われている耳塚は私も同感です。
「国家安泰」に家康が難くせを付けて・・は有名ですがその文字がこちらで見られるのですね
京都には歴史が今も息づいていると言われますが実感しています
国立京都博物館も方広寺の境内だったのですね
何気なく歩いている、市バスて通っている通りや地名にも
京都の長い歴史が有ると思うと感慨が有ります

古都人さん
 お早うございます
ぼちぼちと続けておられる(笑い)「京都の魅惑的な地名」のフアンの一人です
コメントは閉じられていることが多いですが毎回新たな発見が有り楽しいです
私にとっては文字通り「歴史散歩」と言えます。
今回の「正面町」も私にとっては不思議で魅惑的な町名ですし魅力的な町です。

豊国神社はお参りしたことも有りますし方広寺の石垣の前も通ったことが有ります。京都国立博物館は勿論何度が行っています
耳塚は初めて見た時は秀吉の残虐な一面を見たように思いました
いずれにしてもコメントにも表れています様に漠然と歩いていました
 近いうちに古都人さんのブログを参考に同じ歴史の有る道を歩いてみます
「国家安康」「君臣豊楽」の文字も実際に見てみたいです
いいえ、出来れば古都人さんとご一緒させて戴きたいですが・・・

古都人さん
おはようございます。
まぁ~素晴らしいですねぇ~
私も不思議に思っていたときがありました。
このように説明を見せていただくと
わかりやすくていいですわぁ。
講義を受けてるようです~
博物館も方広寺の境内だとは知らなかったです。
あの鐘に刻まれてるのはなかなか
読みにくいですね、一度写しましたが
綺麗には写せませんでした。
歴史を垣間見た思いで楽しく
見せていただきました。
あのあたりは以前からかわらずに
好い街並みですね。
いつもありがとうございます。

植村さんへ
こんにちわ
そう言われれば久しく「京(町・通り)歩き」を
していません
以前は比較的有名な通りを歩いてご紹介していたのですが・・・
また再開したい気持ちになりました
そうですね 京都は歩けば棒ならぬ歴史に当りますね
「河原町正面」は「ひと・まち交流館」が下車して直ぐにありますね
「枳殻邸」も近いです

taekoさんへ
こんにちわ
そうですね 京都は歴史が重層的に存在していると
良く言われますがこの様に「点」から「線」さらに「面」と
その広がりを強く感じますね
今回の「正面町」はまさにそんな1つでしょうね
歩いて調べて行くうちにその奥深さを感じました

ムームーさんへ
こんにちわ
いえいえ講義と言う程の立派なものでは無いですが・・・
そうですね 今の「方広寺」は寂れた感じになっていますが
秀吉時代はかなり広大だった様です
大仏は何度も災害に遭いその都度再建されたようです
昭和の時代まであったのですが私は見たことがありません
そうですね この辺りは豊臣家の栄枯盛衰の歴史の跡を
留めたところですね

京都には昔ながらの名前があちこちにあり
興味深いですね。
京都で正面といえば、御所かな?と思っていたのですが
秀吉時代にさかのぼってのお話なんですね。
京料理 道楽さん、古都人さんは行かれたことが
おありですか。
中がどんな感じなのか知りたくなりました。

やっこさんへ
こんにちわ
そうですね 豊臣秀吉は京都にとって大変縁の深い人でした
京の町を堀で囲ったり(お土居です)町中に通りを増やしたり
京都大改造をしました その功罪は大きいと思います
町中にお城も造りました(聚楽第です)
要は大土木・大建築が大好きな人だったと思います
京都の住民は大変だったと想像します
京料理 道楽さんには行ったことはありません
京都には一限さんお断りがありますので
行くのには勇気が要ります
時々ここのご主人がマスコミに出ておられるのを見ています

今日は知らないこととはいえこんなにも歴史を
目の当たりにできるところなんですね。
正面町という地名も祖いうことだったのですね。
鐘に刻まれた言葉で歴史の一部を紐解きました。

本当に歴史散歩になりました。
やはりちゃんと説明されると違いますね~

露と落ち露と消えし我が身かな難波の事も夢のまた夢。
だったかな?
何もかも手に入れたようでも・・・この辞世の句が浮かんできます。
天下人の権力の為せる功罪の跡。
根底には国家安康、平和な世を願っていたと思います。
京料理、道楽。ここで一杯飲みながら天下人になったつもりで。
夢の夢かな。

こんばんは happy01
さすが歴史の都・京都です。
地名の由来も奥深い歴史が隠されているのですね。
秀吉も家康も愛知出身の武将ですが、京都にもしっかりと歴史の足跡を残しているのですね。
しかし京都にもかつて大仏があったとは、初めて知りました。
きっと奈良の大仏にも負けないほど立派なものだったのでしょう。
最後の写真の町名表示板、今でもこのようなものが残っているのが素晴らしいですね。

hirugaoさんへ
お早うございます
そうなんですよ 京都と言うところは・・・
京都は天皇さんがおられたのが1200年ですが
応仁・文明の乱や幕末の蛤御門の変で多くが焼失したと
言われていながらも未だ多くの史跡があります
方広寺の鐘がそのまま目に出来るなども
京都の歴史の厚さと言えますね

maetetuさんへ
お早うございます
秀吉の辞世の歌 確かその様だったと思いますが・・・
秀吉は京と大坂とを上手く使い分けていたと思いますね
京都では一時聚楽第をそして伏見城を持ち
大坂では大坂城を根城にして過ごしましたね
辞世の歌に「難波」としたのはやはり大坂に思いが強かった
のでしょうか
道楽には入り難い感じです

慕辺未行さんへ
お早うございます
そうですね 京都は重層的に歴史の足跡が残っていると
良く言われますがこの場所もそんな1つかと思います
そうですね 秀吉は大きな土木・建築が大好きな人だった様です
奈良の大仏さんに負けないものを造りたかった様ですね
後も秀頼や徳川も引き継いだ様ですが
度重なる災害に負けて仕舞いました
しかし昭和まであった様ですが私は見ていません
そうですね 仁丹の町名表示板は貴重な存在になっています
この表示板は2階に取り付けられていますので盗難にも
遭わなかったのかなと思います

古都人さん、おはようございます♪
正面町とは変わった地名ですね。
おっしゃるように、何に対する正面なのか疑問に思いますね。
古都人さんの説明でよくわかりましたが、
ほんとに京都は歴史がそこここに残っている町なのですね。
また京都に大仏殿があったことも初めて知りました。
「方広寺の鐘」に刻まれた「国家安康」 「君臣豊楽」の文字等、
時の権力者は自分の名を残すのが好きなのですね。
歴史が生々しく残っているような気がします。
豊国神社をバックにした「正面通」はまっすぐで道幅も広く、
当時からこんなに立派なものが造られていたのだと感心しました。
国立京都博物館も方広寺の境内だったのですね。
「耳塚」を見ると、秀吉も酷いことをしたものだと思います。
戦功の証拠はこれ以外になかったのでしょうか。
豊臣家と言えば大阪城を思い出しますが、京都にも大変
影響を与えた人だったのですね。勉強になりました。

hiroさんへ
お早うございます
何時も丁寧にご覧戴いてありがとうございます
そうですね やはり1200年間天皇さんが住んでおられたことが
歴史の舞台になり史跡として残っています
ここの場合は秀吉の時代から徳川に変わっても変転がありました
大仏さんは昭和の時代にまで存在していました
「正面通」は写真で見る範囲は道幅も広いのですが
その先では半分以下になっています
ほぼその幅でずっと西まで至っています

古都人さん今日は
京都の地名は歴史が関係していると
少しは解っていましたが・・古都人さんの様に詳しく
理解できていません・・・
そして方広寺の石垣を見ただけで、そのお寺の大きさ、立派さが
窺えますね・・お寺と言うより少し小さなお城の様ですね
京都の大仏殿のお話TVで聞いた事がある様な気がします
もっと勉強して置けばよかった・・・
そして通りの名前も博物館に行っていても思い出せません
こうして歴史を知った上で町歩きをすると見る目線も
思いも全然変わって来て楽しいと思います
教えて頂いて有難うございます

咲子さんへ
こんばんわ
そうですね 京都の永い歴史の中で生まれた町名は
かなり多いと思いますね
今回のシリーズを手掛けてからその思いは一層深くなりました
京都の町名を研究されている専門家や研究会もありますね
それ程奥が深いと言えますね
私も少しずつ勉強したいと思っております

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