京都御所特別公開(1)

 天皇陛下御即位30年記念・特別公開を京都御所で拝観しました。
 3月12日(火)から21日(木・祝)の期間でした。私は16日(土)に拝観しました。
 天候不順で、やや寒く、拝観者はまずまずでした。

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公開の入口になっている「宜秋門」(ぎしゅうもん)を入って直ぐに目に入るのがここ「御車寄」(おくるまよせ)です。

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そこに飾られているのは「花車」です。春らしい華やかさです。

そこから少し進んで左折すると「諸大夫の間」です。正式な御用で参内した公家や将軍家の使者などの控えの間です。

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季節の合わせ「桜の間」の襖絵をご覧下さい。と言ってもガラス戸越しなので外の景色が映って仕舞います。他に「虎の間」と「鶴の間」があります。

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もう一連の「桜図」です。絵師は、「原 在照」です。

ここに展示されていたのは、2つの旛です。

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「日像旛」(にっしょうばん)です。

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「月像旛」(げっしょうばん)です。

どちらの旛も、即位の礼・儀式の際に庭上に立てられます。今回の旛は、昭和天皇の即位の礼(昭和3年・1928年)で、紫宸殿南庭に立てられました。

次は、「新御車寄」(しんみくるまよせ)です。

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ここでは、「牛車」が飾られていました。

ここからは、御即位の写真 3点が続きます。貴重な資料です。

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先ず「大正天皇御即位」の写真です。

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次は、「昭和天皇御即位」の写真です。

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最後は、「今上天皇御即位」の写真です。

 今回はここまでとします。次回に続きます。




















 

2019年3月19日 (火)

京都市内・洛中を歩く(7)柳馬場通-4

 前回の続きです。
 「柳馬場通」を南下しています。

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立派な京町家です。のれんが掛っているので、何かをされているのかなと思います。

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手前も京町家(ばったり床几が見えます)と左手は「漢方」のお店の様です。

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西側にある「綿善旅館」さんです。

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続いて西側にある「京団扇・阿以波」さんです。
一頃良く取材にお邪魔させて戴いていました。有難うございました。

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京料理のお店「一の傳」さんです。
こちらも以前はちょくちょくご馳走を戴いていました。
西京味噌漬けの美味しいお魚も購入していました。
食欲の秋、久し振りにご馳走を戴きたいと思ったりしています。

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「錦通」に近付いて来ました。

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「錦通」です。西側を見ています。

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漸く「四条通」に来ました。西側を見ています。
今回は、ここまでとしました。
続きは、日を改めて歩くことにしました。






2019年3月17日 (日)

京都市内・洛中を歩く(7)柳馬場通-3

 前回の続きです。
 「柳馬場通」を下がって「御池通」を渡りました。

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西側にある「白壁」が目立ったお宅です。一見普通の住宅の様には見えません。
後に見える切妻の建物が主屋の感じです。

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南側から見ています。手前の「うだつ」が立派です。
手前側の建物と、その先の白壁の建物とは一連の様に見受けられましたが・・・。

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「三条通」に来ました。その角に建つ建物は、この三条通の並ぶ明治時代の洋館の一つです。建物の天辺にある塔状のものが、その印象を受けます。

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その斜め向かいには、こんな造形物がありました。

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並ぶ京町家で、それぞれに何かの商売をされている様です。

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その中の1軒は、路地の奥で商売されています。

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その入口には、こんな看板が立っていました。食べ物屋さんの様です。

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東側には、こんな石碑がありました。

 次回も続きます。




2019年3月15日 (金)

京都市内・洛中を歩く(7)柳馬場通-2

 前回の続きです。
 「柳馬場通」を、北から南に向かって歩いています。

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二条通を越えました。西側にあったお宅です。普通の住宅とは思えない外観ですが・・・。

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東側にあった保育園です。少し中を覗かせて戴くと、中は広いフローが見えました。
広い体育館見たいな感じでした。

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続いて東側の建物です。道路に面しては手前の様な木の扉があって、その中の奥に通ずる通路には、この様に竹を曲げたアーチ状のトンネル見たいになっています。
不思議な飾り?です。

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右隣のマンションの玄関から見ると、こんな具合です。

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「見真大師」とは、「親鸞聖人」のことです。ここで亡くなられたとのこと。

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その碑の横にあった石碑です。

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石碑の文中にあった「虎石」が町名になっています。

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立派な外観の「京都御池中学校」です。

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その傍には、こんな石碑がありました。
「京都市立堀川高等学校専修夜間部跡」とあります。
「専修夜間部」とはどんな内容の勉強をするのでしょうか?
右横の石造りは、学業用の椅子の感じです。

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さらにその近くには、この様な石碑も。

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「御池通」に出ました。

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御池通の東方向を望んでいます。遠くに見えるのは、「東山連峰」です。

 次回も続きます。





























2019年3月14日 (木)

今年最初の桜情報 府立植物園

 中々春が感じられない京都の日々ですが、そんな中でも植物達は敏感に季節の移り変わりを表現しているのではないかと思い、京都府立植物園に「桜」の様子を見に行って来ました。
 北山門から入って直ぐ右手にある「桜品種見本園」では、唯一「オカメ」が咲いていました。

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比較的背の高い木です。

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満開とまでには至っていませんでした。

園内の西側にある「桜林」に向かいました。ここにも多くの品種の桜が見られます。

まず目に付いたのが、この木でした。

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名札を探したのですが、見当たりませんでした。「カワズザクラ」かな?

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結構葉っぱも見られます。

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「唐橋」(カラバシ)の名札が見られました。

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アップで見ました。

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「修善寺寒桜」です。

「桜林」から離れて、「四季彩の丘」の方向に向かう途中にあった木です。

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未だ若い木のようですが、「椿寒桜」とありました。

その先、右手には

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「寒緋桜」です。華やかな色をしていますが、花は下向きです。

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その近くにある「杏」(アンズ)です。

 未だ全体的には寂しい状態の桜達ですが、これから暖かい日が続くと一気に開花が進むことでしょう。

 「京都御苑」の「旧近衛邸」の「イトザクラ」も、未だ蕾のままでした。

 以上は、3月13日(水)午前の状況でした。





















2019年3月13日 (水)

京都市内・洛中を歩く(7)柳馬場通-1

 暫く休んでいた「洛中歩き」を再開し、「柳馬場通」を丸太町通からスタートしました。
 「柳馬場通」は、平安京時代の「万里小路」(までのこうじ)に当たるそうで、当時の道幅は12mもあったとか。やはり昔は柳並木があったそうです。「馬場」は、慶長9年の豊国祭の臨時祭礼で大規模な馬揃えがあったことから、それに因んだものと言われています。
 今は、五条通までの約2.3Kmの南北の通りです。

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北は丸太町通から始まる「柳馬場通」の北の始点です。
左手の建物は、「京都地方裁判所」です。「竹屋町通」まであります。

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柳馬場通ですから、柳が植えられているのかと思いきや「しだれ桜」でした。

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途中で見掛けた境界の標識は、かつての「司法省」の「司」です。
時々旧役所名の表示を見掛けます。

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竹屋町通を越えると、普通の京都の町の通りの風景になりました。

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裁判所が近い為に、こんな所もありました。
「京都司法書士会館」です。東の方に、「京都弁護士会館」もありました。

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こんなにシンプルな町名がありました。どこにでもありそうな町名ですが、こんなのでも郵便は届くのでしょうか。

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「生神女福音聖堂」(しょうしんじょふくおんせいどう)と言うそうです。
明治36年(1903)に完成しました。京都市指定文化財です。

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見る位置を変えて見ました。本格的な聖堂の中では、現存最古のものだそうです。

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一つ東の通りまで広がった公園です。かつて公家の邸があったのでしょうか。

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京都市内には所々この様な表示があります。
道行くひとにとっては便利でないかと思い撮って見ました。

 次回も続きます。























2019年3月11日 (月)

京都市電写真展を見る

 地元紙で、「今昔写真から見える京都の変遷~市電の音が聞こえる風景と現在~」が、「ひと・まち交流館京都」で開かれているのを知り、見に行って来ました。2月25日までの開催でした。最終日の25日に行ったのですが、結構多くの方が来られていました。
 写真は、昔(と言っても昭和40年代)の写真と、ほぼ同じ場所の現在の様子を並べて展示されていて、判り易かったです。約300枚が展示されているとのことですが、私が興味を持ったところに絞って、ご紹介したいと思います。

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最も感銘を受けたのは、この場面でした。今のJR奈良線です。
左の場面は、昭和45年撮影とありますが、未だその頃でもSLが走っていたのですね。
稲荷駅近くでしょうか。現在の稲荷駅は外国観光客で大賑わいです。

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京都市電で一番懐かしいのが「北野線」を走っていた「チンチン電車」です。
京都駅前から北野天満宮前までを往復していました。

「北側」とあるのは、四条通辺りを境にしての「北側」と言うことの様です。
次の「南側」は、文字通り四条通から南部を指します。

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「チンチン電車」は堀川通を走っていましたので、この場面がありました。
見えるのは、「東南櫓」でしょうか。

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「チンチン電車・北野線」の終点だった「北野天満宮前」と「車庫」の様子です。
「車庫」の跡は、「こども文化会館」になっています。

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今度は、「トロリーバス」です。電気を取り込むトロリーが付いたバスです。
特定のコースだけに走っていました。確か西大路四条から西へ、梅津までだったかなあ?

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祇園祭の山鉾巡行のスタート地点である四条烏丸付近です。
巡行時の市電の架線の影響を排除したのも京都ならではのことでした。

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京都駅前での景色です。黒っぽいビルは、京都タワービルです。

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「京都市役所」の傍、河原町通線を走る市電です。
市役所の建物も時代を感じさせる年代ものです。
見える「メモ」は、何かの思い出を書いて欲しいと言う事務局からの要望に応えられたものです。

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市電ではないのですが、人気の「嵐電」です。

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「円町」とは、西大路通と丸太町通との交点で、見えるガードはJR山陰線(現在はさがの線の愛称も)のもので、西大路通は「アンダーパス」になっています。
左の写真は、撮影時期不明とのことですが、可なり古い時期のものと思われます。

 最後に京都市内を走った電車(後に市電となる)の歩みを、簡単に記したいと思います。

●明治27年2月 京都電気鉄道会社設立(京電)

●明治28年2月 京電 伏見線開業(日本初の路面電車)

●明治45年6月 京都市電開業

●昭和7年4月  京都市営トロリーバス開通 四条大宮~西大路四条間

●昭和29年3月 市電白川線開業

●昭和36年6月 市電北野線廃止

●昭和44年10月 トロリーバス廃止

●昭和53年9月 京都市電全廃





2019年3月 9日 (土)

紀州の旅(4)紀伊田辺市内-2

 前回の続きです。
 「紀伊田辺市内」の古きを訪ねて歩いています。
 そんな雰囲気が残っていると言う「南方熊楠旧宅」に向かいました。

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その近くに来ました。趣のある土塀がありました。目的地は、この先です。

ここには、南方熊楠の旧居とその顕彰館とがあります。
こちらは旧宅の本屋とその玄関です。彼は後半生ここに住んだとのことです。

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旧宅の主屋の玄関前です。質素な建物と見ました。

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玄関脇には、こんな表示がありました。

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主屋(右)と小屋(左)との間を覗いて見ました。

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裏の駐車場から見た建物群です。主屋は屋根の天辺が少し見えます。その手前は土蔵ででしょうか。

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旧宅の右側には、「南方熊楠顕彰館」が建てられています。ユニークな建物と見えました。

 旧宅前から海岸方向に向かって歩きました。

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暫く歩くと見えて来たのが、この邸宅でした。
「脇村義太郎」邸です。1900年生まれ、1997年死去された、経済学者です。
田辺市生まれ。日本学士院院長、文化功労者など。

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玄関は左手にあり、右手の奥行きを見ています。

 海岸に出ました。

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「扇ケ浜公園」や「海水浴場」です。海は「田辺湾」です。

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漁港もありました。見える橋は、「田辺大橋」です。

この辺りには、田辺市役所や文化会館などがありました。

その近くにあったのが

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これでした。

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草叢を掻き分けて見付けました。

 この後、「田辺大通り」を通って、JR紀伊田辺駅に向かいました。

 ◆限られた時間内で、紀伊田辺市内の古い町並みを見たいと思ったが、予め駅近くの観光案内所で聞いた範囲でも余り期待出来る所は無い様に感じたし、教えられた場所も以上でご紹介した程度でした。

 ◆城下町と言われているが、城は維新後取り壊され、残っているの「田辺城水門跡」だけとのことで、見学はしなかった。

 ◆田辺市が観光に力を入れているのは、熊野古道を中心にした「紀伊山地の霊場と参詣道」の世界遺産部分の様です。

 ◆江戸時代、紀州藩主徳川頼宣の執政家老安藤直次のもと、3万8千石の城下町として栄えた様だが、現在その面影は全く無かったと思う。

 ◆田辺市ゆかりの有名人物は、武蔵坊弁慶 南方熊楠 植芝盛平(合気道の創始者)
山本玄峰(禅僧) が挙げられています。

 















2019年3月 7日 (木)

紀州の旅(4)紀伊田辺市内-1

 前回の続きです。
 旅の2日目は、時間の許す限り「紀伊田辺市内」を歩きます。
 JR紀伊田辺駅前の観光案内所で、観光のアドバイスを戴きました。
 市内の古い町並みが希望です。

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宿の窓から見た、朝の景色です。やはり朝の景色、すっきりしていました。
午前7時33分の朝景です。

宿から送迎バスで、JR紀伊田辺駅まで送って戴き、駅前からスタートしました。

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JR紀伊田辺駅の駅舎です。お洒落ですね。

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駅前には、この地で生まれた「武蔵坊弁慶」の銅像がありました。

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顔の部分をアップで見ました。イケメンですね。

 先ず市内の名所の1つ、「闘鶏神社」に向かいました。

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石の鳥居を通して、境内を望みます。右手が社殿です。

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その社殿群です。

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拝殿正面です。

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武蔵坊弁慶(左)と、その父・熊野別当湛増(右)の像です。

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境内には、こんな「闘鶏」像が見られました。
「闘鶏神社」の名前の由来は、平安時代に源平いずれに味方するかを決めるため紅白の鶏を社前で戦わせたことに由来するそうです。結果は白が勝ち、源氏に味方しました。
ご存じの様に、弁慶は最後まで主人の「源 義経」に従いました。

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境内には、その弁慶を祀った「弁慶社」もありました。

 次回に続きます。市内巡りが続きます。


















2019年3月 6日 (水)

北野天神さんの梅

 京都市内の「梅」の名所の1つ、「北野天満宮」に行って来ました。
 3月2日(土)の午後のことでした。多くの参拝者の姿が見られました。
 「東門」から境内に入りました。

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東門前に立つ鳥居と白梅です。

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境内に入りました。紅梅と祠です。

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白梅とピンク梅が並んでいました。

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社殿に向けて、多くの灯篭が並んでいます。

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境内を反時計回りに歩きました。私の好きな撮影ポイントです。

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境内摂社が背景です。

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拝殿前に来ました。これは「ご神木・飛梅」です。

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社殿前から境内を見ています。

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「しだれ梅」を探していると、まだ小さな「しだれ梅」を見付けました。

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こちらは立派な「しだれ梅」でした。天神さんでは「しだれ梅」は、極めて少数派です。

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「梅苑」を、隙間から覗いています。

 拝殿前では、お参りをする人の長い行列が出来ていました。
 受験シーズンですからね。



























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