2018年4月25日 (水)

府立植物園 2景 新緑と花

 前回の続きです。
「サトザクラ」展が開かれていた植物園会館を出ました。
 外では、新緑が美しく、花も美しく咲き誇っていました。

013a

植物園会館を出て直ぐのところです。蘇鉄の木を囲んで、チューリップの輪が出来ています。

015a

その傍では、姉と弟とが仲良く手を繋いで、何かお喋りでも?

010a

018a

少し西寄りには、西洋シャクナゲが美しく咲いていました。

020a

白に近い極薄いピンクも、清楚感を感じさせています。

 そこから北に向かって、秋にはモミジの名所の池に向かいました。

022a

真ん中に見える東屋の先が池です。

026a

ヤマブキの花が見頃の様です。

027a

漸く池の傍に来ました。池面に届かんばかりに枝を伸ばしています。

029a

アオサギが木の先で、じっと何かを待っているのでしょうか?
新緑の中で、緑に酔っているのかも・・・。

 植物園では、これから益々緑が広がり深まって行くことでしょう。














2018年4月24日 (火)

府立植物園 2景 サトザクラ展

 素晴らしかったサクラの季節が過ぎた京都府立植物園の景色を2つ、始めは
「サトザクラ展」をご覧願います。

008a

会場は、「植物園会館」の1階の展示室です。その入口です。

001a

003a

八重ですね。

004a

こちらも一重ではないですね。

005a

ウコン桜ですね。

006a

これもサクラ?可愛い花です。

007a

こちらも可愛い花ですね。

 この後は、外へ出て新緑や花を楽しみました。














2018年4月23日 (月)

4月半ばの嵯峨野の景色

 桜の季節もほぼ終わった頃の嵯峨野の景色です。
 4月16日の午前中のことです。

001a

 

 何時もの様に、広沢池の東南隅に立って、池全体を見渡しています。
少し風があって、池面はこんな様子でした。
遠くの愛宕山が、少し霞んでいました。
春らしい雰囲気を感じました。

014a

 

 池の西にある小島にも、新緑が目立っていました。
中央には、石仏の千手観音様がお元気そうでした。

028a

 

 北嵯峨田園地帯の田んぼは、既に田起こしが終わっていました。

035a

 

 その近くの民家では、はや鯉幟が泳いでいました。

040a

 

 秋には美しい紅葉を見せてくれるモミジです。
田園地帯の東側の道を歩いています。

047a

 

 竹林では、筍がこんなに育っていました。

055a

 

 あちこちにレンゲの田んぼが広がっていました。
もう少ししたら、幼稚園児達がレンゲ積みに遣って来ます。

061a

 

 民家のあちこちで、ヤマブキが咲いていました。

066a

 

 私が好きな所(日本の原風景)も、新緑に覆われていました。
五山の送り火の1つ、「鳥居形」の曼荼羅山が後です。

 これからの嵯峨野は、ますます新緑が深まって来ることでしょう。
 また後日、初夏の嵯峨野をご紹介出来ればと思っています。









2018年4月22日 (日)

中山道・木曽路の宿場を訪ねて(3)妻籠宿-4

 前回の続きです。
 妻籠宿の北寄りにある「脇本陣・奥谷」(わきほんじん・おくや)を見学しました。
 代々脇本陣・問屋を務めた家で、現在の建物は明治10年に総檜造りに建て替えられたものだそうです。島崎藤村の初恋の相手「ゆふ」さんの嫁ぎ先だとか。
 国の重要文化財に指定されています。「歴史資料館」もありました。

024a

街道から見た「脇本陣奥谷」の前面です。

086a

緩やかな坂道を下って、中に入ります。

087a

玄関の右手には、「御門」(侍門)があります。貴賓はここから奥にある座敷に上がります。
通り庭を通って、裏側に出ました。

089a

右寄りのガラス戸が出入り口です。

088a

「土蔵」は、資料室として活用されています。
この先を左手に進むと、「歴史資料館」がありました。内容は見応えがありましたが、時間が無いのが残念でした。
次に、建物の内部をさっと拝見しました。

090a

通り庭の内部の様子です。黒光りする建具類には、この家の歴史を感じます。

091a

屋内では、囲炉裏で焚かれている火の煙で、この様な状況でした。
囲炉裏は、この下にあります。左手上は、神棚です。

093a

磨き抜かれたこの家の「大黒柱」です。

094a

明り取りの小窓からの光も、燻ぶっています。
古き良き時代の風情を感じました。

 長々とご紹介して来ました「妻籠宿」は、以上で終わりとさせて戴きます。



























 

2018年4月21日 (土)

中山道・木曽路の宿場を訪ねて(3)妻籠宿-3

 前回の続きです。
 妻籠宿を、北から南に向かって歩いています。宿場の約半分以上は来たでしょうか。雰囲気一杯の「寺下地区」を歩いています。

049a

「下嵯峨屋」と言います。当初、長屋であったものですが、妻籠宿における庶民の住居を代表する形式をとどめているそうです。「枡形の跡」の南端の右手にあります。

052a

寺下の町並みを、南から北の方を見ています。

055a

再び南に向かっています。そろそろ宿場の終わりに近付いています。
住居の形態はいろいろある様です。

059a

民家を独立した形で、この様に見られるのは希少です。
南に向かって左手にありました。
宿場のほぼ南端には、水力発電所がありました。
その辺りから引き返しました。

068a

前方に「枡形の跡」が見えて来ました。
右手に少し見える部分が、普通の街道です。
「枡形」とは、敵の侵入を阻むために道を二度直角に折り曲げた道です。

069a

「上嵯峨屋」です。枡形の部分にあります。昭和44年の解体復元によって、18世紀中期の木賃宿であることが分かったそうです。

072a

枡形のエリアです。古民家は、左手だけにありました。
「松代屋」は、旅館です。

074a

枡形の跡の北の部分です。緩やかな石段を上って行きます。

076a

石段の先は、この様な石畳です。その先では、平坦ら街道と合流します。

080a

街道の南から北の方向を見ています。

この後、「脇本陣奥谷家」を見学しました。次回にご紹介します。



















2018年4月20日 (金)

中山道・木曽路の宿場を訪ねて(3)妻籠宿-2

 前回の続きです。
 「妻籠宿」を北から南に向かって歩いています。

032a

進行方向・右手です。「妻籠郵便局」です。「郵便史料館」も併設されています。前に立っているのは、ポストです。
島崎藤村の「夜明け前」にも開局当時の様子が描かれているとか。

034a

その左隣の「高麗屋」(土産物屋さん)です。家の造りが、少し他と違う感じを受けました。

036a

「さしものや」と言う看板が掛っていますが、この地の特産品の木工製品(例えば漆器など)を造っておられるのでしょう。
この家の造りも、他と少し違う(建物の高さが低い)感じです。

037a

普通の古民家と思われますが、昔からの外観を保っているのではないかと思います。
この辺りから、「枡形の跡」が見られますが、折り返し時にご紹介します。

038a

上のお宅を方向を変えて見ました。貫録を感じました。
「枡形の跡」は通らずに、普通の道とお寺への上り道との角にあった「寒山拾得像」(石碑)です。

043a

左の石段が、お寺・光徳寺への道です。
国内では唯一とされる石仏だそうですが、像が良く見えません。

041a

アップにしてみましたが、こんな具合です。「双体像」は他に類例がないとか。
「道祖神」みたいに見えます。土に埋まっていたものを発掘された様です。

044a

この辺りは、「寺下地区」と言い、日本で最初に宿場保存事業が行われたところです。妻籠宿保存の原点とも言うべき町並みです。
この日は時々小雨が降り、道も濡れていて、余計に趣きを感じさせて呉れました。

046a

右手の町並みに注目しています。

047a

続いて、右手を見ています。

 妻籠宿の約半分以上は来たでしょうか。さらに南に向かいます。
 次回も続きます。




 

 

 

2018年4月19日 (木)

中山道・木曽路の宿場を訪ねて(3)妻籠宿-1

 前回からの続きです。
 中山道・木曽路の宿場を訪ねる旅、今度は「妻籠宿」(つまごじゅく)です。
 2日目の朝、ホテルの送迎バスで、バス停「妻籠」まで載せて貰いました。
 そこから少し歩いて、街道に出ました。

012a

妻籠のバス停にあった「重伝建」の看板です。
選定されたのは、昭和51年9月4日とあります。「文部省」と言うのも時代を感じさせます。

013a

同じ場所にあった「妻籠宿案内図」です。赤い表示の「現在地」にいます。
これから街道に入り、左手の宿場の北端へ向かいます。

014a

妻籠宿の北の入口の景色です。緩やかな坂道になっています。
左手奥には、「高札場」が見えます。

017a

北の入口には、「口留番所」がありました。右手奥です。17世紀半ばまであったそうです。「関所」見たいなものだそうです。
ここから折り返して、宿場内を歩きます。

020a

先程の緩やかな上り坂を下ります。高札場が右手にあります。

021a

「田丸屋」と言う、今はお土産屋さんです。進行方向(南に向かって)右手です。

023a_2

同じく右手にある、和菓子屋さんの「満寿庵」です。

026a

左手にある「柏屋」(看板による)ですが、案内図には該当する屋号が見当たりません。

この辺りの右手に「脇本陣奥谷」と言う建物がありますが、後程中を見学させて戴いたので、纏めてご紹介します。

031a

その先左手には、「妻籠宿本陣」があります。
代々「島崎氏」が任命され、明治まで本陣と庄屋を務めていたそうです。
島崎藤村の母の生家で、藤村の次兄が養子に来ていたとか。
平成7年4月に復原されました。

029a

その入口には、「人馬会所」があって、旅人の世話をしていたところです。

次回も続きます。










2018年4月18日 (水)

中山道・木曽路の宿場を訪ねて(1)奈良井宿-4

 前回の続きです。
 奈良井宿の中で一般に公開されている1つ、「中村邸」(塩尻市指定有形文化財)を拝見しました。天保8年から14年(1837~1843)の間に建てられたものです。江戸時代には、櫛問屋・中村利兵衛の家でした。間口が狭く、奥行が深い奈良井の町家の典型とのことです。

060a

「鍵の手」から少し南寄りにあります。その正面です。廂が少し張り出しています。確かに間口は狭いです。「しとみ戸」が全面に付けられています。

050a

入口から入って、直ぐの様子です。間取りの略図から「カッテ」かと思います。
2階の一部も見えます。

051a

その2階から見た木組みの様子です。意外と豪壮ではなく華奢な感じです。

052a

階段は黒光りしています。お尋ねすると「漆塗」だそうです。

053a

1階の奥にある「ザシキ」です。

054a

「カッテ」では、煮たきしていたそうで、その煙で木組みの持ちが良かったとのこと。部屋は、カッテ・ナカマ・ザシキと続いています。

055a

2階には、2つの部屋がありました。

056a

立派な「トコ」と「タナ」も造られています。

058a

2階の格子を通して、外を見ました。

059a

1階に下りて来て、「シトミ戸」の明り取り障子を見ています。

以上で、「奈良井宿」を訪ねての巻は終わりです。
感想としては、想像していたより街道の道幅が広く、昔「奈良井千軒」と言われるだけの人の往来の多さを物語っているのだろうと思いました。

この後は、今夜の宿・「ホテル木曽路」へ行くため、JR中央本線の奈良井駅から南木曽駅(なぎそ・えき)に移動、南木曽駅から送迎バスでホテルに向かいました。
























2018年4月17日 (火)

中山道・木曽路の宿場を訪ねて(1)奈良井宿-3

 「桜」を追っ駆けていて、長らく中断して仕舞いました。再開します。
 前回の続きです。
 「奈良井宿」の西の外れに近付いて来ました。

037a

復元された「高札場」です。幕府からの「お達し」が掲げられていました。

39a

その傍にも「水場」がありました。

040a

そこから振り返って北の方を見ています。緩やかな坂道になっています。

042a

もう少し外れに行って見ました。そこには、「鎮神社」(しずめじんじゃ)と言う奈良井宿の鎮守です。もとは難所の「鳥居峠」にあったとか。毎年8月12日がお祭り日です。本殿は塩尻市の有形文化財、お祭りは市の無形民俗文化財だそうです。
外れには、「楢川民俗資料館」がありましたが、中には入らず引返しました。

049a

軒に特徴がある家々が並んでいます。

061a

「しとみ戸」など、特徴的な部分が魅力的です。

062a

「鍵の手」を、戻り道でも見ています。

063a

「しとみ戸」など、全体的に洗練された感じがしました。

071a

今来た道を振り返っています。宿場町の情緒一杯です。

 次回は、公開されている「中村邸」(市指定有形文化財)を、ご紹介します。




















2018年4月16日 (月)

鮮やかに可憐に咲くアネモネ

 京都府立植物園へチューリップを見に行った時に可憐に咲いていたアネモネに心惹かれました。
 そしてその近くに咲いていた「ミツバツツジ」です。


Img_4057


Img4066

ミツバツツジは
 「ツツジ科の落葉低木。関東・中部地方の山地に自生。葉は菱形に近い卵形で、枝先に3枚ずつつく。4、5月ごろ、葉の出る前に紫色の漏斗状の花を横向きに開く。庭木にする。 」との事です。
園内にはこちら以外にも何か所かで見かけました。

Img_4061

そしてアネモネです。

Img_4065


Img_4063


Img_4064

これらの他にも花色は有るのかもしれませんが、植物園で見かけたのはこれらの四色でした。 

「アネモネ(学名:Anemone coronaria)はキンポウゲ科イチリンソウ属の多年草。
 和名はボタンイチゲ(牡丹一華)、ハナイチゲ(花一華)、ベニバナオキナグサ(紅花翁草)。 または、アネモネ属(Anemone)の総称を表すこともある。 地中海原産で、語源はギリシア語で「風」を意味する。」との事です。

«府立植物園の花展2つ(その2)ベゴニア

2018年4月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

最近のコメント

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

京 歩き