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2015年3月

2015年3月30日 (月)

高取「町家のひなめぐり」(城下町の町並と雛飾り)

 「京 歩き」の高取の雛祭との関連記事です。
城下町・高取の町並みを、「ひなめぐり」を楽しみつつ歩いています。
数少ない城下町の名残と共に、町並みをご紹介します。
 そして「おひなさま」も。

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比較的にお城の近くにある「武家屋敷」の長屋門です。
(少々解せないのは、前にここを訪れた時は「植村家」とあった様に思うのですが、今回の入口の説明板には「武家屋敷・田塩家」と書いてありました)
300年経つとのこと。門の右手が「物見所」で、左手は「馬屋」です。

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中の様子です。奥の玄関脇の手前にあるのが「監視窓」付きの塀で、表口を警戒する構えは、他では見られ無い珍しい遺構とか。

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今はお医者様になっている「下屋敷門」です。頑丈そうな門です。

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門と言えば、「松の門」と言って、かつて高取城内にあった門(復元)です。
実際は、門の上には切妻式瓦葺の屋根があったそうです。

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町並みの一部です。城跡に向かって緩やかな坂道になっています。

これからは、目に留まったお宅とお雛様を幾つかご紹介したいと思います。

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粗い格子と細かい格子とが見られます。どのお宅も格子戸が特徴的でした。

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豪華な御殿雛です。御殿の造りがユニークです。

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こちらの出格子窓の美しさ。このお宅の豊かさを感じます。

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こちらは伝統的な雛飾りです。部屋一杯に拡がる華やかさを感じました。

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玄関は今風に改造されていますが、格子戸も美しく、そして2階の虫籠窓や卯建つも美しいです。
各家の軒先に吊るされている杉の小枝は、「町家のひなめぐり」の印の様です。

始めは丁寧に見て歩いていましたが、段々と疲れて来て、後半はやや雑な見方に変わっていました。申し訳なく思いつつ、駅に向かいました。




























2015年3月28日 (土)

ジュリア―ト展at京都府立植物園

 京都府立植物園の開園90周年記念「ジュスネリアード展」が観覧温室で行われ拝見しました。

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ジュスネリアードとはイワタバコ科のことで、イワタバコ科は、150 属3000 種あまりあるといわれています。
分布の中心は、メキシコからブラジル、中国から熱帯アジア、アフリカです。

 イワタバコと言えば、山の渓流の岩場で大きな一枚の葉を垂れ下げて、可愛い花を咲かせるというイメージですが、セントポーリアとかストレプトカーパスとかの園芸品種としてよく出回っています。

 

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アジア、アフリカに約100種類以上が分布する植物で100年以上前から多くの園芸品種が作られている「セントポーリア属」

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タンザニアからケニアの山地に分布し24種が知られています。品種改良が進み今では2万種以上の品種が作られています。季節を問わず開花するので、1年中花を楽しめる「プリムリナ属」

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アジア、アフリカに約100種類以上が分布する植物です。100年以上前から多くの園芸品種が作られている「ストレプトカルプス属」

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名前を撮るのを忘れていましたが可憐な花です。
 他にも花屋さんの店頭で見かける花が色々紹介されていましたが、残念ながら上手く撮れなかったのでご紹介するのは遠慮します。

2015年3月26日 (木)

植物園の桜が咲き始めました

 「京 歩き」もご覧くださいね。
 咲いていた場所は、観覧温室の向い側一帯です。

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未だ若い木のようですが、「修善寺寒桜」と言います。
カンザクラとオオシマザクラの雑種と推定とのことです。

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一部をアップして見ました。若葉も少し見られます。

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お馴染みの「寒緋桜」です。鮮やかなな緋色が印象的です。

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恥ずかしそうに下向きに咲いています。

 アンズの花も咲いていました。

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白い花も・・・

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薄いピンクも・・・。桜に負けじと咲いていました。

主役のソメイヨシノや枝垂れ桜は、未だ蕾状態でしたが、冬に逆戻りのこの状態では、足踏みをしていることでしょう。

2015年3月24日 (火)

京都の魅惑的な地名(5)二帖半敷町と万帖敷町

 「二帖半敷町」(にじょうはんじきちょう)、畳2枚と畳半分1枚では、幅半間・長さ2間半と言う超長細い部屋となります。何とも奇妙な地名と言えます。
 この町名の場所は、烏丸通綾小路下ルにあって、烏丸通を挟んで西側と東側にある所謂「両側町」です。仏光寺通まで続きます。

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この辺りが「二帖半敷町」です。真ん中の広い通りは、烏丸通です。
北から南の方向を見ています。この先に、JR京都駅があります。
左手が西、右手が東です。大きなビジネス街です。


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西側のほぼ真ん中には、「からすま京都ホテル」があります。ビルの上の方は工事中のようでした。

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上の近くにある「京都地下鉄四条ビル」にあった地名表示板です。

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「二帖半敷町」の東側の様子です。茶色のビルは、「大原簿記専門学校」です。

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こちらにも、同じ町名表示板がありました。当たり前のことですが・・・。

 さて、「二帖半敷町」の地名の由来ですが、二説あるそうです。
 江戸期・寛文5年(1665)に刊行された地誌「京雀」に紹介されています。

 一説 昔、この辺りに真言宗の「五条寺」があった。住職が亡くなる時に、二
     
人の弟子に、寺を二つに分けて譲渡した。
     五ジョウを二つに分けたので、二ジョウハン=二帖半敷町の誕生。
     「条」→「帖」にどうして変わったのか?
     高野先生の推測によれば、この町の有力者が、この町が余りにも
     狭いので、そのコンプレックスから、やけっぱち気分で、ええい・ままよ
     ばかりに「二帖半敷町」としたのだろうか、と述べられています。
 もう一説 畳が五帖しか敷けない狭い家を、兄と弟に贈与したから、「二帖半
        敷町」となった。

 未だお話は続きます。「二帖半敷町」が、狭くて小さな町名ですが、対して広くて大きな町名があります。京都は不思議な町です。
 その町名は、「万帖敷町」(まんじょうしきちょう)と言います。本当ですよ。
 現場へ行って来ました。

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語源の元は、向こうに見えるお城です。「伏見桃山城」(当時は伏見城)です。
豊臣秀吉が伏見城を築き、諸大名を集め、それぞれの館を造らせました。
今でも、この付近の町名は当時の大名の名前を取って付けられています。
町名の続きですが、誰か大名の一人が、「わしの城は広い。敷物が万帖も敷けるんだ!」と威張ったのが「万帖敷町」の始まりだろうかと、著者の高野先生は述べられています。

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正式の町名表示板が見当たらなかったので、これで代用させて戴きました。
これは、自治体の掲示板の下部に付けられているものです。

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この町並みのメインロードと思われる通りです。緩やかな坂道になっています。何処にでもある、普通の住宅街です。

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上の写真のメインロードの途中から西の方向を見た景色です。
この位置がかなり高いところであることが判りました。
遠くに見える山並みは、西山連峰です。

以上で、「二帖半敷町」と「万帖敷町」とを、ご紹介しました。
このシリーズは、「京 歩き」から始まっていますが、まだまだ続けたいと思います。

 

 

2015年3月22日 (日)

京都御苑 可憐な桃は3分咲きでした

 20日は二条城で枝垂れ梅を愛でた後は、京都御苑に向かいました。
目的は梅と桜の間で静かに咲く桃の花です。
何故か梅や特に桜ほど持て囃されませんね。


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咲いている?違いました。
梅林の満開の梅の花でした。


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桃の花は残念ながら3分から5分咲きでした。
ベンチに腰掛けで暖かい春のひと時を愉しんでおられる人達です。

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太い幹から出ている生まれたての逞しい桃の蕾です。

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何んとなく梅干しを思わせる桃sign01の蕾。

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俯き加減ですが、数輪の咲いた花にも出会えました。

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残念ながら、シロトビしていますが、可憐な蕾です。

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白色は比較的多く咲いていました。
 この後京都御苑の銘木黒木の梅を探しに行きましたが、解らず後日足を運んで撮ることが出来ました(後日紹介します)







2015年3月20日 (金)

京都「雨宝院」の椿の花

 雨宝院は西陣の聖天さんとして、西陣で信仰されてきたお寺です。
近年は御衣黄桜ですっかり有名になりましたが、狭い境内には珍しい桜や椿、可憐な草花など季節の花も、地域のボランティアの人たちによって育てられています。

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            華やかな「えぞにしき」

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             「大 山 椿」

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        名前は不明ですが花芯?がユニークです。

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               「あ け ぼ の」

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    名前は不明ですが、純白の美しさに惹かれて撮りました。

 椿は汚れやすく傷みやすいです。
京都府立植物園でも数多く育てておられますが、中々綺麗な椿を撮る機会は有りません。




2015年3月18日 (水)

西国街道を歩く (その2)

前回の続きです。
 「西国街道」を西に向かって(実際には、この辺りでは南に向かってになりますが)、歩いています。確かに「西国街道」と言う名前が付く道を歩いているのですが、昔の街道の雰囲気は全くと言って良い程ありません。所々に古い民家がある位です。「五辻」から、街道の道に入って直ぐにあったお寺です。

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ここでは、毎年5月に本堂で奉納される「鶏冠井題目踊り」は、京都府の無形民俗文化財に指定されています。ところで、この「鶏冠井」の読み方ですが、ご存じでしょうか。難読地名の1つです。「かいで」と読みます。向日市内の地名です。

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阪急電車のガード下を通って直ぐの場所です。
この辺りからは、少し雰囲気のあるところを通ります。

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閑静な住宅が続きます。道端には、この地の名産の竹をあしらったモニュメント見たいなものが建てられています。

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この辺りから、比較的大きな家が続きます。何故か進行方向に向かって右側ばかりにでした。

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さらに、この辺りの家の名字が「中小路」家が固まっていました。

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各家の外観から、家の年代にかなりの差がある様に感じました。

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雰囲気のある部分も、そろそろ終わりです。

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「一文橋」に来ました。小畑川に架かる橋です。
昔、橋の修復費用として、通行税 一文を徴収したとか。
向日市から、長岡京市に入ります。

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ここからは、長岡京市内の「西国街道」を歩きます。
この道も、石畳にはなっていますが、歴史的なものは何も見られませんでした。少しだけ雰囲気を感じると言ったところでしょうか。

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「神足商店街」の表示が見えます。「神足」も難読地名の1つです。「こうたり」と読みます。古くからの地名の様です。

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西国街道とJR長岡京駅前通りとの交点に来ました。
「西国街道」右 一文橋 左 調子八角 と刻まれています。「調子八角」とは、長岡京市内の地名です。

今回の「西国街道」歩きは、ここまでとしました。

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その傍に、こんな碑がありました。「長岡京発見之地」とあります。
長岡京の発掘に一生を捧げられた「中山修一」氏
が、昭和22年に、この辺りの田んぼを発掘して、都の道路の様子を発見し、そこから長岡京の発掘のきっかけとなったそうです。
長岡京発掘2千回を記念して、平成22年11月に、ここに長岡京市がこの碑を建てたものです。

 私達はこの後、阪急・長岡天神駅に向かいました。
 駅の近くでヘルシーな昼食を摂り、長岡天満宮にお参りして、付近を散策した後、帰途に着きました。

 
 この次に、若し「西国街道」を歩くとすれば、「東寺口」から東向日駅までか、
 或
いは、さらに西に向かって街道を歩くか、どちらかなと思っています。

2015年3月15日 (日)

西国街道を歩く(その1)

 

久し振りに、「西国街道」のほんの一部を歩きました。
阪急電車・京都線の「東向日」駅から、同線の「長岡天神」駅まででした。
「西国街道」とは、「京の七口」の1つ「東寺口」から、西宮までの約52Kmの街道です。現在の国道171号線に沿っています。
 西宮からは、下関まで山陽道に繋がります。

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阪急「東向日」駅から、直ぐのところにある「常夜灯」です。
「築榊講常夜灯」(つきさかこう・じょうやとう)と言うそうです。
かつては街道を通る人々の安全を祈り、明かりが灯されていたのでしょう。
ここから「西国街道」を歩き始めます。

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西国街道は、左手の道を進みます。右手の道は、多分新道だろうと思います。
古い石畳の道は、何故か懐かしさを覚えます。

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街道に入って直ぐに出合った長屋門があるお宅でした。
この先にも、古い佇まいを残すお宅に、時々出合います。

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さらに進みますと、この道標に出会いました。道歩きをしている人間にとって、この様な道標に出合うことは、大変嬉しくかつ安心して歩けます。昔の旅人達もきっとそんな思いで歩いていたことでしょう。

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こちらのお宅は、格子戸が見事でした。

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「須田家住宅」です。京都府指定文化財となっています。
こじんまりとしていますが、美しい建物です。煙り出し・虫籠窓・格子戸と、見事に役者が揃っています。
左手に建つ道標には、「右 西国街道 中 あたごみち 左 たんばみち」と刻まれていました。

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向日町で一番の宿屋「富永屋」と、掲示にありました。
何でも約400年も前に始まったとかで、戦後まで旅館や料理屋を営んでいたそうです。この地区(乙訓郡)での会合などには、ここが良く使われていたそうです。

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本殿に向かって真っすぐ延びる参道は、桜のトンネルとなり、遠方からも多くの見物客が訪れる様です。私も、今年の春には一度訪れたいと思いました。
創建は奈良時代だそうで、本殿は国の重文指定されています。

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やがて道は「五辻」になりました。その一角には、こんな常夜灯が建っていました。「柳谷」とか「千眼講」とありますから、「柳谷観音」(眼病に霊験あらたかな観音様)への道標でもある様です。慶応元年に造られたものです。
江戸時代は、「西山道」と西国街道との交点の四辻だったそうですが、昭和7~8年頃に新道が出来て、五辻になったそうです。

 この後も、西国街道を西では無く、南の方向に歩きます。

 

2015年3月12日 (木)

西陣の町屋でランチしました

  西陣を散策していて、ふとオレンジ色、黄色そして茶色の暖かい雰囲気の暖簾が風に揺れているのを見つけ思わず中に入りました。

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外観もしっとり落ち着いていますが、店内も昔は織屋さんだったとか西陣でよく見かける町家です。

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店主は女性で、趣味のお仲間らしい方達が、コーヒーとお喋りを愉しんでおられました。

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↓のランチを戴いたのですが、パン以外は日替わりです。

ポークビーンズビーフシチューは野菜が柔らかく煮込まれていて、白いんげんの優しい甘さが後を引くお味でした。


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食後にコーヒーを注文しましたが、挽きたての香り豊かなコーヒーを戴くことが出来ました。

 

天神さんにお参りした時には是非もう一度お訪ねしたいお店でした。

2015年3月 9日 (月)

京都御苑の梅の花は七分咲きでした

 

「御所雲月」で京料理を戴いた後、京都御苑に立ち寄りました(3月6日)。
 京都御苑は国民の公園なのですが、何故か桜の季節以外は静かで人の姿も少ないです。


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出水の小川に咲いている白梅も満開です。

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梅林の入り口近くで休憩しておられる人の姿も有り、長閑な昼下がりの御苑す。

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紅梅の前が白梅です。
このように、二色の色が重なっているように見えるのが好きです。


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↑のコメントとは合いませんが京都御苑の雰囲気にピッタリの白梅です。

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梅林に咲いていたピンクの梅です。ピンクでも紅梅と言うのでしょうね。

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清楚で上品な白梅。

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そして対照的な紅梅です。

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未だ若い木ですが、これからの成長が愉しみです。

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こちらの若いカップルも将来が約束されていますね。
何時までもお幸せに・・・・・・

やはり京都の町にはドレスより和服が似合いますね。

2015年3月 6日 (金)

大阪・住吉大社などへ(その2)天満宮界隈他

 前回の続きです。
「住吉大社」での初詣を済ませた後は、昼食場所に向かいました。
 その場所は、USJの近くにあるホテルでした。

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そのUSJの入口です。今までも近くに来ていながら中には入ったことはありません。もっぱら外から窺うばかりです。ハリーポッターのテーマパークが出来てから入場者が大幅に増えたとか。

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食事をした「ホテル京阪ユニバーサルタワー」(32階建て)の中央階段です。
ドラマの撮影に使えそうな感じの階段でした。

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その後は、「大阪天満宮」にお参りしました。
つい比べて仕舞うのですが、京都の「北野天満宮」との比較です。
全くと言って良い程、雰囲気が違いました。意外に地味な感じでした。
大阪の夏祭り「天神祭」のお膝元とは思えない感じでした。

 時間まで、「天神橋筋商店街」の一部を散策しました。

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天満宮に近い「天神橋筋2丁目商店街」の一部を歩きました。
アーケードの入口の上には、こんなものが・・・。如何にも大阪らしい飾りです。

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向かい側の上にも・・・。どちらも「文楽」に因んだものでしょうか。

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天満宮の近くには、有名な「天満天神 繁昌亭」があります。
桂 文枝さん率いる、大阪の落語の専門の寄席です。

 この後、阪神高速大阪環状線を通って、名神高速へ。
 大阪の町中の高層ビルの多さに驚きながら、車窓にくぎづけになっていました。

2015年3月 3日 (火)

大阪・住吉大社などへ(その1)住吉大社

 今回もまた、或る会から日帰りのバス旅に出掛けました。実は初詣だった
(1/30)のですが、記事のUPは今日になりました。住吉と言えば、NHK朝ドラ「まっさん」の舞台の1つでもあります。
住吉大社は、私にとっては何回かの参拝で、大分前には姪の結婚式がここでありました。

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「住吉さん」と言えば、この「太鼓橋」です。この時は少し雨が降っていました。
長さが 20m 幅 5.5m 高さ 3.6m あります。
石の橋脚は、慶長年間に淀君が奉納したものだそうです。

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帰りには、この橋を渡ってと思ったのですが、未だ雨が続いていましたので、安全を考えて渡らずに帰りました。

境内に入ります。住吉大社の神殿の配置は、少しユニークです。

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本殿は総て西(大阪湾の方向)向きで、第一本宮(左手一番奥)から、手前の第三本宮までは直列に並んでおり、第四本宮(右手手前)と第三本宮とは並列に並んで建てられています。
ご祭神は、第一本宮 底筒男命 第二本宮 中筒男命 第三本宮 表筒男命
(この三柱を住吉大神と言います) 
第四本宮 神功皇后(息長足姫命・おきながたらしひめ))などです。

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第一本宮の拝殿・正面です。

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本殿です。「住吉造」と呼ばれる建物です。4つの本宮総てこの造りです。国宝に指定されています。神社建築史上最古の特殊な様式です。

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第一本宮の裏にある「楠珺社」(なんくんしゃ)です。樹齢千年の楠がご神木とか。俗に「初辰さん」と言って親しまれているお社だそうです。

初詣と言うことで、特別に「神楽殿」で参拝し、お神酒を戴きました。

「住吉大社」での参拝後は、大阪市内に向かいました。

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